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【エッセイ】歯科医 vs 子犬を奪われた私

作者: 長月かよ
掲載日:2026/06/08

新しく行った歯科の問診票に、こう書いてあった。


『歯医者さんは怖いですか?』


患者思いの質問だなと思い、迷わず丸をつけた。


……のだが。


一体なぜ、その質問をされたのか。


後で思い知ることになる――



昔から、左上の奥歯には大きな銀歯がある。


笑うと口の端がギラッと光って意外と目立つ。

長年のコンプレックスだった。


ある日。

それを保険内で白い詰め物に変えられると知り、近所の歯科を予約した。


問診票を上から順に書いていると、例の質問にたどり着く。


『歯医者さんは怖いですか?』


愚問である。怖いに決まっている。


細い銀色の器具で口の中をいじられるのが苦手だ。

治療中の何ともいえない音と、過去に感じた鋭い痛みを思い出した。


それだけで顔が歪む。


私は迷わず『はい』に丸をつけた。


こういうことを聞いてくるということは、

恐怖を取り除く素晴らしい方法があるに違いない。


少し、気持ちが楽になった。



しばらくして診察室へ。


先生は気さくなおじさんで、雰囲気もやわらかい。

マスクしていても伝わってくる笑顔が好印象だ。


レントゲンも終わり、診察台へと移動する。


私の横で先生が器具を並べているのが見えた。

順調に治療の準備が進んでいく。


「そっかそっか。歯医者が怖いんだね」


さっき書いた問診票を片手に、先生はうなずいた。


「大丈夫だよ~」


にこやかにそう言うと、リモコンを取り出す。

そして目の前のモニターに向けた。


画面がパッと明るくなる。


すると。


――子犬が、じゃれ合っていた。



白くてコロコロした子犬が2匹。

甘噛みしたり、寝転がったりしている映像が流れ始めたのだ。


「ね、怖くないよね!」


先生が画面に指を差して満足げである。


「えっ」


私はかすかに動揺した。


でも確かに。

天使の生まれ変わりのようなつぶらな瞳がたまらなく可愛い。


ボールを追いかけている姿を見ていると、 少し和んできたような気がする。


(もしかして、これが怖くないための……?)


(恐怖軽減システムってやつ?)


患者思いの優しい病院。

癒やし映像でリラックスさせてくれるらしい。


期待していた方法とは若干違ったのだが。


いやしかし。

これなら治療の恐怖を乗り越えられそうだ。


……と思った瞬間。


診察台が倒されていく。


「!?」


視界が一気に変わる。


あと一歩でボールに届きそうな子犬。

壁と天井。

やたら眩しいライト。


そして――


(!!!!!)


ニュッと現れた先生の顔。(近い)


私の顔面へと迫りくる銀色の器具。


思わず喉の奥で悲鳴が漏れそうになる。


どうやらこの歯科は、目隠しをしないらしい。

目を開けていれば全部見えてしまう。


逃げ場のない、超至近距離のフルハイビジョン。


そのクリアな視界の中で、銀歯の取り外しが始まった。

銀歯の下に隠れていた虫歯も発覚し、治療は一気に激しさを増す。


先生の真剣な顔と鼻息。


キィィィィン!

ゴリゴリ……

ガンガンガンッ!


口の中に響く、謎の工事音。


神経を取っているので痛みを感じないが。

見ているだけで痛そうな器具が、次々と口の中へ入っていく。


脳内をシェイクされる振動の中、私の手のひらに爪が食い込む。


――その時だった。


「……フンっ!」


力いっぱい私の歯を削る先生の顔がドアップになった。


まるで獲物を狙うハンターのような目つき。


私は心の中で絶叫した。


優しい笑顔を浮かべていたおじさんは、もうどこにもいない。

愛おしげに子犬を指差していた指先は、

今やドリルという名の冷徹な凶器を握りしめている。


視界を埋め尽くすのは、

舞い散る歯の粉塵と、ドリルを構えた恐怖の職人。


(ワンちゃーん! どこーーー!?)


子犬を。子犬をください。


一瞬でいい、あのもふもふを私に……!


さっきまでの癒やし担当はどこへ消えたのか。


私はただ、仰向けのまま無力に耐えた。


――どれくらいの時間だったか。

途中で口をすすぐために起き上がると、映像は消されていた。


真っ暗なモニター。


あの子犬はもう、戻ってこなかった……。



後日、新しい詰め物を入れに歯科へ行った。


そのときに子犬と再会できた。

そしてやっぱり数秒で引き離されたのである。


あの数秒間に意味はあるのだろうか。


これでリラックスできる人はいるのだろうか。


せめて、子犬がボールに追いついたのかまでは見せてほしかった。

あの子たちは今も元気に走り回っているのか、気になって仕方がない。


結局、私は癒やしを奪われ、ただただ恐怖と戦うしかなかったのだ。


完全なる敗北である。



そして私は、今日も変わらず思う。


歯医者さんが、怖いです。



最後までお読みいただきありがとうございました。


子犬たちの幸せを願ってやみません。


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