98 ゴッドハンド大利
奥多摩経済担当大臣、蜘蛛の魔女さんの有能ぶりは全く大したものだった。
なにしろ俺が死んでから、俺の資産は全く減っていない。これは80年の歳月による通貨価値インフレを加味した上での数字だ。
前時代の一万円は、新通貨千円に相当する。しかしインフレが進み、現在は新通貨千円で買えた物が五千円出さないと買えないようになっている。物価は五倍だ。
生前、俺は新通貨で一億円の現金を貯めていた。80年放置していた場合、インフレのせいで実質貯蓄は1/5になる。金というものは使ってこそ価値があり、ただ死蔵していると勝手に価値が下がるのだ。
蜘蛛の魔女さんはその経済原理をキッチリ理解していて、資産運用によって俺の資産価値を維持してくれていた。つまり、現在の俺の資産は現金で五億円ある。物価が五倍になった一方で資産も五倍になったから、相対的に俺の資産価値は変動していない。
どういう資産運用をしていたのかといえば、具体的には二種類の特産品だ。
俺が死んでいる間、奥多摩には大きく分けて二種類の特産品ができていた。
まず一つはブランド米。
「おくた米」という安直なネーミングの高級米は、植物本人によって奥多摩の廃田を復活させ作られている。甘くモチモチして食べ応えのある「おくた米」は東北の「イナバヒメ」に並ぶ全国屈指の高級米として人気を博している。
蜘蛛の魔女の尽力により、外部の研究機関と提携し前時代の品種を掛け合わせ改良し奥多摩の風土に最適化されたおくた米は、新米の競り値を毎年更新しているとか。東京で高級宿に泊まれば大抵このおくた米が出てくる。
唯一の欠点は生産量が少ない事。奥多摩はそもそも山がちで田んぼが少ないから、どうしても広大な平野で大量生産されている他の高級米と比べて生産量が限られる。だからおくた米は高級米として人気者にはなれるが、覇権は取れない。
もう一つは蜘蛛糸布だ。
現代でスパイダーシルクといえば、奥多摩産の蜘蛛糸布を指す。スパイダーシルクには1~3等級まであり、1級は蜘蛛の魔女が作る。2級は蜘蛛の魔女の配下の蜘蛛系魔物の中でも乙類の者が作る。3級は丙類蜘蛛の糸だ。
奥多摩に出没した魔物はフヨウと蜘蛛の魔女、そして蜘蛛の魔女の手下蜘蛛によって駆逐される。魔物の死体を喰らって栄養に変え生産される蜘蛛糸は上質で、軽く汚れにくく頑丈で軽い魔法耐性まである。スパイダーシルクを使った衣類は東京名産の一つだ。
蜘蛛の魔女の尽力により、外部の超一流デザイナーと提携し、高級ブランドを立ち上げ販売されている1級スパイダーシルクのコートシリーズは一着八十万新円は下らない。前時代でいうところのカシミアコートのようなものだろうか? とにかく高いし、高いだけの価値があると広く認められている。
奥多摩交渉担当大臣、ヒヨリは外征して蘇生魔法を見つけてきてくれた。
奥多摩死亡担当大臣、大利はもちろん死んでいた。
奥多摩防衛担当大臣、フヨウは死んでいる俺を堅守してくれていた。
奥多摩経済担当大臣、蜘蛛の魔女は俺の資産を保全してくれていた。
残るは奥多摩可愛い担当大臣。二匹は転属してしまったので、俺の家にはモクタンだけが残っている。
モクタンは他二匹と違って縄張り探しに出るつもりが無いようだった。というか、モクタンが奥多摩に残るので、他二匹が縄張りを被せないよう旅に出た節がある。
人懐こいモクタンはフヨウや蜘蛛の魔女と仲が良い。フヨウのためにせっせと雑草を燃やし灰を作り土を肥したり、蜘蛛の魔女の古寺に遊びにいって寝物語をねだったり、いつも仲良く楽しそうにしている。
俺も最近は魔王グレムリン分解の息抜きに、モクタンと一緒に炭焼きをしたり炎色反応で遊んだりしている。
モクタンは本当に人懐こい。
だからこそ、俺も埋め込んでいた火蜥蜴グレムリンを摘出する覚悟ができた。
グレムリンを摘出しても、モクタンはきっと俺を嫌いになったりはしない。
グレムリン摘出の理由は主に二つ。
