九卦島殺人事件 「到着」1
セミの声が耳にさわるある夏の日。
「それじゃあここの峠はどうだ?」
「まずこの建物行きたいよー」
「そこは本命だぞ。いきなり行くのか?」
「だって見たいんだもん」
「柚子は好きなものから食べるタイプだからな・・・」
期末テスト合間の休憩時間。教室にいる生徒は皆、眉間にしわを寄せながら教科書を見つめているさなか、俺と柚子はインターネット画面をプリントアウトした地図を広げて話し込んでいた。
その地図は関東全域の物で、何箇所かに丸印がつけてある。二人でその赤丸を指差しながら周りの生徒と同じく真剣な顔をしていた。
そこになにやら彼だけにしか見えていない、空中をひらひらと舞う蝶を追いかけるような様子でクラスメートの信也が踊り歩いてきた。
「お二人さん、何しているんだい?」
「ん? ・・・ああ、もうすぐ夏休みだろ? 柚子と遊びに行く場所を物色だ。お前はいいのか? 勉強しなくて」
「へっ! もうテスト中なんだ。その休み時間に勉強したところで、焼け石に水ってもんよ」
「お前の石はまったく焼けてないから・・・公式の一つでも覚えたほうがいいと思うぞ?」
「何言ってんだ! 青春は一度きり! 今を楽しまなきゃどうするってんだよぉぉぉ!」
信也は青空に流れる雲を意味も無く指差しながら、乾いた笑いを窓の外へ向かって発している。
「・・・お前の青春が3年じゃなく、4年にならないことを祈っているぜ・・・」
再び地図に視線を落とした俺の肩を信也は掴んで、前後左右に揺すってきた。
「ホントにやばいときは勉強教えてくれよなっ! お前だけ三年に上がって先輩にならないでくれよなっ!」
「俺だけ上がるんじゃなくて、お前以外全員上がるんだけどな・・・」
柚子も何やらその様子を見ておかしそうに笑っている。
「点は二学期に取り返すぜ。ところでお前らどこへ遊びに行く気なんだ? その丸の付いた場所・・・何かあったっけ? ・・・面白い物がありそうな場所・・でもない、・・・ってどころか、山っぽいところばかりじゃね?」
「信也、お前一学期の中間の時も期末で取り返すって言っていなかったか? ・・・ここは全部『幽霊が出るって噂の場所』だ。首なしライダーが出る峠とか、ホテル・病院の廃墟とか・・・。えっとここは・・・」
「そこは上半身ババアが時速100kmで追いかけてくるところだよー」
柚子は俺の前で、両手を振って這うような仕草を見せるがコミカルで少しも怖くない。
「まあ、そう言う場所を回る順番を決めているわけだ。なんせ夏休みは長いから・・・」
「暗いっっっ!」
信也は、片手を俺達が見ていた地図に叩きつけると、歌舞伎役者のように首を回して俺を見た。
「暗いぜ! あまりにも暗い! お前ら・・・高校二年生のカップルが・・・夏休みに遊びに行くところが肝試しスポットなんてあまりにも・・・あまりにもだぜ!」
机に置いた手とは反対側の腕を自分顔の前に持っていき、信也は泣くような真似をする。
「別に・・・カップルじゃねーよ。・・・でも、・・・暗いのか?」
「あのね、でも昼間行ったらお化けは出てこないかもしれないんだよ?」
「柚子ちゃん・・・気を使ってこんな奴にギャグで合わせちゃって・・・健気だね・・・。おいっ! 直樹! お前勉強は出来ても遊びの才能ゼロだぞっ!」
奴は俺の目の前に、その日本人離れした顔を突き出してそう言う。
「だってこれは柚子が言い出した事で・・・」
「まあ、単純に肝試しが悪いって言っているわけじゃない! 確かにそれは青春の一ページに刻まれるようなイベントの一つではある! けどな! お前は分かってない!」
信也は腰に手を当てながら優越感に浸っている顔を俺に見せてくる。別に俺はプライド高いほうじゃないと思うが、この顔はやけに憎たらしいぜ・・・。
「物事には陰と陽がある!」
「八卦か?」
「は・・はっけ? ・・・うるさい! 黙って聞け! ・・・あのな直樹、いきなり晩にそう言うところに乗り込んではダメなんだ。ギャップだ。つまり、陰の前に陽が必要。具体的に言うと、肝試しは昼間楽しく遊んだ『後』に行くところだ。ドラマや漫画でもそうだろ?」
「じゃあ昼間は買い物とか遊園地に行って、晩は肝試しすればいいのか?」
「違う! 昼間遊んだ勢いで行かないといけないんだ。要するにだな、昼間海水浴に行って、その帰りに肝試しに寄ると言うような流れがベストってわけよ!」
「・・・なるほどな。とは言っても、俺はいい成績を維持する代わりに小遣い多めに貰ってはいるけど・・・それほど余裕があるわけじゃないからなぁ。・・・それじゃさ、柚子」
俺は再び柚子に地図を見せる。
「この海水浴場行ってからちょっと遠いが、バイクで走ってこのスポットへ・・・」
「待てまてまてまて・・・。ん、んんっ!」
咳払いをしながら、信也は神妙な顔で俺の肩を人差し指で突いてくる。
「仕方ない。俺が一肌脱いでやろう。・・・お前を誘う気は無かったんだが・・・。親友のためだ! 俺に任せておけ!」
「はぁ?」
信也は目をつぶっているが、妙に鼻の穴をぽっかりと開けて悦に入ったような表情をしている。
「親友の卒業のためだ! この俺に任せて夏休みの予定を空けておけ!」
自分の胸を強く叩くと、信也はゴホゴホとむせこんでいる。
「卒業って・・・。そっち方面では万年留年中の信也に世話してもらわなくてもかまわないんだが・・・」
「あはは! おかしいね! 直クンはまだ二年生だよ。卒業はずっと先なのにね?」
俺の顔を覗き込んで笑っている柚子の頭を撫でながら、俺は「そうだな」と返した。