「夏の虫たちの訪問」
真夏の朝
8月に入り、病院の庭は夏の盛りを迎えていた。
朝から照りつける日差し、蝉の大合唱。
紫陽花の花は枯れ、百日紅が鮮やかな紅を見せている。
「先生、朝からセミがすごい声ですね」
受付でカルテを整理していた美咲が、うちわで顔をあおぐ。
「セミも命がけだからな。動物たちもびっくりするかもしれない」
私は笑いながら答えた。
その予感どおり、この日は庭の小さな訪問者たちが、思わぬ騒動を巻き起こすことになる。
午前 ベルとセミ
午前最初に来院したのはベルと女の子。
診察を終えて庭を歩いていると、足元から突然「ジジジッ!」とセミが飛び立った。
「きゃっ!」
女の子が驚いて声を上げると、ベルも思わず「ワン!」と吠えて後ずさる。
「びっくりしたね」
女の子はすぐに笑顔になり、ベルの頭をなでる。
セミは空高く飛び去っていき、二人と一匹はその姿を追いながらしばし立ち尽くした。
小さな出来事が、夏の思い出の一コマになるようだった。
午前後半 リクとトンボ
次に来院したリクと加藤さん。
待合室で順番を待っていると、網戸に一匹の赤とんぼがとまった。
「リク、見てごらん」
加藤さんが指さすと、リクは真剣な眼差しでトンボを凝視。
しっぽを小刻みに振り、飛びつきそうな勢いだ。
しかしトンボはふわりと飛び立ち、外の空へ消えた。
リクは少し残念そうに鼻を鳴らす。
「狩りの本能がうずいたんでしょうね」
私は笑いながら診察に呼んだ。
夏の虫たちは、犬や猫にとって格好の“刺激”だった。
昼 チャイとモカの追跡劇
昼休み前、チャイとモカをご夫婦が連れてきた。
窓辺に座ったチャイが、突然「カカカッ」と声を上げる。
ガラス越しに蝶がひらひらと舞っていたのだ。
モカもすぐに参戦し、二匹で窓に飛びつく。
ご夫婦は慌てて抱き上げながら、
「また虫を見つけたんだね」
と笑った。
蝶はしばらく花の上で舞い、やがて空へ飛び去った。
チャイとモカはまだ名残惜しそうに窓を見つめていた。
午後 ユキと影絵
午後にはユキがやって来た。
診察のあと、待合室で静かに横になっていると、外から飛んできたセミが網戸にとまった。
ユキは目を細め、網戸に映る影をじっと見つめる。
動く影に合わせて首をかしげる姿は、どこか神秘的だった。
「ユキは騒がずに観察するんですね」
飼い主さんが微笑む。
その落ち着いた様子に、待合室の空気も自然と和らいでいった。
夕方 虫たちの合唱
夕方になると、蝉の声に加えて、草むらからコオロギの鳴き声も聞こえてきた。
昼の喧騒から、少しずつ夜の音色へと変わっていく。
待合室にいた子どもが耳を澄ませて言った。
「なんか、歌ってるみたい」
犬や猫もそれぞれの表情で耳を動かし、虫たちの合唱に耳を傾けていた。
そこには、不思議と心が落ち着く時間が流れていた。
夜 静かな余韻
診療が終わり、病院の庭に出ると、夜の虫の声がより一層響いていた。
昼間に見た蝶やトンボ、そしてセミたちの姿が思い出される。
「先生、今日は虫たちが主役でしたね」
美咲が笑う。
「動物たちにとっても、いい刺激になったみたいだな」
私は空を見上げる。
星の瞬きと、虫の声。
それらすべてが、夏の夜をやさしく彩っていた。




