76 専用装備カスタマイズ
キュアノスに魔法文字を導入するにあたり、俺はアメリカ留学帰りの大日向教授の見識に頼りたかったのだが、帰国してからしばらく忙しそうだった。
世界一周の旅と魔王討伐はドラマチックでダイナミックなものだったというが、東京でもそこそこの事件は起きた。
長雨によって起きた大洪水は前時代から騙し騙し使われていた地下鉄網を完全に使用不能にした。地盤が緩み、崩落した箇所も少なくない。人魚の魔女の多摩川遡上と緊急手術も記憶に新しい。
東京を流れる河川流域の堤防やダムの修理はかなりのマンパワーが必要になると計算されていて、重機代わりの用途として教授が持ち帰った自己強化魔法の迂回詠唱研究が期待されている。
墨田区と八王子市の奪還が成功したのも大きな変化だ。
二つの地区はパンデミックで魔女が死亡して以来放棄されていて、失地回復はずっと叫ばれていた。
今回、甲類魔物がハケた隙を狙い、訓練を積んだ魔術師部隊が二つの地区に蔓延っていた魔物を一掃。奪還を実現した。
今はダイナマイト配備や砲台鳳仙花による防衛線構築、大魔法を封入したスクロールのストックなどにより、急ピッチで守備強化が進んでいる。
最近は甲類魔物の「渡り」が終わって九ヵ月が経過し、新しい甲類魔物の出現情報が増えてきている。これからの数ヵ月は、人類が奪還した領土を維持できるかの試金石となるだろう。
港区という前例があるし、上手くいくとは考えられているが、港区は近隣の魔女と魔法使いの厚い支援があり、臨海部が人魚の魔女に守られている好立地。呪殺魔法による広域監視も効いている。墨田区と八王子市よりかなり条件が良い。
港区よりも条件の悪い二カ所で奪還・維持ができたのなら、これからも安定した生存圏の拡大が見込める。
大日向教授は奪還された領土の防衛に関しての会議にも呼ばれていた。
もちろん、本業である教授としての大学の仕事も忙しい。
大日向教授は元々発話方面の魔法言語に堪能だったから、筆記についても非常に理解が早かったらしい。船上で魔法文字の基礎を網羅し、キューバに到着後にアメリカの魔法言語学研究員たちに教えを乞い応用に手をつけ、爆速で魔法文字を修得した。
アメリカ側も大日向教授の発話方面の研究を凄まじい理解力で習得していったそうだ。
やっぱ頭良い人はデキが違う。俺の十倍速ぐらいで習得してそう。
ただ、このたった数ヵ月でお互いに全ての知識の交換が終わり血肉にできたわけではない。
教えきれなかった事、教わり切れなかった事に関しては分厚い書類にまとめられ、交換されている。
大日向教授が持ち帰った英語の魔法文字教本・専門書・論文は、教授の帰還を待ちわびていた言語学科の人々によって余すところなく研究し尽くされる事だろう。
魔王討伐後のアメリカ国民本土帰還や、亡命政府を置かせてもらい世話になったキューバとの折衝、産業や生活基盤の再構築などのゴタゴタが済んだらアメリカは日本との蒸気船定期便を運航する予定だという話なので、これからの技術交流や交易も期待される。
諸々の仕事で大忙しだった大日向教授の手が空いたのは八月の夏真っ盛りになってからの事だった。
奥多摩に顔を出したオコジョは暑さでヘタっていたので、俺は急遽ペットサロン・オオリを開店。暖かい冬毛で固定されてしまっている体毛をトリミングし、梳いて毛量を落とし涼しくしてあげた。
小ざっぱりしたオコジョは身軽そうにぴょんぴょん跳ねて喜び、それから冷たい麦茶を入れた小皿をペロペロ舐めながら俺の相談に乗ってくれた。
「――――ってわけで、考えたのがこれ。『もったいぶって』の類似修辞記号を重ねられるだけ重ねて、魔法陣をゆーっくりループ発動させ続ける。これを杖の盗難セキュリティにする。
キュアノスなら使い手がヒヨリだから、『凍れ』だな。杖に内蔵した凍結魔法魔法陣が常に発動して、強い冷気を常に纏う状態にする。冷気に耐性があるヒヨリなら普通に使えるけど、耐性が無い奴は持ってるだけで凍える。指だってすぐ凍傷になるだろ」