一つは魔法的死への対策だ。主に保有魔力最大値がゼロになる事によって起こる魔法的死は、世界からの完全消滅であり、蘇生魔法でも復活できない。今の俺の保有魔力は6.1Kだが、脱影病のような魔力最大値を削ってくる病気に罹れば危ないラインだし、魔力回復薬をガブ飲みしても危ない。
体にグレムリンを埋め込んでいる限り、魔力鍛錬によって魔力最大値を伸ばせない。だからグレムリンを摘出し、魔力鍛錬によって魔力最大値を伸ばし、魔法的死を遠ざける事が必要だ。
もう一つは転移魔法を覚えたいからだ。
現代では最高で三層構造の魔法杖が製造・販売されている。これは転移魔法を利用した製法によるものだ。
現代には転移魔法というものが存在する。一番高等な転移魔法でも無機物限定対象、転移可能距離1km未満、他にも色々制限が多いから、そんなに無法な性能ではないのだが、なんといっても転移魔法だ。テレポートである。グレムリンの内部をくりぬくように転移させてしまえば、俺の超絶技巧に頼らずとも多層構造コアを作る事ができる。
もっとも、望むがまま自由自在のテレポートは不可能。
1mmのグレムリンを1.2mm先に誤差0.1mmで転移! みたいな器用なマネはできない。
転移魔法の使い手もアレコレ工夫を凝らし精密な転移をしようとするのだが、それでも甲1類魔物の大型グレムリンを使ってさえ、三層構造にするのが精一杯なのだとか。それ以上は転移時の誤差のせいでうまくいかない。
俺は器用だから、転移魔法無しで転移魔法以上の加工ができる。だが、転移魔法製法には非常に興味がある。やってみたい。
聞けば、転移魔法加工に使用される下級転移魔法の消費魔力は50Kだという。一般人にとってはかなり消費が重いものの、グレムリンを摘出し、魔力鍛錬をすれば、俺なら届く。
グレムリンを摘出する理由があり。
そしてモクタンに嫌われないなら、摘出しない理由はない。
決意を固めた俺は工房にモクタンを呼んで小型炉の辺りに座らせ、自作医療用メスを使って左手甲のグレムリンをペペペッと摘出した。
即座に治癒スクロールで摘出痕を癒して消し、左手をプラプラ振って調子を確かめながら両脚を投げ出し座るモクタンに恐る恐る聞く。
「どうだ、モクタン。別人になっちゃった感じか……?」
モクタンはヒヨリ似の顔にヒヨリが絶対しないような間の抜けた表情を浮かべ、首を傾げた。
「うーん? オーリ、なんだか変なっちゃった。フヨウの髪枯れちゃった時みたい……?」
「どういう例えなんだそれは」
分かるような分からないような、でもやっぱりちょっと分かる例えを出され俺も首を傾げる。とりあえず違和感的な物はやはり感じるらしい。
そーっとモクタンに手を伸ばすと、モクタンは一瞬躊躇ったが、昔のように指先をペロペロ熱い舌で舐めてくれた。
手をヨダレでベトベトにされ、安心する。良かった、いつものモクタンだ。火蜥蜴と仲良くなった切っ掛けはグレムリンでも、そこから積み上げた交流による好感度は消えはしない。
「よーしよしよし。モクタン、可愛いなあ!」
「うん。私可愛い。モクタン・カワイーナ」
モクタンは継火に火力コントロールを習い、近づいても火傷するほどには熱くなくなっている。遠慮なく顎や髪や脇腹をわしわし撫でまわし可愛がってやると、モクタンは床にゴロンと腹を見せ寝転がりフニャフニャになった。
人型になっても幼体時代と仕草が変わらなくて、ますますニッコリしてしまう。
「よしよしよしよし……」
「ミミミ……オーリ、背中。背中もやって」
「よしきた。ここか、ここがいいのか」
「ミー。最高」
とろけるモクタンの注文に応え全身をわしゃわしゃしてやっていると、ガタッと音がした。
振り返ると、工房の入口にヒヨリが愕然とした顔で立っていた。塵取りを持っているところを見ると掃除をしてくれていたようだが、箒を取り落としてしまっている。
「お、大利? 何をやっている?」
「見れば分かるだろ。モクタンを撫でてやってる」
「オーリ、手が止まってる。もっとナデナデしてー」
「お、すまんすまん。よーしよしよしよし」
腰のあたりを丁寧にムニムニしてやると、モクタンはミーミー鳴いて喜んだ。モクタンは可愛いなあ!
