決戦
最後の序章、決戦です。
────魔大陸南方、守護の国領内の火山島
ただ岩が寄り集まったような緑の無い火山島。魔王リアンはそこを決戦の場に選んだ。約千年ぶりに人間と魔族が対峙する。そのためにリアンは人間の艦隊の通り道に結界を張り、この小島へと誘い込んでいた。
そして昨日、人間の艦隊が水平線から顔を出した。リアンは隠れもせず荒れた平地にひとり、自走椅子に座って待っていた。夜明けと共に、男は現れると予想して。
翌日の夜明け。何かを拒むように荒れていた海はいつしか凪ぎ、朝は静かに訪れた。ふと冷たい風が吹く。リアンは精霊の気配を敏感に感じ取った。
「来たか」
意思を持って吹く風に乗って、上空からひとりの男が現れた。朝日に照らされて輝く金色の髪は、人間の持つ特徴。地に降り立つと同時にその人間は真っ直ぐリアンを見詰めた。
「君が魔王?」
「そうだ」
「僕は勇者アーサー。君を殺すよ」
ただ真っ直ぐに、迷いなく彼はそう言った。直ぐに斬りかかるでもなく、殺気を殺した風でもなくただ立つ彼を見て、リアンは問うた。
「何故?」
「君が魔王だから。君を殺して、魔族を殺して、君達の大陸と資源を奪うんだああごめん間違えた。言い直していいかな」
淡々と、間違えたなどと思っていないであろう調子で彼は言う。そして演技がかった風に手振りをつけて語りだす。
「僕は勇者アーサー。献身のオーブの適合者であり、船風精霊オオの契約者であり、並外れた魔力を見に宿す奇跡の男!お前の占領する大陸を僕ら人間の手に取り戻し、お前に殺された両親やレーナの無念を晴らす為、お前をここで滅ぼす!」
いきなり大声で宣言したアーサーは、剣を抜き放ち献身のオーブを発動した。船風精霊オオも身を風に変えて臨戦態勢に入る。
「随分と唐突だな」
「いつまで座っているつもりかな」
アーサーは空中を剣で斬りつける。グリーンに発光した剣身の軌跡が衝撃波となりリアンに襲いかかる。しかし微塵もリアンは動じずに半円状の結界を作り出しそれを防いだ。
「お前にどんな理由があろうと、戦ってはならない。決して、大陸大戦を繰り返してはならない」
「でも僕らに和解はないよね。それこそ大陸大戦で証明されてる」
アーサーは地を蹴って結界に迫り、勢いのまま上段から剣を振り下ろす。結界とぶつかり合った衝撃と余波で結界と接触していた地の岩盤が砕けた。
「ぅわ……かったいな」
「和解はないと、分かっていて何故、戦うのだ。私も魔族も、人間の大陸には近付いていないはずだ。お前の仇が我らである証拠はあるのか」
「ないよそんなもの。だって嘘だもの。ジジイ達が作り出した妄言だって七歳の時の僕にも分かる。あれはただの水難事故。不幸な事故。それが真実。で?なんだっけ。ほんと硬いなこの結界」
あっけからんとアーサーは言う。
もう一撃、もう一撃、一撃、一撃一撃。アーサーは連続で斬りつける。離れて助走をつけたり、オオの助けで上空から斬りつけたり、剣筋も段々と強く、研ぎ澄まされていく。
「お前は……何なのだ」
リアンは目の前の男が理解できずにいた。まだ若いひとりの人間。彼が何故戦うのか分からない。あまりに敵意や殺意を感じられないのだ。両親らが殺されたと言ったかと思えばそれを妄言だと片付け、話すのかと思えば剣を振り、ちぐはぐで、考えが読めない。
「勇者だよ。オーブに選ばれし悲劇のヒーロー。それだけ」
「私を殺して何になる」
「さあ。君を殺す為だけに生きてきたから、わからないな。でもきっと、その先もまた誰かを殺すんじゃないかな。それしかやることないんだ。僕には何も無いからね」
「話にならないな」
「じゃあそれっぽいこと話してあげる」
連撃を止め、一度結界から距離を取るアーサー。剣を地の薄い割れ目無理矢理突き刺し、風となったオオをその身に纏い始めた。話しながらもアーサーは戦闘を止めない。
「枯れた大陸に未来はない。故に我らは戦う。生きるため、飢えぬため。それは生物の本能。早くこの大陸を人間の国々に明け渡し大陸を去ってくれ。出来ないなら奴隷にでもなって恭順しな」
オオにはアーサーの言葉がそのままあの老人たちから教えられたものだと分かった。
「本気で私達をこの大陸から追い出せると思っているのか」
「うん。だって僕強いから」
「お前ひとりで大陸を相手取ると?」
「勇者は単騎じゃないよ」
船風を司る精霊の力と勇者の魔力が混ざり合い、人間という器に収まらないエネルギーがアーサーの周囲に放出され始めた。同時に献身のオーブがより強く発光する。
「献身のオーブ。選ばれし勇者ひとりに力を集める人間の秘宝。皆が僕に献身して力をくれるんだ。僕はひとりじゃない。見た目に騙されたら終わりだよ。魔王と勇者。一対一に見えて、僕にはあの艦隊にいる全ての人間分の力が備わってるんだから。君も早く仲間を呼びなよ、どっかにいるんだろ?」
「まさか。大事な配下を連れてくるわけがない。こんな無意味な争いに」
「は?何言ってるの」
魔王が配下を連れずひとりで現れるなど、あり得ない。舐められているのかとアーサーは少しの落胆を感じた。この魔王は勇者の、献身のオーブの力を知らないか、そうとうな自信家なのだろうかと。現にこんなに荒野に椅子なんて持ち込んで、ずっと立ち上がりもしないのだ。攻撃してくる気配もない。今更ながら、アーサーはこの魔王が変であることに気付いた。だが、そんな違和感などどうでもいいと思い直す。
「まあいいや。どうせ殺す」
「……哀れな男だ」
ぽつりとリアンが呟いた。思わず出てしまったような、力無い呟きだった。だがそれを拾ったアーサーは敏感に反応してしまう。
「……何?それは君だよ。目の前の敵の力量すら測れないなんて」
「測る必要がない。既に知っている」
「へえ。そういえばこの前魔族に奇襲されたけど、それのことかな。あんな雑魚に僕が本気を出したと思ってるの?数人逃してやったのも面倒だったからだよ。どうせ脅威にはならないしね、情報が渡ったって勝てなきゃ意味ないから」
「そもそも、その勝つという考えが、私とお前では違うのだ」
これまで指先一つ動かさなかったリアンが、ようやく動いた。リアンが指先を振ると、アーサーの立つ荒野を埋め尽くすような巨大魔法陣が現れる。アーサーは咄嗟に空中へと逃げた。しかしそれはこの魔法陣内において無駄な行動でしかなく。
