90 過去よ燃え上がれ
80年越しに爆発する地雷を前に蒼褪める俺を、ヒヨリは案の定「可愛がっていた火蜥蜴が人型になってしまうのが嫌」なのだと勘違いした。
「私が間に立とうか? それとも伝言役になろうか?」
「いやっ、そうじゃない、そうじゃないんだ……大丈夫。会う。いや大丈夫じゃないけど、いや、でも……とっ、とりあえず蜘蛛の魔女に会いに行かないか?」
「蜘蛛の魔女は今どこにいるか分からない。さっきも言ったが合わせる顔が無いそうだ」
「じゃあフヨウに会おう」
俺は説明に困り、問題を一時棚上げにして他の奥多摩わくわく動物園の愉快な仲間達に会いに行く事にした。
くっそー、なんでいないんだ蜘蛛さん! 貴女の仲裁能力で修羅場を収めて下さいよぉーッ!
蜘蛛の魔女が奥多摩の巣にしている古寺を訪ねたが、ヒヨリの言う通り残念ながら蜘蛛の魔女はいなかった。真新しい魔物の食べかけ生肉が手水所のところにゴロンと放り出されているので、本当に俺と顔を合わせられなくて慌てて姿を消したらしい。
俺は会いたいけど、蜘蛛の魔女が嫌なら仕方ない。
自宅に行くと、80年経っている割には立派なものだった。
流石に瓦は全て真新しく変わっているが(雷雨ならぬ晶雨が降るたび、瓦は急激に傷んでいくのだ)、塀は修繕の跡があるだけで、ペンキも同じ色に塗り直されている。
入間が偽装工作だとかほざいてぶっ壊した一画も元通りになっている。
裏庭も丁寧に下草が刈られ、生け簀は中に魚こそいないが綺麗な水をたたえ、井戸さえもちゃんと残っている(割れた木製鶴瓶はボロボロになったロープと共に井戸横に置かれていた)。
時代の流れは確かに刻まれている。
しかし、みんなが一生懸命俺が帰る家を守り維持していた事が伝わってきて、嬉しくなった。みんな超~律儀だぜ。
俺だったら死んでる友達の家を80年も守らないぞ。普通に放置して朽ちるに任せる。で、生き返ったら「新しい家が見つかるまでウチに泊まるか?」って聞く。無人の家を守り続けるよりそっちの方が断然楽だ。
裏庭に面した斜面を登ると、フヨウは変わらずそこにいた。
ただし、予想通りすっごい美人さんになっている。生命力に満ち溢れた色鮮やかな真紅の大輪は美しく、自然の壮大さと繊細さをギュッと詰め込んだような不思議な魅力を放っている。
その大輪の中心に生える人型も……少なくとも、緑色の髪の発色は大変すばらしい。
ヒヨリ以外の顔の良い女は全部同じに見えるから断定はできないが、たぶん美人の中でもハイレベルな方だ。
そして80年前とは見違えるような美人に育ったフヨウの背後には、花の魔女の聖域に生えていたのと同じ、めっちゃ太い雪のように白い葉を茂らせる謎の木がそびえ立っていた。
俺が姿を見せると、フヨウ(おとなのすがた)は蔦と根をスルスル伸ばしてきて俺の頬や足や腰をべたべた触りニッコリ笑った。
「お帰りなさい、叔父さん!」
「おー。ただいま」
「80年前はごめんなさいね? 私が入間を殺せていれば、叔父さんも死ななかったのに」
「いや無理だっただろ。あいつマジでヤバかったぞ」
無理があり過ぎるIFの話をされて即否定する。
あいつは化け物だよ。
無詠唱魔法縛りの正面戦闘でヒヨリと渡り合っていたし、魔王グレムリンの分析力もエグかった。俺の説明を1聞いて10理解して100生み出してたぞ。
で、その100を俺にめっちゃ分かりやすく説明して、俺が説明を元に魔王グレムリンから更に1の情報を引き出すと、またもや10を理解して100を生み出して……というループ。脳内に東大生を100人住まわせてるんじゃないかってぐらいヤバかった。
まっとうな研究の道を志していればグレムリン災害後世界を代表する偉大な学者になれただろうに。しかしそんな仮定は「大利賢師が陽キャだったら今頃」というぐらい無意味なものだ。
アイツはヤバいカスだった。それが真実。フヨウが傀儡にされたのはフヨウの責任じゃない。100%入間のせいだ。
「ね、叔父さん。私、美人になったでしょう?」
