飛翔せよ!国産戦闘機開発計画
国産戦闘機開発の構想が共同開発になり、F-2の時みたいな結果になってほしくないとの思いから書きました。
戦闘機が好きな皆さんはどうお思いになっているでしょうか?
時は1970年代、一人の男が逆行転生したところから始まった。赤子から転生した男なのだが、この時代に来てしたいことがあった。男は生前、ミリオタほどではないと自称していたが、周囲からミリオタと言われていて特に戦闘機が好きだった。
「この時代ならバブル景気がくるな。そこで波に乗って億万長者になってその資金を投入できたらいいな。まずは金融・投資入門書を買って勉強するか。」
当時はネット環境などは当然整備されておらず、投資をしようと思えば、金融系企業に電話なりfaxするか、直接証券会社の窓口に行って登録、口座開設などをしなければならなかったのである。
そんなこんなで投資方法を学んだが俺はまだ未成年だったので転生先の家族に代理を頼むことにした。
ここで自己紹介と家族構成を説明しておく。俺は竹中和彦。生まれた年は1970年。近畿地方の田舎の祖父母宅で暮らしている。祖父母は畑仕事をしているが、副業?として武道の指導員をしている。俺も護身術は身に付けろと言われたのでやっていた。両親は都会に出て暮らしているため別居状態である。また下に弟と妹がいるが別居してから生まれたので顔は知っているが、会った事はない。
以上、家族の説明終了。
そして時は1985年。俺は初期計画大綱を練った。
始めに今俺は中学三年生で来年から高校生になる。大学生まで学生生活を続けた場合、投資に裂く時間は出来るだろうが就職が難しくなるだろう。というわけで短大卒の証明があればいいやと考えた。
次に投資時期は暫定であるが1989年の12年まですることに決めた。生前に見た記憶で株価、不動産価格の最高値だったからだ。ただ、そこには消費税導入や公定歩合、金融引き締め政策などが絡んできたりするので注意が必要だ。
三つ目に大手の重工会社に対して顔を売っておきたい。資金援助をするためだ。但し、三菱重工お前はダメだ。
四つ目にこの時代の新興宗教に対しての警戒だ。(主にオウム)この時期は新興宗教に対して国民のアレルギーが無く、勧誘に引っ掛からないようにしなければならない。対策として、
「浄土系を信仰してます。」
と言っておこうか。(実際、オウムは資産家の財産を狙った事件があった。)
最後に重要なのはソ連崩壊である。この事件が起きたら、すぐにウクライナへ飛んでSu-27の購入を行いたい。勿論、中国のようなパクリを生産するつもりはない。参考にし、自由に弄り、経験を学ぶことが出来る試験機にする。ほぼこのための計画といっても差し支えないほど重要な項目なのだ。(Mig-29ではダメなんです。)
これくらいかな。後は祖父に頼んで新規に銀行と証券会社の口座を作って貰うか。但し、上にも書いたように未成年なので名義は祖父で作った。そして祖父に30万円を運用資金として貰った。これは俺が熱心に株の話をしていたので、孫に対する先行投資らしい。
1986年になり不動産価格、株価共にバブルを帯びてきた。祖父に頼んでいた株式での取引が上手くいき、徐々に資産を増やしている。この年から毎月、毎年の単位で取引していくように頼む。雨の日は畑仕事が無いので一緒に戦略を練ったり、電話して買い注文をしたり、手元にお金を降ろすため、口座の引き出しに行ったりする。因みに学生生活が終わるまでに一旦投資活動を辞めることを祖父に伝えた。
1987年、バブル経済の中期に入ったと思う。ここいらで重工各社に手紙を送ったり社員に接触した。重工からすれば意味深な事を書く奴だとかコイツ不審者です!と思われたかもしれないが、礼儀とマナーはすごく丁寧したので多分大丈夫だ。因みに近年中に起こる出来事の予想 (ほぼ当たる)を伝えておいた。後資産が1億越えた。これで高級物件買ってボロ儲けしてやる。
