1.プロローグ
白い天井。
点滴の管が細い腕に繋がり、規則正しく機械が心音を刻んでいた。
小夜は、枕元に積まれた本のひとつを開きながら、そっと笑みを浮かべていた。
ページの挿絵には、江戸の町並みが描かれている。
木造の家々、路地を流れる水、軒先で笑い合う人々。
「……いいなぁ。こういう暮らし」
声は弱々しいが、目はきらきらと輝いていた。
病室の外では雪が降っている。冷たさを思わせる白銀の光景の中、
小夜の胸には不思議なあたたかさが広がっていた。
小夜は生まれつき体が弱かった。
走ることも、思いきり外で遊ぶこともできなかった。
でも、代わりに心の中ではいつだって冒険をしていた。
アニメや小説、歴史の本を通して、知らない時代や世界を旅していたのだ。
とくに惹かれたのは江戸。
「銭湯」「上下水道」「祭り」――。
庶民が肩を寄せ合い、笑いながら暮らす姿に、自分もそこに混じりたいと心から願った。
「もし……」
弱い声で呟く。
「もし、次に生まれ変われるなら……わたしも、ああいう世界で……」
本を閉じると、視界が少しずつ霞んでいく。
痛みや苦しみは不思議と薄れ、胸には静かな安らぎが満ちていた。
最後に浮かんだのは――湯気に包まれて笑う人々の光景。
そして、小夜は静かに目を閉じた。
ーーーーーー
……あたたかい。
冷たい病室の空気ではなく、胸いっぱいに広がるやわらかなぬくもり。
「……っ!」
次の瞬間、肺が大きく膨らみ、のどから声が溢れ出す。
「おぎゃぁぁぁ!」
響く産声。
小夜――いや、新たに生まれた「私」は、両手両足をばたつかせながら、強く、生を告げていた。
「……元気な子ですよ」
「ほら、ご覧になって」
優しい声。抱き上げられると、見下ろすのは涙を浮かべた美しい女性。
彼女はそっと頬を寄せて、囁いた。
「……ようこそ、コルネリア。私たちの愛しい娘」
父の腕は逞しく、誇らしげで。
兄と姉は興味津々に覗き込み、「妹だ!」と笑っていた。
胸が熱くなり、涙がにじむ。
「わぁ……生きてる……! 息ができる……! 体が動く……!」
心の中で何度も叫ぶ。
その声はもちろん届かない。
けれど――母の胸に抱かれた温かさが、すべてを物語っていた。
「……私、今度こそ幸せに生きるんだ」
小さな瞳に、新しい家族の笑顔が映った。
こうして、ヴォルクハイト家の令嬢、コルネリア=ヴォルクハイトの新しい物語が始まった。