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「動かないでね」
尾崎さんの指が、思いがけずうなじに触れて、心臓が飛び出そうになる。
きゃー!
目の前を、ハートが下りていく。ふわりと髪が持ち上げられて、首筋にひんやりとした感触がするとネックレスが私の肌に収まった。短めの鎖だったから、着物を着ていてもちょうどトップが見えるところにある。
やっぱり、洋服で来ることを予想してたんだろうなあ。残念でした。
くすくすと笑いながら。
「嬉しい。いかがですかあ?」
振り返ると、尾崎さん、は、と息をのんだ。
「尾崎さん……?」
「いや……よく似合っているよ」
かすかに目を細めて微笑んだ尾崎さんは、ふい、と目をそらした。そうしてまた席に戻ると、食後のお茶を一口飲む。
「それで、由加里ちゃん。今日は君に、大事な話があるんだ」
来た!
私はしゃっきりと背筋を伸ばした。
ついに! ついにこの時がきたのねえ!
「君も、考えてはいたことだろうけれど……」
どうしよう。返事はOKに決まっているけれど、少しはじらした方がいいのかしら。
「僕たちも、婚約して長いよね。君も16歳になったことだし……」
そうそう! 結婚もできるのよ!
「もういいんじゃないかと思うんだけど」
ああ、嬉しすぎて、やっぱりじらすことなんてできない。返事は即OKですわ。
「そろそろ、この話も破談にしようかと思うんだが、どうだろう」
「もちろんっ、は……だ…………は?」
身を乗り出していた私は、そのままの姿勢と笑顔で固まった。
なんですって?
聞き間違い? 今、破談って……
「君も16歳と言えば、ボーイフレンドの一人や二人いるんだろう? こんなおじさんが婚約者にふんぞり返っていたら、やっぱり迷惑だよね。だから……」
「尾崎さんは、まだ28でしょお? おじさんなんて……」
声が、震えた。尾崎さんは、何を、言っているの?
「君にすれば、ひとまわりも上だよ。それに比べて、まだ君は16歳。これから、まだまだいくらでも未来があるし、きっと同級生あたりに好きな男もできる。きっと君も、子供だったからこの話を断ることもできなかったんだよね。今まで僕に付き合ってくれてありがとう。かわいい妹ができたみたいで、楽しかったよ。でも、もういいんだ。君は自由にしてくれて……」
「ちょっと、失礼します」
私は、バックを手に持つと席を立った。
急いでその部屋を出てご不浄へと駆け込む。
なんですって?
頭の中は、今の尾崎さんの言葉がぐるぐると渦巻いている。
破談? って、婚約を解消するって、こと?
あまりのことにめまいがして、足元がふらついた。
「大丈夫ですか?」
ご不浄にいた上品そうなおばさまが、驚いたように手を貸してくれる。
「はい。ちょっと疲れたみたいです」
そつなく笑顔で礼を告げて、化粧直しのスツールに腰かける。おばさまは私が大丈夫そうと判断して、ご不浄を出て行った。
私は、鏡の中の自分をじっと見つめる。