「っ!?どうしたオオ!」
アーサーに憑依していた精霊の力がみるみる剥がれ落ちていく。それに伴って空中に留まれなくなった身体が地に引かれてしまう。アーサーは空魔術で墜落の衝撃を弱め元通り魔法陣の中に着地した。弱くぼんやりとした光となったオオが消えそうになりながらアーサーの元に現れる。
「アーサー、【契約干渉】の魔法陣だ、お前との契約が切られ………」
「おい!オオ!何処へ行く!」
リアンの魔法陣は容赦なく、アーサーと船風精霊オオの契約に干渉し、それを解いた。オオが消えた瞬間、同時に魔法陣も光を失った。
「船風精霊オオか。お前達人間がここまで来る事が出来たのはあの精霊の助けによるものだろう。今後、お前が死ぬまであの精霊はニ界から戻れぬ」
「…………」
「そしてお前が死ねば、人間は献身のオーブの唯一の適合者を失う。あの精霊が復活して海を渡る事が出来ようと、我々と集団魔術だけで戦うことになる。厄災者を欠いた人間では相手にならない」
アーサーは契約解除による酷い喪失感に見舞われながら、それを飲み込んでリアンを見据える。必然的で事務的な喪失感を、別の感情が塗り替えていくのを感じながら。
「提案しよう厄災者。精霊を失い帰り道を無くしたお前達を、全員無事に元の大陸へ送り返す。かわりにその献身のオーブを破壊させてもらう。そしてもう二度と互いに干渉しない事とする」
「は。はは。そうだねー……オオが居ないと家に帰れないや」
アーサーは不自然に口角をあげてみせる。
「──なんてね」
そこに滲むのは、明確な、殺意。してやられた事への怒りか、それとも契約していた精霊を取られたことへの怒りか。アーサーはオオの事を特別大事に思っていたわけではないが、それでも長年共に過ごした愛着のようなものがあったのだろうかと頭の隅で自問した。
ゴウと風音が立つほど一気に魔圧を上げたアーサーが剣を振り上げる。爛々と光る献身のオーブのエネルギーがアーサーの全身に巡っていく。
「帰る家なんてないよ。もう、どこにも」
「……哀れな」
「そうさ僕は哀れなやつだ。僕には君達を殺すという使命以外何も無い。だから殺すよ、君を。この力で。僕から全てを奪ったこの力で!君の命を奪う!」
艦隊にいる人間の力を受け取り、厄災とも言われたその破壊力で思い切り結界に斬り付ける。渾身の一撃。
キィインという甲高い音と地を抉る鈍い音が荒野に響いた。
「……やはり厄災者。この結界を破るか」
甲高い音の正体はリアンの結界が破壊された音。魔王であるリアンの結界を、魔法を使わずに破壊することが出来るほどの者は、守護の国にはいない。竜すらも封じ込めるその結界を、アーサーは剣の一撃で破壊してみせた。剣が、オーブのエネルギーで揺らめく。
リアンは再び結界を複数展開する。それは誘い込むための結界であり、消耗させるための結界。
「この結界じゃ、もう僕を止められないよ」
アーサーはさらに強く発光したエネルギーを纏いながら、次々結界を破壊していく。剣を振る余波で砂が舞い、岩が砕け、地を抉る。平坦だった荒野は瞬く間に瓦礫や大岩が散乱する戦場となった。
「【反射結界】」
目の前まで迫ったアーサーの前に、今までと違う結界を展開し、リアンは椅子を素早く後退させた。
ようやくその場を動いたと思えば椅子ごと移動しているリアンに、アーサーは苛立ちを覚えた。その苛立ちに任せて新しい結界に斬り付ける。上段からの一撃。キィインと耳障りな破壊音が鳴ったと同時に、大きな反発が剣を襲った。まるで斬撃による衝撃が丸々返ってきたかのように。衝撃に耐えられなかったアーサーは転がりながら後方に押し返される。剣を握り締めた手と手首がジンジンと熱い。
「くそッ、馬鹿にして……!」
罠にはめられたような屈辱がアーサーをさらに熱くさせる。
「お前に私は殺せない。戦うほどにお前は自分を傷つける」
ピリッと痛んだ頬に手をやり、指に触れる感覚から皮膚が切れている事を察する。アーサーは、反射された衝撃だけでなく、結界を破壊した際に発生する魔力を伴った余波で少しずつ傷が増えている事に気が付いた。
結界の余波は尖った魔力。触れれば対象にダメージを与える。
「こんなかすり傷、意味ないね」
「お前は私にかすり傷すら付けていない。私を殺す事は不可能だ」
「今殺すよ」
簡単に煽られたアーサーは再び展開された反射結界に勢いのまま特攻する。
「ぐっ……!うぉ……!」
剣を振るごとに轟音と甲高い音が耳を貫き、跳ね返った衝撃が体を打ち、砂埃が視界を濁す。
それでもアーサーは止まらない。魔王を目掛け、時に風や火の魔術を剣に纏わせながら結界を破壊していく。自分が与えた衝撃の跳ね返りをもろに受けるということは、自分で自分を攻撃しているのと同義。しかしアーサーの剣に躊躇はない。
「もう止めろ。私は献身のオーブを壊せば人間に危害は加えない。今の平和が守られればそれでいいのだ」
リアンは説得を諦めず、アーサーに語りかける。
直接の余波を喰らわないように自走椅子を操作し、反射結界を展開し続けるリアンは、まだ余裕があるものの、戦い前から力の半分以上を国の結界に割いている状態だ。とても万全とは言い難い。
「平和?はは、平和ね。平和ってあの平和?知ってるよ、とても平凡で、幸せで、誰も戦いで死なない状態のことでしょ。そっか、君は平和が好きなんだね」
良いことを思いついた、と言うように、アーサーが今日はじめて楽しそうに笑った。それは、無邪気な子供のような笑みだった。
「僕が壊してあげるよ。全力で」
「させはしない」
キィインと結界を破壊し、その余波に逆らわずアーサーは一度距離をおいて後退した。
「ねえ、魔王。何で君は魔法を使わないのかな」
「何を言っている」
リアンは何度も魔法を使っている。リアンは訝しげに眉をひそめた。アーサーが結界の破壊を止めた事で、島には元の静けさが戻る。
「僕が馬鹿みたいに結界壊してる間に何か準備するのかと思ってたけど、見てる限り何もしてないし。かといってすきを見て攻撃してくるわけでも無い」
「……」
「ずっと座ったままだし、武器も持ってないし、召喚もする気配ない。だからやっぱりお仲間がいるのかと思ったのに、全然出て来てくれない。君、なんのつもりなのかなって」
アーサーは瞬きもせず目を見開いてリアンに問う。
