第一章1 始まりの夜
よく耳にする言葉ではあるがどうしてこうなったと叫ぶことしか出来ないのが俺―――赤塚晃成の状況だ。
「くそったれ。聞いてた話と全然違うじゃないか」
恨み言を口に出してみるが状況は変わらず最悪のまま。
どれだけ走り続けているのかなんてことは、もはや分からないが依然としてねっとりとした視線は消えることなく背中に絡みついている。
肺はキシキシと悲鳴をあげ、ピッチも次第に落ちてきている。これ以上は走れそうにないが、止まる訳にはいかない。破裂しそうな肺と千切れそうな足に鞭を打ちなんとか走り続ける。
止まっても振り向いても最後。そこで俺は人生の幕を下ろすことになるだろう。
「あぁ、ちくしょう。なんでこんな目に合わなきゃならないんだ」
そもそもの予定ではこの厄介事も上手く片付き意気揚々と勝利の美酒に酔いしれている頃だと言うのに、未だ命の危機にさらされている。
もしかして裏切られたのだろうか。
そうだとしたら俺の人生は今度こそ完全に詰んでしまう。否定したかったが俺と協力者との関係を考えると別段不思議なことじゃないのが悲しかった。
「お願いですから早く助けに来てぇぇ」
哀願空しく助けがくる気配は一切ないが逆にあのくそったれは着々と距離を詰めてきている。
「待てぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!」
後方から怒り狂った叫び声がもうすぐそこから聞こえてくる。脚はもう動かない。
もうダメかと思った瞬間、乾いた銃声が響いた。
俺は待ち焦がれたその音に思わずガッツポーズをしたのだった。
× × × × × × × × × ×
三日前 四月九日 午後十時過ぎ。
「お疲れ様です。お先に失礼しまーす」
形だけの挨拶を済ませバイト先であるタイマーという名の古い雑貨屋を出る。
もうすぐ働き始めて二か月になり仕事内容も覚えてきた頃だ。仕事を覚えたと言っても客が全く来ないから他の店舗に比べると圧倒的に暇である。
レジなんてここ数日した記憶がないし誰かがやっていたのも見ていない。とはいえ店内に陳列されている商品のほとんどがここらじゃまずお目にかかれない珍しいものばかりなので変わったお客様が一か月に一人ないし二人は来店して大量に買い込んでいく。
なので需要が全くない訳ではないのだが、かと言って必要かどうかは分からないしちゃんと売り上げはあるのかといった疑問は残るが今のところ遅れることなく給料は払い込まれているので些末な問題だ。
そんなつまらない事を考えながら通い慣れた帰路に就く。
いつもは自転車を使っているが、嵐のような女の厄介事に巻き込まれたおかげで大破してしまった。そのため五キロもある道のりを歩いて帰らなければならない。
閑静な住宅街は街灯くらいしかなく殺風景に過ぎると思う。まだ十時過ぎなのに既に電気が点いていない家もありそれが余計に暗く感じさせる。
風景を見てもつまらないので空を見上げると四分の一程欠けた月が目に入った。十三夜月なのだろうか。そして月を中心に広がるように星たちが煌めいている。若干雲が出ていたが充分に夜空を堪能することが出来た。
とても綺麗だ。こんなにも綺麗に見えるのは田舎くらいだろう。
空を仰ぎながら歩いていると不意に人の気配がした。
視点を空から地面に戻すと左右が二メートルほどの外壁で囲まれた道幅の狭い道路で、五十メートルほど先の街灯の下には人影がある。遠目でも女性だと分かるわがままボディだ。女性はこちらに向かって歩いてくる。
ざっと見た感じ身長は俺と同じくらいだから百六十五センチはある。出るとこ出ているナイスバディなお姉さんなのに顔も整っていて人形を連想させる。歩くたびに豊満な胸と染めたものとは思えない綺麗な金色の髪が揺れる。
瞳は青く日本人の顔つきではないから観光客だろう。
一通り観察を終え視線を外す。地面を見つめていると視界の右端に足が見えたかと思うと消えて行った。
すれ違い間際、一瞬ではあるが甘ったるい香水の匂いが鼻孔を擽った。
ふとどうしてこんな観光地も何もないクソ田舎に来たのだろうと思ったけれど俺には関係のないことなので深くは考えなかった。