79 喋った!?
一カ月かけ、俺は魔王グレムリンの分解を8%進めた。
まだまだ先は長い。しかし得られた知見は多い。
48000個のパーツをバラした事により確信できたのだが、魔王グレムリンは魔法文明における幾何学と生体工学の極致だ。
例えば「高強度グレムリン」は蜘蛛の魔女の疑似餌材質の高純度版だった。
蜘蛛の魔女の疑似餌を彫った時に出た削りクズと魔王グレムリンの高強度グレムリンを比較したところ、偶然ではあり得ないほど性質が似通っていた。
しかし、魔王グレムリンの方がより均質で、安定性が高い。不純物が無いとも言い換えられる。天然物にありがちな不純物の混入や不均一さの一切を排し、人工的に合成・精製された物なのだ。
「不可視グレムリン」もそうだ。
幽霊タイプの魔物は物理攻撃を完全に無効化する。そういった魔物が持つグレムリンは目に見えない。しかし、魔物が死亡すると目に見えるようになる。
魔王グレムリンの構成パーツにも目に見えない不可視グレムリンが使われていたが、間違いなく魔王が死亡しているにも関わらず、不可視のままだ。
魔王は物理攻撃を完全に無効化したというから、幽霊タイプの魔物と同じ特徴を持っている。にも関わらず、死亡しても不可視を保っているグレムリンパーツがある。
幽霊が持つ不可視グレムリンの完全上位互換だ。
「多層構造」もそう。
野良ドラゴンの竜炉グレムリンをグレムリン問屋に依頼して取り寄せて貰い比較したのだが、やはり類似する特徴を持ちつつ、工夫というか、洗練というか、より高度に進歩した構造である事が分かる。
そういった魔物由来の生体構造を昇華した部品や美しい整合性を持つ幾何学構造が、回路のように、あるいは心臓に集約される血管のように、意図とまとまりを持ち配置されている。
それは非常に芸術的で、複数の幾何学立体図形パーツが集まり大きな幾何学図形を構成している事だってザラにある。
魔王グレムリンをこのまま分解する事は順調にできる。8%まで分解を進めた時点で一度も分解ミスをしていないし、最後までしない自信もある。
しかし、仕組みの解析は困難を極めるだろう。
間違いなく、魔王グレムリンは超絶高度な魔法理論に基づいて構築されている。
肌感だが、現在の地球の魔法学レベルを幼児の積み木ブロック遊びだとすると、魔王グレムリンは宇宙ステーションぐらいある。
魔王グレムリンでは全く同一にしか見えない部品が、明確に使い分けられていたりする。俺には区別が付かないが、恐らく何かしらの違いがあるのだろう。判別不能だ。
「蜘蛛の魔女の疑似餌に近い材質だろう」とか「竜炉グレムリンを元にしている構造だ」などと、理解の取っ掛かりが得られるパーツは圧倒的な少数派で、全体の99%は全く理解が及ばない。
一桁の足し算がやっとで、繰り上がりの足し算ができて喜んでいるレベルの雑魚が、超一流大学の数学教授が提唱する高等数学理論を理解できるだろうか? 無理だ。
しかしそれをなんとかするのがリバースエンジニアリングの醍醐味だ。
何しろ、魔王グレムリンは推定総パーツ数60万点。構築理論は分からずとも、構築結果のサンプルは莫大な数に上る。
言葉を知らない赤子が、日本語の文法が分からずとも、ただ莫大な日本語を浴びるように聞き覚え言葉を話しだすように。
ハリウッド映画を字幕無しで観て、キャラクターの表情やシーンの流れから台詞の意味を推測するように。
理屈が分からずとも、莫大なサンプルから理屈を逆算する事は可能だ。
魔王グレムリンが謎に満ち、理解からほど遠い存在であるほど、理解できた時のリターンは大きい。すぐに解析完了する程度のモノから得られる知見なんてたかが知れている。
魔王グレムリンから抽出できるであろう高等技術を想像するだけで、やる気がみなぎる。このまま何百日でも分解解析を続けられる気がする。
だが俺は魔法使いではないので体力は人並みだ。これは長い長い作業になる。やる気にスタミナがついてこない。
一カ月間分解作業に没頭した俺は、いったん休みの日をとった。ヒヨリとの川遊び以来の全休日だ。
遊びに来たヒヨリに今日は休みにしたと言うと、嬉しそうに散歩にでも行かないかと誘われた。悪くない提案だったので頷く。
電気が生きていればネットでアニメ映画でも観ながらのんびりするところだが、電気が死んでいると室内での娯楽は激減してしまう。ここ一カ月田んぼの世話以外で外に出なかったから、久しぶりに奥多摩を歩いて回るのも悪くない。
俺が玄関で靴を履いていると、外出の気配を聞きつけたモクタンが廊下に顔を出し、ミーミー鳴きながらいそいそ足元にやってきた。散歩のお供をしたいらしい。かわいいの権化かお前は?
