82 空振りチェック
世の中には「よりにもよって」というタイミングがある。
傘を忘れた時に限って雨が降ってきたり。
腹を下した時に限って近くにトイレがなかったり。
12月25日に東京を襲った震度5強の地震は、正にその「よりにもよって」だった。
よりにもよってクリスマス。
クリスマスムードに浮かれる人々は突然の災害に怯え惑い……とはならない。
これはもちろん未来視が事前に震度5強の地震が12月25日の昼頃に来るという警告を出していたからなのだが、面白い事に東京で飼われているフクロスズメ達も地震を予知した。
フクロスズメは重量や体積を無視できるカンガルーのような収納袋を持つ訓練された魔物、つまり魔獣だ。
その特殊能力と飼いやすさ、繁殖の容易さから日本全国で飼育されていて、運送業の柱として大活躍している。飼い主への極めて高い忠誠心と太っちょ体型の愛くるしさから、その利便性と無関係に飼う人も多いらしい。
そんな訳で東京では至る所でフクロスズメが飼育されているのだが、彼らは地震発生当日の朝から落ち着きを無くし、巣の建材として使っていた岩や倒木、鉄材をせっせと腹袋にしまい込んで片付け始めた。
そして午前中いっぱいを落ち着きなくソワソワと過ごした後、地震発生。で、地震が収まった後に安心した様子で腹袋の建材を出し、巣を再建築した。
この新たに判明されたフクロスズメの地震予知能力は、ますますフクロスズメの愛好家を増やしたそうだ。
魔物学科の見解によれば、フクロスズメの地震予知能力は建築能力と結びついたものだという。
フクロスズメは飛ぶのが遅く鈍くさく、普通のスズメより弱い魔物だ。本体が弱い代わりに重く大きく頑丈な巣材を腹袋に入れて集め、頑強な巣を作る。
しかし、建材が重く巨大なだけに、地震が来て倒壊してしまうと中にいるスズメや雛、卵が下敷きになって潰れてしまう。
ゆえに地震予知能力を獲得し、地震が来る前に巣を一時撤去し被害を回避する習性をもっているのだろう……という話だ。
あくまでも仮説・推測なので本当にそうなのかは分からないが、本当っぽい説得力がある。
フクロスズメの思わぬ能力は、数日前に公式発表された未来視の魔法使いの静養宣言による民衆の不安を和らげた。未来視が東京を去ってもなんとかなるという安心感が生まれたのだ。
未来視の魔法使いは引退して田舎に引っ込むのだが、表向きは体調不良による期間未定の静養という扱いになった。
これは東京に潜むワルい奴らへの対策だ。
東京には未来視の魔法使いが睨みを利かせているお陰で大人しくしているワルがいっぱいいる。引退宣言してしまうと、そいつらが暴れ出す。
だから表向きは一時的な静養という事にして、いつ帰って来るか分からない圧を残すのだ。
未来視の魔法使いのやつれっぷりは有名だったから、静養の必要性は誰も疑わない。
そして今まで大事件のたびに何度もブッ倒れながらも必ず復帰してきた男なので、静養は一時的なものだろうという論が大勢を占める。
良い感じに悪い奴らへの圧を残しつつ引退できそうだった。
まあそれでもヤンチャする奴は出てくるだろうが、流石に東京は未来視に全ておんぶに抱っこされないとヘコたれるほど弱くない。今まで何度壊滅の危機を乗り越えてきたのかという話だ。
ヘコたれたのは東京でも未来視でもなく、青の魔女だった。
俺とのクリスマスパーティーをよっぽど楽しみにしてくれていたのか、地震騒ぎでクリスマスがお流れになったヒヨリはしばらくの間ドンヨリになっていた。
俺としても残念だった。生まれて初めてただの12月25日ではなく、クリスマスを過ごせそうだと思ったのに。
しかしクリスマスは毎年やってくる。俺はションボリしたヒヨリと来年の約束をして、地震でめちゃくちゃになった工房の片付けと耐震工事に勤しんだ。
何年も前に竜の魔女に工房を破壊された時、修繕ついでに壁には鉄板を仕込んでいた。もし魔物に襲われた時に少しでも防衛に役立てば、という意図だったのだが、今回の地震ではそれが裏目に出るところだった。耐震設計が甘く、鉄板が崩れた壁から俺の方へ倒れ込みそうになったのだ。
