第1話(4) ぴゅー
――で、めでたく大阪の専門学校へ通うことになった、2010年の春――
特急電車に揺られること4時間。
まんまと憧れの大阪に移住することに成功した亜希は、新大阪駅のホームに降り立つと小さくガッツポーズした。
亜希は右に目をやった。
〘……さすが大阪……〙
左にも目をやった。
〘これだけ人がおれば……〙
と怪しげに笑みを浮かべる――
〘自分のことを好きになってくれるお姉さんの、
1人や、2人や、もしかしたら3人、4人も……!〙
ピンコーン! ガシャンッ!
「す、すみません…」
妄想に気を取られた亜希は改札を通るのに失敗した。
〘イカンイカン、期待に胸が高鳴り過ぎじゃ〙
「ふんふん~♪」
「うわっ危なっ」
と、反省した亜希が、傘をぐるぐると回しながら構内を歩いていた、その時――
「うわ、めっちゃ美人!」
〘そう、できれば美人のお姉さんの――えっ、美人?〙
『美人』と聞こえて、亜希は足を止めた。
ふと見ると、周囲のサラリーマンたちが亜希の後ろを見ながら、口々に「かわいい」とこぼしていた。
〘大阪の美人? ――はたしていかほどの――〙
くるりと後ろを振り返る亜希。
と、向こうで、肩にトートバッグを掛けた女の子が
「あっ」と小さく声を上げた。
ばささーっ!
女の子の手から大量のプリントが床に落ち、周りにいた男共が一斉に彼女の足元に群がる。
「俺が拾うっ」
「いや俺がっ!」
〘そ、それほどの美人っ?!〙
大阪のリーマンたちの勢いに呆気に取られる亜希。
と、足元に、すっ……と1枚のプリントが流れてきた。
「…ん?」
拾い上げると、『会計学』の文字……何やら難しそうな問題が載っていた。
「勉強のプリント……?」
亜希が拾ったプリントに気を取られている間、女の子はサラリーマンたちからにこやかにプリントを受け取りつつ、しかしその後の誘いにはつれなくフイ、と背を向けていた。
「どうぞ!」
「ありがとうございます」
「あの、これ僕の連絡先――『30代で家が建ち、40代で墓が立つ』って聞いたことあります? 僕、あの超優良企業の――」
「はは、結構です。ありがとうございました」フイ。
「あれー? 1枚足りん」
〘うげ、きれい……〙
亜希は首を傾げる女の子の、その均整の取れた後ろ姿にドキリとした。
まっすぐと落ちた薄茶色の髪の遊ぶ細い肩――
その肩から彼女の細い腰までをなぞるように薄手のニットがやわらかに落ち、裾の下に淡いブルーの細身のジーンズがすらりと続いていた。
「あの、こっちにも落ちて……」
「あ。」
亜希が気後れしつつ声を掛けると、彼女が気付いて振り返った。
薄茶色の髪がサラとこぼれ、耳元でシルバーのピアスが揺れる――
彼女がにこりと笑った瞬間――亜希の心に、ぴゅーと春風が吹いた。
〘――す、好きかも知れん、大阪……!〙
左右に流れた薄茶色の髪から覗く、ゆるやかに垂れた瞳。
にこりと笑う彼女の、その横長の深く大きな瞳に見つめられ、亜希はぽうっとなった。
「ど、どうぞ…」
「ありがとうございます」
春風に吹かれた亜希は、舞い上がりながら、プリントを差し出した。
その時どこからともなく本物の風が吹いてきて、プリントもヒュッと舞い上がった。
「あっ」同時に声を上げ、見上げる二人。
「てやっ」ぱしっ!
「あっ」
さっきのリーマンがジャンピングキャッチした。
「……ありがとうございました」
「いえ、あ、よかったら連絡先――」
「結構です」
リーマンが乱れたネクタイを直しつつもう一度ナンパを試みるも、彼女は距離を取りつつ、いそいそとバッグにプリントを仕舞った。
「…じゃ。」にこ。
彼女は亜希に礼と笑顔を残すと、去っていった。
亜希の心の中にはぴゅーと春風が吹き続けていた。
横で連絡先を握りしめながら彼女を見送るリーマンを肘で押しのけつつ、亜希も彼女の後ろ姿に小さく手を振ったのだった。




