42 そして、語り始める
――悪かったね、カリン
遠くで聞こえていた懐かしい声が急に私に向けられた。
「リート?」
『ああ、本来なら我はもう姿なきもの――そのままでいようと思ったが……』
「言いたいことは分かるよ。気にしないで」
リートとこうして話している場所は、私の意識の中。
途中からみんなに話しているのが聞こえていた。
話そうかどうしようか迷っていたことを、リートが代弁してくれた。私だったら感情を交えずに語ることは難しかったと思う。
だから、リートに対して怒るようなことはない。
「なんか……いつも迷惑かけちゃってごめんね、リート」
『迷惑などとは思ってないよ。我の性分は知っているだろう?』
「うん。そういう性格じゃなかったら、私に話しかけてくることもなかったものね」
『ああ、異界の者というので興味があったのだよ。一緒にいたときも楽しかったしね』
「そう言ってもらえると嬉しいな。私もリートと一緒で良かったもの」
『互いに嬉しい言葉だね。ああ、私はまた眠りにつくよ。もう出てくることはないと思うが……』
「うん。本体じゃなくても……会えて、嬉し……っ」
久しぶりの最初で最後の友との会話。
最後には笑って終わりにしたかったのに上手くいかない。自分の意識の中だというのに、その中でも涙がこぼれる。
『ふふっ、最後の顔は泣き顔かね?』
「本当は笑っていたかったのに……」
『どちらでも構わぬよ。泣くも笑うも……無表情よりそのほうがからね」
確かに泣くにしても笑うにしても感情がもとになっている。
最後まで心配してくれたリートに最後のお礼を言う。
「リート……ありがとう」
『ああ、我もありがとう、だな。生きててくれて嬉しかったよ』
「はは……案外図太かったみたいでね」
『なんにしろ喜ばしきことよ。では……な。カリン』
「うん。おやすみ――リート」
器をなくしてその意識もほとんどなかっただろうに。
なのに、私のために出てきてくれた……んだよね?
自分からでは前に進めないことを知っているリートは、無理をして出てきてくれたんだろう。簡単に会えるのなら、この世界に戻ったときにすぐに会えたはずだから。
ありがとう、リート。また、前を向けそうだよ……
「さて、リートが切欠を作ってくれたから、私も頑張らなきゃ……」
正直、話すのはまだ躊躇いがある。多分それはずっと続く。
どこかで割り切って話さなければならない。
***
ゆっくりと目を開けると、みんながこちらを凝視していた。
「あ…いざわ……?」
「なに? 蒼井くん」
今のは本当に『私』に戻ったのかの確認なんだろうな。
さて……話そうと思ったけど、何から話したものかな。いろいろありすぎて、自分からでは何から話していいのか分からない。
……となると。
「リートに少しは聞いたんでしょ。それらを踏まえて上で質問してくれる? 私から話す……って言っても、何を話していいか分からないから」
「いいのか?」
「ここまで分かっていればね。もう黙っていてもしょうがないでしょ」
蒼井くんが慎重に尋ねるのに対して私は少し自棄気味に言う。
別に勝手に話したリートに怒っているわけじゃない。むしろ、そうなるまで口を開かなかった私にも多少なりと問題があると思っている。
ただ、最初から最後まで全部を話すには時間が足りないし、どこをはしょればいいのかも分からない。
だから聞きたいことだけ答えようと思った。
蒼井くんが「それなら……」と口を開く。
「踏まえた上で……って言われたけど、確認したい。本当に相沢が前の勇者だったのか?」
「うん」
「なんで黙って……ってのは愚問だな。『リート』が言ってた。じゃあ……相沢に……じゃないけど、ディリアさんはそのことを知っていたのか?」
「知ってるよ。途中で話したから」
ディリアさんの代わりに自分で答える。
答えるのにぶっきらぼうになってしまうのは目を瞑って欲しい。感情を交えず話すには、いらない言葉を省いたほうが楽だから。
「じゃあ……個人的なことになっちゃうけど、相沢のような力を俺も使えるようになるか?」
「分からない。この世界の力ってこうしたいって想像力が一番大事だから、より明確なイメージが必要かな。でも、逆にそれがあれば大きな力を使うことはできると思う。あと、リートが言ったように私とリートやエルデ……他の精霊たちは『名』をつけることで繋がりを持っている。瘴気の濃い地でも、繋がりをつけることで力を使えるようにしてもらったってのもあるから」
「そっか。名前で繋がりは駄目だって言っていたけど」
ちょっと残念そうな蒼井くん。
名前をつけて契約みたいなことをするには、今の彼らを見ることができなければ駄目らしい。
