94 落ちこぼれ魔法大生の逆転論文
一族の落ちこぼれ、山上翔真を可愛がってくれたのは曽祖父である山上翔だけだった。
東京都北区の名門、山上家は代々武門で鳴らしている。
山上家は一族の血筋として、生まれつきの魔力保有量が非常に低い。開祖山上翔は0.2Kであったし、その子孫も0.2K~0.6K程度と、魔法が全く使えない最弱魔力で人生のスタートを切らされる。
しかしその代わりに、山上家は魔力鍛錬上限が非常に高い。鍛錬すればするほど魔力が伸び、200Kに達する事もザラ。山上翔は404Kに至り、人間としては世界最高の魔力保有量を記録しその記録は未だに破られていない。
防衛省の要職には山上の苗字が散見され、魔法大学戦闘学科の教授も一族の親類で、開拓隊に参加すれば諸手を挙げて歓迎され華々しい成果を上げる。
東京における優秀な魔術師の代名詞とすら言える一族だ。
その偉大な一族の始祖、山上翔は若かりし頃に大変な苦労をしたという。
魔力が少ないばかりに職を辞めなければならなくなり、落ちこぼれ、再起には多大な労力と多くの人の支えが必要だった。
酒の席では決まって警備隊時代の苦労話(警備隊は防衛省の前身組織である)が長々と語られるのが定番で、曾孫である翔真はよく曾祖父の膝に乗せられジュースを飲みながら話を聞いていた。
翔真の魔力保有量は0.8Kである。
0.2Kの初期魔力から0.6Kしか伸びなかった。
並外れた魔力鍛錬限界を持つ一族の中の落ちこぼれ。魔法を一つも使えない、魔術師名門の名折れだ。
翔真の資質の低さを知った両親の失望は深いものだった。
兄たちは魔力の少なさを面白がってからかってきたし、妹にもナメられ、祖父母ですら言葉には出さなかったが無関心が態度に出ていた。
実家の鍛錬場ではいつも端っこで息を潜める事になった。家族が魔法を撃ち、武芸を磨いているのを羨みながら黙々と基礎的な筋力トレーニングだけをやらされる日々は辛かった。どうして自分だけ、と枕を涙で濡らした日は両手の指では数えきれない。
曾祖父の温かな応援が無ければ、きっといじけて腐ってしまっていただろう。
一族の中で曾祖父だけは、翔真を信じてくれた。
いつかきっと、花開くと。
得意な事が見つかると。
例え今がどれほど辛くとも、諦めず進み続ければ答えは見つかると。
会えば必ずお菓子をくれ、子供の遊びにニコニコ付き合ってくれ、年季の入った賢者の杖に触らせてくれたりもした。
可愛がってくれた曾祖父は、翔真の魔法大学への推薦状を書いてくれた翌月に亡くなった。
もう翔真を庇護してくれる曾祖父はいない。
自分の足で道を切り拓いて行くしかない。
曾祖父がそうしたように。
魔法大学は入学の足切りラインとして魔力保有量5.0Kが設定されている。
翔真の保有魔力量は0.8Kであり、通常ならば門前払いされる。しかし、曾祖父の推薦状と小論文の提出によって特別選抜枠で滑り込む事ができた。
翔真は小中学生の間に散々魔力不足に苦しみなんとかしようとしたが、己の限界を受け入れ、技術方面の勉強と研鑽に打ち込んでいた。一族の全員が東京魔法大学戦闘学科に進学する中、翔真だけはグレムリン工学科に進学した。
翔真は電化製品に着想を得たユニークなアイデアを論文に起こし、それを提出する事で魔力保有量の足切りを免除された。
曾祖父は前時代を知る老人にありがちな電化製品所有癖があり、「スマートホン」や「パソコン」などの遺物コレクションを翔真に見せては、在りし日にそれらがどういう物として使われていたのか教えてくれた。
翔真の論文は曽祖父の影響を多分に受けたものであり、拙いながらも発展性が見込めるという評価を受け、入学直後からグレムリン工学科教授に目をかけてもらう事ができた。
が、「未来視にも分からない事はある」とはよく言ったもので、そこからの燻り方は予想外のものだった。
翔真の授業の成績は良かった。
しかし、取り組んだ研究の進捗は散々だった。実験を繰り返しても思うようなデータが採れず、加工は失敗の連続。理論の構想を練れば教授に全てにおいて穴だらけである事を指摘され何十回も突き返される。