俺が入間との強制共同研究の記憶を思い出していると、フヨウは妖しく笑い、見せつけるように大きく育った胸を張りしなを作った。
一瞬なにを言い出すのかと思ったが、そうだったな。
かつて、フヨウは花の魔女より美人になると太鼓判を押した事がある。それも一度や二度じゃない。三回顔を合わせれば一回はフヨウは俺に「フヨウは美人だ」と言わせようとしていた。
改めて、フヨウを上から下までじーっくり観察する。
ふむ……
「……大利? あんまりジロジロ見てやるな」
「は? ちゃんと見ないと美人か分かんないだろ。えー、ツラの良さは花の魔女と同点に見える。でも色が好みだから、フヨウの勝ちで」
「ふふふー♡」
「誇れ、お前は世界で二番目に美人だ」
俺が心から褒め称えると、凄く嬉しそうに蔦を躍らせていたフヨウは一瞬で真顔になった。
「…………。ねえ青の魔女。もしかして見せつけに来たの? 喧嘩売りに来た? 買うわよ?」
「す、すまん。ダシにするつもりは無かった、本当だ」
「嬉しそうに言っても説得力無いな。キレそう」
言葉通りに怒った顔をしていたフヨウだったが、俺を見ているうちに仕方なさそうに荒ぶる蔓を下ろし、代わりに俺を蔓と根っこで強く抱き寄せた。
「な、なにす……あっ!? またか! またアレか! やめろーッ! 助けてくれヒヨリ!」
戸惑い一瞬。何をされるか察知して助けを求めると、微笑ましそうに見ていたヒヨリは驚き、素早く俺を蔓と根から引き剥がし解放してくれた。
そのまま震える俺を頼もし過ぎる背中に庇い、フヨウを睨みつける。
「どういうつもりだ? 何をしようとしたんだ?」
「教えない。叔父さんをこっちに寄こして? 大丈夫、きっと青の魔女にとっても良い事だから」
「ヒヨリ、俺もう二回も変な液体飲まされてるんだよ。花の魔女もフヨウも俺に何飲ませたか教えてくれない。なんか命に関わる? みたいな事言ってたし、もう飲みたくない」
「なんだと……! フヨウ、今すぐ白状しろ。大利に何をした? 答えによっては許さんぞ」
ヒヨリはキュアノスを構え、凛として洗練された戦闘態勢に入る。
いいぞヒヨリ、圧迫しろ! 謎の液体の正体を吐かせてくれ!
ヒヨリの圧を受けたフヨウは怯んだようだったが、少し考え、俺をチラ見してからヒヨリに提案した。
「青の魔女にだけなら教えてあげる。貴女、叔父さんをこれからずっと護り抜くんでしょう?」
「当然だ。大利が望む限り」
「ちょっと待て、なんでヒヨリだけ? 俺は?」
「叔父さんが秘密にしてくれようとするのは信じてるわ。でも、ちょっと脅迫されたらぶるぶる震えて喋っちゃいそうだから。ちょっと向こう行ってて?」
「ズルだ! 俺にも教えろよ!」
抗議も虚しく、俺は蔦に手を掴まれ、話し声が聞こえない距離まで引き離されてしまった。
それからほんの二、三分、二人は俺をのけ者にしてひそひそ話をした。
途中、ヒヨリの物凄い嬉しそうな声がしただけで、会話の内容はサッパリ分からない。
OKが出て再び蔓に手を引かれ戻ると、ヒヨリは浮かれ過ぎて空に浮かんで飛んでいってしまいそうな浮かれっぷりで聞いてきた。
「なあ大利。『一緒にいたいと思う限りは一緒にいる』と言ったよな? 二言は無いな?」
「え? 無いけど」
「80年過ぎてもまだ一緒にいたいと思っていれば、一緒にいてくれるんだな?」
「ええ……? まあ、理論上は? 80年経ったら俺余裕で100歳超えるぜ? もし生きててまだ頭がシャンとしてればそういう事も無くはないだろうけど」
80年後の自分がどうなっているかなんて想像もつかない。俺が慎重に答えると、俺の手を掴み、後ろ手にガッチリ拘束し、ニッコリ笑ってフヨウに差し出した。
「フヨウ、頼む」
「はーい、お口開けてね~♡」
「や、やめろーッ!」
結局、俺はまたもや得体の知れない黄金の液体を飲まされた。しかも今度は数滴ポタポタではなく、スプーン一杯分ぐらい一気にいかれた。
いつものように無理やり嚥下させられてから解放され、咳き込む。
だーからなんなんだよこの液体はさぁ! 教えてくれたっていいだろ!