逆にそれができれば同じようになるんだけど。
蒼井くんが「えっとじゃあ……」と考えあぐねていると、大野くんが質問してきた。
「じゃあ、俺からいい?」
「なに?」
「どうしてあの時、蒼井を止めた?」
「それは……」
これが一番話したくないことだった。
でも話されなければいけない。
「あれは人だったから」
短く答える。
その答えにみんな息を呑む。
「あれは魔族じゃない。たぶん、昼間に行った村の人たちだと思う」
「な、なんで分かるわけ?」
「蒼井くんが切りつけたとき、体から流れていたのは赤い血だった。この世界の魔族は黄色が濁ったもの――黄土色のような変わった体液だから、魔族じゃないって分かった」
あの時、みんなは気づかなかったみたいだけど、と付け足す。
「マジかよ? じゃあ俺たち、あのままだったらあそこの村人を殺していたってことか?」
「そうだね」
短く答えると、ディリアさん「ひっ…」と小さく悲鳴を上げた後、深いため息をついた。
それに驚いた蒼井くんが「ディリアさん?」と声をかける。
「いえ……カリンさんが気づいてくれて良かったです。いくらなんでも、『勇者』であるハヤト様が人を殺してしまったとなると……」
「え? そんなに問題? ……って、問題なのは十分わかっているけど、あれじゃあ区別つかないですよ!?」
そう……なんだよね。姿はガリガリで服はボロボロ、目は虚ろでいきなり襲い掛かってきたら、人型の魔族と勘違いしたっておかしくない。
「わかっています。ですが、この世界では殺人は重罪です。同じく死をもって贖わなければならないならないほどの大罪なのです……」
そう。不思議なのがこの世界の倫理観。
魔族が跋扈していて命の危険がある世界なのに、魔族を殺すのは問題なくて、人を殺した場合、自分の命で贖うほどの大罪になる。
そのことを説明すると、みんなは信じられないといった表情になる。
「この世界は魔族による脅威があったから、人はそれなりに結束してたんだよ、蒼井くん。剣を持つのも魔族を倒すため、人を守るため……ってね。ただ百年くらい前から少し前まで、魔族の脅威が薄れて、人と人が争う――戦をしていたみたいだけど」
なんとも皮肉なことに、魔族の存在が人をまとめるのに一役買っていた。
魔族という脅威に怯え、対抗するために力を持った。
それは魔族がたくさんいたときにはとても役に立ったものだったけど、二百年前、魔王が封印されて以降、魔族の減少と新たな魔王が誕生しないため、少しずつ力の使い方が変わってきた。
だから二百年前と違って、地図を見せてもらったとき国の名前や数がやたら変わっていて、前に召喚されたところなのか似たような別の世界なのか迷ったくらい。
話がそれた。
それでも人を殺したら死罪というものだけは変わっていなかったらしい。
この国でヴァイスさんのような兵士(?)がいても、それは自衛と治安維持のためでしかない。
それらを説明したとき、篠原さんが「なら、どうしてあんな怪我をするほど鍛錬をするの?」と尋ねる。
「それは剣を使っていれば多少なりと怪我は仕方ないもの。それに、治療系の力が使える人がいるので、すぐに治るから――って考えからかな。でも基本的に『鍛錬』であって、『殺し合い』じゃないんだ」
質問には、実際にその仕事に就いているヴァイスさんが答えた。
ついでに、あれだけ毎日剣の稽古をしてても、殺したことがあるのは魔族のみだということも付け足す。
「なんか、俺……別に殺人をしようとか思っていたわけじゃないけど、人を殺したらそんなに罪が思いなんて思わなかった」
「そうだね。元の世界じゃこういうところって無差別な感じするものね。でも、この世界の倫理観は日本とあまり変わらない。人を一人殺しただけで死罪になるなら、逆にこっちのほうが重いくらいだよ」
蒼井くんの口がへの字になるのがわかる。
「それに今まで旅をしてきた中で、そういう事件を聞いたことなかったでしょ?」
「そういう事件?」
「要するに殺人事件。魔族によって村を追われたり、忌み地をどうにかして欲しいって依頼はあっても、立ち寄った村では暴力沙汰なんてなかったよね?」
「そういえば……そうよね。普通ならありそうよね。皆親切なのは、勇者である蒼井がいるからだと思っていたけど、私たちの周りでもそんな話なかったわ」
同意するように堤さんが言うと、蒼井くんたちも「そうだったなー」と口々に頷いた。
瘴気にやられていても状況判断が鈍るくらいで、狂気に走る人はいなかった。まあもっと長く続いていたらそれもわからないけど。
なんにしろ、いろんな罪を犯せばきちんと裁かれ罰を受ける。
それがこの世界の常識で、そして『勇者』に望むのは純粋に『魔族討伐』だけなのだと付け足した。