「なるほど。キュアノスを盗んで使う事はできる。でも、本来の持ち主でない人は凍結デメリットが強制される……という理屈ですか」
「そう。そういう事」
言うなればキュアノスの呪いの装備化だ。
本来の持ち主であるヒヨリ以外が使おうとすると凍結ダメージを強いられるようにしたい。
荒瀧組にキュアノスが盗まれそうになった時から考えてたんだが、やっぱこれからもっとキュアノスの性能を盛ってくなら、使用者制限は必要だと思うんだよな。
欲を言えば、ヒヨリ以外がキュアノスを持っても全く使えない、完全な使用者限定ロック機能をつけたかった。しかし実現のための具体的なカラクリを思いつけなかったのだ。
だから妥協案としての呪いの装備化。
この呪いの装備化は色々な超越者たちに応用が利く。
ヒヨリはもちろん冷気耐性があるから、杖に冷気の呪いを付与。
継火なら炎の呪いを付与すればいい。
蜘蛛の魔女は迷いの霧を無視できるから、迷いの霧付与だ。
目玉の魔女なら石化の凝視とかだろうか。
魔女や魔法使いは、大抵自分自身の魔法系統に対して耐性がある。
そこを利用した盗難防止セキュリティだ。
俺が書いたキュアノス用の呪い魔法陣の下書きを丁寧に検分した大日向教授は、ちっちゃいおててに専用のミニ鉛筆を持って文章を添削してくれた。
「文法は合ってますね。流石大利さんです! このままお手本として教科書に載せていいぐらいしっかりした文章になってますよ。素晴らしい。
でももっと良いものにするために手を入れさせてもらうならですね、まずここの罫線をぐーっと伸ばしちゃいます。文頭の太線の直後の文字が細い縦線だった場合、間にこうやってスペースを追加して三つまで修辞記号を入れられるんですよ。ここのスペースに書き込んだ修辞記号は、全て文章全体にかかります。魔法ループ発動の低速化効果を最大化するなら、えっと、三つ別々の修辞記号を使うより、一つの修辞記号を二つの修辞記号で挟み込む二重強調表現がいいと思います。AをBで挟んでBABと書くイメージです。使う修辞記号は……」
教授が説明しながらサクサク添削した魔法陣は、かなり修辞記号が描きこまれゴッツい文章と化した。
ほえー。あの文章がこうまで変わるのか。素人目にもかなり難しい表記に変わったのが分かる。
「できました。これが最善だと思います……それと一つ聞きたいんですけど、大利さんが書かれた魔法文字のコレ、こういうのって手癖ですか? 全体的に文字があちこち細くなったり太くなってたり、なんというか、お洒落フォントみたいになってますけど」
「あ、それは俺が考えた飾り字。カッコイイだろ? 文字の機能を損なわない範囲で書き方イジってんの」
「……え? この書き方で魔法文字として機能するんですか?」
「する。ちょっとでも太すぎたり長すぎたりハネの角度がズレたりすると機能しなくなるギリギリのライン突いてるから、真似しない方がいい。オシャレ以外の意味無いし」
「へぇ~っ! いや、すごいですよこれ。面白い、天才です! この下書き貰っていいですか? 是非大学に持ち帰りたいです!」
「おー。持ってけ持ってけ。工房の設計図入れてる棚分かるよな? あそこに飾り字一覧表突っ込んであるから、興味あるならそっちも持ってっていい」
オコジョは礼を言い、楽しそうに床をチョロチョロ工房に駆けていった。
100%遊びの産物の飾り文字なんだけどな。まあ、教授も英語のイタリック体や筆記体、日本語の筆文字フォントを見て楽しくなっちゃうタイプなのだろう。その気持ち、分かるぜ。
魔法文字有識者に添削してもらったお手本を参考に、俺は反射炉に行って魔法合金を融かしキュアノスに内蔵するための魔法陣を書いた。後はこの呪いの文字部品を杖のコアと柄の境目あたりに組み込んで溶接してしまえば完成。
