91 修羅場
子供に親のドロドロした修羅場なんて見せるもんじゃない。
俺は寂しがってついてこようとするモクタンの燃える髪を鉄鋼羊耐火手袋を使って撫で、梳かし、落ち着かせてから、お留守番を言いつけた。そして玄関で噴火しているヒヨリに合流する。
お前のカーチャンをシバいたらすぐ戻るから。今度は80年も留守にしたりはしない。安心してくれ。
「来たか。さっさと品川に……背負っていくか? 一緒に走るか?」
「おんぶ一択だろ。お前チーターより速いじゃん」
時速100kmとか120kmとか、それぐらいの速度を素で出す女に俺の足でついていける訳がない。首を横に振ると、ヒヨリは怒りを抑え込もうとしてイライラしながらも教えてくれた。
「いや、吸血の自己強化魔法の迂回詠唱が70年前に完成している。大利でも自己強化をかければ馬ぐらいの速度は出せる」
「マジか。詠唱教えてくれ」
吸血の自己強化魔法は、たった1Kの魔力消費に釣り合わない壊れ性能魔法の一つだ。
発音不可音が混ざっている事と、血液を消費するため貧血リスクがあり乱用できないのがネックだが、それを差し引いても強い。超越者御用達の基本魔法である。
しかし、昔から散々利便性が高いと言われてきたにも関わらず、俺が生きている間にはついぞ迂回詠唱が完成しなかった。
俺が死んだ後さらに10年もかかったあたり、迂回詠唱開発は相当難航したとみえる。
実質近未来にワープした気分だ。この感じだと相当色々技術が発達してそう。
吸血の自己強化魔法は原文を知っていたし散々聞いた事もあったので、少しレクチャーを受けるだけで迂回詠唱もすぐに覚えられた。
俺は早速自己強化魔法を唱え、ヒヨリは唱えず、走り出す。
「うっおわ!? はやっ、速い!」
「いきなり全力疾走しようとするな。段々速度を上げて慣らしていけ、それとカーブは速度を落とせ」
走り出してすぐに足が絡まって転びそうになった俺を、ヒヨリは並走して支えアドバイスをくれる。
まるで超人になったようだった。軽く脚に力を込めるだけでグングン前に進む。全力を出せば時速60kmぐらいか? でも、いきなりそんな速さで走ったらスッ転ぶ事は目に見えているので、アドバイス通り時速40kmぐらいにおさえて慣らしていく。
「すっげぇ。風! 俺は風になってる!」
片手を横に伸ばし手のひらを広げ風を感じていると、ヒヨリは微笑ましそうに笑った。
こうして横を走ってみるとヒヨリがめちゃくちゃ力を抜いて俺に速度を合わせてくれているのがよく分かった。小学生にあわせて走るオリンピック陸上選手のような感覚に違いない。なんかちょっと悔しい。
「街道を通って品川まで走るぞ。途中で自己強化が切れたら私に言え。治癒魔法で失血を治せば何度でも魔法をかけなおせる」
「あ、そのコンボできるんだ? 街道ってのは?」
「だいたい旧鉄道沿いにある幹線道路だ。こんな速度で走る人間が狭い道を走ったら危ないだろう?」
「確かに」
話しながら少しずつ速度を上げていく。奥多摩を出て青梅市に入ると、すっかり景色が変わっていた。年々少しずつ老朽化していっていた建物群は消え、濃霧の漂う森になっている。深い森の香りがもはや俺の知っている青梅とは別世界になった事を教えてくれる。
それでも倒壊し苔むした塀の残骸とか、蔦の巻き付いた崩れかけの電柱がちらほら見えて、文明社会の名残を感じさせた。
チラリと顔色を窺うが、ヒヨリは特に何かを感じた様子は無い。かなりピキっているから感慨に浸るどころではないだけかも知れないけど、80年経てば全ては過去の思い出なのだろう。
霧深い森林地帯と化した青梅を抜け、ヒヨリの指示で街道に入ると、しっかりした造りの石畳の道路がまっすぐ伸びていた。
街道の両脇には煉瓦や石でできた三、四階建てのアパートや店が立ち並び、煙突から煙を出している。
焼きたてパンの旨そうな匂いやカレーのものらしき香辛料の香りが通りまで漂っていて、今が昼時である事を思い出させた。
ほー、今の市街地ってこんな感じなのか。もう全然ポストアポカリプスって感じじゃないな。蒸気機関の時代。スチームパンクあたりの時代感を感じる。
……と、思って空を見上げると、小型ドラゴンがツバメを数羽引きつれ編隊を組んで飛んでいくのが見えた。
地上に目を下ろせば、交番に立っている武装したでっかい人型ゴーレムが、連れ立って走る俺達をグレムリン製らしき単眼でじーっと目で追ってくる。
スチームパンクではないな?
