84 ゾンビの魔女
それは謀り事に相応しい、新月の真夜中だった。
眠らない街東京はかつての煌びやかなネオンライトを失ったが、代わりに魔法火の柔らかな光がぽつぽつと現れ、夜が息を吹き返し始めている。
しかしゾンビの魔女の領地は、灯り一つ無い死んだような真っ暗闇だった。
ゾンビの魔女は、府中市・国立市・国分寺市にまたがる領地を管理する東京魔女集会の魔女である。グレムリン災害最初期に人口密集地東京で生まれた夥しい数の死体をゾンビに変えて回収して回り、東京を腐乱死体による疫病発生の災禍から救った功績を持つ。
回収したゾンビの数は実に900万体を超える。
そのうちの約半数は災害から七年が経つ間に主に魔物との戦闘によって砕け、崩壊し、魔法的死を迎えて塵になり消失したが、それでも400万体以上は残っている。
ゾンビの魔女の領地には生者より死者の方が遥かに多い。生きている者は死者への奉仕を義務付けられ、死後はゾンビの列に加えられる。腐臭の漂う街で死者に傅く日々に堪え兼ね、よほどの事情がある者でもなければ別の領地への移住を願う。
転出希望者に対し、ゾンビの魔女は面接を行う。そして顔が悪ければ許し、顔が良ければ許さない。
ゾンビの魔女は大変な面食いだった。
そして美形を好むが故に、美の神が手掛けたが如き美しき超越者、入間の魔法使いと密約を結んでいた。
入間の魔法使いのクーデター計画の大筋は、東京の魔女たちを全て傀儡にし、自分と魔女の交配によって高性能の子供を量産し軍隊を作り上げる、というものだった。
魔法使いは基本的に皆殺しだが、未来視の魔法使いだけは例外的に捕獲し操り未来視魔法に適性のある子どもを魔女との間に作らせるはずだった。
入間の魔法使いの最終目的は世界征服である。
まるで子供の夢のようだったが、ゾンビの魔女の目線では入間の魔法使いは極めて現実的な計画を立てているように思われたし、入間ならできるに違いない、と信じられるだけの知性と力があった。
入間と魔女たちの間に大量の子供ができるのは、ゾンビの魔女としても大歓迎だった。
美形の入間の魔法使いの子なら、さぞ顔が良くスタイルが良いに違いない。
特に入間の魔法使いと青の魔女の子供は美形同士の掛け算で大変大きな期待が持てた。
しかし、入間の魔法使いがクーデターを起こそうとしている相手は大人数で、吸血の魔法使い、未来視の魔法使い、青の魔女、竜の魔女など錚々たる面子が揃っている。
入間のクーデターが十中八九成功すると睨んでいたゾンビの魔女だが、万が一を考えクーデターの際に潜伏を選んだ。
クーデター時にゾンビの魔女は入間の魔法使いに手を貸さない。
しかし、抵抗もしない。
日和見をして勝った方につくコウモリになったのだ。
入間の魔法使いが目指す世界が理想だが、吸血の魔法使いが率いる世界だって悪くない。
入間の魔法使いはゾンビの魔女の日和見発言を鷹揚に許した。
入間の魔法使いは成功を確信してクーデターに踏み切ったが、さりとてセカンドプランを用意しない馬鹿でも無かった。
予測不能の何かが起きてクーデターが失敗した場合に備え、ゾンビの魔女を伏せ札にする事に同意した。
結果的には、二人の密約は功を奏した。
入間の魔法使いの計画は青の魔女によって破壊され、死亡。
黙って日和見を決め込んでいたゾンビの魔女は、入間の魔法使いとの連座で処刑される未来を回避した。危機一髪だった。
だが、政治の世界でコウモリは嫌われる。
対入間戦に参戦せず沈黙を選んだゾンビの魔女は相応に怪しまれる事になった。
入間の魔法使いを全く助けようとしなかったため、悪とまでは見なされなかったが、信用は失った。
ゾンビの魔女は、吸血の魔法使いと未来視の魔法使いに睨まれ動けなくなった。
しかし完全に潜伏し指先一つ動かすのにも神経を張り巡らせていたのは数ヵ月で、そこからは闇に乗じてコソコソ動き出した。
大怪獣侵攻で吸血の魔法使いがまさかの急死を遂げたからだ。
監視の目が未来視の魔法使い一人だけなら、動き難いが動ける。
入間の魔法使いから聞かされていた未来視魔法の弱点の一つに、暗闇がある。
未来視魔法は、未来の光景を視る魔法である。暗闇を見通す魔法ではない。従って、何も見えない真っ暗闇の中で何かが起きていても、未来視の魔法使いは分からない。