あと少しでペシャンコになるところだった。下敷きになるぐらいならすぐにフヨウが根っこで助けてくれるが、運悪く頭か心臓あたりの重要臓器が潰され即死したらどうしようもない。
家に常備している最高位治癒魔法スクロールも、万が一未知の症状によって死にかけた時のために置いているマモノバサミも、どちらも即死には無力なのだ。人類は未だ蘇生魔法を発見していないのだから。
工房の片付けと耐震工事を終わらせ、落ちて割れた屋根瓦を廃墟の屋根瓦の無事なやつと交換して直し、倒れて破損した水車を修理し、地震被害から復旧した時にはもう一月末になっていた。
タイミングが悪いのが地震なら、タイミングを見計らってくれるのが大日向教授だ。
愛くるしいオコジョは俺が面倒事を片付けるまで奥ゆかしくお仕事の依頼を控えてくれていた。
地震からの復旧が終わり、さて魔王グレムリンのリバースエンジニアリングに戻ろうか、と考えた時に丁度やってきた教授は、魔王グレムリンと奥多摩の温泉や泉を使わせて欲しいと言い出した。
ヒヨリを詠唱係にして、魔法を試したいらしい。
俺は頷いた。が、許可はするが理由を聞きたい。
とりあえず三人で奥多摩駅のあたりにある温泉宿の廃墟に向かって歩きながら事情を聞く。ヒヨリの肩に乗ったオコジョは最近の魔法言語学研究について説明してくれた。
「今回やりたいのはいわゆる『空振り魔法』の条件チェックです。
前々から『効果を発揮しない』魔法は確認されていたんですよ。唱えても魔力を消費するだけで何も起きない魔法です。例えば、さざれ石の魔女さんの魔法は近くにグレムリンが無いと何も起きません。条件が満たされていないので、魔法が空振りするんです」
「あー、豊穣魔法が石に効かないとか、治癒魔法は死体に効かないみたいな?」
「そうです。煙草の魔女さんは魔法を元々二つしか持っていないのに、どちらも莫大な魔力を消費するだけで何の効果も発揮されず、大変苦労されたという話です。今もどんな効果の魔法なのか分かっていません」
「そりゃ大変そうだ」
スキルツリーが封じられているようなもんだろ? エグいぜ。
でも効果さえ分かれば唯一無二の特別性能してそう。ロマンあるよな、と言えるのは当事者ではないからだろうが。グレムリン災害最初期の動乱を魔法無しの腕っぷしだけで乗り切るのはけっこうなハンデだっただろう。よく生き残れたもんだ。
「世界一周を通して、私たち魔法言語学者は大量の呪文サンプルを手に入れました。同時に空振り魔法のサンプルも増えた。
だから今日は一つでも空振り魔法の効果発揮条件を見つけられればと思って」
「なるほど。あ、ここだここだ。あーあー、看板落ちてる。地震ってやつは全く」
俺達は温泉旅館の裏手に回り、半壊した屋内を通るのを避け、割れた窓から浴場にお邪魔した。
葉っぱや泥、崩落した天井の板材で排水溝が詰まった温泉はそれでもこんこんと湯を湧き出させている。
「青さん、お願いします。泉の魔法を二つです」
「ああ。かくして泉は守り人の味を覚えた」
ヒヨリが呪文を唱えたが、声が虚しく響くだけで何も起きない。
「…………。次だ。千年ぶりの再会に、泉守はようやく笑った」
別の呪文を唱えるが、またもや何も起きない。
「うーん、何も起きませんね」
「起きないな。なんか起きるはずだったのか?」
「いえ。もう他の泉で試しましたし、望み薄でした。ただ奥多摩は魔物が妙に少ない特別な土地ですし、この土地の泉ならもしかしたらと思って。温泉だとダメなのかも知れません。人の手が入っていない冷泉の場所って分かりますか?」
「人の手が全く入って無いのは分かんねぇな。いったん整備された後、何十年もほったらかしにされてるような泉なら」
「それで大丈夫です。また歩かせてしまって申し訳ないんですけど、もう少しだけ案内をお願いできますか?」
教授のお願いに従い、俺達はゾロゾロと奥多摩の泉を回った。
が、ダメ!
