83 想いを噛みしめる
これは自慢なのだが、俺は器用だ。
そしてこれは自慢じゃないが、俺は鈍い。
俺は自分の器用さを誇りに思っているし、人生で人付き合いを徹底的に避けてきたがゆえの小学生並の社交能力だって恥じてはいない。
会話の中ですれ違いを起こした事に数日経ってから気付き、しまったやってしまった! と思う事はあれど、別に頑張って改善しようとも思わない。昔親に荒療治として無理やり社交ダンス教室に入れさせられ、三日でストレスのあまり倒れて痙攣を起こし病院に入る事になったりしたし。
俺は俺のままでいるのが俺にとって一番良いのだ。
しかし、今年のバレンタインデーにヒヨリから手作りチョコレートを受け取った時、俺はカスみたいな己の社交能力を振り絞ってチョコレートの意味を深く考えた。考えざるをえなかった。
だって、これはおかしい。
ヒヨリは親友だ。世界が崩壊する前だったら、俺だってバレンタインデーに友チョコぐらい贈った。チョコ美味しいし。スーパーやコンビニの棚にズラリと並んでいればついつい買いたくもなる。
だが、今は世界が崩れ去った後だ。前時代に製造されたチョコレートはとっくの昔に消費し尽くされた。
今チョコを手に入れようと思ったら、アメリカの蒸気船頼りのか細い海外交易路を頼り、目ン玉飛び出るような金と、個人的な趣味の頼みを聞いてくれるような強く太いツテを使って、原料のカカオを入手する必要がある。
チョコレートは高級品の中の高級品。簡単に手に入るシロモノではない。
現に東京ではチョコレートを贈る文化が死滅し、代わりにクッキーや色付き団子を贈るようになっているという。時流に適応した当然の変遷だ。
ところが、ヒヨリはチョコレートを贈ってきた。
アホみたいな金と時間と労力を使い、俺のためにハート形のチョコレートを作ってくれた。
いくらなんでもこれが友チョコや義理チョコというのは有り得ない。たかが季節行事の贈り物に力が入り過ぎだ。
これはおかしい。俺の壊滅したコミュ力でも読み取れる、明白な事実だった。
では、ヒヨリのチョコレートは何を意味しているのか?
俺は漫画や小説のバレンタインイベントシーンを読み込み、事例を分析し、チョコレートの意味を読み解いた。
結果分かったのは、どうやら「告白」を意味しているらしい、という事だった。
もちろん、漫画も小説もフィクションだ。フィクションと現実を混同するほど俺の頭は変じゃない。
昔テレビで時々みたバレンタインカップル特集も疑わしい。テレビが真実の一部を切り取り捻じ曲げて報道する事が多々ある事ぐらい知っている。
だが数多の情報が全て口を揃えて「それ、告白だよ」と言っている。
俺は判断に困り、俺の一億倍のコミュニケーション能力を持つ光の陽キャ代表スーパーガール、大日向慧教授を自宅にお招きし、チョコレートを見せ、事情を説明し、御意見を窺った。
「――――という訳で、俺はこれが告白なんじゃないかと疑ってる。教授はどう思う?」
質問すると、ニッコニコで話を聞いていたオコジョはウキウキした様子で言った。
「お答えする前に、大利さんの気持ちを聞かせて下さい。チョコレートを貰ってどう思いました?」
「嬉しかった」
「それはチョコレートだからですか? 青さんから貰ったからですか?」
「え。うーん……両方……?」
話が見えない。しかしたぶんこれは問診のようなものだろう。
姿勢を正し問われるがまま答えると、オコジョは少し考えて言った。
「ふむ。ちょっとそのチョコレートを貸して下さい。いいですか? ありがとうございます。
いきなりですけど、今日がバレンタインデーだと思って下さい。はい、私がチョコレートを持ってここに来ました。どうぞ、大利さん。バレンタインチョコです」
「おー、ありがとう」
「どういたしまして。はい、ここで今の気持ちと、青さんから貰った時の気持ちを思い出して比べてみて下さい」
「…………ん? なんか……ん? 同じ物貰ったんだよなあ。でもなんか……こう、ヒヨリに貰った時は胸のこのあたりがソワッてした記憶がある。教授のは普通に嬉しい」
俺が答えると、教授はますますニッコリした。
それから教授は実例を交えつつ、一時間もかけて俺に一般的な人間の感性やコミュニケーション、特定の条件下でのやりとりが持つ意味について懇切丁寧なレクチャーをしてくれた。
