37 友だち
見事な羞恥プレイに精神力がこれでもないほどのダメージを受けた。
おかげで、私は昼食も取らずにベッドで不貞寝していた。篠原さんが途中で心配して、「大丈夫? おなか空いてない? 食べられそうならこれ食べてね」とミルクとサンドウィッチを持って顔を出した。
その顔には、いかにも心配してます、と書いてありそうなほど、ものすごく心配してくれてるのが分かる。
「ありがと。少しして食べられそうなら食べるね」
「うん。でも、体力は回復できないから、無理しないでね」
「そうだね。ありがと」
「本当に無理しちゃダメだよ?」
「うん。分かってる」
「分かってないっ!」
心配してくれるのは嬉しいけど、なんとなく慣れなくて適当に相槌を打っていたら篠原さんが急に声を荒げた。
「篠原さん?」
「分かってないって言ってるの!」
「だから……」
篠原さんが何を言いたいのか分からなくて、どう答えていいのか考えあぐねる。
だいたい、ある程度お互い歩み寄りをしたけど、それほど深入りはしてないはず……と思っていると。
「もう、相沢さんてそういうところはすごく鈍いのね」
「はい?」
第三の声に驚いて顔を上げると、扉のところに堤さんが呆れた顔で立っていた。
篠原さんに続いて堤さんまで……そんなに心配するようなことかなー? と思ってしまうのはしょうがないだろう。今までそんなやり取りはほとんどなかったんだから。
そんな気持ちに気づいたのか、堤さんは部屋の中に入ってきながら。
「もう、かなり鈍いみたいだから、先に言っておくから」
「な、なにを?」
「相沢さんが寝ている間に、私たち、四人で話をしたの」
「はあ……ご飯食べながらなら、普通話くらいするんじゃない?」
無言で食事――なんて、あのメンバーでは考えられないんだけど。
「ああっ鈍いっ! 本当に鈍すぎるわ!」
「あの……?」
「だーかーら、鈍いって言っているの!」
それは分かったけど。この短いやり取りで何度も『鈍い』を連呼されれば……
だけど、それが何だというんだろう。それが分からないから、やはり『鈍い』のか。
「蒼井から言われたのよ」
「蒼井くん? なにを?」
「あんたが心配だって。相沢さん、分かってる? 今の相沢さんは皆が『おかしい』って思うほど、最初の頃と違和感あるのよ?」
そう言われて、やっと自分がどういう風に見られているか初めて知る。
それにしても、蒼井くん……思ったより人のこと見てるよね。一見気軽な性格で誰とも仲良くって感じで。でも、表面上の付き合いだけだと思っていたのに。
「ねえ、相沢さんが気にしていることってなに?」
蒼井くんのことを考えてると、堤さんが核心を突いてくるようなことを尋ねる。
でも、気にしてる? なにを気にしているというんだろう。ありすぎて一言で語ることなんてできないし、前のことなんてさらに口にできる気がしない。
どこまで話していいのかも分からないのに、迂闊に答えることなんてできない。黙り込むと、頭上から長い溜め息が聞こえた。
「堤さん?」
「そういうところ……それ見たら何かあると思ったってしょうがないでしょ? 気づかせたくなかったら、誤魔化す嘘くらい用意しておきなさいって言ってるの」
嫌味だか親切だか分からないことを言われて、とっさに返事もできない。
「ねえ……たしかに最初の頃の相沢さんの態度にムカついたりしたよ。でも、今は少しはお互いよくなったと思ってる。それは、蒼井たちのおかげでもあるけど、相沢さんの気持ちも変わってきてくれたからって思ってる」
「……」
「それでも、まだ話せない? 私たちって、まだ信用されてない?」
先ほどまでの勢いがなくなって、堤さんの声は傷ついたようなものになる。
違う。そうじゃない――と言いたくなって、顔を上げた。
「ねえ、私たちって本当に仲良くなれない?」
「堤さん……」
今にも泣きそうな顔で尋ねる堤さんの隣に篠原さんが近づいて慰めるように肩に手を置いた。
「恵里……」
「分かってる。すぐによくなるもんじゃないってことくらい……でも、やっぱりこんな境遇だし、皆で頑張ろうって思うのも駄目なの?」
いつもハキハキとものを言う堤さんとは打って変わって、目の前にいるのは自信を失くしてどうしていいのか分からないような――そんな風に見える。