世界が崩壊し電気が失われ、東京はかつてと比べ闇が増えた。
ゾンビの魔女は月明かりすら消える新月の夜にだけゾンビを密かに動かし、入間の魔法使いの遺骸を集めた。
入間の魔法使いは氷漬けで殺された後、溶かし、燃やされ、存在が予測されている蘇生魔法がもし見つかっても絶対に復活できないよう、念入りに砕いて海に撒かれた。
ゾンビの魔女にとって幸いだったのは、遺骨の全てが海に撒かれた事だった。
骨が一本でも所在を明確にし厳重管理されていれば遺骨の完全収集は不可能になったが、そうはならなかった。
竜の魔女が財宝への嗅覚を持つように、ゾンビの魔女も死体への嗅覚を持つ。誰にも口外していない秘密の力だ。
ゾンビの魔女はかぐわしく匂い立つ入間の魔法使いの小さな遺骨の欠片を、毎月の新月の夜にだけゾンビを動かし、少しずつ、ほんの少しずつ回収していった。
ゾンビの魔女が所有するゾンビの総数はあまりにも膨大で、数百体がいなくなっても誰も気付かない。ゾンビたちが東京湾海底に散り、暗い海の底で遺骨を回収していても、誰も気付かない。
厳密には人魚の魔女が気付いていたが、幸い人魚の魔女は知能が低下している。海底を死体が歩いて骨を拾っていても疑問に思わない。歩く死体より、家族に贈る綺麗なクラゲを探す方に注意を向けていた。
入間の遺骨回収そのものは、魔王を討伐した青の魔女が東京に帰還した頃に終わっていた。
だが、遺骨のゾンビ化は控えていた。
まだ、今ではない。まだ、未来視が睨みを利かせている。
ゾンビの魔女のゾンビ化魔法には一定の制限があり、あまりにも死後時間が経ち過ぎた死体はゾンビにできない。
ゾンビ化の際に魔力最大値の減少が起きるのだが、生き物は死後徐々に魔力最大値を減らしていく。これは無機物と同じ微かな魔力量にまで均される、とも表現できる。
死後時が経ち、魔力最大値が減り過ぎた死体はゾンビ化しても魔法的死を起こし塵になってしまう。
その点、入間の魔法使いは青の魔女を上回る莫大な魔力の持ち主だ。ゾンビ化できないほど魔力が減るまでには相当の猶予がある。
早死に一直線の過剰労働をしている未来視の魔法使いの死まで、復活を待つだけの時間的余裕があった。
そして2031年4月。
未来視の魔法使いはかねてからの宣言通り静養に入った。
東京を一時去り、北海道の長閑な牧場へ居を移した。
ゾンビの魔女は、未来視の魔法使いは東京を去ったフリをしているだけで密かに舞い戻っているのではないか? と疑い、二週間ほど慎重に探りを入れた。
しかし、本当に北海道へ行っていると確信する。
ゾンビの魔女はほくそ笑んだ。
吸血の魔法使いなら、決してこんな油断はしなかっただろう。自分から決して目を離さなかった。警戒を解かなかった。
未来視の魔法使いの限界だった。
所詮は力を得た凡人に過ぎない。いくら力を尽くし必死に働いていようと、「本物」とは器量が違うのだ。
怪しまれないよう六年以上息を潜め続け、無害を装い、ついに気の緩みを引き出したゾンビの魔女の粘り勝ちだった。
無数のゾンビが声もなく犇めく国立病院の地下に掘られた空洞は、ゾンビの魔女の聖域だ。
特に顔とスタイルが良く性能の良い若い男のゾンビだけを集めた、彼女一人だけのための素晴らしき死体愛好逆ハーレム。
その耽美なる聖域の片隅に、一際濃い暗闇があった。
目玉の魔女の暗視魔法を唱えているゾンビの魔女の目には、暗闇に積み上げられた白く美しい骨の山が見える。
ゾンビの魔女はズラリと並んだ美男子の死体たちに傅かれながら、ヴェールの下に薄ら笑いを浮かべ、魔石を掲げて魔法を紡いだ。
「貴方が全てを棄て前へ進むなら、私は全てを拾い後に続く」
地面から紫の細い触手の群れがイトミミズのように湧き出し、バラバラだった骨片を拾い集め組み立てていく。
間もなく出来上がった十歳前後の少年の継ぎ接ぎ骨格標本は、涎が出るほど美麗だった。
ああ、入間の魔法使いは骨になってすらこんなにも美しい。
傅く美男子ゾンビたちは虚ろな目で興奮する主を見つめる。
ゾンビの魔女は修復された人体骨格に向け、鼻息荒く最も強力なゾンビ化魔法を魔石で増幅し唱えた。
「貴方が積み上げた屍の山さえ連れて行く」