「もしかして、防御に徹していれば凌げるとでも思ってるのかな」
にっこりと、殺意という明確な感情を乗せて笑うアーサー。感情の高揚に呼応するように金色の髪がキラキラと風になびいた。
「遠くに見えるあれ、君の国だよね。平和な平和な君の国。こんなに近くまで艦隊で攻めてきてる人間を殺しにもこない、王様任せの弱そうな国。きっとずぅっと、君に守られてきたんだろうね。いいね、あれを壊したら君、きっと怒るよね」
「……」
リアンは無意識に国の結界を強化した。ここからの魔法では、国に張った結界を破ることはほとんど不可能だ。それこそ、献身のオーブを持った厄災者の極大魔法でもない限り。
「同じ事考えたかもね、僕ら」
「させると思うか」
リアンは島全体を覆うように結界を展開させる。大きな結界はそれ相応の魔力を消費し、リアンを消耗させた。あまりに魔力を使い過ぎると、国に張った結界を維持出来なくなる。それは何としてでも避けなければならなかった。
「本格的な魔法はあまり使わないんだ。献身のオーブを魔法と一緒に使うと、周りの街とかほとんど崩壊しちゃうから」
アーサーの周りを高濃度の魔力が取り巻く。魔力差で風が起き周囲の塵を吹き飛ばした。献身のオーブの光が剣にエネルギーを集中させる。
「ここまでやっても、君もお仲間も止めに来ないんだね。…………もしかして君、止めないんじゃなくて、止められないのかな?」
ゴウゴウと音を立てて、アーサーを中心に暴風が吹き荒れ始めた。練った魔力の狙いはリアンの背後に控える小火山のさらに後方、守護の国。
「“吹き飛ばせ【超衝撃弾】”!」
頭上に掲げた剣の先にアーサーの背丈ほども直径のある風圧の球が現れた。そしてアーサーが剣を振り下ろすと同時に【超衝撃弾】が空を切って発射される。
「……っ!」
「はは!」
周囲の空気まで巻き込んで成長したエネルギーが爆発し、【超衝撃弾】はかすっだだけで火山の三割以上を吹き飛ばした。そして島を覆う結界に着弾後爆発を起こす。衝撃に耐えきれず、地響きをたてて山体が崩壊し始める。
「さあ、どんどん行こうか!!」
アーサーは完全に献身のオーブの力を解放し、風を操る。風は、海水や岩を巻き込みながら竜巻へと変化する。
「“風よ集え【水竜巻乱】”」
アーサーの背後にいくつもの竜巻が現れた。
「おっと。結界が邪魔だね。沖に出ないと竜巻が成長出来ない」
フラリと踏み出したかと思えば、アーサーは一瞬でリアンの目の前に現れた。常人にはありえない、瞬間移動したとも思えるほど一瞬だった。そして剣を突きつける
「竜巻に気を取られた?隙きありってやつ?」
「私が自分自身に結界を張っていないとでも思っているのか」
「っ!?」
リアンは自身に常に結界を張っている。それは範囲が小さい分、強固だった。それこそ、膨大なエネルギーを纏っている剣を素手で握れるほど。
「やめろ!」
リアンは献身のオーブに手を伸ばす。しかしアーサーは危険を感じ咄嗟に剣を引いた。
「……」
「……」
献身のオーブの光に包まれた剣身は、触れただけで、否、触れずとも対象を切り裂く。そのエネルギーの塊を制御出来ないがために長きの間適合者が現れなかった伝説の秘宝。適合者以外は扱う事は勿論、触れるだけで反発したエネルギーに喰われることになる。そんな力を纏った剣に、リアンは躊躇なく手を伸ばした。献身のオーブの恐ろしさを知らない無知故の行動か、しかし。アーサーは確かに、壊されると直感した。その手に献身のオーブが触れてしまえば、この力は失われると。アーサーは、この魔王と対峙して初めて、危機感というものを感じた。
「……君を殺すのは後だ」
慎重になったアーサーは再びリアンから距離を取り、魔術を展開する。
「“吹き飛ばせ【超衝撃弾】”」
現れたのは十を超える巨大な風の塊。周囲の竜巻を吸い込みながらさらに大きく成長する。
「“風纏え【鎌鼬】”」
さらに自身にも魔術を展開する。アーサーの周囲に風の刃が舞い踊った。そしてそれを献身のオーブのエネルギーが何倍にも速く強く多く強化していく。
アーサーが一歩地を蹴る。すると、まるでアーサー自身が魔術であるように、周囲を風の刃で破壊し吹き飛ばしながら島の反対側にまで突き抜けた。リアンには目もくれず一直線に、守護の国が控えるリアンの背後の結界へと。遅れて発射された【超衝撃弾】が減速したアーサーを追い越し連続で結界に衝突する。ビリビリと結界が堪えた。
「らぁあああああ!!」
「っ!」
ニ歩目。アーサーが結界へと飛びかかる。その結界の先には魔大陸が、守護の国がある。
「耐えろ!」
リアンは結界に魔力をさらに注ぎ込んだ。大陸側、内部からの攻撃にのみ集中し、強化する。次々と【超衝撃弾】が着弾し、とどめと言わんばかりにアーサーが突撃した。全身全霊で結界に斬りかかる。
「いっ硬……!がぁっ!」
リアンの本気の結界を前に、アーサーは打ち負けた。
爆発のような反作用で島の荒野中ほどまで飛ばされたアーサーは、背中から強く身体を打ち付けた。同時に右の手首が異常に熱く、動かない事に気付く。
「………あーあ。痛いんだけど」
熱がガンガンと響くような痛みと冷えに変わっていく感覚から、アーサーは骨が折れるという初めての経験をしているのだろうなと察した。
左手で剣を持ち直し立ち上がると、未だ貴族張った椅子に座りながら荒野に在るリアンを睨む。
「私に向かってこい。私を倒さねば、この結界は解けない」
「……大丈夫、君は殺す」
互いに目を逸らさない。アーサーはリアンをどう殺すかを考えながら、手首の状態をそれとなく確認した。
無音が訪れた火山島だったが、そのすぐ直後、大陸側の荒野一角が轟音と爆炎と共に吹き飛ばされた。
「な……!?」
「は!?何!?」
魔王と勇者、ふたりしか存在しないはずの火山島に、唐突に起きた爆発と爆炎。
互いの反応から第三者の仕業だと即座に判断したふたりは警戒を強めた。
リアンは自走椅子を、爆発の方向へ向ける。
砂煙の中から現れたのは、黒い甲冑を身に纏った、燃えるような赤髪と上向きの黒角を持つ男。鋭い目つきで二人を見据えた戦士は、大型の槍を携え、身に火の粉を纏っている。
「リヴ……!?」
「へえ。ようやくお仲間が到着したってことかな」
