九卦島殺人事件 「消失」4
光明さんの話の中では、吸血鬼はこれからも女をさらうと言い残して崖の向こうに消えたとの事だった・・・。
「ばっ・・ばかなっ! そんなもん・・・いるわけ・・・ないっすよ!」
しかし、そう言った桑原さんの声は震えている。
「ま・・・まあ、待つんだ! 僕達は特殊なサークルだからそんな風に考えてしまうが、普通に考えればこれは誘拐だ! け・・・警察に・・・」
光明さんはポケットを探ってハッとする。俺もとっさに同じ事をしたが、ポケットには何も入っていない。そういえば、携帯電話は圏外なのでカバンに入れっぱなしにしている。
「電話は確かロビーの・・・」
「そうだ!」
大野さんの言葉で、思い出したかのように光明さんは人の間をすり抜けて部屋を出た。
光明さんはロビーの隅、玄関入り口の近くに置いてあった電話を使っておそらく110番したようだ。俺も今までそんなところに電話があることには気がつかなかったが、先輩方はみんな知っていた様子だ。
受話器を置き、帰ってきた光明さんの顔は明るいものではなかった。
「この島には警察官がいないらしい。明日の昼の船で警察官を何人かよこしてくれるそうだ」
「そんなっ。明日の昼まで待っていたら矢野先輩がどうなるか・・・」
うつむく陣内さんの隣で、同じ二年の大野さんが声を張り上げた。
「探しに行こうぜ!」
「そ・・・そうだね。だけど、あまりホテルから遠くには行かないように。この辺りは明かりが少なく暗い。他にけが人を出すわけにはいかない・・・」
光明さんもうなずいてそう言った。先輩達は顔を見合わせると、体格的に一番頼りになりそうな大野さんを先頭にホテルの出入り口に向かう。
「あ、俺たちも・・」
俺も信也に目で合図を送って着いていこうとしたが、光明先輩に止められた。
「君達は高校生だし、ここで待っていてくれ。それに、不審者が戻ってきてどこかの空き部屋に隠れるかもしれないし」
「・・・確かに。あるかもしれないですね。でも・・・」
「建物の周りだけ探すから大丈夫だよ」
すでに出て行った先輩達の後を追うように光明先輩も扉を開けて外へ出る。この館の中は俺と柚子、信也の三人となった。
「どうするよ・・・?」
信也が困惑した様子で俺の顔を見る。
「・・・そうだな。今、間違いないのは部屋のガラスが割られて矢野先輩が何者かに連れ去られた事か」
俺はロビーのソファーに腰掛けた。柚子は隣に座り、信也は向かいに座る。
「窓を割った人物は矢野さんから鍵を奪い、ロビーに出て扉に鍵をかけた・・・とは考えられない。窓ガラスが割れた音で俺もすぐ部屋から顔を出したしな。絶対誰かに見つかる。しかも、矢野さんを抱えてたらなお更だ。犯人は、窓から外に出たのは間違いない。外に出ると、表は崖、裏は浜辺だ。行き止まりとも言える。なら、村や船着場に続く林の道へ行くしかないわけか・・・」
「じゃあ俺達でそっちを探してみるか?」
「いや・・・。蚊もぶんぶんと飛び回っているような林の道で息を潜めて隠れていると言うのはありえなさそうだ・・・。その先へ逃げてしまったかも。あまりここから離れて探すのは光明先輩の言うとおり良くない」
「確かに一晩中林の中にいるのはこの時期は絶対に無いよな。でも虫除けスプレーとか使ったら・・・?」
「信也。そんな用意のいい奴だったら、窓ガラスを叩き割って矢野先輩を連れ出すと思うか?」
「そ・・・そうか・・・」
「叩き割ったのは・・・衝動的な犯行だったのか・・・? しかし、いつ人が入ってくるかもしれないようなあの状況で人間一人を連れ出す余裕も備わっていた?」
柚子も俺の横で首を左右交互にかしげている。
「とにかく、ホテル周辺を探す先輩達の判断は正しいだろうな。林や村の方面は明るくなってからだ。村人の家を調べるには警察の手も借りなければいけない。・・・が、村人が連れ去ったという線はまず無いだろうな・・・。一番に疑われるのは間違い無いし、逃げ場もなければ村中の人は顔見知りだ。矢野先輩なんか連れていたら目に付く」
「俺達以外にも・・・旅行者、島に入った外部の奴がいるって事か?」
「しかし、いたとしても・・・この館以外に宿泊するところがあるのか・・・? 矢野先輩を監禁するような場所があるのか・・・?」
「それも・・・明るくなってから探すって事か?」
「そうだが・・・。一つ怪しい場所があるよな? 柚子」
「うん。このホテルにはいっぱい部屋あるから・・・」