マジックパンクって感じだ。
真昼間に街道を爆走しているのは俺とヒヨリだけでなく、他にもチラホラと走ってる人がいたし、額にグレムリンを持っているでっけぇ虎(魔獣か?)に乗っている騎手さんも多い。
だが、キュアノスを持っている青の魔女は少し浮いていた。こっちを見てヒソヒソ話す市民もいて、居心地が悪い。
こっち見んな。気にしないでくれ、俺の事は道端の石か雑草とでも思ってくれねぇかな? 意識を向けられるとストレス溜まる。
これだから街中を昼間に出歩くのは嫌なんだ。
しかし、継火がしでかした放火ックスについては俺も無関係ではない。
火蜥蜴たちの親権を確実に獲るためにも、修羅場に同席する必要がある。
「なあ、近道しないか? 建物の上ぴょんぴょん飛べば一直線で品川まで行けるんじゃないか」
「できるが、禁止されている。前時代にドローン飛行規制があっただろう? アレと同じだ」
「あー、確かに」
一人、二人ならいざ知らず。何千何万という人々が屋上ルートを走ると確かに困りそうだ。
衝突事故やら落下事故やら、凄い事になるのは間違いない。あと自分の家の屋根の上をバタバタ人が跳んでいくのも迷惑そう。通行人に瓦を踏み割られたら弁償させるの大変じゃね? って話でもある。
時代が進み、技術が進み、法整備や規制も進む。80年後の世界に馴染むまで苦労しそうだ……いや、80年前の世界でも全然馴染まず浮きまくってたし、今更か。
やがて強化魔法が切れ失速し、ヒヨリに治癒魔法で失った血を増やしてもらう。
温かな光に癒されている間に、俺はまたもや面白そうなものを見つけてしまう。
フクロスズメの近縁種っぽいツバメが、アパートの郵便受けに腹袋からドバドバ出した手紙を嘴で咥えては突っ込んでいた。足につけられた金の足輪の輝きは、ヒヨリが椅子に変身させる時に使っていた金属とそっくりだ。
「なあ、あのツバメの足についてる金の足輪。アレってなんだ?」
「識別用の足輪だ。それとあれは金じゃない。深淵金だな」
「ほう……!」
魅惑的なカッコイイ単語に全身がソワッとする。
むむむ、どうやらこれ以上目移りしたり質問したりしない方が良さそうだな。継火の問題そっちのけで80年後の新技術に夢中になってしまいそうだ。
何度か強化魔法かけなおし休憩を挟みつつ、俺達は小一時間で品川区の火継邸に到着した。
火継邸は都心の真ん中にドドンと建っている豪勢なお屋敷だった。広い敷地はぐるりと高い鉄柵で囲まれ、高い植え込みで中を覗けないようになっている。
品川区はもうもうと煙を立ち昇らせる排煙塔が何本も立ち並び、唸りを上げる工場が林立する工業地帯に変わっていたが、そんな中で火継邸は交通の便が良さそうな場所にバカ広い土地を使って建っている。金持ちだ。儲けてるねぇ、火継一族!