1988年に入った。なんか普通のサラリーマンまで浮かれてきてやがる。消費者金融の宣伝をよく見かけるがそんなところにお金を借りるつもりはない。そういえば今年で18歳だ。これで名義を俺に変更して百万円の札束をお礼代わりに祖父に渡した。祖父は感動していたよ。あと今年末には株価、不動産価格共に急上昇しそうだから一週間に一度の単位で取引したら目標の兆円単位まで貯まるかな。(手数料多く取られるがな。) しかもNTT株が株式市場に上場するって。他にはこの年にオウムが在家信者死亡事件を起こす。まだニュースになってないけど、これからオウム関連の事件が増えていくとゾッとする。国際情勢はソ連でゴルバチョフがペレストロイカを始めた。
そして1989年になった。経済・ビジネス系の短大の入試には合格したんだが学費が高くて…祖父に借りた。結構渋られたが後で返すと約束したので学費関連は借りて生活費は自分持ちということになった。口座からは金は出してない。もちろん、投資用と自分個人の資産の口座と二種類作っているので一応大丈夫だ。進学に関しては両親には言ってない。お金をせがまれそうなので。話を戻すが、これまで史実との変化は起きてない。むしろ、オウムが普通に活動しているのを見かけるので学生生活時は常に注意している。
資産の話をすると、今まで現金の確認をするためにお金を毎年引き出し、そしてまた振り込むということをしていたが、今年からはどんどん口座から引き出していくだろう。今の資産は不動産が駅近のビル、マンション多数、株式も多数所持している。暴落すると思われる12月終わるまでの二ヶ月間ですべて売り飛ばす!そういえば、ベルリンの壁崩壊したのこの年だっけ?
↑4月現在
11月になったので買っていた資産の売却と銀行・証券口座からのお金の引き出しを始めた。12月の下旬までにすべて売り飛ばす予定だ。銀行員や証券マンからは「次の商品はどれにしますか?」とか「次は是非これを買ってください!」などとしつこく言われたが、政府・日銀が金融引き締め政策を行いそうな雰囲気を出している中で買うわけないだろ、と思いつつ「充分稼げましたし、こんな大金をいつまでも持っていたら金銭感覚が狂いそうなので」と丁寧に断った。
そして12月中旬になり、ほぼ全ての資産を売り飛ばした。売却益は数兆円に上ったぜ。
[因みにこの年の夏は資格勉強しており、FPや宅建の3級と危険物取扱者乙四種を勉強していた。]
1990年になった。今年から就職活動が始まるが、その前から重工大手各社から連絡があり、「是非、企業見学に来て欲しい」と書いてあった。今になってあの手紙やらの売り込みが功をなした。なので再度手紙で返事を書き、
「ありがとうございます。私には夢があります。あらゆるモノを、今以上に国産で生産することです。その為には製造業各社の協力が必要です。ですから、複数の企業で世界の大手メーカーに対する次世代対策協議をしたいと考えています。」
的な事を返送した。すると、就職活動が本格的になった時期に重工各社が返信をくれ、価格カルテルなどの談合扱いに引っ掛からない範囲であれば良いとのことなので、八月の夏休みに東京で行うこととなった。
八月東京某所にて
大きな会議室があるらしいとある施設に来ている。各重工大手メーカーから話を聞きたい、協議したいということでやって来た。事実上の企業上層部に対するプレゼン会である。この会議には重工メーカー以外にも電子系メーカーにも来てもらっている。内約は…
主な企業
富士重工
川崎重工
石川島播磨重工
日立製作所
東芝
NEC
富士通
(以下略)
などの幹部、又は上層部員が出席している。(とにかく三菱グループ以外の主要なメーカー勢揃い)
「では、今回私達企業に的確なアドバイスをくれた竹中和彦君と共に今後の日本、世界の未来像を考えていきましょう。」