「ミー」
「よーしよし、良い子だな。ヒヨリも散歩についてくるけど大丈夫か?」
「ミー!」
俺がしゃがんでモクタンの頭を指先で撫でてやると、モクタンは青の魔女を見上げ尻尾を揺らし元気に鳴いた。別に嬉しそうではないが、嫌がってもいないな。「許可する」って感じだ。
「ほらモクタン、餌をやろう」
「ミ」
ヒヨリがしゃがみ、ローブのポケットから木炭を出して手のひらに乗せ差し出すと、モクタンはそろそろ近づき、サッと木炭を咥えて離れた。
ヒヨリもだいぶウチの火蜥蜴と打ち解けたな。特にモクタンは三匹の中でも人懐っこいから、手から餌を取るぐらいにはなっている。まあ週4とか週5でウチに来てるし、それだけ顔を合わせていれば嫌でも慣れる。
二人と一匹で散歩に出かけると、空は薄曇りで良い感じに太陽が隠れ過ごしやすかった。薄く迷いの霧が広がる奥多摩をぶらぶら歩く。
季節はすっかり秋めいて、山際の風通しの良い日陰に生えているカツラの木は落葉が始まり、地面に広がった黄色と茶色の落ち葉からカラメルのような甘い香りを漂わせていた。
「お、キンモクセイ咲いてる。あれは……カボチャか? そういや去年か一昨年あの辺に種捨てた気がする」
「自然は逞しいな。いくつか持っていくか? そろそろハロウィンだし」
「マジで? もうそんな? 一年はえー! 去年の今頃は、えーと、甲類魔物の渡りがあった頃だろ」
去年は元気いっぱい暴れ散らかし世界を恐怖のズンドコに陥れていた魔王くんも、今じゃあコアをバラバラにされる辱めを受けている始末。世の中の移り変わりは激しい。
モクタンは散歩を続けたそうな顔でそわそわ足踏みしたが、俺とヒヨリは小振りなカボチャを何個か収穫する事にした。
カボチャの頑丈そうな太い蔓を素手でまとめて引き千切りながら、ヒヨリが話を振って来る。
「大利はハロウィンに興味無いのか?」
「無くも無い。教授が毎年くれるハロウィンのお菓子は楽しみにしてる」
「いやお前はお菓子をあげる側だろ。大人なんだから」
「いいだろ別に、くれるんだから貰っても。そういうヒヨリはどうなんだ?」
「私は……私もグレムリン災害の後は慧ちゃんに付き合うぐらいだな。そうだ、今年は街で私のコスプレ衣装が売れているらしい」
「え、なんで?」
「なんでも何も、私は魔女だから。ハロウィンは魔女や吸血鬼に仮装するイベントだろう?」
言われて深く納得する。
確かに~!