現れた男は人間ではない。となればリアン側、魔族側の加勢であることは疑うまでもないのだが。リアンは彼の登場に焦り、取り乱していた。
「何故来た……!お前には港の守りを任せたはずだ……っ!」
「命令を無視しました。お許しを、兄上。俺が厄災者を倒します」
現れた男の名は、リーヴェレイド・ベスト。猛炎の君とも呼ばれる炎魔術の使い手であり、守護の魔王リアン・ベストの弟にあたる人物であった。
「馬鹿野郎が……!」
今のリアンには魔力的余裕がない。普段ならすぐさまその身に結界を張ってやる所だが、厄災者の攻撃を防ぐだけの結界を生物に展開させるのは現状では困難で、それが出来ない。無理にそれをやろうとするなら、国の結界崩壊させ魔力を取り戻してやるしかないのだ。
国か、弟か。それらを天秤に乗せるなどリアンには出来なかった。
咄嗟の判断。アーサーがその気になれば魔法を使わずともリーヴェレイドの位置まで距離を詰めて首を切るなど造作もない事なのだ。
「【反射結界】!」
リアンは複数の【反射結界】でアーサーをぐるっと包み込んだ。そしてその上からさらに【反射結界】を幾重にも重ねていく。アーサーは瞬く間にドーム状の【反射結界】の層に閉じ込められた。一点突破されやすく、残った枚数分の魔力が無駄になる効率の悪い型だが、確実に数秒の猶予を生み出すことが出来る型でもあった。
「俺が戦います、兄上。兄上だけでどう戦うというのです」
「お前は国の結界の中に帰す、直接内側に送ってやるからこっちに来い」
リアンは港にある拠点にリーヴェレイドを送り返すための魔法陣を指先で空に描いていく。リーヴェレイドを厄災者と戦わせるわけにはいかなかった。リーヴェレイドでは、厄災者には敵わない。
「兄上……」
「リヴ、早くしろ。もう準備も終わる」
リーヴェレイドは問答無用で魔法陣を描いていくリアンを睨みつけると、魔力を解放し周囲に火花を散らし始めた。
「兄上!何故戦わぬのです!俺と俺の軍が出れば人間など直ぐに蹴散らしてやるのに……!」
「やめろリヴ。命令無視した部隊は壊滅しただろう、厄災者を止めるだけの力はお前達にはない!」
「それは兄上も一緒だろう!そんな不自由な身体で、一体何が出来る!」
「魔法と身体は関係ない!」
「兄上……!貴方は魔法だってほとんど使えないだろう!何故結界ばかり、断魔術などではなく他の魔術を使えば良いのにそれすら使わない。俺は理由を知っている!知っているんだ、兄上が四素魔術を一切使えないことを!」
四素魔術。火魔術、水魔術、土魔術、空魔術という四つの属性魔術の総称である。魔大陸で最も広く知られ使われている基礎的な魔術でありながら、自然を相手取る究極の魔術とも言われている。
「へえ、魔王って、魔王なのに四素魔術が使えないのか。水も?火も炎も?空も風?土も?……はは、びっくり。本当に魔王なのそれ。まあ僕と結界は少し相性悪いみたいだけど、全部壊せばもう君に勝機は無いわけだ」
「っ!?もう出てきたか……!」
【反射結界】のドームから出てきたアーサーは、左腕に持った剣を軽く振るう。献身のオーブの光の斬撃が衝撃波となり二人を襲った。
リアンは自分とリーヴェレイドの前に結界を展開しそれを防ぐ。
「っ……リヴ!早く来い!」
「兄上!貴方はいつまで俺を閉じ込めるつもりだ……!結界など、俺には、もう必要ない!いらないんだ!!」
リーヴェレイドは大声で吠えるように宣言する。同時にリーヴェレイド取り巻いていた魔力が、爆発したかのように一瞬炎と化して渦巻いた。
かつてリアンが贈った黒竜の大槍を手に、リーヴェレイドは地を蹴った。その大槍が行く先は、貫く先は、無防備風に佇む厄災者ではなく──。
「ぐッ!!……っ……ァ!?」
兄、リアンだった。
キィイン……と覚えのある音と魔力が散る感覚。次いで身体を襲う衝撃、焼けるような熱さ、そして冷たさ。服が温く濡れた感触。追って激痛が全身を巡って、熾烈な痛みはじわりじわりと神経を焼いた。
眼下、自走椅子ごと自らの腹を貫いた大槍を見て、その大槍を持つ目の前の弟の顔を見て、リアンは理解した。
「兄上、貴方は弱い。こんなにも」
自分は弟に腹を穿かれたのだと。
黒竜の大槍には、リアンの髪が結ばれていた。それはリアンが国中に結界を張るために魔力を込めていくつも用意した、結界を効率的に維持するための媒介だった。リーヴェレイドはそれを、リアンの結界を突破するための道具として利用したのだ。リアンの結界は術者であるリアンを拒まない。リアンの髪に込められた魔力を使って、大槍が触れる一瞬だけ、結界に大槍をリアンだと誤認させたのだ。一度ヒビの入った結界は脆い。リーヴェレイドは魔法も使わず腕力だけで簡単にリアンの結界を破壊してみせた。そしてリアンの足である自走椅子まで破壊して、血塗れの兄を見下ろした。
アーサーは戦うことも忘れて、ただ目の前の状況を見ていた。阿保みたいだと思った。魔王は、今の今までその身一つで国を守るために戦っていたというのに、加勢に来たかと思われた味方の魔族、しかも弟に殺されかけているのだから。守ろうとした者に、正面から腹に穴を空けられて、どんな気持ちなんだろうか。アーサーは少し胸のすく思いがした。
「なんでも良いや。彼も魔族なら、どうせ殺すし」
アーサーは献身のオーブからさらにエネルギーを引き出す。極大魔法を使うには、それなりの準備時間と体力と魔力が必要だ。ごたついている今が良い機会。アーサーは体力を回復させるためにエネルギーを循環させた。
「っは……はっ……」
「もういいんですよ兄上、貴方は大人しくこの舞台から去って下さい。厄災者と人間は、俺が倒す」
リアンは朦朧とした意識の中、自身に突き刺さった大槍に手を掛け、リーヴェレイドに構わずに自走椅子ごと後退してそれを引き抜いた。途端に血飛沫が吹き出し、流れた血の赤が地面を濡らす。視界が狭い。そしてどうやら今引き抜いた衝撃がとどめとなり、自走椅子の魔動回路が完全に応答しなくなった。血に溶けた魔力が流出するのを感じながら、痛みで気を失っている場合ではないと、リアンは気力だけでなんとか意識を保たせていた。せり上がってきた衝動を吐き出せば、それは血反吐となり更にリアンを赤く染める。魔力操作で無理矢理止血をしても、失った血は戻らない。しかしリアンはこんな状況でも、一つとして国に張った結界を崩壊させることはなかった。むしろ結界を崩壊させないという決意が、リアンの気力を支えているのだ。