俺が火継邸の門扉のお洒落デザインを観察して自分ならどうデザインするか考えている内に、ヒヨリは門の守衛に話を通した。
懐から何やら銀色のカードを出して見せ、カードをチェックした守衛に何事か言づける。守衛は慌てて門を開け、伝言を伝えに急いでお屋敷の中に入っていった。
ちょっとちょっと、今のはなんですか? 面白そうな事してなかった? 免許証見せたわけじゃないだろ? 銀色のカードだったけど、見た事もない材質だったぞ。
「今のは? なあ今のは? 身分証っぽいのは分かるけど絶対普通の材質じゃないんだろ?」
「真空銀だよ。後でいくらでも説明してやる。興味を惹かれるのは分かるが、今は継火に集中させてくれないか?」
言いながら、ヒヨリは見事に手入れされた広い中庭を横切り、慌ただしく玄関から出てきた若い女性と相対する。
二十代ぐらいのその女性は黒髪黒眼の純日本人だったが、どことなく継火の魔女の面影があった。手に継火を封じた火守乃杖を持っている事から察するに、当代の火継の魔女に違いない。
俺はそっとヒヨリの背中に隠れ、気配を消した。
ヒヨリ、交渉とかは全部任せた! やっちまってくれ。
俺は継火がボコられるのを見て、火蜥蜴全員分の親権が保証されればそれでいいから。
「ようこそ当家へ、青の魔女様。大至急の御用と伺いましたが……?」
「家庭の問題だ。継火の魔女と私の間に生まれた隠し子が見つかった。事情を問い詰めるから、火守乃杖の封印を解いて継火を出してくれ」
「…………。はい?」
火継の魔女は神妙にヒヨリの言葉を聞き、意味を咀嚼しようとして失敗し聞き返した。
それはそう。
「あ、あの。失礼ですが、御先祖様は魔女、女性であったと言い伝えられています。青の魔女様も女性でいらっしゃいますよね? お二人の間の隠し子とはどういう……?」
「それが分からないから事情を説明させに来たんだ。私だって知りたい。だが、継火がどういう方法でか私を……ヤッたのは間違いない。80年も昔の先祖の性的醜聞なんて聞きたくないだろうが、継火には説明義務がある。継火の封印を解いてくれ」
「は、はあ……? そちらの男性は?」
「継火の娘の養父だ。今回の件に立ち会ってもらう」
紹介され、俺はヒヨリの背中に隠れ小さくなった。
どうも、養父です。
事情は大体知ってますが、継火の口から全部白状させるのがスジだと思ってます。
「事情は呑み込みきれませんが、一族の掟でして、この杖の封印は御先祖様が抱える身体的問題の解決手段が見つかった時にのみ解く事になっております。
その手段をお持ちなのですか? そうでないなら、四代目火継の魔女として、例え青の魔女様の御要望であっても応えかねます」
「問題ない。継火を癒す手段は用意した。封印が解けた後どうなるかは継火次第だが」
ゴキゴキ指を鳴らし、額に青筋を浮かべながら言うヒヨリはとても「問題ない」ようには見えなかった。
しかし「家庭の事情だ」「継火の魔女の実子に関係する問題なんだぞ」とまくし立てゴリ押す青の魔女に折れる形で、当代火継は封印解除を受け入れた。
そして、80年以上固く閉ざされていた火守乃杖の封印が解かれる。
二重のマモノバサミによる極限時間停滞空間から吐き出された継火の魔女は、封印された時と何も変わっていなかった。
その姿は手のひらサイズの可愛らしい火の妖精のようで、突然外に出され玄関前の石段に降り立って目をパチクリさせている。
「え? あれ? 青ちゃんさん?」
「継火。申し開きはあるか?」
「え゛」
継火は目の前の最推しを見て驚きつつも嬉しそうにしたが、絶対零度でありながら燃え上がるという矛盾を体現した憤怒の化身を前に凍り付いた。
メルヘンチックな継火の姿を見た火継の魔女が「かわいい……」と呟いているのが一周回って哀れまである。そいつ、そんなマスコットみたいな見てくれでエグい性癖持ってるんですよ。
「も、申し開き? …………! な、なんの事か私にはさっぱり。っていうか、封印されてからどれぐらい経ちました? 私の寿命、なんとかできそうになったんですか?」
明らかに何かに思い当たった様子の継火の魔女だったが、全力でしらばっくれようと首を横に振る。そして話を逸らそうとする継火を、ヒヨリはキュアノスの石突で脅すようにつついて圧をかけた。
「シラを切るつもりか? 証拠は挙がっているんだ。お前が封印された直後に見つかった火蜥蜴の魔物が、80年後の今日、羽化して人型になった。全盛期のお前と同じ背丈の、炎人間になった。その上、顔は私そっくりだ」
「うぇへっ!? と、という事は青ちゃんさんと私の……!? やったッ! 女の子同士でも一緒に放火すれば赤ちゃんがああああああごめんなさいごめんなさい、「やったッ!」は嘘ですごめんなさい喜んでないですごめんなさい!」
口を滑らせた継火はキュアノスで抑えつけられ、潰されそうになって悲鳴を上げる。
そうだヒヨリ、もっとやってやれ! 俺の彼女に手ェ出しやがって! 俺の彼女が許さんぞ!
