第1話(7) 寮長と寮母
「今日からお世話になる早瀬亜希です。よろしくお願いします」
「あらー」
「!!」
玄関を入った亜希がそう挨拶すると、初老で小太りの女性が歓迎の笑顔を浮かべる横で、同じく初老で小太りの男性が眉を吊り上げ、眼鏡を掛け直した。
「ちょっと! ここは女子寮! 男子寮は100メートル先だよ?」
「女子です。申し込み書で名前見てますよね?」
と、亜希はお決まりの返答をする。
西中島にある、◯△女子寮――亜希はここで下宿することになっていた。
***
誤解が解けた亜希は中へと招かれると、スリッパに履き替えて玄関を上がった。
この初老のご夫婦は寮長・寮母夫妻らしい。
寮長が「ちょっと待っててね」と目の前の寮長室へ引っ込むと、「寮長の定年後、ここでの仕事を始めたのよ」、と寮母が頬に手を当てながら教えてくれた。
亜希がぐるりと周囲に目をやると、8畳ほどの玄関周りには靴箱や寮長室、2階へと続く階段や奥へと伸びる廊下などがあった。
ほどなく寮長が「いやー、ごめんごめん」と戻ってくると、プリントの入ったクリアファイルを差し出した。
「うちはこの辺一帯の学校の女子寮でね。いろんな学校の生徒が暮らしているんだけど、みんなで気持ちよく暮らすために、いろいろとルールがあるんだ」
亜希は中の『寮のルール』の文字に目を落としながら、クリアファイルを受け取った。
本音を言えば亜希は自由の効かない学生寮でなく、普通のマンションかアパートがよかったのだが、「悪い虫が付いたらイカン!」と父に反対され、この下宿先に決められたのだった。
〘こんな男みたいな娘でも、父親にとってはかわいいんかなぁ……掲示板見て怒っとったし〙
「はい、これ」
と、父の怒る姿を思い出して頬をかく亜希に、寮長は小さな板を見せた。
裏と表が赤白に塗り分けられ、その両面には『早瀬亜希』の名前が入っている。
寮長は階段下の壁にある、赤白の札の並ぶ、壁掛けカレンダーサイズほどの横長のボードを指した。
「そこに名札ボードがあるでしょ?」
「外出する時に赤札にして、戻ってきたら白札にするんだ。君の名札は、ここね」
寮長は名札ボードの空いたところを指すと、亜希に名札を渡した。
亜希が白札を掛けてみると、カラ、と小気味のいい音が鳴った。
ずらりと並ぶ名札の中に自分の名前が加わるのを見て、乗り気でなかった亜希の心が少しだけ踊った。
***
亜希の部屋は2階になるらしく、その後寮長に案内された。
「そこ、1階の奥は食堂。今日は休日でご飯出ないけど、キッチンやレンジやポットもあるから。寮はいろいろと決まりごとがあって面倒に思うかもしれないけども、食堂でみんなと食べるご飯も美味しいし、ここは君の学校の生徒も多いから、きっと楽しく過ごせると思うよ。みんな、いい子たちだしね」
「ふふ、そうですか」
目を細めてそう語る寮長に、亜希もつられて笑顔がこぼれた。
確かに毎日一人で過ごすより、誰かがいる方が楽しそうではある。
乗り気でなかった寮生活だが、思っているよりずっと面白いかもしれない。
階段を上がりながら、亜希は心を開きかけていた。
真面目そうな四角い黒縁の眼鏡をかけて、人のよさそうな笑顔を浮かべる、この寮長に……
しかし2階への最後の階段を上がろうとした、その時――
ガンッ!
2階の奥から物騒な物音が轟き、寮長が慌てて声を上げた。
「くっ、久住さん?!」