そうか、架空の怪物に仮装するイベントが本物のコスプレイベントになってるのか。そりゃそうだよな。
青の魔女にコスプレして「お菓子くれなきゃ悪戯しちゃうぞ」はなかなか怖いな。悪戯(家丸ごと氷漬け)って事ですか? リアル魔女はおっかねぇぜ。
「ミー。ミミッ」
「待て待てモクタン、靴紐引っ張るな。あっちの虫が食ってないカボチャ収穫したら散歩に戻るからな~。ヒヨリ的にはどうなんだ? 自分のコスプレイヤーが街を闊歩するのを見る事になるわけだろ。恥ずかしくないのか?」
「いや? 私の前職を忘れていないか? モデルだぞ」
「ああー、服着て広告塔になってコスプレしてもらう職業だもんな。そりゃ羞恥心なんてとっくに捨ててるか」
「なんか言い方嫌だな……だがまあ、そういう事だ。大利、向こうのカボチャはどうだ。良い色してる」
俺達は手持無沙汰なモクタンを待たせカボチャの収穫に勤しんでいたのだが、カボチャの色味だのサイズだのを気にしてあれこれしている内に、小さな火蜥蜴は痺れを切らし、盛んに鳴き始めた。
「ミー! ミミッ、ミミミ! ミ……ミーミ……オーリ!」
「!?」
鳴き声に紛れ、突然幼い女の子の声音で発せられた俺の名に、二人揃って耳を疑いカボチャを取り落とした。
「しゃ、喋った……!?」
「ヒヨリも聞こえたか!? ちょ、モクタン、もう一度。もう一度言ってみ?」
「ミミ?」
「ミミ、じゃなくて。今『大利』って言っただろ? ほらもう一度。大利!」
「ミーミ」
「惜しい。大利!」
「オーリ」
「うおおおおおおお、喋ったーッ! よーしよしよしよし! 偉いぞモクタン!」
「オーリ!」
頭をナデナデしてやると、モクタンは嬉しそうに鳴いた。
うーむ、飼い始めた頃は人間みたいに喋り出したらどうしよう? と不安だったが、いざ喋り出すと感動が勝る。まるで飼っていたオウムが初めて人の言葉を話してくれたみたいだ。
よーし、よーし。モクタンは賢いなぁ! この分だとツバキとセキタンも喋り出しそうだ。なんなら俺が知らないだけで、もう喋っているかも知れない。
俺は感激して指先でモクタンをあやしていたのだが、ヒヨリはめちゃくちゃ不審そうで、むしろ距離をとって警戒心を露わにした。
「おい。何も疑問に思わないのか? 喋ったんだぞ」
「そうだろ。賢いだろ」
「違う。魔物は喋らない。そいつは魔女だ」
「お……」
言われて、固まる。
脇のあたりに冷や汗が流れるのを感じた。
やっべぇ。そうだった。ヒヨリは今まで火蜥蜴が普通の魔物だと思っていたが、喋るとなると話は変わる。
複雑な親子関係が芋づる式にバレかねんぞこれ。
どどどどどどうしよう?
「い、いやぁ? 賢いだけで魔物なんじゃないか? ほら、見てみろよこれ。お腹のここ、グレムリン持ってるだろ? 魔女ならグレムリン持ってないだろ」
「む。確かに……いや待てよ? フヨウはグレムリンを持っていたよな。花の魔女の娘、魔女の子供ならグレムリンを持ち、かつ、喋る。火蜥蜴も魔女の子供なのか?」
「どっ、どうかなあ?」
「オーリ」
ヒヨリは俺に仰向けに転がされくてーっとリラックスしているモクタンを見下ろし、顎に手を当て考え込む。
名探偵ヒヨリ、それ以上はやめるんだ! 推理を進めると下手な昼ドラよりドロドロした家族関係が分かってしまうぞ!
