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「子猫の相談と秋の午後」

1日1話投稿を目標に!

朝の始まり


秋の風は少し冷たく、けれど陽だまりに入るとやわらかな温もりが広がる。

そんな季節の朝、私はいつものように「ひだまり動物クリニック」の鍵を開けた。


カラン、と小さなベルが鳴る。

まだ診察時間前なのに、待合室には三組の飼い主と動物たちの姿が見えた。


「おはようございます、先生!」

受付から顔を出したのは看護師の美咲だ。

二十代前半の明るい女性で、いつもテキパキと仕事をこなしながら、動物にも人にも自然に笑顔を向けられる。


「おはよう、美咲さん。今日も忙しそうだね」

「はい、すでにリリーちゃんも来てますし、あと猫ちゃんのキャリーが二つ。午前中は満員です」


私はコーヒーを一口で飲み干し、白衣に袖を通した。

今日も慌ただしい一日になりそうだ――そんな予感が、しかし不思議と心地よい。


リリーの診察


最初の診察室に入ってきたのは、ダックスフントのリリー。

小柄でつややかな黒い毛をしているが、もう十歳を越え、年齢の影響も見え始めている。


飼い主の中年女性は、リリーを大切そうに抱きかかえながら言った。

「先生、この子、夜になると咳が止まらなくて…心配で」


私は聴診器を胸に当て、静かに耳を澄ます。

リリーの心臓はしっかり動いているが、その音の合間に微かな雑音が混じる。

肺の音にも少し湿った響きがある。


「心臓が弱ってきているのかもしれません。年齢的にもよくあることです」

私はやわらかい口調で伝える。

「血液検査とレントゲンをとって、状態を詳しく見てみましょう。早めにお薬を始めれば、まだまだ元気に過ごせますよ」


女性の表情が少し和らぎ、リリーを撫でながら「お願いします」と答えた。

その瞬間、診察室の空気が重苦しい不安から、未来への希望へと変わる。

――この変化を見ることが、獣医師としての大きな喜びのひとつだ。


子猫との出会い


午前の診察が続き、時計の針が十一時を少し過ぎた頃。

若い夫婦がキャリーケースを二つ抱えてやってきた。


「先生、この子たち、家の前で拾ったんです」

奥さんが少し不安げに言う。


キャリーを開けると、まだ生後二か月ほどの子猫が二匹、きょとんとした目でこちらを見つめていた。

一匹は茶トラで、元気いっぱい。

診察台の上で落ち着かず、前足を伸ばして探検を試みる。

もう一匹は白黒のハチワレで、台の隅に座り込み、じっとこちらを観察している。


「この子たち、性格が全然違いますね」

私は思わず笑った。


夫婦はうなずきながら言う。

「そうなんです。茶色い子はよく鳴いて、白黒は静かで…でも二匹とも、くしゃみをしてて心配で」


私は体温を測り、耳や目、口の中を丁寧に診察する。

小さな鼻から「くしゅん」とかわいらしい音が漏れるたび、夫婦は「ああ…」と心配そうに見守った。


「軽い風邪ですね。子猫によくあることです。お薬を飲めばすぐ良くなりますよ」

そう説明すると、夫婦はほっと胸を撫で下ろした。


さらに、寄生虫の予防やワクチンの必要性を一つ一つ説明していく。

二人は真剣にメモを取り、うなずきながら聞いていた。

その姿を見て、私は心の中で「この子たちは幸せになれる」と確信する。


診察が終わる頃、茶トラが私の白衣の袖をカプッと噛んだ。

「こらこら、診察台はおやつじゃないぞ」

思わず笑うと、ハチワレも控えめに尻尾を振った。

小さな命たちが、これからどんな毎日を過ごすのだろうと想像すると、胸の奥が温かくなる。


昼のひととき


昼休憩、美咲と簡単にコンビニのおにぎりを食べる。

「先生、さっきの子猫ちゃんたち、可愛かったですね」

「うん。元気に育ってくれるといいね」


窓の外では、街路樹の葉が赤や黄色に染まり始めていた。

短い休憩の間にも、病院の電話は鳴り続ける。

「午後はハムスターとウサギの予約も入ってます」

「よし、午後も頑張ろう」


疲れを感じる間もなく、また午後の診察が始まった。


午後の診察と再会


午後は小さな動物たちが多かった。

元気いっぱいの柴犬のワクチン接種、ウサギの爪切りにドキドキする小学生の女の子、ハムスターのかゆみ相談…。

診察室はまるで小さな動物園のようで、忙しいけれどどこか微笑ましい。


そんな中、午前に来た子猫の夫婦が再び病院を訪れた。

「先生、ちょっとご報告があって」


二人が差し出したのは、小さな手書きのメモ。


『茶トラ=チャイ  ハチワレ=モカ』


「名前を決めたんです。これからずっと一緒に暮らすので」


その言葉に、美咲と私は思わず顔を見合わせ、同時に笑顔になった。

チャイとモカ――新しい名前を呼ばれた二匹は、まるで理解しているかのように小さく鳴き、尻尾をふるふると動かした。


「いい名前ですね。二匹とも、幸せ者だ」

私の言葉に、夫婦は照れくさそうに笑った。


一日の終わり


夕方、診察が終わる頃には外はすっかり夕焼け色に染まっていた。

今日も数多くの動物を診て、正直体は疲れている。

けれど不思議と、心は満たされていた。


診察室の机の上には、今日のカルテが山のように積まれている。

その中で、ひときわ目に留まるのは「チャイ」「モカ」と書かれた新しいカルテだ。


小さな命が飼い主に出会い、名前をもらい、家族になっていく。

その瞬間に立ち会えることこそ、この仕事の一番のやりがいだと改めて思う。


「先生、明日も朝から予約ぎっしりですよ」

美咲の声に私は笑って返す。

「分かった。明日もがんばろう」


白衣を脱ぎ、窓の外の夕焼けを見上げる。

きっと明日もまた、忙しくも癒される一日が待っているに違いない。

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