「春、新しい命」
春風の朝
三月の終わり、病院の前を吹き抜ける風はもう冬の冷たさを含んでいなかった。
商店街の店先には桜色の飾りが揺れ、通りを歩く人々の足取りも軽やかに見える。
「先生、今日は新しい患者さんの予約がありますよ」
美咲がカルテを確認しながら声をかけてきた。
「子犬と子猫、それから……小鳥も」
「春らしいね」
私は微笑みながら診察室の準備を整えた。
午前 子犬のソラ
最初にやって来たのは、生後三か月の柴犬・ソラ。
元気いっぱいで、キャリーから出るなり診察室を駆け回ろうとした。
「こらこら、まだ診察してないぞ」
私が抱き上げると、ソラは舌を出して嬉しそうに尻尾を振った。
予防接種と簡単な健診を済ませると、飼い主の若いご夫婦は安心した様子でうなずいた。
「この子と一緒に、たくさん思い出を作りたいです」
その言葉に、美咲も目を細めていた。
午前後半 子猫のハル
続いてやって来たのは、小さな三毛猫のハル。
まだ掌に収まるほどの大きさで、診察台に置くと心細そうに鳴いた。
女の子がキャリーを抱えていて、「拾ったんです」と少し緊張した声で話してくれた。
「うちで飼うことになって、元気かどうか心配で……」
体重を量り、体温や状態を確認する。
「少し痩せてるけど、問題はない。しっかり食べさせれば元気になるよ」
そう伝えると、女の子はほっとして笑顔を見せた。
美咲がそっとハルを抱き上げると、小さな体がぴたりと彼女の胸に寄り添った。
「春に来たからハル、なんだって」
女の子の言葉に、待合室の空気も優しく和んだ。
午後 小鳥のチュン
昼過ぎ、次に来たのは黄色い羽のセキセイインコ。
名前は「チュン」。
飼い主のおばあさんは「この子が孫みたいでね」と嬉しそうに話していた。
「初めての健診で、ちょっと心配なんです」
鳥かごを開けると、チュンは小さく鳴き、私の指先にとまった。
羽の状態も良好で、体重も問題なし。
「健康そのものですね」
そう伝えると、おばあさんは「よかった」と涙ぐむように笑った。
小鳥がもたらす喜びが、言葉を超えて伝わってきた。
常連たちとの出会い
この日、待合室には偶然にもリクと加藤さん、ベルと女の子、チャイ&モカ、そしてユキも姿を見せていた。
元気な子犬ソラを見て、リクは静かに寄り添うようにしっぽを振り、
ベルは「遊ぼう!」とじゃれかかろうとして女の子に止められていた。
ハルを抱えた女の子は、チャイとモカのやんちゃぶりに「大きくなったらあんな風になるのかな」と笑い、
ユキは窓辺で凛とした姿を見せながら、新しい命たちを見守るようにしていた。
夜 春の余韻
診察が終わり、カルテを整理しながら美咲が言った。
「今日は“春”がいっぱいでしたね」
「そうだな。新しい命が集まるのは、春ならではだ」
私は窓の外に目をやった。
街路樹の桜が、もうすぐ花を開きそうにふくらんでいた。
命の始まりを見守れること。
それが、この仕事の何よりの喜びだと改めて感じた。