呪い機構は盗難防止のための装置だから、簡単に取り外されてしまうと困る。だから杖の機能が集約されている部分にガッチリ絡み合うように組み込み、下手に取り外そうとすると壊してはいけない機能まで壊れてしまうようにするのだ。
この呪いは解けませ~ん! キュアノスを盗もうとする不届き者は泣いて悔しがれ。
大日向教授は午前いっぱい奥多摩でのんびり避暑タイムを過ごし、お土産の飾り字書類を持って帰った。
そして入れ違いにヒヨリがやってくる。
午前中の間、ヒヨリは竜の魔女のところへ行っていた。
ようやく帰国したかと思えば「アメリカから預かった荷物は嵐に遭って全部海に落っことしちゃったの。悲しい事故だったの」とホザいた竜の魔女をシバき倒しに行ったのだ。
そんな小学生みてぇな言い訳、通るわけねーだろボケッ! ふざけんじゃねーぞトカゲ畜生が。
ちょっと返り血の拭い残しがある恐怖の取立人は、俺がキュアノスのアップグレードをしたいと言うと、待っている間にお菓子を作ると言って台所へ消えた。
最近料理に目覚めたらしいヒヨリは、遊びに来るたびに何かしらを作るようになった。それで判明したのだが、ヒヨリが作るお菓子はちょっと不可解な性質を持っている。
隣で調理風景を見ている限り、計量が不正確だったり、火の入れ方が甘かったりするのだが、不思議と食べるとふわふわした気分になるのだ。
自分でヒヨリのレシピを忠実に再現しても、同じ効果は表れない。
料理に愛情を込めるとか、みんなで食べるご飯は美味しい、という概念は知っている。
いや気持ちで味覚が変わるわけねーだろ、そんなのお世辞とかおべっかだよ! と思っていたのだが、まさか都市伝説だとばかり思っていた「感情による味わいの変化」は実在した……?
まだ半信半疑だが、もしかしたらこの食べるとふわふわした気分になるコレこそがあの伝説の「オフクロの味」というやつなのかもしれない。
サンキュー、ヒヨリ。また一つ賢くなったぜ。
ヒヨリが台所で料理をしている間に、俺はキュアノスをアップグレードした。
コアと柄の接合部あたり、逆流防止機構があるところにガッチリ嚙み合わせ呪い機構を追加。下手に除去しようとすると逆流防止機構が壊れ、不器用な奴が手を出せば魔石にもキズがつくようにする。
柄の表面にはヒヨリが使用する凍結魔法を六種類彫り、魔法合金を流し込み、細部を整えワックスで仕上げる。若干の誘導機能とコントロール補助、威力上昇をつけたから、命中精度が上がり、扱いやすく、そして強くなったはずだ。
俺が専用カスタマイズを完了したキュアノスを持っていくと、ちょうどヒヨリが料理を済ませ、焼きたてスモモクッキーを皿に盛っているところだった。
「できたのか? こっちもできたところだ。一緒に食べよう」
「ヒヨリがエプロンつけて台所に立ってると蜘蛛の魔女思い出すなあ」
「ッ! ……蜘蛛の魔女に悪気は無かった。蜘蛛の魔女に悪気は無かった。蜘蛛の魔女に悪気は無かった……ふーっ、落ち着け落ち着け……」
ヒヨリはぶつぶつ呪文を唱えながらエプロンを外して席についた。
聞こえてるぞー。蜘蛛の魔女に悪気なんてあるわけねーだろ。あんな善人、いや善蜘蛛なかなかいない。ヒヨリの帰還を受けて自分の管理地区に戻ってしまったのが惜しまれる。
クッキーを貪り食ってオフクロの味を堪能しながらキュアノスを渡すと、呪い機構に魔力が注がれ、キュアノスはたちまち白い冷気を纏った。
うむ。良い感じだ。実際は水蒸気や空気中の塵が冷えて白く見えているだけだが、まるで魔法のオーラを纏っているように見える。
防犯ヨシ、かっこよさヨシ。また良い仕事をしてしまった。大満足である。
魔法文字の活用法も分かってきたし、案の定魔王のドロップ品をパチろうとした竜の魔女の仕置きも済んだ。
魔王といえば、ゲームならラスボスだ。ラスボス素材でどんな物を作れるのか?
散々楽しみに待ってたんだ。じっくり舐め回すように加工に取り掛からせて貰おうじゃないか。





