「ひな祭りのベル」
朝 桃の花を飾る
三月三日の朝。
美咲が受付に、桃の枝を花瓶に活けていた。まだつぼみも多かったが、ところどころ淡い桃色の花が咲いている。
「今日はひな祭りですからね」
美咲が微笑む。
待合室がふんわりと華やぎ、まだ寒い外の空気とは違う春の気配が広がった。
女の子とベルの到着
午前の診療が始まるころ、ベルと女の子がやってきた。
女の子は桃色のリボンを髪につけ、手には小さな折り紙のお雛様を抱えている。
「先生、これ作ったんです!」
折り紙のひな人形は少し歪んでいたが、色とりどりで温かみがあった。
「すごいな。飾らせてもらおう」
私は受付の桃の花の横に置いた。
ベルはしっぽを振り、まるで自分が作ったかのように胸を張っていた。
待合室のひな祭り
その後も診察に来た飼い主たちが、桃の花や折り紙を見て話題にした。
「かわいいですね」
「うちの子にも見せたいな」
「ひな祭りって、女の子だけのお祝いかと思ってたけど、こうして見ると家族の行事ですね」
リクの飼い主の加藤さんは「昔、娘に雛人形を買ってやったなあ」と懐かしそうに語り、チャイとモカの夫婦は「我が家は片付けが大変で……」と笑っていた。
ユキの飼い主は桃の花を見つめて「春が来るんだなあ」とつぶやいた。
女の子の願い
診察を終えたあと、女の子が少し恥ずかしそうに言った。
「ベルも女の子だから、ひな祭りしてあげたいの」
私は笑いながら「そうだな。ベルにも今日は特別なお祝いをしてやらなきゃな」と答えた。
美咲は急いで紙皿を持ってきて、犬用のおやつを可愛く並べ、「ベルのおひなさまケーキ」に仕立てた。
女の子は目を輝かせ、ベルはしっぽをぶんぶん振って大喜びで食べていた。
夕方 思い出の飾り
夕方になると、女の子とベルは帰っていった。
「先生、折り紙はここに置いていいですか?」
女の子の声に、私は「もちろん」と答えた。
折り紙のお雛様は、桃の花と一緒に待合室に残った。
患者さんが帰ったあとも、その小さな飾りが温かな余韻を漂わせていた。
夜 春の気配
診療が終わり、美咲が受付を片付けながら言った。
「今日は待合室が明るかったですね。お雛様と桃の花のおかげです」
私はうなずいた。
「季節を感じるものがあると、人の心も動物の表情もやわらぐな」
窓の外にはまだ冷たい風が吹いていたが、心には春の灯りがともっていた。