グレムリン工学科の中でさえ、翔真は落ちこぼれになった。
魔法大学は四年制である。
一年目で基礎を学び、二年目で応用を学びつつ専門の方向性を定め、三年目で研究室に配属。そして四年目に卒業論文を書くのが通例だ。
しかし翔真は留年した。
卒業論文の提出が間に合わなかったのである。
大学には期限厳守の習わしがある。「期限に遅れるけどもう少し待って」は通用しない。
提出期限に間に合うよう全ての計画を組む事を含めての卒業論文発表なのだから、間に合いませんでした、は通らない。
幸いなのは、グレムリン工学科の教授が翔真を見捨てなかった事だ。
大学生活を通してずーーーーーっと翔真の実験に散々難癖をつけ、虐めのように理論不備をネチネチ指摘してきた教授は、しかし新学期最初の教授会議で特別に研究発表の時間を設けると約束してくれた。
鳴り物入りで入学してきた新入生がどうしてもと頼んできたので、将来有望な新入生に発表の場を与えるついでに将来が危ぶまれる留年生にもチャンスを、という流れになったらしい。
教授の情けで与えられたチャンスだ。このチャンスは逃せない。
実家は翔真の情けない現状に見切りをつけていて、一族系列の武具店の雑用係として就職させようとしている。何の実績もないままこれ以上大学で恥を晒すのは如何なものか、という論調で、翔真としても言い返せない。
両親に留年の許可を貰いに行った時の針の筵と、兄たちの呆れ果てた顔がまだ忘れられない。月例教授会で行う研究発表の感触が悪ければ、学期の途中であっても大学を辞めさせられ、閑職に押し込められてしまうだろう。
追い詰められた翔真は、放課後に迫った研究発表に向け、中庭の端の倉庫で台車に載せた幾何学集合グレムリンの最終チェックをしていた。
発表練習は嫌というほどした。質疑応答にも備えた。あとは四年かけて作った汗と涙の結晶が正常に動作してくれれば上手くいく。
はずである。
翔真が倉庫の中で神経質に五枚目のチェックリストにレ点をつけていると、友人が訪ねてきた。
「こんにちは、翔真くん。調子はどう?」
「あれ? 麻椰って今日の午前は講義入ってるんじゃなかったか」
意外な顔に、翔真は驚いた。
日森麻椰は四代目火継の魔女の妹だ。翔真と同じ名門一族であり、幼い頃から会う機会が多く気心が知れている。
日森家らしく性格は真面目で誠実。更に美人で魔力が豊富。翔真の一学年下として主席入学し、教授陣の覚えもめでたい同世代の傑物だ。
変人の巣窟、変異学科在籍という部分すら愛嬌に変えてしまう圧倒的性根の明るさは透明感すら帯びていて、もしミスコンに出れば覇権確実と言われている大学のマドンナである。
高嶺の花と気後れされがちだという麻椰だが、翔真は距離感を感じた事が無い。落ちこぼれに対する蔑みや失望、気遣いといった物を、麻椰からは一度も感じた事が無い。
昔からの付き合いで、よく一緒に遊ぶ、妹のようなものだ。
今の時間帯は講義に出席しているはずの幼馴染に首を傾げると、麻椰は手に持ったトランクを掲げて見せた。
「実家の頼みで、大日向学長にお届け物してるの」
「ああ、継火の魔女が復活したとか、新聞で読んだな。その関係か」
「そうなの。最近バタバタしてて色々大変。お姉ちゃんは継火様に変に冷たいし……」
そう言ってため息を吐く麻椰のトランクがガタガタッと揺れ、翔真は目を瞬いた。
「麻椰? そのトランクの中身ってなんだ?」
「……ちょっと言えない。ごめん。ただ、これから大日向学長と復活した継火の魔女様が会談する予定があるみたい」
「へ、へぇ。いいのかこんな所で油売ってて」
トランクの中に誰がいるか察した翔真は声を引きつらせた。
事実上の要人護送任務中の幼馴染を邪魔したくない。
しかし麻椰は微笑み、翔真の脇腹を軽く指でつついた。
「心配しないで、今行ったら早過ぎるぐらいなんだから。継火様も私の予定を優先していいって仰って下さってたし」
「そうか? それならいいんだけど」
「翔真くんはどう? 発表、午後だったよね? 手応えは?」