「フヨウと同じで魔女の子が親に似るとするならだ。火蜥蜴の魔女なんていたか……? 竜の魔女……? いや違うな。あいつは変身してドラゴンになっているだけで、素は人間と見分けがつかないはず」
「ま、まあ、ヒヨリが知らない魔女もいるだろ。魔法使いの子かも知れないし」
「そうだな。火といえば継火か? 違うな、あいつは人型だ。真面目で勤勉だし、隠し子を作る性格でもない。むしろ神奈川の火の鳥の魔女か? とっくの昔に死んだが……うーん? 鳥と蜥蜴は違い過ぎるな」
ヒヨリは不可解そうだ。
セーフ! まあ、継火の百合放火ックスの変態性癖を知らなければ分かるわけないよな。
性癖をひた隠しにして、生真面目な継火の魔女で通していたって言ってたし。
ヒヨリも継火の魔女の子供説は思いついても、自分と継火の子供説は全く思考の埒外と見える。当たり前だ分かってたまるか。
……いや。
これを機にいっそ明かしてしまうか? もしも俺の予想が正しく、火蜥蜴がいつか芋虫が蛹を経て蝶になるように人型になるのなら、いずれ火蜥蜴の親はバレる。たぶん、人型になれば親に顔似てるし。
「オーリ、オーリ。ミミミ、オーリ!」
しかし俺の指を甘噛みして甘えてくる火蜥蜴を見ていると、ここで真相を告げてヒヨリ爆弾を炸裂させる必要も無い気がしてくる。
モクタンもセキタンもツバキも俺の子だ。いたずらに親権問題を勃発させる事もあるまい。
よし。ここは話を逸らして誤魔化そう。
モクタン、お前は何も心配しなくていいからな~。お前は大利家の一員。魔法杖工房の従業員だ。ヒヨリにも継火にも渡さんぞ。
「グレムリン災害直後に頓死した、表に出てきた事のない魔女の子って事なんじゃないか? 孤児だよ、孤児」
「そうか……? ふーむ。火蜥蜴が奥多摩に現れた時期と初めて会った時の体躯から考えると、生まれた時期は……」
「な、なあヒヨリ! 魔女は子供作れるらしいけど、魔法使いも子供作れるのかな!?」
「ん? ああ、作れる。入間がそういう人体実験をしていた」
ヒヨリは自分で言いながら一気に機嫌を悪くした。魔力が漏れだし、空気が重く冷たくなる。やべ、地雷を回避したら別の地雷踏んだ感あるな。
「いやあのクズの話はやめよう。吐き気がしてくる。そうだ、良い例もあったな。東北の兎と狼の間には去年長女が生まれたと聞く。両親の特徴を受け継いだ子で、グレムリン持ちだそうだ。東京魔女集会の連名で祝いの品を送った」
「へぇ。なんか家族がいる超越者って珍しいよな」
「そんな事も無いだろう。まあ、グレムリン災害後に家族になったり子供が生まれたりしたのは珍しいが。
夜の魔女は娘が二人いるし、旦那さんもご健在だ。あそこは羨ましいぐらい家族仲がいい。目玉の魔女も息子が二人いる。一人は成人しているはず……あとは人魚の魔女も兄だったか弟だったかがいた記憶がある。北の魔女も父親がご存命だな」
「めっちゃいるじゃん」
思ったより家族持ち多かったわ。
グレムリン災害は、生存者数が図抜けて多い東京近郊ですら8割以上の人口を削り落とした。両親に子供二人の四人家族なら、一人生き残るかどうかだ。家族の中で一人だけ生き残った、という人はたくさんいるだろう。
一方で、身内に超越者がいれば生き残りやすいのも確かだ。ヒヨリみたいに災害で人生狂わされて家庭崩壊する家族もあるから、魔女の家族だからといって必ず生き残れるわけでもあるまいが。
俺はヒヨリが火蜥蜴に注意を戻す前に、カボチャを押しつけ急かして散歩に戻った。モクタンもミーミー鳴きながら御機嫌で後ろについてくる。ヒヨリは良い感じにモクタンの出自についての疑問を棚上げにしたらしく、北の魔女が自分を避けているようだ、という悩みについてぺちゃくちゃとお悩み相談をし始めた。
子の成長は著しい。災害から六年以上が経ち、前時代を全く知らない世代がもう小学一年生になっていると思うとちょっと信じられない。
俺も歳をとるわけだよ。あんま歳とってる気はしないけど。
魔王が倒され、未来視の危険予知も無く、クソみたいな大事件の連続もようやく収まった感がある。
これからは平和な時代。魔法杖の活躍の場も減りそうだ。
それを残念とは思うまい。人がいる限り、魔法杖の需要は無くならない。第二第三の魔王登場! とかアニメだと定番だしな。漫画の引き延ばし展開でよくあるやつ。
まあ、もしいつか魔王が復活しても、今度は魔王グレムリンのリバースエンジニアリング技術で超強化したキュアノスVer.100ぐらいの最強杖を持ったヒヨリが成敗する事だろう。
そんな日が来る場合に備えるためにも、地道に分解を進めていかないとな。