司会の挨拶が終わると俺の自己紹介などをして、未来の日本の日常やその生活の実態はどうなる、などと議論しあった。そして終わりの時刻になると、各社から、
「いや、学生という若者の中でも君はすごく日本の社会の事について考えているのだな。」
「君ほど社会情勢に気を付けている若者は少ないから、感心してしまったよ。」
などと、誉められて嬉しかった。その後、会議の解散をする前に残って欲しい企業があるので、その企業は別の会議室に来て欲しいと伝えた。
そして残った企業:富士重工、石川島播磨重工、日立製作所
「貴社に残って貰ったのは、あるお願いをするためです。聞いて頂いてもよろしいですか?」
「ああ、そんなことか。いいけど入社試験の事は話せないよ。」
「率直に申し上げます。国産戦闘機を開発するために協力してくださりませんか?」
その言葉を言った時には(FS-X=F-2戦闘機の開発計画の事もあり)あまり相手にしてもらえなかったが、後日具体例があるなら直接社長に合えば良いってことで落ち着いた。
幾日か過ぎた後、前に話した二者に数社増やした上で、社長
や企業内の偉い人が出席する会議を設けて貰った。そして俺の予想を含めた開発計画の内容を説明した。
1.仮想敵国であるソ連が近々崩壊する。
2.それに乗じてウクライナからSu-27戦闘機を購入する。但し機密(極秘)として扱うこと、ソ連政府や日本政府、米国政府にさえも気取られてはいけない。
3.購入した戦闘機を徹底的に調べあげて次期戦闘機配備計画までに新機体を開発する。(対象はF-4EJ改またはF-15J初期型Pre-MSIP)
4.この一連の計画は短期的に見れば不必要かもしれないが、十年間、二十年間のスパンで考えると絶対必要になる。(ゼロからする戦闘機開発のノウハウや経験など)
企業側の反応は仮想敵国であるソ連の崩壊は信じられないというモノだった。ただ、ソ連内の経済状況が悪いのは誰もが知っているしドイツのベルリンの壁崩壊の事情もあるため何とも言えなかった。どの企業も魅力的ではあるとは感じたがやはり開発費がネックだと感じた。それについてどこから開発資金を得るのだ?と聞かれたので、
「僕が資金援助しますよ。上限額はこちらで決めさせて頂きますが。」
と答えた。企業側は冗談と感じたのか、笑いながらどのくらい出そうと考えているのか?と聞いてきたので、
「1兆円なら自費で出せますよ。」キリッ
と答えると、企業側は、またまたご冗談を…とか本気か?!と疑ってきたのだが、
「本気と書いてマジと言います。」
と、こちらも愛嬌付きで返した。
こうしたやり取りを得て、ソ連が崩壊した前提で作られた行動マニュアルを作成した。但し各社は企業内最高機密とする事が定められた。漏れたらその計画から永久追放し、資金援助も白紙にすることにした。外部に隙を与えないためである。(因みにこの時からFS-X計画に対してちょっとした妨害工作をした)
そして1991年12月某日、俺は地方空港内の飲食店に就職していたが、ソ連崩壊が史実と同じように起きた。その次の日、例の会議の参加企業(S戦闘機会議と呼ぶ用にした)から連絡があり、ウクライナからSu-27を購入する計画が始動したと報告を受けた。
1992年からビザとパスポートを作り、S戦闘機会議のメンバー(+通訳さん)の案内の元、ウクライナ政府と接触した。接触した当初の感覚は、あまりよくなかったが、粘って交渉した甲斐あって、購入する際の条件や価格の提示を見てから、笑顔で
「わかりました。売りましょう。」
とお互いの契約が成立した。
以下主な内容
1.一機あたり3000万ドル=37.8億円で購入。(レートは1ドル=126円)
2.購入する機体はSu-27及び同UB(複座型)
3.購入数は各四機ずつ(つまり、151.2億円)