息絶え絶えのリアンに、リーヴェレイドはギラリと興奮した瞳ではっきりと宣言する。
「この瞬間から、この俺が、魔王だ」
リーヴェレイドの感情の高ぶりに応じるようにパチパチと火花が赤い髪に舞う。返り血で汚れたリーヴェレイドは、その若さと雄々しさを兼ね備えた肉体からして、血濡れで椅子に凭れるのリアンよりもよほど魔王らしい。堂々とした佇まい。内包する魔力量も扱う炎魔術も大魔王の子息として胸を張れるものである。似ていない兄弟だなと、リアンは場違いな事を思った。持つ色も違えば、角の形も違う。顔立ちも、身体つきも、性格や趣向も違う。違うからこそ、助け合えたはずであるのに。兄は弟の手を取らず、弟は兄を突き放した。
「何も出来ない貴方はそこで自分の身でも守っていればいい。取り柄の結界で」
「っは、お前では……勝て、ない」
「俺は貴方より強いのだ」
「ぅゲホッ……!りゔ、オーブには、ぜったいオーブの剣には触るな、っは……、は……喰われるぞ」
「分かっている。それは何度も聞いた。献身のオーブのエネルギーは触れただけで敵を壊すと、だから戦わせぬと。ヌルいことを言う、戦わねば舐められるだけだ!妥協案を出したところで人間はつけ上がる……!」
リーヴェレイドは、マントを翻しリアンに背を向けた。
大槍に付着した兄の血を振り払って、リーヴェレイドは厄災者と対峙する。
「焼き殺される覚悟はいいか、厄災者」
「切り刻んで海に捨ててあげるよ、君程度の魔族なら魚のエサにするくらいがちょうどいい」
ピキリとリーヴェレイドの米神に血管が浮いた。
「“ひれ伏せ【垂彗星】”!」
「“吹き飛ばせ【超衝撃弾】”!」
リーヴェレイドは上空に燃え盛る岩を生み出した。像を歪めるほどの高熱を発するその岩はさながら隕石のように天空から敵を殲滅せんと急落下する。リーヴェレイドの最も得意とする炎魔術だった。アーサーはそれを【超衝撃弾】で弾き返す。極熱の岩石は衝撃で砕け散り、塵と破片を空中にばら撒いた。衝撃波の余波で舞った土煙の中にリーヴェレイドが突っ込んでいく。黒竜の大槍に炎を纏わせ、疾風の如く迫る様はまさしく猛ける炎。荒れ狂うような魔力を大槍に込めて、アーサーを貫かんと突きを繰り出す。
「“炎槍に焼かれよ【爆炎】”」
「“風纏え【鎌鼬】”」
炎槍の爆発と幾つもの風の刃がぶつかり合う。目の前まで迫った両者の視線が交わった。
「こんな小僧が厄災者か!献身のオーブだかで強化されたと言っても所詮矮小な人間!俺の敵ではない!」
「僕に傷一つでも付けてから言いなよ」
アーサーが力尽くでリーヴェレイドを振り払う。
「ガハッ……!?……く、この俺をここまで飛ばすか……!人間め、今に跪かせてやろう……!」
「口ほどにもない。君ひとりで僕の相手になると思ってるのかな。なんか苛つくしもう片付けてあげるよ」
アーサーを取り巻くエネルギーの光が途端に膨れ上がった。魔圧だけで嵐のような風が起きる。遥か後方に控える人間の艦隊から吸い上げられた膨大なエネルギーが、アーサーに集結している。アーサーは一息で【超衝撃弾】を十発以上生み出し、リーヴェレイドを吹き飛ばした。そして空に魔法陣を描き始める。手のひらほどの大きさから展開されて行った魔法陣は、みるみるうちに島の三分の一の大きさにまで発展した。
「あれは、極大魔法……!」
リアンにはアーサーの描く魔法陣が、極大魔法クラスの物だとすぐに理解できた。心臓が煩いほどに鼓動を速め、冷や汗が頬を伝う。
「逃げろ……!リヴッ……!」
意味もなく、思わず伸ばした手は空を切り、思いは届かない。
「【炎柱】!“立つ巻く炎ここに集え【炎竜巻乱】”!!“ひれ伏せ【垂彗星】”!!!」
リーヴェレイドはアーサーに向かって魔法を連発する。炎の柱が幾つも立ち上り、竜巻の渦が炎を取り巻き、再び生み出された幾多もの隕石が地上に打ち付けてなお、アーサーは無傷でそこに立っていた。アーサーを取り巻く献身のオーブの力を帯びた風の刃が、すべての攻撃を振り払っているのだ。
「“我風呼ぶ者 一陣の驟雨に祈りを──」
風吹く轟音の中微かに聞こえるアーサーの詠唱。
リアンに悩んでいる時間はなかった。覚悟を決め、島を覆う結界を崩壊させる。結界から発散された魔力をいくらか回収し、自身の魔力を回復させた。極大魔法の前ではこのレベルの結界では意味をなさないと判断したのだ。
「くそっ!俺の魔法が効かないなんてあり得ない……!だがそれなら、直接叩くまで!“炎槍に焼かれよ【爆炎】”!」
弾かれ続ける自身の魔法に業を煮やしたリーヴェレイドは、再度炎を纏って風の中に突撃する。
だがアーサーを取り巻く風の渦は、中心であるアーサーに近付くたび献身のオーブのエネルギーが色濃く充満していた。献身のオーブの適合者以外は、そのエネルギーに触れるだけで身体を壊される。
「うぉおおおおおおああああぁぁ!!!!」
咆哮を上げて風の刃に抵抗するリーヴェレイド。アーサーはそれを一瞥した後、右腕を振り上げ生み出したエネルギーで軽く振り払う。そして極大魔法の魔法陣の詠唱へと意識を戻した。大魔王の実の息子であり、幼少より次期魔王にと目されてきた男を、まるで取るに足りない存在であると言うように。
「……私が、オーブに触れられさえすれば……」
血に濡れた腹を押さえた右手で、リアンは魔法陣を描く。リアンには、一度でも献身のオーブに手を触れられたなら、それを内部から破壊出来る自信があった。適合者以外は触れるだけで死に至る秘宝であっても、自身に扱えぬことはないと、リアンには結界と魔力操作に絶対の自信があったのだ。
しかしもう、自走椅子の動力が壊され、戦場の端に取り残されたリアンには、それに近付く手立てがない。
ゴォッと風を切る音が聞こえて、続いてドォンと衝撃音が背後で起こった。風に飛ばされた岩肌に打ち付けられたのは、全身傷だらけのリーヴェレイドだった。甲冑も、服も、破壊され切り刻まれて、浅くない傷が幾つも体を走っている。
「ガハッ!!」
「リヴ!……おいリヴ!あ、あぁあリヴ、リヴ!」
一瞬、リアンの脳裏をよぎる最悪の予感。