羽虫の群れのようなザラついた黒い煙が指先から噴き出し、骨に絡みつき、染み込んでいく。
全ての骨に煙が吸い込まれると、骸骨はピクリと指を動かし、滑らかな動きで立ち上がった。
「おはよう、入間。ウフフフフ……!」
ゾンビの魔女は一糸纏わぬ動く白骨死体をうっとりと舐め回すように見た。
最も魔力消費の大きい強力なゾンビ化魔法を使ったため、入間の魔法使いの動く死体は生前と同じ人格と思考能力を宿している。
それでいて、ゾンビの魔女に従属し、命令に従う。
ゾンビの魔女には入間ほどの野望は無い。ただ、美しきを集め愛でたいだけだ。世界全てがどうなろうが、己の楽園が充実すればそれで良い。
入間の動く死体はそのための駒として最高級だった。愛でて良し、自分の手足にしても良し、である。
入間との密約では、蘇生魔法を発見したら入間にそれをかける、という約束だった。
しかし死者との約束を律儀に守ってやる必要など無い。
かつて東京を支配する寸前まで行った最悪の魔法使いは、これからゾンビの魔女の可愛い可愛いペットとなり動くのだ。知的な筆談相手としても楽しめるだろう。
早速、ゾンビの魔女は入間の動死体に命じ、自分に奉仕させようとした。
しかしその前に、入間の白骨死体は片手の人差し指を一本だけ立て、自らの口元に当てた。
意味は明白。「静かに」だ。
ゾンビの魔女は興味を惹かれ、命令を取りやめた。
蘇って早々、何か邪な企みがあるらしい。
白骨死体では魔法の詠唱もできない。人間より頑丈で、膂力が高く、知恵が回るとはいえ、今できる事などたかが知れているはずだが。
一体何をするつもりなのか?
ゾンビの魔女が指先を軽く振り自由にさせると、入間は手近な美男子ゾンビの首を掴み、へし折った。
特に気に入っていたゾンビの一体をいきなり破壊されゾンビの魔女は気色ばむが、入間はもう一度静かに見ているようジェスチャーをした。
入間は次々とゾンビたちの首を折り、口を引き裂いていった。
そうして七体のゾンビを破壊すると、肉の部品を引きずり出し、自分の骨に組み込み始めた。
唇、舌、頬、喉、肺。
時に細かく切れ込みを入れたり、髪の毛を千切り肉を縛り上げ形を調節したりしながら、みるみる入間は自分で自分を肉付けしていく。
ゾンビの魔女は、入間が己の管理地の人間と青梅の人間を消費し行った人体実験を思い出した。
具体的にどんな実験をしていたのかは知らない。
しかし、入間が今こうして行っている自己改造を見ていると、朧気に実験内容の一部は分かった。
入間は普通の人間と超越者の発声器官の構造の差異を、大量の被験者を解剖・改造する事で突き止めていたのだ。
人間の発声器官をどう改造すれば超越者の発声器官を再現できるのか、入間は知っている。
これを修得するため、入間は一体何百何千人の人間を消費したのだろう?
ゾンビの魔女は驚嘆と共に入間の自己改造を見守った。
如何なる知識と手技によるものなのか、前時代の医学常識では決してあり得ない事が起きている。世界に超越者多しと言えど、こんな離れ業ができるのはあらゆる意味で入間の魔法使いぐらいだろう。
しかし、ゾンビの魔女の驚嘆は更なる驚きで塗りつぶされる事になる。
手慣れた手際で己の肉付けを済ませた入間の魔法使いは、一つの呪文を唱えた。
「××××禁止を禁ずる」
不可視の何かが入間を中心に広がり、ガラスが砕けるような音がした。
同時に己と入間の間に繋がっていた魔法的接続が切れるのを感じ、ゾンビの魔女は愕然とした。
それは恐らく、遺失したとされる江戸川の魔女の魔法だった。
江戸川の魔女が魔法解除魔法を使うのは知っていた。入間の魔法使いは魔法解除魔法を習得しているだろうとも思っていた。
しかし、ゾンビ化効果を維持したまま従属支配だけを解除する小器用な魔法が存在するとまでは想像もしていなかった。
入間の魔法使いは動く死体として蘇った。
肉を取り戻し、声を取り戻した。
自由すらも取り戻した。
少し切っ掛けを与えただけで、全ての問題を解決してしまった。
畏怖と共に、凡そ六年ぶりにゾンビの魔女は思い出した。
入間の魔法使いの底知れなさを。
そして。
暗闇の奥から、爽やかで優しげな、幼い少年の美声が聞こえた。
「おはよう、ゾンビの魔女。僕のいない東京は生温かっただろう?」





