第一章2 不法侵入者
緒潟河2丁目にある自宅のぼろアパートに着いた頃には午後十一時を回っていた。
アパートは築三十年を超えており幽霊屋敷と言われてもおかしくない外観をしている。
それだけならまだよくある古い建物なのだが、青と黄色といった趣味の悪い色使いで万遍なく塗りたくられていて正直目には悪い。
そのためモダンな幽霊屋敷なんて呼ばれていて、ここ姫野宮市の七不思議の一つに数えられ退屈な中高生の娯楽の一つになっている。
そんな奇抜なアパートの住人は変わり者が多いと思われがちだがお金のない大学生や、不倫をしているサラリーマンといった極々普通の人たちが住んでいる。
塗装は所々剥げてはいるが、内装は割と普通のワンケーマンションで住んでみればそんなに気にならない。住めば都というやつだ。
俺が借りている部屋は二回の最奥に当たる二○五室なので外付けの階段を上る。
もちろんエレベーターなんて便利なものはない。
部屋の前で立ち止まり鍵を探していると室内から何やら聞き覚えのある笑い声が聞こえた。
(・・・うーん。出掛けるときちゃんと鍵掛けたよな)
そう思いドアノブを回すと勢いよく扉が開いた。
玄関に入ると声は更に大きくなり、その声の発生源の後ろ姿が伺える。
腰まで伸びた絹のような黒髪が特徴的なその自由気ままな姿を俺はよく知っていた。
「おい。どうやって入った」
「あ、お帰りなさーい。思ってたより早かったですねー」
俺の問いを華麗にスルーし挨拶をかましてきたのは黙っていれば間違いなくモデルと勘違いされそうな少女だ。
名を燎里侑李といい姫野宮市にある光明高校に通う三年生で、歳は十七。
少女と言うにはだいぶ大人びた雰囲気を纏っているがそれは百七十越えの身長に加え洗練されたプロポーションのせいだろう。
これだけならば学校のアイドルなのだがこいつには隠しようのない欠点がある。
それが何かと言うとコミュ障なのだ。しかも重度の。
ただでさえ見た目で他を圧倒しているため、仲間をつくりにくいのだがそこにコミュ障が加わればあら不思議。完全孤立の女王様の完成である。
そのため友人という友人は今までいた試がなく俺が初めて彼女を見た時も絡んできたであろう先輩たちを徒手空拳でばったばったとなぎ倒しているところだった。あの時の恐怖は今もこうして胸に刻まれている。
そんな事ともつゆ知らず燎里に話しかけ
「近寄らないで」
などと鋭い目つきにさらされながら一蹴されて無残に散っていった男性諸君にはお祈り申し上げる。
とまあ、そんな変わり者が我が家に押しかけて来たのだから頭が痛い。それにこいつが関わってくるとろくなことにならない。うん。絶対に。
とりあえず何をしに来たのかを聞き出し大した用ではないのならお帰り頂こう。俺は今とても疲れているんだ。
なのでこの際、どうやって入ったかという重大な疑問は黙殺することにする。
「お帰りなさいじゃねー。とゆーか一体何しに来やがったんだ?」
「あぁ、そうでした。そうでした。昨日先輩の自転車を壊してしまったのでそのお詫びと天崎さんから伝言を預かって来たんです」
思いのほかあっさりと、しかも思いがけない単語が聞こえてきたので反応が一瞬遅れてしまう。ちゃんと日本語理解できているのだろうか。
しかも後半天崎さんと言ったか。はい。面倒事確定。でもささやかな抵抗として聞かなかったことにしよう。
「・・・え、お前が謝罪だと!?大丈夫か?」
「・・・失礼ですね。これでも燎里家の次期当主なんですよ!それくらいの礼節は弁えているつもりです!」
癇に障ったのか静かにジト目で抗議してくるが、そんな事は知ったこっちゃない。なぜなら、これは彼女と近しい関係の者ならば抱く共通疑念だ。言い換えれば以心伝心。
だがこのままでは話が脱線しかけないのでとりあえず謝っておこう。
「悪い。悪い。冗談だ。ありがとう。ちゃんと受け取った」
エヘヘ、それほどでもと笑う燎里さん。ちょろすぎか。というか褒めてない。
「そ、それでですね、その自転車の代わりといったらあれですけど・・・原付買ってきたんです。あ、これ鍵です。」
ごそごそと鞄の中をまさぐり抜き身のまま渡してくる。・・・有り難いんだけど俺免許持ってないんだよなー。
だがその事を口に出すほど野暮ではない。
他人の好意の有難味はこの生活を初めて嫌と言うほど痛感している。
「悪いな。大切に使わせてもらう。ところでわざわざ原付を運んでくれたのか?」
「え?そんな訳ないじゃないですかー。原付は私が住んでるアパートにあるんで取りに来てください」
うん。これでこそ燎里侑李だ。お詫びに来た相手にお詫びの品を取りに来いと言い放つ胆力は未だ健在だ。良かった。いつか絶対ぶっ飛ばしてやる。
だが、人間がそう簡単に変われないということを再確認できた。ありがとう。勉強になったよ・・・。
いつも通りの燎里節の炸裂に言葉を失っていると業を煮やしたのか燎里が口を開いた。
「なんで反応してくれないんですかー。・・・まぁ、いいですけど。ちゃんとお詫びはしましたからね!後でグチグチ言わないで下さいよ!」
お詫びも糞もないのだが、本人の中では既に完結しているらしい。
「それじゃあ、本題に入りますけど・・・」
急に彼女が纏っていた空気が変わる。これまでゆるゆるで隙だらけだったが、今は祓魔師の鋭い雰囲気だ。
嫌な予感しかしないが、天崎さんという人名が話題に挙がった時点で薄々覚悟はしていた。
ただ家に押しかけたり拉致ったりしないので、緊急ではないらしいがそれでも何かとんでもないことに巻き込まれのはほぼ確定的だ。
今回はどんなことをさせられるのかとドキドキしていると
「この町に吸血鬼が現れたらしいんです」
聞き間違いでもなんでもなく確かに彼女はそう言った。