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動物病院日誌   作者: じょんどぅ


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深夜の救急車と、夏の脱水サイン、あるいは夜風に消えゆく水分

深夜の救急車と、夏の脱水サイン、あるいは夜風に消えゆく水分


### 1. 真夜中のインターホンと、乾いた粘膜


八月の終わり。夜になっても熱気が引かない、むせ返るような熱帯夜の午前二時。

静まり返った動物病院の夜間救急のインターホンが、鋭く鳴り響きました。


慌てて扉を開けると、そこには14歳の高齢のゴールデン・レトリバー「リッキー」君を抱きかかえるようにして駆け込んできた、パジャマ姿の村上さんの姿がありました。


「先生、急にリッキーが立てなくなって……! 呼んでも返事もしないし、口を開けたらベロが真っ白で、触るとなんだか体がすごく熱いんです。お水はさっきまで少し飲んでいたはずなのに、どうしてこんなことに……!」


診察台に横たわったリッキー君は、意識が朦朧とし、目はうつろ。唇の裏側をそっと指で触れてみると、潤いが一切なく、まるで乾いた紙のようにベタついています。血圧は下がり、皮膚をつまんでも元の形に戻るまで数秒かかるほどの「重度の脱水症状」を起こしていました。


「村上さん、よくすぐに連れてきてくださいました。リッキー君の体は今、真夏の熱気と隠れ脱水によって、すべての水分が奪われかけています。一刻を争う点滴の処置を始めましょう」


### 2. 高齢犬が陥る「知らぬ間の脱水スパイラル」


若い頃なら何ともない暑さでも、シニアの年齢を迎えた動物たちにとっては、夏の夜は命を脅かす過酷なサバイバルになります。


* **喉の渇きを感じるセンサーの老化:** シニアになると、脳にある「喉が渇いた」と感じる中枢の機能が衰えます。そのため、体はすでに水分を欲しているのに、自分からお水場へ行ってガブガブと飲むことができなくなります。

* **ハァハァ(パンティング)による水分の蒸発:** 夜間の蒸し暑さの中で口を開けて激しく息をすることで、呼気と一緒に体内の水分がどんどん奪われていきます。

* **血液ドロドロの恐怖:** 体の水分がわずか数パーセント失われるだけで血液が濃縮され(ドロドロになり)、脳や腎臓などの重要臓器に十分な酸素や栄養が届かなくなります。これが、シニア犬の突然の立てなさや意識低下を引き起こす最大の原因です。


### 3. お家でできる「2秒の皮膚チェック」と命の水やり


「まさか、リッキーが自分でお水を飲めなくなっていたなんて……。気づいてあげられなくて本当にごめんなさい」と涙ぐむ村上さんに、僕は日常でできる簡単な脱水のサインを伝えました。


1. **「テントテスト(皮膚のつまみチェック)」の極意:** リッキー君の首の後ろの皮膚を、親指と人差し指でそっとつまみ上げて、パッと離してみてください。健康で水分が足りている体なら、皮膚は一瞬で元のピタッとした状態に戻ります。しかし、脱水していると、つまんだ形が「テントのように持ち上がったまま、ゆっくりとしか戻らない」状態になります。これが、見た目で分かる最初のSOSサインです。

2. **「お水」だけでは足りない夜もある:** 脱水が少し進んでしまったときは、ただの水よりも、動物用の経口補水液(ミネラルや電解質が素早く吸収されるもの)をスポイトやシリンジで少しずつ口の端から含ませてあげるのが効果的です。

3. **夜間もエアコンと加湿・除湿の黄金バランス:** 「冷えすぎるから」と夜中にエアコンを切ってしまうのは厳禁です。室温は $26^\circ\text{C}$ 前後に保ちつつ、湿度が上がりすぎないように除湿を効かせたお部屋で、愛犬がいつも寝ている場所のすぐ近くに、複数のお水場(器)を配置してあげましょう。


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### 4. 蘇る呼吸と、夜明けの安堵


点滴のルートから、リッキー君の血管へとスッと冷たくて優しい輸液が流れ込んでいきます。

治療を始めてから30分ほど経つと、リッキー君の乾燥していた口の粘膜に少しずつピンク色のツヤが戻り、ぐったりとしていた瞳に力強い光が灯りました。


「……ワン」と小さくかすれた声で鳴き、リッキー君がぐっと顔を持ち上げて村上さんの手をペロリと舐めました。


「リッキー……! よかった……本当に、よかったぁ……!」

村上さんはリッキー君の温かくなった頭を強く抱きしめ、堰を切ったように涙を流しました。


「村上さん、よく頑張りましたね。あと少し遅かったら、本当に危険な状態でした。リッキー君の体は、今夜の点滴でしっかりと水分を取り戻しましたよ」


### 5. 白み始める空と、診察室の明かり


「先生、お疲れ様です。深夜の脱水は、本当に怖いですね。おじいちゃんワンちゃんたちって、苦しくても自分で言葉にできないから、私たちが気づいてあげなきゃいけないんだなって改めて思いました」

看護師の河野が、点滴の空ボトルを片付けながら静かにつぶやいた。


「そうだね。夏の夜の静けさは、時にとても残酷な牙を隠している。でも、こうして小さなサイン(皮膚の戻りや、口の中の乾き)を知っていれば、最悪の事態を防ぐことができる。シニアの命を守るのは、派手な治療じゃなくて、こうした日々のほんの些細な『触れ合いの優しさ』なんだよね」


窓の外を見ると、京都の東の空がゆっくりと白み始め、夏の終わりの朝陽が鴨川の水面を黄金色に染め上げていました。

熱帯夜の闇の中に、音もなく忍び寄る干からびた影に。

命をつなぐ確かな点滴と、夜通し寄り添う温もりを。

どんなに厳しい夏の夜が巡ろうとも、大好きな人の優しい手のひらの中で、朝の光を穏やかに迎えられるように。

僕たちの動物病院の明かりは、今夜もすべてのシニア犬たちの「命の泉」を、温かい風と共に守り続けます。


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