「どうかな。一応、万全にしたつもりだ。理論は完璧だし、組み立ても上手くいった。でも時間無くて試運転回数が足りてないから、本番でもし誤作動起こしたらと思うと気が気じゃない」
「新式の幾何学集合グレムリン……だっけ?」
興味深そうに実験試作機を見る麻椰に、翔真は頷き、発表練習も兼ねて解説をした。
幾何学集合グレムリンは歴史の長い分野だが、ロストテクノロジーがボトルネックになり、理論研究ばかりが先行している。
幾何学集合グレムリンとは、多様な形状と性質のグレムリンを精密に組み合わせる事で一塊の意味あるグレムリンを作り出す学問と、その学問によって作り出されたグレムリンそのものを指す。
魔王戦役によって人類が発見した魔王グレムリンの解析によってもたらされたこの研究分野は、極まれば人工知能や人工魔法生物に至るとされている。
地球人類の遥か先を行く先進魔法文明の技術であり、解析と再現は人類の魔法を飛躍的に進める。
しかし、幾何学集合グレムリンのコアパーツの一つである正十二面体フラクタルがロストテクノロジー化した事で、研究は大幅な制約を受けていた。
幾何学集合グレムリンは、正十二面体フラクタルを蓄魔器にして動く。
正十二面体フラクタルを用いない幾何学集合グレムリンは、その出力に致命的な欠陥を抱える事になる。
例えば、十年前に実現した最新の幾何学集合グレムリン通信装置には、アメリカが所有していたフラクタルと具志堅記念競馬の優勝トロフィーとして使われていた魔法杖から得られたフラクタルが使われている。
家一軒ほどの大きさのこの二個一組のグレムリン通信装置は、アメリカと東京の間をリアルタイム音声通信で繋いでいる。
人類は電化製品の一つ「電話」を復活させたのだ。
ところがコアパーツとなる正十二面体フラクタルには新規生産が無い。
魔王グレムリンからの分解と、伝説の職人0933の加工によってしか手に入らないのに、どちらも80年前のゾンビパニックによって失われてしまった。
ゆえにグレムリン通信機は量産できず、現存する一組に小さな改良が繰り返されるのみとなっている。
正十二面体フラクタル無しでは出力が低すぎ、通信限界距離は1mにも満たない。
正十二面体フラクタルを使わない幾何学集合グレムリン構築は非常に難しい。
幾何学グレムリンには最適体積というものがある。全体の大きさが一定の体積を超えると、増幅率や伝導率が指数関数的に減少するのだ。
この最適体積は1400㎤なのだが、現在の人類の加工技術ではこの大きさに機構を収める事ができない。
人間の脳みそサイズに小型化しなければならないのに、どうしても牛サイズを超えてしまう。
現行の幾何学集合グレムリンではどうしても最適体積をオーバーし、全体の機能が大幅に低下する上、コアパーツが使えない。
この二重苦により、幾何学集合グレムリンの実用化は大変大きな制約を受け、80年間で形になったのは通信機一組のみとなっている。
翔真の研究は独自の新理論に基づき、幾何学集合グレムリンが抱える数々の制約を上手く回避したものだ。
牛サイズの全体構造を、仔馬サイズにまで小型化。
正四面体と正八面体を組み合わせた立体図形敷き詰め繰り返し構造によって、正十二面体フラクタルに似た効果を劣化再現。
研究室にある0933が遺した覚書から丹念に意図を汲み取り、魔王グレムリンの分解部品と照らし合わせ、実験方法構築レベルから実験を地道に繰り返し続けた集大成だ。
翔真の解説を熱心に相槌を打ちながら聞いていた麻椰は、生真面目に挙手して質問した。
「この研究にはどれほどの時間をかけられたのですか?」
「大学入学前の基礎理論構想段階を含めれば、五年です」
「ありがとうございます。素晴らしい研究だと思います」
「恐縮です……なあ麻椰、教授たちはそんな甘っちょろい質問しないだろ」
「いいのいいの。教授の質問じゃなくて、私の質問なんだから。大丈夫、ちゃんとしてたよ! ずっと翔真くんを見てた私が言うんだから間違いない。翔真くんならいける!」
「そうか? でも百々教授は全然良い顔しなかったぞ」
自分の研究に頻繁に顔を出してはネットリ指導して去っていくグレムリン工学科の陰険教授の顔を思い浮かべながら、翔真は渋面を作る。