分かりやすいが濃密な講義を終えた教授は、授業の締めくくりとして俺に最終問題を出した。
「では大利さん。以上の事を踏まえて考えてみてください。青さんから貰ったチョコレートの意味は?」
「こ、告白……?」
大日向教授は俺の答えに夢中で前脚をてしてし叩き、拍手喝采を送ってくれた。
やったぜ。でもその拍手って正解って意味? 拍手だけじゃ分かんねぇよ。
「いや、どうなんだよ結局。告白なのか? 違うのか? 正解教えてくれ」
「いいえ、教えられません。正解を知っているのは青さんだけです。正解を本人に直接聞きたいですか?」
「いやっ、それは……! なんかダメだ。恥ずかしい」
「そうですよね? そうなるんですよ。それが恋愛感情というものなんです。これが告白だと思ったのなら、物でも言葉でも大丈夫ですから、何か気持ちを返してあげて下さい。そうしなければならないからではなく、そうしたいと思ったなら」
「うーん……」
腕組みをして悩む。プレゼント返しか。そうだよなぁ。
「『これは告白なのか?』と聞くのも大利さんなら仕方ないと思いますが、ちょっとオススメできないです。キャッチボールでいうと、相手が投げてくれたボールを掴んで、歩いて近づいて手渡しして返すようなものです。あんまりスマートじゃないですよね」
「ああ、なんか空気読めよって感じだよな」
「!? 分かりますか? 素晴らしい成長です! もう言う事はありません。こういうのはですね、私がああしろこうしろと言うのはダメなんです。アドバイスはしますけど、最後は大利さんが自分で考えて、自分の気持ちで行動しないと。頑張って下さいね」
オコジョは悩む俺の肩を叩いて激励し、軽やかな足取りで帰って行った。
本当に質問に答えるためだけに来てくれたオコジョに大感謝。
しかし、うーん。困った事になった。もしこれで告白じゃなかったら、告白だと思い込んで返事する俺はピエロだぞ。
……いや、そうか。だから世の恋愛漫画の主人公たちは告白だの付き合うだのなんだので一生モジモジしてるのか。相手の気持ち分かんないもんな。なるほどね。
大日向教授に介護してもらってやっと恋愛Lv1になった(と思う)俺に、ヒヨリのバレンタインチョコへのお返しは難問だ。
これ「気持ちは受け取った、付き合おう」とか答えたら男女交際始まるのか? 未知の領域過ぎる。小舟の乗り方を覚えていきなりバミューダトライアングルに突っ込んだら遭難しちゃうだろ!
とりあえず、俺はヒヨリのチョコは告白なんだと思う。
告白されて嬉しい。知らん人に好きと言われても鳥肌が立つし、蜘蛛の魔女や教授に好きと言われてもまあまあ、って感じだが、ヒヨリに好きだと言われたと思うとあったかフワフワした気持ちになって嬉しい。
……なんか小学生の恋愛みたいだな。我ながら。でも浮気だの不倫だの二股だのをするのが大人の恋愛なら、俺は一生小学生でいいや。
教授は「気持ちを返してあげて下さい」と言った。
チョコで返すのは物理的に相当厳しいので、俺にできる返し方をしよう。
つまり、魔法杖だ。俺にできる最高の返し方は杖だから。
いつものキュアノスのアップグレードは、いったん回収して、機能向上させて突き返すだけだった。
今度は気持ちを込めて返そう。
告白の先について考えていると内臓がぞわぞわして頭がおかしくなりそうになる。とりあえず杖作って気持ちを返す! これでヒヨリの告白の件に関してはひとまずヨシとしよう。
そうと決まれば善は急げ。俺は早速キュアノス改良のための図面を引きにかかった。
今回のアップグレードでは試作魔王杖レフィクルによって得られた知見を元に、無詠唱機構を拡張。魔力コントロールによる魔力回路の自由デザイン空間を確保する。今まで樹脂を充填していた多層構造の隙間空間を無詠唱機構で埋める設計思想だ。
これはもちろん理論に基づいているのだが、どちらかというと幾何学パズルに近い。限られた種類と数の幾何学パーツを使い、一つの大きな立体幾何学図形を作りなさい、という問題をやっているようなものだ。理論が完璧には理解できないので、幾何学方面からの推論で理論の虫食いを埋めて解決している。