4.上記に含まれない状態の悪い機体は部品として買うことが出来る
5.購入機に関するほぼ全ての権利を放棄・黙認すれば購入額を上げる(最終的に1億5873万ドル=200億円)
6.支払い方法はドルにて行う事とする(まだ独立の混乱で通貨が決まってない)
7.この売買契約は極秘とする
これにより、1994年には、日本は好きに弄る事が出来る戦闘機を手にする事が出来た。尚、主契約者は富士重工である。
輸送方法は自動車メーカー部品や輸送機器として誤魔化しながらなんとか日本に運び込むことが出来た。その後、富士重工を中心とした合同研究会を立ち上げ、将来の戦闘機で成果を出そう、と技術者達は解析を急いだ。またこの際に技術者の確保、育成のために技術・工学系の学校(大学、高専など)を卒業した新社会人や転職者を囲い込み、研究開発チームの大幅な増員をすることによって、チームを複数に分けて平行開発が出来るようにした。(主にエンジン開発チーム)
※機体構造=富士重工、川崎重工
システム関連=日立、東芝、NEC
戦闘機用エンジン=石川島播磨重工
※戦闘機エンジン用の高推力エンジンのテスト施設は93年に完成
そして1995年、この年は色々な事がありすぎて大変な年だった。俺は合同研究会の特別秘書になっていた。前から各社は俺をどうやって囲い込みするか考えていたそうだが、只の出資者としては極秘計画に足を突っ込みすぎているし、かといって技術系の学校を出ていないので困ったらしい。そこで俺の持っていた秘書検定の資格に目をつけて今の役職に配属することになった。(しかも某企業幹部の娘と結婚させられてしまった〈嬉〉)
その話は置いといて、阪神淡路大震災が起きて悲しみにくれた。しかしその約二ヶ月に遂にオウムの奴らがやりやがった。皆ご存知の地下鉄サリン事件だ。しかも何故か史実よりも被害路線が多い。丸の内線、日比谷線、千代田線に加えて銀座線、南北線までサリンの被害に遭ったみたいで警察・消防に続いて陸上自衛隊化学防護班が出動した。被害地域も広く、対処するのに多くの時間を使ってしまい、死者が30人を越える大惨事になってしまった。
その後、オウム真理教に対して強制捜査が実施され麻原彰晃を含めた教団幹部が次々と逮捕されていった。この事から史実よりも大事になり、少し厳しめの対団体・宗教組織への規制である団体規制法が制定された。
そして7月から中国(大陸側)は弾道ミサイルを台湾近海に発射したりしたので中台は緊張関係になった。
同年9月、この月は沖縄県民にとって忘れられない日になっただろう。沖縄米兵少女暴行事件である。この時に沖縄県民の感情が爆発し、大規模な暴動になった。知事も県民議会も宜野湾市議会も非難声明を発表し、温度差は有れど左派右派組織関係無くデモ行進をした。さらに、史実に無い事が起きた。一部は先述の通り暴動となって米軍基地に突撃をかけた。しかもその中には現役の若手警察が数人含まれていた。後にその警官らは、被害者と同年代の子供がいたらしい。話を戻すが、突撃をかけた際に米軍から催涙弾を放たれたりしたのでさらに問題となった。(因みに少しだけだが暴動を煽ったので一部の県民が米軍基地に突入した)
この一連の問題で政府は米政府と日米地位協定や安保条約など関連条約の見直しに迫られ、またこの暴動で在日米軍の信頼がガタ落ちし、代わりに自衛隊の配備を望む声が上がった。在日米軍の規模の縮小や基地の自衛隊への譲渡などである。主に捜査権の有無や外国人(在日米軍兵)に対する不信の表れが原因である。
この事件は痛ましかったが、この教訓を発展させる形で一国防衛が主眼にする主張が生まれ、同盟はその保険であり、価値を等しくする国とでしかあり得ない、という認識がマスコミを通してある程度国民に広まった。俺は今回の暴動に乗じて
「米政府は今日本政府と共同開発している戦闘機に関して不平等ともいえる契約内容を突きつけたのだ!!
