勇者
────魔大陸南方の大海、人間大陸より進軍する艦隊
金髪青眼という人間の特徴を持つ男が、ひとり甲板で曇った空を見上げていた。天候を気にするようでもなく、鳥を見ているわけでもなく、ただ無表情に厚い雲の底を見つめていた。
「レーナ……父さん、母さん。……きっと明日か、明後日か。魔王が僕の前に現れる。やっと、皆の仇がとれるよ……。…………なんてね」
男は無表情のまま天に祈るように手を合わせる。それは、薄暗い曇り空と相まって、どこか懺悔のようにも見えた。
「用意された復讐の舞台と、そのための力。……こんなつまらない筋書きに乗ってしまうほど、僕には何もない」
戦艦を波が打つ音が寄り添うように響く。
「そうだね。君が居た。別に嬉しくないけど」
ザバーンと、一際高く上がった水飛沫が男の頭上で、まるで人のような形をとった。そして男に問う。
「アーサー。本当に魔王を殺すのか」
「うん。魔王を殺して、魔族を殺して、あの大陸を僕ら人間に返してもらう。あそこはもともと僕らが住んでいた大陸だから」
枯渇した資源。減らない争いと増える奴隷。荒れた民。
アーサーと呼ばれた男の故郷の村は、廃れ、既に無く。かつて新天地を求め共に海に出た同郷達は水難事故で行方不明。彼はその水難事故で両親と幼馴染を失っていた。当時アーサーは七歳。ただの漁師の息子だった。
「アーサーの親を殺したのは魔王ではない」
「知ってる」
「レーナという幼馴染を殺したのも魔王ではない」
「知ってるよ」
「何故魔王を殺そうとするのか」
「両親とレーナの仇だから」
ふたりの会話はどこか噛み合わない。
「僕は悲劇のヒーロー。悲劇の勇者なんだって。話してなかったっけ?僕の筋書き」
口調だけは皮肉げに、アーサーは徹底した無表情で語る。
「幼い頃、魔大陸を支配する魔族に、たまたま乗船していた移送船を襲われ全てを失った少年アーサー。船風の精霊に間一髪命を助けられた彼は、魔族への復讐を誓う。時は過ぎ、枯渇した資源に悩まされる民の前に彼は現れた。かつて大陸大戦で猛威を奮った伝説の秘宝、献身のオーブの大陸大戦後初の適合者として!そしてアーサーは魔族の住む魔大陸を目指す。魔族に支配された大陸を取り戻し全ての人が豊かになるため、そして、胸に秘めた悲しき復讐を果たすため……!」
「……それは事実ではない」
「そうだよ。君も勇者アーサーの親友の精霊として登場するんだ。笑えるだろ?はは」
「笑っているようには見えない。そして笑えるという点には同意しない」
「僕も無表情っていわれるけど君ほどじゃないなと思う」
「何故そんな茶番につきあうのか」
「そうするしかないからだよ。僕は異端だから」
「オーブに適合した勇者だから異端か」
「加えて親なし子だしね。更に言うと君と契約してるし。魔力も多いし力も強い。普通じゃないんだよ僕」
「普通。人間は皆普通で同じなのだったな。不思議に思う。精霊も沢山いるが、同じ者などいない。船風精霊オオはひとりだ」
「そうか。勇者アーサーもひとりだ。おそろいだな。寒気がする」
アーサーが睨むように吐き捨てる。
コンコン、甲板に繋がる扉が叩かれた。重々しい金属の扉から現れたのは三人の男達。
「勇者アーサー。食事の時間です」
「冷えますからあまり外に長居しない方がよろしいかと」
「料理長が温かい食事を準備しております」
「そうですか。オオも一緒にいきますので、お先に済ませて下さい」
「分かりました。それでは失礼」
「失礼」
「失礼」
三人の男はアーサーと、空に佇む水塊に一礼ずつして去っていった。
「彼らも普通ではないのではないか。人間一の剣豪と頭脳者と魔法使いなのだろう」
「普通だよ。精霊の君を恐れて一緒に食事も出来ないし、気を使った定型文しか話さないし、僕に五歩以上近付こうとしない。腕が良いっていっても所詮人間の範囲内。僕には勝てない。普通じゃない僕にはっ……?」
「アーサー!」
「キャェエエエエエエエエエ!!!!」
甲高い鳴き声を上げ水中から飛び出してきたのは、甲板からはみ出すほどの巨大な魚の魔獣。飛び出した反動で生まれた大きな波と水飛沫がアーサーとオオに襲いかかった。アーサーはぐっしょりと頭から海水を被り、忌々しげに魔獣を睨んだ。
「あーあ……。しょっぱいんだけど」
「どうする」
「殺る」
人の形を解いたオオが海へと戻り、アーサーは剣を抜いた。剣に埋めこまれた献身のオーブが淡いグリーンに光る。
「はぁ。いつ見ても見た目だけは綺麗だ」
献身のオーブは周囲の人間から徴収した力で光り輝く。それはそのまま術者──勇者の力となる。
ザバーンと海面から飛び出した魔獣を目で捉えたアーサーは、ただ軽く剣を薙いだ。剣身は魔獣に届いておらず、ただ空を切っただけ。まるで素人のように、速さもキレもないひと振りだった。しかし、それで十分だった。
「キェ…………」
「ばいばい」
大きな水音を立て、魔獣は再び海中へ戻って行った。──その身を真っ二つに切り裂かれて。
暫くして肉塊と化した魔獣が浮かび上がり、海面を赤く染めた。水飛沫が宙で人型をとる。
「見事」
「どうも。……君、ちょっと赤茶いよ」
「気になるか」
「まあいいよ、どうせならそのまま食堂行こう。やつらを驚かせたい」
「ガキだな」
「そうかもね。あ、魚退けといてね、船が進みにくい」
剣を鞘に収めると、献身のオーブの光も収まった。海水で濡れた髪を軽く絞り、アーサーは船内へ歩き出す。その小さい後姿を見て、オオはぽつり呟いた。
「普通の子供だ。お前は」
そこにどんな感情が込められていたのか、その不思議な声色からは分からない。