リアンは凭れていた椅子から転げ落ちるようにしてリヴの元へ這っていった。動かない足が憎らしい。結界を張っていない身体に、硬くざらついた地面や瓦礫、小石が突き刺さって新たな血が流れる。けれどリアンはそんな事気にはならなかった。腕だけの力で側に寄り、声を掛け続ける。しかしリーヴェレイドは起き上がらない。ただ、息と意識はある。そうとう強く打ち付けたようで、脳にダメージがはいっている様子だった。頭上を仰ぎ見れば、もうアーサーの魔法陣が完成に近い。
リアンは今持てる力全てで結界を張る。それしか出来ることはない。動かないリーヴェレイドをなるべく近くに抱き寄せ、転がっていた黒竜の大槍を力づくで地面に突き刺し、それを媒介として結界を展開する。リアンには黒竜の力が抵抗することなく身を委ねてくれたように感じられた。竜の力が補完されたことで、リアンに少し落ち着きが戻った。
「あ、あに、ぇ」
「動くな。極大魔法が来るぞ。魔力は残っているか」
「すこし、しか」
「少しあるならいい。剣で切られたか」
「き、ら、て、なぃ、……かぜ、だけ」
「なら死なない。大丈夫だ。槍を握っていろ、私から離れるな」
献身のオーブが生んだ風の刃は、触れただけでリーヴェレイドの魔力を乱し、身体の制御を奪った。感情の起伏で意図せず魔力を火花として発散させてしまうようなリーヴェレイドには、献身のオーブのエネルギーから身体の制御を取り戻せるだけの技量はない。その未熟さを叱る余裕も時間も意味も今はなかった。
アーサーの極大魔法が完成する。
「──天は我に味方せし 極大魔法【天来の陣風嵐】”」
天に描かれた巨大な魔法陣が、アーサーに応えて強く強く発光した。視界は全て白く染められ、潔く目を閉じて祈るしか出来ない。
ゴオォオンと、およそ風とは思えない衝撃音を伴った嵐がリアン達を、火山島を、海を、人間のいる艦隊を、更に離れた守護の国を襲う。殴るように打ち付ける空気の弾と舞い上げられた民家サイズの大岩、岩盤、地面までもが凶器と化し嵐の領域内の全てを破壊する。海と大地と空の境い目を混ぜるように風は舞う。海には猛風が吹き、地上には波が立ち、天には岩が飛び回った。
その様はまさに厄災。自然の脅威そのもの。
誰もが生を諦めるほどの圧倒的な力が、そこにはあった。
守護の国で、人間の艦隊で、今までただ遠くの事であった厄災者と魔王の戦争が、その凄まじさが、否応無しに実感させられた。
──死ぬのだろうか。
その嵐の中にいた者は、誰もが一度思っただろう。
昼の日差しさえ一瞬で奪い去り、嵐は守護の国を襲った。聞いたこともないような爆音の轟音、揺れる大地、唸る結界。結界のすぐ外は濡れた灰色に包まれ、吹き荒れ、時折全貌すら見えぬような巨石が天空から打ち付ける。いつ結界が壊れるか。壊れたらあの中に巻き込まれるのだろうか。家は、街は、まさか消えてしまうのではないか。不可視の結界に守られて、それでもなお港街は恐慌に陥った。嵐は結界で防げても、音や衝撃、地響きは否応無しに民を襲う。これは地形すら変えるであろう大災害だと、それを引き起こしたのは人間だと、誰もが理解出来た。
どれほどの時間、悪夢は続いたのだろうか。
雲の上で、アーサーは嵐が治まったのを感じた。重力に任せて、ゆっくりと地上に降りていく。
「……島がないや」
雲を抜けたアーサーが目にしたのは、ただまっさらな海だった。小さい火山島ではあったが、まさかなくなろうとは。降りる所がないではないかと、少し不満に感じた。
「【氷柱】【氷柱】【氷柱】……こんなもんか」
アーサーは氷の柱をいくつか生み出して、その上に着地する。
そしてひとつくらい艦船が居ないかと辺りを見渡した。そして何もなくなった海に不自然な、直径二メートルもない岩の柱を発見する。
「へえ」
アーサーは柄にもなく、感動のようなものを覚えた。
「地下の岩盤まで結界を張っていたってこと?それとも結界ってそういうのもなのかな」
「答えた方がいいのか?厄災者」
「いや……いいよ。多分だけど、そんな満身創痍なのに僕の極大魔法から身を守れる結界張れる奴なんて、他にいなそうだから。君を殺したらもう要らない知識になっちゃう」
「殺せるのか、お前に、この私を」
気絶したリーヴェレイドを膝に抱え、地に突き刺した大槍をやっと握っているかのような血だらけボロボロの有り様で、それでもリアンは気丈にアーサーを煽ってみせる。
「殺すよ。死に損ないの弟君と一緒にね」
「させられない。これは馬鹿だが弟なんだ」
「そう。どうでもいいよ。“吹き飛ばせ【超衝撃弾】”」
「【反射結界】」
反射された衝撃にアーサーはたたらを踏む。
「おっと、動かず戦うってのは結構大変だね。氷じゃなくて岩にすれば良かったよ。“流動せよ大地【隆起】”」
リアンはアーサーに目を向けたままリーヴェレイドを揺り起こす。リーヴェレイドを国へ送還するには、リーヴェレイドの意識と同意が必要だった。
アーサーは土魔術で岩盤をより集め、圧縮し、出来た地面に飛び移る。
「僕にはまだまだ魔力があるけど、君達はもう限界でしょ。さっさと諦めて殺されてよ」
「人間の艦隊も極大魔法に巻き込まれたのではないか」
「あれ、潜水できる船だから。操縦不能になっても沈んでも中身は生きてるよ。じゃないと僕に献身出来ないからね」
アーサーは見せつけるように献身のオーブのエネルギーを身に纏った。光と風がアーサーを守るように煌めき、渦巻く。
「……ぁっはぁ、兄、うえ……?」
「!起きたか、リヴ。お前を転送する、いいな」
リーヴェレイドの赤い瞳が辛そうに細められ、荒く熱い息を吐く。まだオーブの魔力がリーヴェレイドの体内でリーヴェレイドを喰らっているのだ。意識も朦朧とし始めている。
「“座標382125-25-910──対象を──”」
「逃さない」
アーサーは剣を振るう。しかし放たれた衝撃派はリアンが無言で展開させた結界に弾かれる。
「ぐっ……!転送だなんて、そんな事に魔力を使ってる余裕なんてあるわけない!大体国に帰したところで、君の国は壊滅してるよ、少なくともこの海に接する港はもう死人と瓦礫しか残ってないさ。まさかあの嵐が国まで届くと思ってなかった?見えなかったもんね嵐の中じゃ。そう、君の大事な大事な国はもう、極大魔法が壊してやった。君は守れなかったんだよ!残念!はは!絶望しなよ殺してあげる」
「“──【転送】”」