「げほがほ……う゛う゛んッ! なあヒヨリ、フヨウはなんて言ってたんだ?」
「大利は知らない方がいい。誰かに話すと危ないからな」
「言わない言わない! 秘密にする。誰にも言わないから教えてくれ」
「ウッカリ口を滑らせるとは思ってないさ。だがな。見ず知らずの陽キャに肩組まれて、なぁ話せよ、って圧かけられたら言うだろ」
「それは言う」
納得してしまった。確かに拷問にかけられたら白状するわ。拷問が残酷すぎて喋る事すらできなくなるかも知れないけど。
知っているだけで拷問にかけられるほどの秘密なのか……花の魔女も知ってるだけでヤバいみたいな事言ってたし、ヒヨリも秘密を知った上で知らない方が良いと言っているし、気にはなるが知らない方が良さそうだ。
ヒヨリが嬉しそうにしているところから察するに、悪い話というわけでもなさそうだし。
釈然としないが、納得する事にする。まあいつかそのうち話してくれる事もあるだろう。
「あ、叔父さん。ツバキとセキタンだけど」
「おっと……」
謎の液体の疑問を棚上げした俺は、入れ違いに棚上げしておいたはずの火蜥蜴問題が勝手に棚から下りてきて身構えた。
「? いやそんなビクってしなくていいよ、別に不幸があったって話じゃないから。青の魔女からもう聞いたかもしれないけど、二人は自分の縄張り探しに行ったわ。ツバキはけっこう遠くまで行くみたいな事言ってたけど、セキタンはまだ東京にいると思う。のんびり屋さんだし。それでね、モクタンもそろそろ羽化するはずだから、これ飲ませてあげて。青の魔女が持ってた方がいいかな?」
フヨウは言いながら栓をした小瓶をヒヨリに渡した。中には例の黄金の液体がちょびっとだけ入っている。
壊れ物でも扱うようにそっと受け取ったヒヨリは首を傾げる。
「いいのか? 貴重な物だろう」
「友達だから。特別」
「友達……ふむ。フヨウ、1滴だけで良い。知り合いに飲ませてやってもいいか?」
「は? ダメ」
「炎系の魔女がいるんだ。きっと火蜥蜴たちを教え導いてくれる。性格も真面目で、信用できる」
「ん~…………魔女かあ…………ツバキたちの助けに…………うん。いいけど、口外禁止。口外したら一族全員敵に回ると思って。それと1つ貸しね?」
「ああ、分かった。助かるよ」
ヒヨリはホッとした様子で、俺の頭越しに話をまとめた。
なんかさあ。話を聞いてるとさあ。ますます状況がややこしくなってきた気がするぞ? 気のせいか?
色々あったがフヨウとの再会は終わり、手を振って別れ、いよいよ我が家に戻る。
体感では半日ぶり、実時間では80年ぶりになる我が家は時が止まったようだった……と言いたいところだが、居間に置いてあるハト時計が故障して止まっている。時が止まったせいで時が止まって無かった事がよく分かるぜ。
ポケットに入っていた工具を使ってハト時計をささっと整備して、ネジを巻き再起動してやる。他に壊れている場所は無かった。
埃は積もっていないし、全体的に年季が増して床板も一部交換されている。たぶん、蜘蛛の魔女がやってくれたのかな。ありがたい。
感謝しつつ現実逃避していた俺は、工房に入り現実に引き戻された。
工房の小型炉の前に、でっかい繭がドドンと鎮座していた。
蚕の繭を人が一人入れるぐらいのサイズに拡大して、灰色の石灰岩に変えたような感じだ。
しかもヒビが入ってる……! 羽化直前じゃねぇか! 早いよおい!
「そろそろって言ったじゃん! なんで今なんだよ! はえーよ、まだ心の準備が……!」
「いや、朝見た時とヒビの大きさが変わっていない。出てくるまでに二、三日はかかるんじゃないか」
俺の焦りに反比例するように、ヒヨリは冷静だった。
そ、そっか、良かった。
爆弾炸裂まで二、三日あるならまだ大丈夫だ。
蜘蛛の魔女を探し出して仲裁をお願いするか、大日向教授に知恵を借りにいくかすれば、目前に迫った爆弾を解体し、事態を軟着陸させるチャンスはまだある。
「二、三日あるなら急がなくていいか。いったんメシにしようぜ、腹が――――」
「……オーリ? オーリの声!」
「!?」
みんなの無事も確認し、家も見て回った。一息つこうとした俺は繭の中から聞こえた女の子の声に飛び上がった。
な、なんかちょっと聞き覚えある声だ! 面影がある! モクタンの声だこれ!