「そう、裏をかいてどこからかこのホテルに侵入、息を潜めている可能性もある。内部に隠れている可能性をつぶしておこう。いくぞ、柚子」
立ち上がった俺に続いて柚子もソファーから立った。
「えっ? 俺は?」
信也は自分の顔を指差して口をポカンと開けている。
「ここに一人は残らないとダメだろ? 入り口から誰か入ってくるかもしれないし、矢野さんの部屋の窓も壊れて開きっぱなしだからそこから犯人が戻ってこないとも限らない。このロビーにいればどちらにも気がつくから、その役目は信也、お前に任せた」
「そうか・・・。えっ・・・。ちょっと待って。・・・もし、吸血鬼が入ってきたらどうするんだよ?」
「逃げろ。以上だ」
「えっ? ・・・おっ・・・おいっ!」
何やら落ち着き無くうろたえている信也を背に、俺は柚子の手を引き、まずは矢野さんの部屋へ向かった。
扉を開ける。中は人の気配は無く、先ほどと同じく割れた窓の他に異常は見当たらない。ベッド、テーブルの他には何も無く、子供すらも隠れる場所は無い。
窓は、ねじ式の鍵がついている古いタイプだ。鍵は壊れる事無く綺麗に開いている。何かで窓を一撃、割れた部分から手を突っ込んで鍵を開けたのだろう。だが・・・、この構造だと・・・。
「部屋に隠し扉みたいなのは無さそうだな。これなら矢野さんを連れて外に出るしかない。しかし、音がして俺達が来るまでの数分の間に矢野さんを抱えてこの窓から出るなんて・・・。かなり怪力の持ち主か・・・」
「うん。お風呂で見たけど、矢野さんの胸はすっごく大きくて、体重も軽く無いと思うよ」
柚子の言葉で、俺は彼女の大型グレープフルーツのような付属品が頭に映像として浮かんだが、人差し指と中指を額に数度軽く当て、クールな振りをしてそれを追い払った。
「矢野さんは身長が165cmくらいに見えたな。体の線も細くは無かったから・・・体重は50kg・・・ちょっとくらいか。その人を担いで、床に破片が散乱する割れたガラス窓から担ぎ出す・・・。窓の高さは約1m。これは・・・怪力どころか化け物並みの力がないと難しいな・・・」
俺は窓を細かくチェックするが、手や体のどこかを引っ掛けて切ってしまって付いたような血液の痕は見られなかった。
「ここはこれまでだな。他へ行こうか」
柚子は俺の後ろにぴったりと付いて歩く。別に吸血鬼が怖いとかのせいではなく、これが柚子の距離なのだ。
部屋を開けてロビーに出ると、少し離れているところにあるソファーに座っていた信也がこちらを向いて立ち上がる。俺は手をひらひら上下させて座っていろと合図をして、次の部屋へ向かう。
屋敷はロビーを中心に、左側に5部屋、右側に5部屋。二階にも同じ作りで同じ数の部屋がある。
一階左側は手前から、光明さん、矢野さん、重元さん、空き部屋、空き部屋という感じで5つの部屋が並んでいる。その二つの空き部屋へ入ってみたが、どちらも窓が割れた様子も人が入った形跡も無かった。
そのまま風呂場や食堂、台所や応接間を見ながらぐるっとロビーを回る。
一階右側の部屋は奥から、空き部屋、箕輪先輩、陣内さん、桑原さん、大野さんの5室だ。空いていた唯一の部屋に入ってみたが異常は無い。
ドアを開けて出ると、正面に信也が座っているソファー。その向こうに光明さんたちの扉が5つ見える。上には2階の5つの扉が見え、そのうちの三つは左から柚子、俺、信也、空き部屋、空き部屋だ。
確か、ガラスが割れた音がしたとき、俺はドアから顔を出して下の階をのぞいた。すると、こちら側の扉の一つ、桑原さんも同じようにしていたのが見えた。上から見えたのと同じように下からも見えていたのに間違いは無い。
俺と柚子はロビー奥にある階段で二階へあがり、誰の部屋でもない二階右側の5つの空き部屋を調べた。
並びがすべて空室と、隠れるなら最適な部屋だが、この部屋に入るまでが難しい。人目があるロビー側の扉から入るのは不可能に近いし、窓から梯子のような物で入ったとしても、その下の一階は5室中4部屋が埋まっている。窓の近くにはしごを置きっぱなしにしていたら、同じ位置のすぐ下に窓がある先輩達に即見つかってしまうだろう。
「まあ、二階は無いよな?」
柚子もうなずく。しかし、見ないわけには行かず、次に2階左側の俺達の部屋のすぐ隣の空き部屋2室も念のため覗いた。もちろんおかしなところは無かった。
時計を見ると、時間は20時半。確か食堂から出てお菓子を取りに行った時間が19時45分だったから、最後に矢野さんを見てから45分ほど経ったようだ。