・分担費として米政府に金を支払う事
・米政府が望んだ技術を無償で提供する事
・ベース機に使われた技術料を支払う事
(以下略)」
と、宣伝し国産の防衛品を開発する事も大切だという主張を伝えた。(本当は1990年から始めた妨害工作で少しだけだが購入契約の内容は改善された
内訳:米国が望んだ技術は有償で買うこと
:ベース機に使われた技術料は前回提示の半額を支払うこと
それ以外は概ね同じ)
話の論点が違うのは理解しているが、絡ませて話すタイミングは今しか無いと考えたからだった。勿論、米政府からマークされたし日本政府までが現在開発中である機体の中身を漏らされたと思って捜査を始めた。しかし経団連が秘密裏に政府に圧力をかけて捜査は取り消しになった。俺は経団連の行動に感謝した。
後、あまり新聞記事に載ってなかったが、F-2戦闘機が初飛行したのもこの年だった。(詳細は省略)
1996年は台湾海峡危機が本格的になったので、沖縄で主張していた事を東京などの行政府にも宣伝した。沖縄付近で航行していた護衛艦に中国海軍の軍艦から火器管制レーダーが照射され、自衛隊内では混乱が起こった。
別の話では消費税を5%に引き上げるのは2000年を過ぎてからの方が良いと政府・与党にシミュレーションデータ付きで伝えた。しかし史実通り97年に増税してしまい、「失われた10年」は確定路線となってしまった。
2000年までにあの某経済学者 竹○平Z氏を小泉内閣に入れず、消費税を下げるために大蔵省→財務省の官僚と政治家に前回よりも詳細なデータと解説を付けて、さらに経団連と基幹労連の上層部に協力と同席を仰いで消費税が与える税収と国民経済に与える影響の重大さを説明・説得した。また、空いてる時間に海外のITバブルに乗じて利益を上げ、現金に換えてから新たな資金源とした。労働者派遣法の大幅な解禁とインド洋上での給油には反対したけれど、小泉内閣が進める中央官庁などの行政改革は支持した。
戦闘機開発の面は、2000年まで毎年金銭面でサポートしながらSu-27の解析と新たな機体の製作を平行して行っていた。米政府が妨害してきた事もあり、進まない時もあったがSu-27は完全に解析し終わり、新機体の製作はステルス技術との両立を目指して行われた。また、AL-31Fエンジンの解析と試験用コピーを作った際の運用実験データも取れたので、XF-5エンジンに出資して2000年には開発工程の半分を終え、政府防衛省技術研究本部が石川島播磨重工業と研究開発していたXF-5は2004年には開発が完了した。
(参考:政府のエンジン開発の出費 1995年から147億円ずつ
:俺の出費 毎年1000~2000億円 内訳機体開発5割エンジン5割)
因みになぜ出資したかというと推力重量比や新素材のデータの回収を急ぎたいと考えたからである。
2005年からはF-15戦闘機のF100-PW-220Eと同等かそれ以上のエンジンの試作が行われた。コンセプトはHSEXF-9-1に近くF-22戦闘機のF119-PW-100エンジンの性能を目指している。このエンジンの開発完了後に新機体とのマッチングを想定した改良型を試作する。(あまり書かなかったが機体製作費の中にシステム開発が含まれており、機体制御や火器管制などをまとめた統合制御システム等の電子系関連の開発をしている)
そして2006年までアメリカでの投資を続け、そして現金に換えてから撤退した。その後サブプライムローン問題が出てきて2008年にリーマンブラザーズが破綻し金融危機が起きた。翌年には政権交代が起こったが、それでも戦闘機開発計画は足を止めることは無かった。
オバマ政権になってからF-22の生産ラインが閉じてしまったので俺はここぞとばかりに自身の計画に対する予算を増やして開発にラストスパートをかけた。
そして2010年、俺はMRJ計画のバイヤーである全日空が損をしないために三菱重工業のトップと会談した。内容はMRJで納入時期が三~五度の延期に見舞われ、エンブラエルに開発が追い付かれ、抜かれるだろうと話した。三菱重工側は冗談だと話を笑ってきたので、俺はある1つの問題点を指摘してお開きとなった。
また、日本の空に純国産ステルス戦闘機が飛び立とうとしていた。試験機は全部で機体形状はよくネットで飛び回っていたような形をしており、制空戦闘に重きを置きながらも多用途戦闘機として開発された。2011年は大震災が起きたので予定が遅れたが、それ以外は毎日のように飛び回っていたので2013年に完全な開発完了と本格的な政府への売り込みが始まった。この頃はまだF-35戦闘機の開発費の高騰に各国が冷や水を掻いており(政府内でも予算などの問題があったので)すんなりとF-4EJ改とF-15のPre-MSIPの機種交代の為の暫定購入契約が実現した。暫定は一個飛行隊の完成を以て正式な契約となる。