全て空振りで、空振り魔法が何か特別な効果を発揮する事は無かった。
家に戻って魔王グレムリンの各種分解パーツに泉がナンチャラという魔法とは別の魔法を唱えるが、これまた空振り。何も起きない。
全てが無駄足に終わり、何の成果も得られないという成果を得た教授は、居間で休憩しながらちょっと残念そうに小皿に盛った焼き煎餅をカジカジした。
「どんまい教授。めっちゃ泉に関係しそうな呪文だったのにな」
「呪文の文言と効果は必ずしも一致しないだろう。私も氷河の魔法を覚えているが、別に場所を問わずどこでも使える」
「それはそう」
ヒヨリの言葉に頷く。魔法言語の詠唱文ってちょっとよく分かんないもんな。だいたい詩的だけど、継火の呪文みたいな脳みそフワフワしてるやつもあるし。
「うーん。泉というのは人名か何かなのかも知れませんね」
「は? そんな事ある?」
「あります」
まっさかあ! というテンションで突っ込みを入れたのだが、思いのほか教授が真面目そうに頷いたので怯む。嘘だろ教授。
「例えば、そうですね。サハラ砂漠は分かりますよね? 砂漠の名前です。でもサハラというのはアラビア語で『砂漠』という意味ですから、サハラ砂漠は直訳で砂漠砂漠になるんですよ」
「へぇ~」
俺とヒヨリは教授の面白豆知識を揃って頷きながら受講する。
「他にもキリスト教やユダヤ教における唯一神の名前は、現代では固有名詞のように扱われますが、元々の語源は『在りて在るもの』『存在そのもの』といった意味の単語だとされています。ただの通称や定義の言葉が、外国語に翻訳される過程で固有名詞に変じるのはよくある事です」
「私のキュアノスが元を辿ればギリシャ語の『青』だ、みたいな話?」
「とても的確な実例ですね。御明察です!」
オコジョはヒヨリにちょこんと一礼した。
講義の最中でもいちいち可愛い生き物だ。魔法言語学の学生はよく授業に集中できるよな。いやできていない説もあるか。
「魔法言語においてもそういった翻訳時に起きる誤解や変化の観点で見て怪しい単語がいくつかあります。例を挙げるとですね、『王』と訳される単語が二つ確認されています。タルクェァとドンロウルです。
ドンロウルは間違いなく一般的な王を指す名詞なんですけど、タルクェァの方はどうやら人名に近い使われ方をしているようなんですよ。もしかしたら、タルクェァはただ単に王という意味なのではなく、タルクェァ王、という個人名を含む尊称なのかも知れません」
「あ~、ありそうありそう。超ありそう!」
「確かにありそうな話だが。そんなにガクガク頷くほどか?」
「だってさぁ、ヒヨリは無名叙事詩に人の名前が登場するの聞いた事あるか?」
「…………ないな。そういえば」
ヒヨリは記憶を掘り起こしたようだが、首を横に振った。俺も無い。
これはおかしな話だ。叙事詩に人名が登場しないなんて事があるか?
人類最古の物語「ギルガメシュ叙事詩」にはギルガメシュやフワワ、エンキドゥ、他にも神々の名前がどっさり登場する。
古代ギリシアの超名作「イーリアス」はアキレスやヘクトール、アポロンといった叙事詩に詳しくない一般人でも名前ぐらいは聞いた事がある名前が目白押し。
他にも「ニーベルンゲンの歌」「マハーバーラタ」「ユーカラ」など、世界に叙事詩は数あれど、人名をわざわざ念入りに避けて語られているものなどただの一つもありはしない。
「無名叙事詩に人名が全く使われてないって考えるより、実は人名じゃなさそうなどれかが人名なんだって考えた方がそれっぽいだろ」
「確かに」
「魔法文明の風習で叙事詩に固有名詞を使っていないだけかも知れないですけどね」
「……それも確かに。結局どうなんだ?」
「分かりません。無名叙事詩には主人公のような立ち位置の登場人物がいるみたいなんですけど、物語の途中で明らかに何度か立場や所属が変わって、それに応じて呼ばれ方も変わってるんですよね。そのせいで同一人物について言及しているのかハッキリしない詠唱も多くて」
「ややこしいな。まあ私達も0933と大利で同じ人間を別の名前で呼んでるし……」
「俺かよ。でもそういう感じなのかもな」
無名叙事詩は洒落た言い回しが多い。地球人に分かりやすく叙事詩の内容を説明するための文章になっているわけでもない。分かりにくくて当たり前だ。
俺が魔王グレムリンを通して魔法文明の超技術に迫っている間に、大日向教授率いる言語学研究者たちも、詠唱文を通して一歩一歩魔法文明の文化や歴史の真実に迫っているようだ。
魔法の全ての謎をこの手で解き明かしてやるなんて息巻くほど自惚れちゃいないが、寿命が尽きるまでに真相の輪郭ぐらいは知りたい。そのためにも頑張らないとな。ほどほどに。