が、麻椰は朗らかに太鼓判を押した。
「大丈夫だよ。翔真くんは百々教授のお気に入りだから」
「どこが!? あの人いっつもネチネチネチネチ俺の研究の粗探ししてくるんだぜ? 重箱の隅をつつくような細かいところをネチネチネチネチさあ」
「気に入ってるからだよ。百々教授はお忙しいのに、翔真くんの研究を逐一確認して、不備を探して指摘してくれるって凄い事だよ? 研究生全員にそんな時間をかけるほど教授はお暇じゃない。絶対、百々教授は翔真くんを特別扱いしてる。期待されてるんだよ。だから絶対絶対大丈夫!」
麻椰は胸の前でグッと拳を握りしめ「ファイト!」と応援し、トランクケースを持って大学構内に消えていった。
麻椰の応援で、緊張はかなり解れた。
そうだ。五年もかけた研究なのだ。百々教授に死ぬほど叩きのめされ直しに直され進めた研究なのだ。失敗するはずがない。
きっと、もっと自信を持った方がいい。積み上げてきた事実は、蓄えてきた知識は、決して裏切らないから。
午前を点検に費やし、昼休みを挟み、研究発表を行う会議室に台車で試作機と機材を搬入する。
午後の講義の時間帯を最後のリハーサルに費やした翔真は、放課後になりいよいよ研究発表の時間を迎えた。
研究発表は、私立名門一貫高出身の一年生、磯部と共に行われる。発表時間は一人15分で、発表後に5分間の質疑応答時間が設けられる。
手応えがあれば、研究者として身を立てられる。
手応えがなければ、実家に連れ戻され冷や飯食い。
これからの20分間で翔真の身の振り方が決まるのだ。
講義終わりの教授陣が三々五々会議室に集まってくる。グレムリン工学科の百々教授も入室してきて、ニヤニヤしながら翔真に寄って来て耳元で囁いた。
「おい。今日の研究発表は青の魔女も傍聴するぞ」
「え……え゛!? き、聞いてないですよ!」
「飛び入りだ。連れ合いがお前の研究に興味を持ったんだと。別室で投影魔法越しに発表を聞くそうだ」
「なんでそれを俺に言うんですかっ! 伏せといてくださいよ! ただでさえ緊張してるのに、青の魔女が傍聴? そんなっ、いや光栄ですけどね!? 教授、学生を緊張させて楽しんでます?」
「いやいやまさか。自信を持て。誇りを持て。お前は青の魔女が話を聞きたがるぐらいの研究を完成させたんだ。いやはや、目をかけてやった甲斐があった」
百々教授は薄ら笑いを浮かべながら自分の席に行ってしまい、翔真の抗議は無視された。
せっかく麻椰に解してもらった緊張は一気に臨界点を突破し、一周回って高まり過ぎた緊張が破裂して壊れる。
こうなったらヤケだ。失礼があったらどうしようとか、言葉を間違えたらどうしようとか、そんなの些細な問題だ。思いっきりやるしかない。
やる事は変わらない。
栄転か没落か。その落差が大きくなっただけの事。
そして時間になり、翔真は深呼吸して、居並ぶ早々たる教授陣を前に口火を切った。
簡単な自己紹介と前口上を短くまとめ、早速本論に入る。
「私が開発したこの装置は――――」
翔真は目を閉じ、もう一度深呼吸する。
そして目を開け、堂々と自らの研究の集大成を発表した。
「――――1+1を計算できます。つまり、魔力式の計算機です」
会議室が、どよめいた。
ざわつく教授陣を前に、翔真は滑らかに新式の幾何学集合グレムリン機構について説明を行った。何十回も練習した説明は意識しなくても勝手に口から出る。
原理を説明し、実際に1+1の計算を行ってみせる。
ボタンを押すと、魔力コントロールができない翔真には知覚できない事だが、幾何学集合グレムリンの中を魔力が走る。
そして、「2」の数字が書かれた旗が上がった。
ざわめきが一層大きくなる。
「ご清聴ありがとうございました。質疑応答に入ります。質問がある方はいらっしゃいますか?」
翔真が一礼して尋ねると、会議室の教授全員の手がほぼ全員挙げられた。
手を挙げていないのは、腕組みしてご満悦の百々教授だけだ。
予想を遥かに超える反応に面食らった翔真だったが、少しまごつきながら最前列の教授を指名する。
「では……えーと、石矢教授。どうぞ」
「魔法医学科の石矢です。