もちろん、仲良くできないかという話をしているから、自信を失くしたというのは違うんだろうけど。
どう答えれば、二人を傷つけないで済むのかを考えていると、堤さんが待ちきれなかったのかもう一度尋ねてくる。
「ねえ、私たちのこと――ううん、人がそんなに怖い?」
胸のうちを言い当てられて、目を瞠った。
そして、しばらくの間、堤さんを見つめてしまった。
***
堤さんとのやり取りの後、夕方になってレーレンが尋ねて来てくれた。
調子悪いと聞いて、買い物途中に食べやすい果物を買ってきてくれたようだった。見た目はリンゴ。同じように薄く皮をむいて食べやすい大きさにして差し出してくれる。
「ありがと」
素直に受け取って一口かじると、やっぱりリンゴのような甘酸っぱさがした。もうこの果物はリンゴでいいや。そういえばリンゴって消化にいいんだっけ。栄養価も高いし。そう思いながら、もらったリンゴを見事に全部食べてしまった。
「美味しかった」
「そう、良かった」
「いろいろ買うものがあっただろうに……ありがとね」
レーレンはもともと道案内とこういった必要なものの購入などを担当するために雇ったらしい。レーレンは前に自分で言ったように、あちこちの村について詳しい。
あ、そうだ。
「そういえば、レーレンはディリアさんたちから、逃げてきた村の人たちの話を聞いた?」
「まあ、簡単にね。詳しいことは聞いてないけど」
「でも、その顔からすると……自分で情報を集めてきた?」
「分かる?」
やっぱり。商人だけあって、こういう情報に関しても詳しいんだよね。あちこち旅をするためには、行く先の安全をきちんと確かめるというか。情報も一つの売り物でもあるわけだし。
「聞いても差し支えない?」
「いいよ。でも、取引するようなものある?」
「うーん……それは……」
もうレーレンの特になるようなものなんてない。
もっとも最初のシャーボと手帳だって、この世界で量産なんてできないから、ただ単にレーレンの興味を引いたからに過ぎないんだけど。
でも、いきなり取引する材料――なんて言われて、レーレンと私との関係を再認識してしまった。
レーレンと私は、ディリアさんが雇った道案内兼情報収集係であり、私とは勇者の仲間として一緒にいるに過ぎないということを。
友だち――という、気軽な間柄ではないことを。
気軽に話しているように見えても、私はレーレンと『友達』という関係を築いていなかった。
「レーレンが気に入りそうなものはないから、ディリアさんが話してくれるのを待つよ」
結局、私の答えはこれだった。
それに対して、レーレンの口から大げさに取れるため息が吐き出される。
ってか、それ、わざとでしょ。普通、ため息ってそんなに声しないから、ってほど「はーっ」と声がしていた。
「はあ、まったく……勇者くんたちの苦労が偲ばれるってものだよね」
「レーレン?」
何が言いたいのとばかりに見上げると、呆れた顔をしたレーレンが見える。
この顔は……ああ、さっきの堤さんと同じような顔だ。今日はこういう顔をよく見る日なんだろうか。いや、そんな日はないだろう、うん。
つまるところ、私の態度のせいなんだろうと思うけど、今の状態でこれ以上打ち解けることはできない。仲良すれば気を抜いて、どこで前のことをポロリと口に出してしまうか分かったものではない。
堤さんに言われた『怖い』というのはあながち間違いではない。その怖さのために、これ以上先に進みたくないと思っている。
「なんでそんなに線を引くわけ?」
「な……線?」
「そ、自分と相手と……僕はカリンとは普通の話もしてるほうだったから、『そんな風に言わないで教えて』とか言えば、普通に教えたのに。でも、カリンの答えからすると、僕のことは友だちだと思ってないって見えるけど?」
「……」
まさに思っていることをそのまま言われて、何も言い返せなかった。
「言ってごらん」
「なにを?」
「普通に教えて、って」
「なんで?」
「そう言われれば、答えることができる。友だちなら無償で……ね」
レーレンは私のことを友達だと思ってくれているんだろうか。でなければ、そんな風に言ってこない。
結局、私ひとりが壁を作って閉じこもっている。
それが分かっているのに、『教えて』の一言が言えなかった。