「春の健診日和」
三月の暖かな朝
三月も半ばになると、冷たい風の中にもやわらかな日差しが混じり始める。
「ひだまり動物クリニック」の前の道には梅の花が咲き、春を告げる香りが漂っていた。
「先生、今日は予約が多いですね」
カルテをめくりながら美咲が言う。
「春の健診シーズンだからな。狂犬病の注射やフィラリアの検査で、毎年この時期はにぎやかになる」
私は笑いながら診察室を整えた。
午前 リクの健診
最初にやって来たのはリクと加藤さん。
リクは少し緊張しているようで、診察台の上で固まってしまった。
「大丈夫、大丈夫」
加藤さんが優しく声をかけ、私は心音や体調を確認する。
注射の時、リクはほんの一瞬だけ目をぎゅっと閉じたが、すぐに落ち着いた。
「さすがリク。がんばったな」
そう声をかけると、リクはしっぽを一度だけゆるやかに振った。
加藤さんは「この子も年をとってきたけど、まだまだ元気でいてくれるな」と嬉しそうに笑っていた。
午前後半 チャイとモカ
次に現れたのはチャイとモカ。
キャリーから出ると、二匹は診察台の上を元気に走り回り、なかなか落ち着かない。
「先生、この子たち注射嫌いで……」
ご夫婦が苦笑する。
私は美咲に手伝ってもらい、やんちゃな兄弟を順番に診察した。
「はい、チャイ終了。よく頑張った」
「次はモカだよ。怖くないよ」
二匹は「にゃー!」と声をあげて抗議したが、終わるとすぐにケロリとして、ご夫婦の腕に飛び込んでいった。
「先生、美咲さん、ありがとうございました」
飼い主さんの安堵した笑顔が印象的だった。
午後 ベルと女の子
昼過ぎ、ベルと女の子が元気に来院。
女の子は「ベル、今日は注射だよ、がんばろうね!」と励ましている。
ベルは診察台の上で少し落ち着かず、しっぽをぱたぱた振っていた。
「大丈夫。すぐ終わるよ」
注射が終わると、ベルは「えっ、もう終わったの?」という顔をして、美咲にすり寄った。
女の子は「ベル、えらかったね!」と頭をなで、ポケットから犬用ビスケットを取り出してご褒美をあげた。
待合室には春らしい笑顔が広がっていた。
午後後半 ユキの健診
ユキも健診にやって来た。
キャリーから出ると、診察台の上にすっと立ち、青い瞳をまっすぐ向けている。
「ユキちゃんは落ち着いてますね」
美咲が感心して言う。
体調は良好で、血液検査も問題なさそうだった。
飼い主さんはほっとしたように息をつき、
「この子と一緒に、春を迎えられるのが嬉しいです」と微笑んだ。
夕方のひと幕
一日の健診ラッシュがひと段落した頃、待合室にはちょっとした交流が生まれていた。
ベルの女の子が「リクくん、すごく落ち着いてたね!」と声をかけると、加藤さんは「いやいや、少し怖がってたんだよ」と笑った。
チャイとモカをご夫婦が抱えながら「うちのは騒がしくて」と言うと、女の子は「でもかわいかった!」と元気に答えた。
小さな会話の輪の中で、動物たちもそれぞれのんびりとくつろいでいた。
待合室は、健診の日というよりちょっとした春祭りのようだった。
夜 春の訪れを思う
診察が終わり、カルテを整理しながら美咲が言った。
「今日は本当ににぎやかでしたね。でも、健診でみんな元気なのを確認できると、安心します」
「そうだな。春を迎える準備ができたってことだ」
私は窓の外を見やった。
そこには梅の花が月明かりに照らされて、ほのかに揺れていた。
動物たちと飼い主さんが、また新しい季節を一緒に迎えられるように――
それが、この病院にとって一番の喜びだった。