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『君が由加里ちゃん?』


 それは、私が着なれない振袖を来て一日お人形のようににこにこしていた後のこと。もうすっかり笑顔を作るのが嫌になって、こっそり会場を抜け出してぼんやりと庭の池を見ていたときだった。


 声をかけられて振り向いた先にいたのは、ひょろりと背の高い男性。

 今日のパーティーでは見なかった気がする。気弱な笑顔がなんとなく軟弱なイメージ。ゆるく風に揺れているふわりとした茶色っぽい髪の毛に、将来薄くなりそうなんて思っていると。


 じ、と私を見つめていたその男性は、はんなりと笑った。


 その瞬間、電撃が私の体を走った。その笑顔に釘付けになる。

 ひょろりと細い体は、スマートでしなやかな体に。気弱そうな笑顔は、魅力的でおちついた大人の笑顔に。ふわりとした茶色っぽい髪の毛は、綺麗で柔らかそうな羽のように。


 私は、名前も知らない年上の男性に、一瞬で恋をした。


『だあれ?』

『僕は、尾崎祐輔。君の婚約者だよ』

『こんやくしゃってなあに?』

 当時意味の分からなかった私は、小首をかしげて聞いた。こういう仕草は、おじ様たちが喜ぶのを見るうちに、自然に身についていたものだった。


 その男性は、私の前に膝をついて私に視線を合わせる。

 ああ、スーツの膝が汚れるわ。草の汁は、ついたら落ちにくいのに。せっかくのクリーム色のスーツが台無し。

『婚約者ってのはね、将来結婚の約束をした人のことだよ』

 それを聞いて、目を見張った。

 私がこの人のお嫁さんになるの?


 いずれ、家の決めたどこかへ嫁ぐことは、この年でもうわかっていた。結婚に、それほどの期待はしていなかったけれど。

 この人なら、いい。

 単純に私はそれを喜んで、作り笑顔じゃないその日初めての笑顔を浮かべた。


 今でも鮮明に、この日のことは覚えている。私が、帯解きの儀を迎えた日のことだった。



「お嬢様、いらっしゃいますか」

 ふすまが少しだけ開けられて、年配の女性の声がそこから聞こえた。

「東さん? どうぞお」

「失礼します」

 大きな風呂敷の包みを持った東さんが入ってくる。ちょうど私は、衣紋かけにかけられた薄桃色の友禅を眺めていたところだった。


「帯は、こちらを用意しましたけれど、いかがでしょう」

 楚々と入ってきた東さんは、私の前で風呂敷を解いていく。私もその前に座って、中のものを一緒に確かめる。緋色の蝶が乱舞している帯を見て、にっこりと微笑んだ。

「これでいいわあ」

「帯揚げはこちらで、帯どめはこれで揃えました」

 ちゃっちゃと手際よく支度の用意をしていく。

 さすが、東さん。

 小さいころから私の世話をしているだけあって、私の趣味もちゃんとわかっている。


「先日お求めになった、加賀の訪問着も仕立てあがっておりますが、どうなされます?」

 私はちょっと小首をかしげて考える。小さい時からの癖で、どうしても考え事をするときにはこの姿勢になってしまう。

「そうねえ。あの青も素敵だったけれど……今日は振袖でいいわ」

 だって、そういう特別なお祝いの日ですもの。夏の盛りとはいえ、どうせ車での移動だから、汗をかく暇もないでしょうし。


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