俺はモクタンとのアニマルセラピーを堪能しているだけのはずなのだが、それを見るヒヨリはなんとも言い難い複雑な顔をしていた。
散々何かを言いかけては口を閉じ、を繰り返した後、慎重に言う。
「大利。あのだな、モクタンは、そのー、女子中学生ぐらいだ。外見的には。もう火蜥蜴じゃないんだ。分かるか?」
「お前俺の事ナメ過ぎ。そんなん見れば分かるだろ」
俺はモクタンのお腹を撫でまわしながら憤慨する。
確かに俺は色々ヌケてる所ありますがね。流石にモクタンが人型になってる事ぐらいわかるぞ。いくらなんでも見間違える方が難しいだろ。
「そっ、そうだな? 見れば分かるな。だから、あー。いやっ、誤解はしてない。私は。しかしだな、大利がモクタンを撫でていると、そのー……いかがわしい、というか……」
「いかがわしい……? どこが……?」
意味不明な事を言われ、困惑する。
ペットを撫でるのっていかがわしいのか?
今までモクタンを撫でていても一度もそんな事言わなかったのに。
なぜ今更になってそんな事を?
もしかして今まで俺がアニマルビデオだと思って観た数々の動画はアダルトビデオだったとでも言うのか? どっちもアルファベットだとAVだし。いやいやそんな馬鹿な。
ヒヨリの発言の意味が理解できず混乱していると、モクタンがハッと気付いて言った。
「分かった。青の魔女、オーリのナデナデ欲しいんだ」
「なるほど? いやなるほどではないな」
ヒヨリがマッサージして欲しいなら喜んで、だ。
しかしモクタンの閃きでは「いかがわしい」という発言の意図の説明がつかない。つまりどういう事なんだ?
「なあヒヨリ。俺バカだから自分で考えても分からん。モクタンを撫でてやるのがどういかがわしいのか教えてくれないか?」
「オーリのナデナデ、すごく気持ちいい。青の魔女もやってもらったら?」
「う゛……!」
「んー、よく分からんがとりあえず寝るか? ヒヨリの事気持ちよくしてやるよ」
「あ゛あ゛ッ! あ、頭がおかしくなりそうだ!」
ヒヨリは頭を抱え悲鳴を上げて悶え苦しんだが、脈絡の無い不可解な発作の後、「もってくれよ、私の正気!」と異常な気合の入れ方をして床にシートを敷き寝転がった。
いや、マッサージってリラクゼーションだぞ。そんな気合入れる物ではなくないか。
「あ、お客さん服はそのままで大丈夫ですよー。でも服の中の物は出して下さいねー」
「はあ、はあ。これはマッサージ。大利に他意は無い。これはマッサージ。逸るな私……」
ヒヨリはブツブツ言いながらローブの中身をぽいぽい出していった。
如何にも女子らしいハンカチやハンドクリーム、手鏡、日焼け止めの後に拳銃が出てきてちょっと引く。ま、まあ世の中には詠唱魔法封印魔法なんてモノがあるっぽいからな。こういう魔法に頼らないサブウェポンが重要なのは分かるが。実際見るとビビる。
そして拳銃の次に深淵金のインゴットと真空銀のカードが出てきて、俺は魔法金属についてまだ聞いていなかった事を思い出した。
幾何学集合グレムリン周りに夢中になり過ぎて聞きそびれてたな。それ系の論文にもまだ手をつけられていない。
「なあヒヨリ。こういう魔法金属って結局なんなんだ? 魔法文字に使う魔法合金の亜種?」
「これはマッサージ、これはマッサー……あ? なんだって?」
「これ。このインゴットとカードって結局なんなんだ」
「あ、ああ。そうか、まだ話してなかったか。えー、と、魔法金属は現状三種類見つかっていてだな」
ヒヨリ曰く、魔法金属には深淵金、真空銀、啜命鉄の三種類があるのだそうだ。どれもグレムリンを「燃やして」作られる。
継火の魔法火でグレムリンを燃やすと紫電を散らして消滅するのだが、この時の紫電を十分に特定の金属に浴びせると、変質を起こす。
金の場合、紫電によって変質した中間金属を深海の水圧で圧縮する事で深淵金になる。