魔力入力の問題はどう解決したのか伺っても? 正十二面体フラクタルを使っていないとしても、同じくロストテクノロジーである魔力定規を使った入力方式では新規生産できないかと思うのですが。新規生産を見越した場合、結局魔人か超越者がいなければ運用できないのではないでしょうか?」
「御質問ありがとうございます。それに関しましては資料の12ページをご覧ください。右下のアミュレット複合機構図ですが、その機構が魔力入力の役割を担っています。魔力定規を使用した場合と比べ充填速度が約1/120となっていますが、入力に魔力コントロールを用いる必要はございません。原理的には更に機構を複雑化しても、手動による回路切り替えに対応できます。この説明でよろしいでしょうか?」
「回答ありがとうございます。理解しました」
石矢教授が満足そうに頷くと、間髪入れずまた一斉に手が上がる。
翔真は教授陣の質疑応答を的確に捌いたが、5分間の質疑応答では到底全員の質問に答える時間が無かった。
まだまだ質問は多かったが発表時間は終了となり、翔真は万雷の拍手の中、無事降壇した。
ホッとして体から力が抜け、手が震える。
完璧にやりきった温かな多幸感に包まれながら、翔真は続く期待の一年生の発表を聞くために会議室に並べられた椅子の末席に腰を下ろした。
研究発表二人目にしてラストバッター、魔物学科一年生磯部の発表は、正直言って目も当てられなかった。
恐らく、順番が悪かったのもある。
凄まじい大好評だった翔真の発表の後であり、磯部は可哀そうに泣きそうなほど緊張し、口が回っていなかった。
発表内容も門外漢目線かも知れないが大した物には思えない。一年にしてはよくやっている、程度のものに感じられた。
そう思ったのは翔真だけでは無かったようで、磯部は質疑応答の時間にズタボロにされてしまった。
「素人質問で恐縮ですが」
「この分野に関しては不見識なのですが」
「その引用論文を書いたのは私なのですが」
の枕言葉から繰り出される痛烈な論文不備指摘の嵐にすり潰され、磯部は冷や汗をだらだら流し、胸のあたりを苦しそうに押さえながらフラフラと降壇した。
哀れな一年生を見た翔真は心底肝が冷えた。
百々教授のネチネチが無ければ、きっと翔真もああなっていただろう。
東京魔法大学の教授会は魔境だった。恐ろし過ぎる。
磯部の降壇をもって研究発表は終わった。
教授陣は引き続き月例会議に入るため、翔真は退室する。
喜びと安堵が入り混じる気持ちで会議室を出ると、真横に黒髪の女性が立っていて心臓が止まりそうになった。
歴史の教科書の挿絵で嫌というほど見てきたその顔。
手に持つオーバーテクノロジー魔法杖「キュアノス」。
間違いなく、青の魔女その人がそこにいた。
青の魔女は頭が真っ白になった翔真に微笑み、言った。
「良い発表だった。不躾だが、論文のコピーを一部貰えるか? 実験の生データがあればそれも欲しい」
「はっ、はいっ! どどどどどうぞ……!」
翔真は発表に使った資料と、念のために持ってきていたデータをまとめた書類ファイルをまとめて青の魔女に献上した。
手が震えすぎて酷い事になっていたが、青の魔女は気にした様子もなく、丁寧に礼を言って受け取った。
「それと、伝言だ。「やるじゃん」と言っていた」
「あ、ありがとうございます……?」
誰からの伝言なのかは分からないが、褒められるのは嬉しかった。特にそれがあの青の魔女の口から出た言葉なら。
用件を済ませた青の魔女は、あっさり立ち去った。
研究の集大成を評価するものとして、最上の結果だった。
名だたる教授各位から拍手喝采を受けたに留まらず、生きる伝説からお褒めの言葉すら頂いてしまった。
もう、翔真は武門山上一族の落ちこぼれではなかった。
グレムリン工学研究者の山上翔真だ。
翔真は眦に浮かぶ涙を袖で拭い、明るく開けた未来を全身で感じた。
そして歩き出す。
自分を信じてくれた曾祖父の墓前に報告をするために。
応援してくれた幼馴染に良い報告をするために。
辛く苦しい日々を乗り越えた、山上翔真の新たなライフステージが幕を明けた。