「モクタン? お前聞こえてるのか?」
「やっぱりオーリ! オーリ、オーリ! 会いたい! ううううっ……ミ゛ーッ!!」
俺が声をかけると、繭がガタガタ震え、亀裂から紅蓮の炎を吹き出した。
そして気合一声と共に硬そうな繭は爆散して粉々に砕け散り、中からバンザイして元気に羽化したモクタンが姿を現す。
俺は祈った。
両親のどちらとも似るな、と。
なんでもいいから誰の子供か分からない感じであれ、と。
しかし祈りを聞き届けてくれるオクタメテオライトは邪悪な魔法使いによって破壊されている。
モクタンは、元気いっぱいでヒヨリと瓜二つな顔を俺達に見せつけ産声を上げた。
「は……?」
ヒヨリは絶句し、キュアノスを取り落とした。
ずーっと大切に持ち歩いていたキュアノスを落としてしまうぐらい、衝撃は大きかった。
展開が、展開が早い。胃がキリキリ痛む。
俺、生き返ったばっかりなんだって。ちょっとは休ませてくれよ!
「まっずい……! モクタン、こっちに。ヒヨリが爆発するかも知れん」
「オーリ!」
「あっつい!? お前体温高いな!? すまんちょっと離れてくれ!」
嬉しそうに俺に駆け寄ろうとしたモクタンは、伸ばした手を引っ込め悲しそうにちょっと距離をとった。す、すまん。
モクタンはヒヨリの身長を中学生ぐらいにして、継火の種族にしたような見た目をしていた。赤く煌々と燃える炎でできた長い髪を持ち、燃え散る輪郭の焔を服のようにまとっている。胸元には、ヒヨリの血で作った固有色グレムリンと全く同じ色彩の青い大粒グレムリンが埋まっている。
両親の特徴を完璧に受け継いでしまった。
ダメだこれ。言い逃れできない。
「私の顔……? 火蜥蜴……人型……? ……あ!? あ、あああああああああの女ーッ! わたっ、私に何をした!? 知らない知らない知らないッ! 聞いてないこんなのッ!」
そして、やはり名探偵青の魔女は真相に気付いてしまった。
お、落ち着けヒヨリ! おさえて、おさえて! 子供の前だぞ! いや子供の前だからなんだけど!
「ヒ、ヒヨリ。落ち着け」
「継火、信じてたのに! 私に、私とっ、この子を……!? うわああああっ! こ、こんな物ーッ!」
「うわー! 待て待て待てヒヨリ、大切な物なんだろ!? 壊すな壊すな!」
錯乱したヒヨリがフヨウから貰った小瓶を床に叩きつけようとしたので、腕に縋りついて制止する。
落ち着けヒヨリ。鎮まれ、鎮まりたまえ。
「そうだヒヨリ、冷静に考えてみろ。女同士で子供ができるわけないだろ?」
「いやできる。超越者なら有り得る! 実際にアメリカでスライム系の魔法使いが同族間で……あーっ!? そうだ、分かったぞ! 大利、お前さては気付いていたな!? 昔、この話になった時に話を逸らして誤魔化しただろう!」
「やべ」
そんな大昔の話をよく覚えてるな!?
「はぁ、はぁ……! こ、この子が、モクタンが……? 私の……!? あ、頭がおかしくなりそうだ……! いつだ? そ、そんな事をした記憶なんて……!」
頭を搔きむしり、髪を振り乱し取り乱す。
だが、青の魔女は歴戦の魔女だ。冷静さを取り戻すのにそう長くはかからなかった。
工房の壁に背中を張り付け固唾を呑んで事態を見守る俺とモクタンの前で、ヒヨリはキュアノスを拾い上げ、石突で床を強く叩き吠えた。
「殴り込みに行くぞ、大利! 継火の魔女の封印を叩き割ってやる!」
に、逃げろ継火ー! 粉砕されるぞお前ッ!
お前は悪くない、性欲があっただけで悪気が無かったのは知ってる。
ちょっとヒヨリを騙して無知シチュ百合放火ックスしただけで……
…………。
いや、十分悪いな?
俺の彼女に何してくれたんだ継火ーッ! 粉砕されろ!
「オーリ? どうしたの? 青の魔女はなんで怒ってる?」
「すまんモクタン。今からお前のママがお前のママをシバき倒す」
「???」
たぶん、これはハナから軟着陸なんてできない修羅場だった。
いけ、青の魔女! 継火の魔女を土下座させろ!