深淵金は随魔金属とも呼ばれ、魔力コントロールによって自在に変形させる事ができる。インゴットを一つ持っておけば、剣にも盾にも鍋にも包丁にも変形させられる。
魔力コントロールによって簡単に変形する一方で、強度や硬度は非常に高い。極細の針にしたりしてもそう簡単には折れないので、深淵金製の工具は職人御用達となっているそうだ。
また、深淵金は煙草の魔女の魔法発動のために必要な触媒でもある。ヒヨリが深淵金で椅子を出していたのは、煙草の魔女の饗宴魔法の超劣化無詠唱再現なのだとか(本物の饗宴魔法は深淵金の皿からごちそうが湧いて出たりする)。
真空銀は銀を真空中でグレムリンの紫電に晒す事によって精製できる。
真空銀は発見からまだ十年程度しか経っておらず、単体ではどのような効果を持つのか分かっていない。判明しているのは、アミュレットと併用する事で魔法減衰空間を形成するという事だけだ。
真空銀とアミュレットを接触させると、アミュレットの魔力回復力場が魔法減衰力場に変化する。この力場内では、魔法の威力が無差別に減衰される。
「撃て」「凍れ」「焔よ」ぐらいの単純な基幹呪文なら完璧に無効化するし、超越者や魔人が魔力コントロールによって行う魔法への抵抗の代替にもなる。
ただ、自己強化魔法や治癒魔法も減衰してしまうし、帰還魔法などは魔力の流れが乱され不発してしまうから、魔法減衰空間も良し悪しだ。
ヒヨリの真空銀カードは一番ハイランクの超越者証明書だ。
近年、魔人が増えた事により、超越者と魔人の区別が難しくなった。そこでいちいち魔力の量を見せたり大魔法を使ったりしなくても身分を証明できるように作られたカードである。
超越者証明書は身分証であり、パスポートであり、警察手帳でもある。甲類魔物が出現した場合、カードを見せれば討伐のためにスムーズな協力が得られる。
特にヒヨリのカードは一番スゴイやつなので「このお方をどなたと心得る! 恐れ多くも世界最強、青の魔女にあらせられるぞ! 控えい!」みたいな使い方もできる。つよい。
啜命鉄はグレムリンの紫電で処理した中間金属を生物に取り込ませ、その生物に魔法的死を与え消滅させる事で作られる。製法がエグい。
啜命鉄は昨年発見されたばかりの魔法金属なので、性質は何も分かっていない。まだまだ研究段階だ。
「ふーん……真空銀が一番面白そうだな。グレムリンの性質を変えられるのか。でも魔王グレムリンはグレムリンだけで作られてるし、そう考えると先進魔法文明的にはグレムリンだけで十分なのか?」
「あー、大利? マ、マッサージは……?」
「すまん今忙しい」
ルーシ王国のクォデネンツがどうなのかは知らないが、魔王グレムリンに関してはグレムリン素材オンリーで作られている。
本当に高度な魔法文明にとって真空銀は高度な構造体の製造に必須ではない? たまたま魔王グレムリンがそうだっただけか? 地球文明でも高度なコンピュータと高度な薬品では当然素材がまるで違うわけだし。
魔法文明は真空銀を発見できておらず、地球文明が独自に発見したというのは自惚れ過ぎか? 深淵金はそれを前提とした詠唱魔法があるが真空銀は……むむむ。
魔法金属の謎について考え込み、ふと気が付くと工房に誰もいなくなっていた。
外はすっかり暗くなっていて、かなり長々と考え込んでしまっていたのが分かる。土間で練炭を齧っていたモクタンに聞くとヒヨリはションボリして帰っていったらしい。
悪い事をしてしまった。マッサージして欲しかったみたいだし、また今度来た時までにマッサージ教本を読んでちゃんとしたマッサージ法を勉強しておこう。
ヒヨリの身体内部構造で人間用のマッサージが効くか知らんけど、俺の器用さがあればなんとかなるだろう。
良かった、器用で。器用さ万歳!