この無詠唱魔法拡張機構が正常に作動すれば、ヒヨリは魔力コントロールによってキュアノスのコアの回路を逐次組み替え、多様なオリジナル無詠唱魔法をその場その場で構築発動できるようになるはずだ。
魔王杖の無詠唱機構性能が「1+1ができるよ!」だとするなら、キュアノスは「二桁までの四則計算ができるよ!」ぐらいの違いがある。
もちろん、相当複雑な魔力操作を要求されるはずだから、慣れるまでに苦労するだろう。
望む効果の魔法を発動できるようになるまで、途方もない試行錯誤が必要だろう。
だが魔力操作がズバ抜けて上手いヒヨリならきっと使いこなせる。
キュアノスはヒヨリにしか使いこなせない、ヒヨリのためのヒヨリ専用の杖だ。
俺が六年も昔から改良を繰り返している我が子のような杖なのだから、ヒヨリ以外に使われるのは嫌だ。常に最強の杖であって欲しいし、ヒヨリに持っていて欲しい。
図面を引いたら何度も見返し、不備が無いか確認する。
本当ならダブルチェックやトリプルチェックをしたいところだが、現状、俺以外に魔法杖の無詠唱魔法機構を理解できている人がいない。
一応クヴァント教授にはメモ書きや分解パーツの現品を渡しているのだが、メモ書きはそもそも俺が自分にだけ分かるように書いた物なので、解読に難儀しているらしい。大日向教授を通じて送られてきた質問状がどっさり溜まっている。すまんね。
でも俺としてはクヴァント教授にレクチャーするために手紙の返信をする時間があったら、キュアノス改良や分解に労力を費やしたい。
何しろ分解解析をしている俺本人も魔王グレムリンの全貌が分かっていない。質問状には「そんなの俺が知りたいよ」という内容も多い。
キュアノスを改良し。
分解を終わらせ。
クヴァント教授への質問に答え。
技術再現や原理究明に取り掛かる。
こういう順番で進めていきたい。
俺は図面に基づき必要な全てのパーツを用意してから、ヒヨリを呼んでキュアノスを預かった。
そしてコア内部の隙間に充填していた樹脂を取り除き、代わりに曲がり針と専用の極細ピンセットを使いパーツを入れ、内部で組み立てていく。さながらボトルシップLv100だ。
しかし部品の大きさが1~3mmと大きいので、特に手こずる事もなくサクサク組み立てていく。部品数が多いので時間がかかったが、アップグレード作業は全て合わせて半日で終わった。
工房の作業台に置いた何度目かの改良を済ませ鎮座するキュアノスを前に考える。
フム。あとはこれに気持ちを込めて、ヒヨリに返せばいい。
俺はしばらく考えた後、自分の胸に手をあて、気持ちを込め、スッとキュアノスにあてて気持ちを封入した。
よし。たぶんこれで気持ちこもったはず。
ヒヨリの手料理を食べたり、プレゼントをもらったり、肩くっつけられたりする時に感じるあのフワフワ感と同じものをキュアノスに込めた。
これで合ってるんだよな……? 「気持ちのこもったプレゼント」とか「愛情のこもった料理」という格言があるぐらいだ。「気持ち」はエンチャント可能な概念のはず。
俺はスキルが未熟すぎて気持ちをちゃんと込められたか判別する能力が無いが、ヒヨリは俺に気持ちを伝えられるハイレベルな使い手だし、俺がキュアノスに込めた気持ちは苦も無く判別してくれるだろう。
名付けて「竜炉彫七層型青魔杖キュアノス ~大利賢師の気持ちを添えて~」だ。
ヒヨリが気に入ってくれると良いのだが。
居間で仮面を布で磨きながら手持無沙汰に待っていたヒヨリは、俺がキュアノスを持っていくとサッと仮面をつけ立ち上がった。
「できたか」
「ああ。持ってみてくれ。コアを中心に柄も少し弄ったけど、全体のバランスに変化はないはず」
キュアノスを受け取ったヒヨリは軽く振り回して旋風を起こし、頷いた。
「良い感じだ。これは何が変わったんだ? コアの部分に魔力の……なんというか……なんだこれは? 魔力の吹き込み口のようなモノを感じるが」
「あ、そんなとこまで分かるのか。じゃあ話早いな。今まで通りの詠唱魔法もそのまま使えるけど、無詠唱魔法を使う時はそこから魔力を注いでくれ。
今回は前に見せた俺の試作魔王杖レフィクルの無詠唱機構の発展システムを組み込んだ。
要するにだな、これは電卓みたいなもんだ。電卓だけじゃ意味がない。でもヒヨリが数字を適切に入力すれば、適切な答えを返してくれる。魔力コントロールでコアに適切に魔力を注いで入力すれば、適切な魔法を出力できるんだ」