機体仕様
形式(Y)F-3A/B
エンジン IHI F9-7 ×2
最大速度 M2.3
巡航速度 M1.3~M1.7
航続距離 3700Km(機内タンクのみ)
推力重量比 8.6:1
分類:大型ステルス戦闘機
武装
固定兵装
JM61A1 20㎜バルカン砲 510発
ロケット弾
ミサイル
短射程空対空ミサイル
AIM-9 サイドワインダー(系列ミサイルの搭載可)
AAM-3 90式空対空誘導弾
AAM-5 04式空対空誘導弾
中射程空対空ミサイル
AIM-120 AMRAAM
AAM-4 99式空対空誘導弾
ミーティア (予定:F-35を導入する計画があるため)
対艦ミサイル
ASM-1 80式空対艦誘導弾
ASM-2 93式空対艦誘導弾
XASM-3 (開発中)
爆弾
M.k82通常爆弾
" 誘導爆弾
JDAM
特徴
見た目は現在の26DMUにF-22戦闘機を足して割った様な形をしているが、Su-27譲りの長い航続距離と高い運動性を備えながらも米国戦闘機のライセンス生産で得たノウハウと日本独自の設計・技術で誕生したからである。(つまり内部構造の燃料タンク配置はSu-27系に近い)
コンセプトは制空戦闘に重きを置きながらもマルチロール機として使えるように設計されている。要因は様々あるが、
一つ目はF-22が配備されてたのでF-35が制空戦闘機になる可能性が高くなかったこと
二つ目はF-4EJ改ならともかくF-15Pre-MSIPは数が多く、貴重な制空戦闘機だったこと
三つ目はこのF-3戦闘機の派生でF-2戦闘機の後継機の開発が進んでいたこと(フレームは別設計、部品は共用など、F-35と同じ轍を踏まないようにしている)
の三つが挙げられる。
また、機体の配線はP-1哨戒機と同じ光ファイバーで出来ておりコスト削減と対電子戦能力を持つ(フライバイライト)。セントラルコンピュータは日本独自のモノを搭載しモジュール構造にすることによって改修を容易にしている。ソースコードや制御装置は、先のF-2戦闘機開発ノウハウを生かして開発されたものを装備した。
電子戦装備はEC-1で得られた教訓を元に開発されている。
また、搭載される制御システムはF-35まではいかないものの、高い機体制御システムと火器管制システムとデータリンク能力、それらを統合する情報処理能力が備わっている。これは機体開発の一環でIT・情報系を担う分野にも資金を投入していたからできたのだった。
搭載されるエンジンはIHI製ターボファンエンジンF9-7である。これはF9-1エンジンの改良型で実戦に耐えられるようになっている。運航寿命はロシア以上米国未満。また、スーパークルーズ性能が試験飛行で可能なことが確認された。
ノズルはステルス性能を下げないようにするため、F-22と同じような平行四辺形の様なノズルを使用。
機体のレーダーに映る際の大きさは中型の鳥よりは小さいとの事だったので高いステルス性と低RCSを確保している。
機体を構成する素材の一部にF-2と同じ様に炭素繊維強化複合材が使われ、機体の軽量化に貢献している。
コックピットはF-2の液晶ディスプレイを用いた多機能表示装置の改良版を装備、さらにHMDも装備されるが、これには情報過多による認識誤認を防ぐため表示される情報を限定してある。
また、F-22戦闘機は特殊な環境で機体維持をしなければならないが、F-3は今までの倉庫でも管理ができ、維持が簡単な様に作られている。
これらの事からコスト面にも優しくなるように作られているのである。
2015年には防衛装備品の一括調達に移る法案が可決され、25機の一括購入が決定、F-4EJ改及びF-15Pre-MSIP機の入れ替えが始まる。
2018年現在、隣国の脅威が強まるなか、自衛隊の戦力増強が図られて主に南西諸島に対して警戒網を広げており、C国を監視している。また、MRJの型式証明の取得が完了、各航空機企業に引き渡しされた。
私はハーメルンでも別のモノを書いていますが、現実が忙しいなか、小説を書き続けるのって難しいですね(泣)
資料
Su-27の価格はSu-30のものから推定
1992~93年当時の円ドル相場は1ドル=101~134円