リーヴェレイドに描かれた魔法陣が真っ直ぐ空へ一筋の光線を描いた。光は一拍後には霧散し再び集結する。そして指定された座標への道を開く魔法陣を描き出す。連鎖的に魔法陣が生み出され、計六つの魔法陣を繋ぐようにして道は開いた。
道の向こう側は眩く光を発しているが、微かに色や音を感じ取ることができる。リアンはその光の先に、配下であるロウの気配を感じ取った。リーヴェレイドを転送するために繋いだのはここから一番近い港の拠点。ロウが持ち場を離れずに拠点にいるのなら国はきっと大丈夫だろうと、リアンはほんの少し安堵した。
「ロウ!」
『り………さま…!』
「リヴを頼む」
『……!』
微かに聞こえるロウの声に、リアンは託す。リーヴェレイドは状況を把握出来ぬまま、促されて道の光に触れ、大槍と共に吸い込まれていった。役割を終えた魔法陣は小さな光へと分解されながら消える。
「……バカバカしい。ほんの少し遠くに逃したところで、結局皆死ぬのに」
「国は無事だ」
「は!そんな訳ない。【天来の陣風嵐】は地平線のその先まで届く極大魔法。威力はもちろん、範囲はそれはもう最上級の極大魔法だよ」
「届いてはいた。感覚で分かる」
「感覚………?……まさか君、あっちにも結界を張ってるの?僕が国を攻撃すると見据えて?」
「当たり前だ。まさかその考えに行き着いていなかったのか」
「……苛つくなあ。勇者である僕を前にして、そんな余裕があるなんて」
余裕など、現状はない。そもそも余裕があるから国に結界を施したわけでもない。既に殆ど魔力は尽きたため頭痛が止まず、息をする度腹に空いた傷も痛む。
「いいよ、もう一度だ。もう一度やってやる。極大魔法を!」
「は、あの規模の極大魔法を連発か。流石は献身のオーブの適合者、もはや常識の域など軽く超えるな」
「当たり前だろ、僕は勇者だ。この時代のただひとりの勇者」
「そうか」
「君に、全力でぶつけるよ。そしたら今の君にはもうそれを防ぐのは不可能だ、国に張っている結界を解いて、自分の身だけ集中して守るといいさ」
「それは出来かねる。私は魔王……十柱魔王が一柱、守護を冠する守護の魔王、リアン・ベスト。全てを守護する者。その名に恥じぬ最期を」
アーサーが再び強烈なエネルギーを周囲に展開し始める。集められた分厚い雲のその中心、アーサーの真上だけには雲は無く、天上から光が差して少し薄汚れた金の髪を照らしていた。風を従え、雲を従え、光を背負って、勇者アーサーはひとり立っている。その背後にはただ広い海。
人間を外れた強大な力を持つ人間の青年。帰る場所などないと言ったその青年。その意味を、リアンは今更ながらに察した。
「国の為に死ぬなんてバカげてるよ、魔王」
「自分の為に守るのだ。私は、守護の魔王だ」
「……僕は勇者だ」
守るものも、守ってくれるものも、アーサーには存在しなかった。
「哀れな男よ」
多くの人間に献身されて力を得ていた勇者。人に求められて、傅かれて、奉仕されていた勇者。しかしその実、献身していたのは、人間という存在にずっと献身させられていたのは、この男の方。人間という種族のコミュニティで、異端と認識された者に選択権はない。
立てられ、持ち上げられ、永遠に人間の兵器として人間に仕え続けるのだろうか。それを哀れと言わずなんという。
「お前を救えぬ私を許せ」
出来ることなら、勇者を勇者たらしめる力を、献身のオーブだけを破壊するつもりだった。余計な確執を生まないための案であったが、今はそれが成せぬことが遺憾でならない。
その未来は既に閉ざされた。
リアンは最期の覚悟を決める。
ほんの少し残っていた魔力で、小さな魔法陣を描いた。
「“我風呼ぶ者 一陣の驟雨に祈りを──」
「“制約を解放 差し出すは 代償は我が身──」
アーサーは莫大なエネルギーを操って空に魔法陣を描く。対してリアンにはもう魔力がない。魔力の代わりにリアンが使うのは、自らの命。
「──遥か深淵の祖に願う 愛しき全てを包み給え──」
手のひら程の魔法陣がリアンの体に消えていく。そしてリアンの体が輝き出した。魔法陣と同じ、魔法の光で。
リアンから痛みが消える。体が意識と切り離されるように。視界には溢れる光とそこから生み出されようとする魔法陣の一部が映った。詠唱と共に両腕を広げればリアンの体から術式が魔法陣となって連続で描かれる。そしてそれは大海を分断するかのような、巨大特質結界を展開させた。
この結界は、リアンと一体である。破壊されれば、術者のリアンも死ぬ。そして破壊されるその時まで存在し続ける。
リアン最期の極大魔法だった。
アーサーは目の前に現れた壁を見る。向こう側は透けて見えるのに、まるで別世界のように、不可侵の領域のように思えてならなかった。壊せるのか、自身の極大魔法で。なんて。やるしかないのだけれどと、アーサーは頭の中で苦笑う。魔王を、その遥か背後に薄ら見える魔族の国を、壊す為自分は存在するのだから。献身のオーブから、全力でエネルギーを引き出す。自分の魔力も全て注ぎ込んで、その平和を壊してやる。今の自分は正真正銘ひとりなのだ。気負うこともない。ただ目の前の、自分には持てない宝を奪うだけ。奪ったところで何にもならなかろうと。
アーサーにはそれしかする事がなかった。
「──天は我に味方せし 極大魔法【天来の陣風乱】”!!!」
先程より更に大きく、強く強く発光したアーサーの巨大魔法陣が、再びの悪夢を呼び起こす。
同時にリアンの結界も完全に完成した。
「──今身を賭して愛を示す 【終末の祈り】”」
ふたつの極大魔法が衝突する。衝撃。轟音。地響き。まるで星同士が衝突したかのような壮大で破壊的な振動だった。鼓膜など機能しないような殴られたとも思える音の波が心臓を揺らす。風が波を呼び、アーサー側の海が干上がるかのように引いていった。【終末の祈り】は海底まで海を分断している。まるで海が割れたかの様にアーサー側だけ海底が露出する。降っているのが雨なのか岩なのか海なのか分からないような混沌の中、アーサーは退避せず剣を構えて高波の到来を待っている。長く共に海を旅した精霊は、海の水を好んでいた。全ての命を飲み込まんとする巨大な波を背に、アーサーは悲劇の元凶とも言えるあの精霊をそれに重ねていた。