「ほう……」
「デフォルトの回路配置は一番単純な黒いビームにしてある。説明するより試した方が分かりやすいと思う」
俺とヒヨリは連れ立って裏庭に出た。
火蜥蜴たちが遊びっぱなしで散らかした焦げた鉄製オモチャが転がっていたので片付け、俺は過保護にもヒヨリが唱えた防御魔法の中に囲われ万が一にも流れ弾ならぬ流れ魔法が飛ばないように護られつつ試運転を見学した。
まず、構えられたキュアノスから無言のまま黒いビームが飛び出した。俺が試作魔法杖で撃ったよりも遥かに強い威力で木の枝にぶら下げた的を真っ二つにする。
それから今度は標的をフヨウが生成した高強度樹皮鎧を被せた案山子に替え、凄まじい連射速度でボコボコにし始めた。
や、やべぇ。黒いビームが秒間10発ぐらい出てる。まるでちょっとした機関銃だ。
数百発のビームを吐き出し案山子をボロボロにしたヒヨリは、撃つのをやめてしばらく動きを止める。
たっぷり三分は静止したヒヨリは、キュアノスから白く重そうな煙を垂れ流し地面に霜を立たせてから首を横に振り試運転を終了した。
防御魔法が解かれ、拍手を送る。
「すげぇな、もう使いこなしてんじゃん。魔法陣並の連射できてるし、なんかオリジナル魔法使ったろ」
「いや、連射はこの杖を持った魔女か魔法使いなら誰でもできるだろう。北の魔女の射撃魔法基幹呪文より操作性が悪いし、消費が重いのに威力も低い。無言で連射できるのは強みだが……あと、冷気の煙は魔力を垂れ流しているのとほぼ変わらない。使いこなすまでにはかなりかかりそうだ」
「ふーん。そんなもんか。で、どうだった」
「良い性能だ。気に入った」
ヒヨリは率直に褒めてくれたが、なんか違う気がする。
うーん? 聞き方間違えたか?
「今回は気持ち込めて作ったんだけど。どうだ」
「ああ。丁寧な仕上がりだと思う。いつもありがとう。嬉しいよ」
礼を言われてほんわかした気持ちになる。
俺がエンチャントした気持ちが伝わってるのかよく分からんが、まあこれでいいや。
ヒヨリの告白は受け取ったし、返事も返した。ヨシ!
お付き合いはもうちょい人間関係の機微を理解してからという事で一つよろしく。
「いいって事よ。ヒヨリにはいつも世話になってるしこれぐらいはな。あと六周年記念って事で」
「……ん? 何がだ? グレムリン災害からは七年だし、もう一週間ぐらい過ぎているが」
「は? お前何言ってんの? 俺が初めてヒヨリと会ったのが六年前の今日だろ」
わざわざ記念日に合わせて完成させたのに、ヒヨリは気付いていなかったらしい。
俺が勘違いを訂正すると、ヒヨリは一瞬言葉を理解できなかったかのように固まり、それから大袈裟にのけぞり仮面越しでも伝わってくるぐらい驚愕した。
「大利お前、記念日の概念を……!? どうした急に。びっくりしたぞ、まるで普通の感性の人間みたいな事を言い出すじゃないか。というか日付を覚えていたのか」
「そりゃ覚えてるだろ。殺されかかったんだから。もう気にしてないけど」
「う゛あ゛っ! そ、そのー、あの頃は私もピリピリしていて……」
びっくりしたり萎れたり忙しいヒヨリに笑ってしまう。
お互い出会って六年で様変わりしたもんだ。六年前の俺に「今殺そうとしてきた女と一緒に過ごすのが楽しくなる」と言っても信じなかっただろう。ヒヨリも「青梅を離れ、オコジョを溺愛して、今殺そうとした男にバレンタインチョコを贈る」と言っても信じなかったに違いない。
六年でこの変わりようなのだから、もう六年経てばどうなるのか想像もつかない。
もしかしたら……もしかしたら、六年後にはヒヨリとキスぐらいはしてしまうのかも知れない!
ヒエーッ! 想像しただけで照れるぜ。
俺はキスの想像だけでパニックを起こしそうになるのに、世の中のカップルや夫婦はチューよりもっとすんごい事をしているんだから恐れ入る。繁殖活動ってスゲー。俺には真似できる気がしない。
ま、でも真似する必要なんて無いし。俺は俺のペースでヒヨリともっと仲良くなっていこう。
とりあえず今は俺の得意な料理ではなく、ヒヨリの好きな料理を食わせてやりたい気分だ。食の好みを聞くところからかな。