いや、当時は俺も「どうせ女同士じゃ子供できないし」と思って軽く流してたけどね? それはそれとして、全部継火が悪い。
「このまま潰れたくなければ説明しろ。私に何をした? あ゛ぁ?」
「あ、あのぅ、その。つい、出来心で。わ、悪気は無かったんです。青ちゃんさんを傷付けようなんてつもりは決して無くて。本当です。あったのは性欲だけで……」
継火は最悪の出だしでオドオドと事件の全貌をゲロり始めた。
痛めつけられている御先祖様を助けようか迷っている様子だった火継の魔女も驚愕し、ドン引きして距離を取る。
さもあらん。ヒヨリもあんまりな話を聞いて理解不能の変態を見るように後ずさった。
「お、お前ッ! 私の無知につけこんで、お、女同士で、子供ができるような事をさせたのか……!? 真面目なフリをして、死にそうだからと同情を誘って、騙したのか!」
「ご、ごめんなさぃいいいい! 青ちゃんさんの事、ずっと好きで! 魔女になる前からずっと大好きで! 青ちゃんさんのモデルデビュー雑誌を一目見た時からずっとずっと好きだったんです! だからっ、死ぬ前に思い出をと思って、出来心で! まさか本当に子供ができるなんて思わなくて! ごめんなさい!」
土下座し平身低頭で謝る継火に、ヒヨリは全身に鳥肌を立たせ悲鳴に近い声で叫んだ。
「ずっと私にそういう事をする妄想をしていたのか!? へ、変態! 変態、変態変態ッ!!!」
玄関前で起きた大騒ぎに、庭で仕事をしていた庭師や厩舎の世話人たちがなんだなんだと集まってくる。野次馬たちは、気まずいと言うレベルを突き抜け今すぐ穴に飛び込んで消えたそうな顔をした火継の魔女に手を振って追い払われ、不思議そうに仕事に戻っていく。
屋敷の敷地が広くて良かったな。これが狭いアパートの一室で起きた修羅場だったら、アパートの全室に継火の痴態が響き渡るところだ。
どうやら継火の魔女にMっ気は無いらしく、ドン引きのヒヨリに罵倒されてド凹みした。しょんぼりして火勢も衰え、体の輪郭を形作る火も頼りなく瞬く。
「あぅううう……本当にごめんなさい。申し開きのしようもございません……」
「この、どうしようもない、ド変態が……! どう責任を取るつもりなんだ? あ゛ぁ? 私を、私に、私が、あああ、この変態魔女! 全部お前が悪い!」
「ごめんなさぁい! 責任、責任取ります!」
「どうやってだ!? もう火蜥蜴たちは成人したんだぞ! お前はヤるだけヤって気持ちよかっただろうなあ!? どれだけの事があったと思っているんだ! ぶっ殺すぞ変態!」
「責任とって結婚します! 青ちゃんさんと! 結婚して夫婦になって、一生かけて償います!」
そのキックは同時に出た。
玄関先の石段にちょこんと土下座する継火の魔女は、ヒヨリの蹴りと俺の蹴りに挟まれギュムリと潰れ目を回す。
俺はヒヨリの横に立ち、反省の仕方を間違えているけしからん放火ックス犯を叱責した。
「何が償うだ。お前がヒヨリと結婚したいだけだろ!」
「大利の言う通りだ。ふざけるのも大概にしろよ継火。私にはもう彼氏がいるんだ」
ヒヨリが俺の手を握ってきたので、俺も握り返す。
キックの挟み撃ちを喰らってフラついていた継火は、俺達の言葉を聞いてピタリと止まった。
俺とヒヨリが繋いだ手を穴が開くほど見て、ヒヨリの顔を見て、俺の顔を見る。
「え? 青ちゃんさん? 職人さん……?」
じわじわと継火の表情に理解が生まれ、血の気が引いていく。
瞬く間に顔面蒼白になった継火の魔女は、絶望しワッと泣き出した。
「嘘だーッ! 嘘だ嘘だ嘘だ、青ちゃんさんは男と結婚しないぃいいいいいいい!」
泣きながら突然駆けだした小さな火の妖精は、俺達の足元をすり抜けあっという間に門の外に姿を消した。
呆気にとられたヒヨリは少し間を置いて我に返り、叫ぶ。
「あ、あいつ! 逃げやがった!」
「す、すぐ人を出します! 一族の恥部を広めるわけには……!」
火継の魔女が慌てて人を呼び、玄関先で起きていた騒動は屋敷全体へ広がっていく。
変態が逃げたぞ! 大変だ! 追えーッ!