あの精霊がいなければ、あの時死ねていたのに。一方的に押し付けられた契約で、アーサーは力を手にしてしまった。オオはアーサーに元々人間離れした魔法の素質があったのだと言ったが、それもオオがいなければ誰も気が付かなかったはずなのだ。だからアーサーは幼少、オオを恨んでいた。憎んでいた。
「嫌いだったのにな。こんな時思い出せるのが君しかいないんだ、オオ」
海の音が、潮の匂いがアーサーを包む。現実離れしたような高波が、もうすぐそこまで迫っていた。
アーサーは更に強い風を纏い、両手で剣を握り直して、鋭い痛みに右腕を負傷していることを思い出す。この痛みをアーサーに与えた結界の主は今、幾多の魔法陣が互いに連結、結合した結界で嵐を徹底的に拒んでいる。
本来なら何も見えぬ暗い灰色の中、アーサーには光り輝く魔法陣と結界がやけに眩しかった。
「あの結界、壊せると思うかい」
ゴオォオンと風が吹き荒れる嵐の中呟いた声は、直ぐにかき消えた。
アーサーは少し笑う。
「いくよ」
アーサーは自身に可能な限り力を纏い、高波と共にリアンへと迫った。
リアンはただ祈る。海底から天まで貫く【終末の祈り】は全ての厄災を受け止める絶対壁。岩盤や風、海が打ち付けるたびその結界は全てを弾き光を放つ。
背中に大陸を控え、リアンは祈り、願い、立ちはだかる。
リアンは信じている。この結界が平和を守ることを。
リアンは願っている。平和な世界で皆が生きていってくれることを。
リアンは祈っている。その先に幸福があることを。
目を閉じて、息を吸う。そして吐くとともにアーサーを見据える。剣を両手で上段に振り上げたアーサーは、もう目の前。
「魔王ォぉおおあああああ!!!」
アーサーの全身全霊の一撃が岩柱に座り込むリアンへと打ち込まれる。リアンは両腕を結界を支えるように広げたままそれを受けた。硬い感覚がして、アーサーの剣はリアンの結界と競り合う。どちらも極大魔法のエネルギー。凄まじい力と力のぶつかり合い。全身がほとんどグリーンに染まったアーサーと、魔法陣色のリアン。至近距離で、両者の視線が交わる。
「壊してやるよ!!」
アーサーが吠える。
「させない」
リアンが断言する。
アーサーを追いかけていた高波が、その圧倒的エネルギーと質量が、リアン【終末の祈り】と衝突した。一気に結界への圧が増した。全ての命を飲み込む高波だ。リアンが破れ、国まで届いてしまったなら、この十分の一の規模でも港街を含め多くの街はそのまま飲まれてしまうだろう。どれだけの命が散るのか、そうなってしまったのなら、歴史最大の悲劇、大陸大戦の再来だ。
悪夢の予感に反して、リアンの心は不思議と穏やかだった。
アーサーの周りを取り巻く風の刃は、アーサーに海水を寄せ付けない。アーサーは波に飲まれてなおリアンの目の前にいる。鈍い灰青に染められた結界がそれを弾こうと反発する光を発して輝く。強く、重く波が押しかかるたびにその力と比例して眩さを増していく結界。アーサーの目はもう白と微かなリアンしか見えていない。閉じているか開いているかも分からない。剣で結界を壊すことしか考えていない。
ヒシ……と。僅かな、本当に僅かな感触。アーサーが感じた決定的なその感触。
「勝った…………!」
それは結界の軋み。【終末の祈り】が崩壊する、確かな一歩目。
「あ、あぁああああ!!壊す!!壊すぞ魔王!!僕の、僕の勝ちだ……!君を殺した………!」
アーサーは勝利を確信した。きっと数秒後には自分はこの結界を切り壊すと、魔王リアンはその命を散らして死ぬのだと。勇者アーサーは役目を果たしたのだと。
そしてその確信は、現実のものとなる。
「……そうだな。私は死ぬ」
何の音かも分からぬほど混沌とした轟音の中、両者の声は不思議と届き合う。いっそ安らかな病室にでもいるような、柔らかい、優しい微笑みを浮かべ、リアンはアーサーに手を伸ばす。
「そしてお前も、道連れだ」
──キィイイン
劈く高音。
その音が響いた刹那。結界が、【終末の祈り】が、崩壊した。リアンは手を伸ばした姿勢のまま、ガラスのようにひび割れて、音を立て砕け、光に包まれた。
崩壊した【終末の祈り】は、壮大な余波を生み出す。リアンの命を糧に生み出された【終末の祈り】のエネルギーの総量は、アーサーの極大魔法を上回った。
「ぁ──なるほどね……。君、僕にこの結界を壊させた、のか」
アーサーの手に、腕に、脚に、肩に、腹に、胸に、首に、【終末の祈り】の破片が突き刺さる。
崩壊しても光に消えることなく、絶大な余波を生んで敵の命を刈り取る巨大特質結界。それが、リアンの極大魔法【終末の祈り】。
「……あーあ。……無理なんだけど」
アーサーは察した。自分の死を。
迫りくる光。見慣れた魔法陣の色であるその光に、全身が包まれる。きっと、【天来の陣風嵐】も同じように包まれているのだろうなと、アーサーは思った。
強烈なエネルギーが、献身のオーブのエネルギーも、アーサー自身の魔力も、根こそぎ掻き消していく。ピシリと音がして、剣身がヒビ割れた。縦に真っ二つに。そのヒビはどういうわけか柄頭に埋め込まれた献身のオーブにまで到達し、オーブは光を失った。
やがて感覚が薄れていく。暴力的なまでに一方的に、死は訪れる。
「安らかに。勇者アーサー」
アーサーは、最期にそんな声を聞いた気がした。
リアンは余波で献身のオーブを、確かに破壊したことを確認した。既にリアンに物質的な体は無い。この余波が収まれば、リアンの意識もきっと消える。
そして、また日常が訪れる。
リーヴェレイドは無事だろうか。
大丈夫だろう。ロウは優秀だ。
他の配下も心配だがきっと大丈夫。
助け合って生きていくだろう。
どうだろう。
次の魔王は誰になるのか。
上手くやって欲しい。
難しいが、良い民達だ。
見守ってやって欲しい。
民よ
配下よ
友よ
家族よ
この後の世界で、平和に、これまでと同じように、強く生きてくれ。
リアンは祈る。
そして、余波が完全に収まり、【終末の祈り】は終わりを迎えた。
その瞬間、守護の魔王リアン・ベストは静かに消滅した。
後に残ったのは、ただ静かな海。
時を同じくして、守護の国に張られた魔王リアンの結界が、一斉に光となって天へと消えた。優しいきらめきを伴った結界の崩壊は、まるで天に溶ていくかのように静かだった。
序章、終了です。次回から一章が始まります。