75 魔王戦役がもたらしたモノ
俺が朝食を作っていると、ヒヨリはなんだかぐったりした様子で起き出してきた。
「おはよう」
「……おはよう」
ムスっとしたヒヨリは、俺が片手で顔を覆うジェスチャーをすると、腰にひっかけていた仮面を渋々装着し隣に立ち作りかけの朝食を覗き込んでくる。
「座ってろ。もうできるから」
「後は私がやろうか?」
「俺の方が料理上手いだろ」
「……蜘蛛の魔女には料理させてた癖に」
「なんだ? 蜘蛛の魔女の手料理食いたかったのか? じゃあ呼ん」
「いい、いい! やめろ。大利の料理を食べたい」
「だろ」
ヒヨリは大人しくテーブルについた。
料理は火加減と塩加減が肝要だ。俺は具材を精密に切って大きさを揃える事ができるから、熱の通りが均一でバラつきの無い仕上がりになる。調味料の計量も正確無比! 料理は任せろ。
夏野菜の漬物と出汁巻卵、イワシのつみれ汁、白米の朝食を出すと、ヒヨリは仮面の口元をズラして旨そうにモリモリ食べた。
「旨いか?」
「ん。毎日食べたい」
「アメリカじゃ和食出なさそうだもんな。向こうはやっぱパン食だった?」
俺も席につき、つみれ汁をすすりながら聞くと、ヒヨリは頷いてポツポツと遠征の話をしてくれた。
西側航路で地球を一周した黒船は、世界各国から技術や人材を収集したという。
残念ながら、世界周遊で特別な新技術は発見されなかったそうだ。でも被っている技術はあった。
例えば、インドでは東北狩猟組合のやつと同じ原理の秘伝のタレが広まっていた。ただしちょっと味や組成が違う。「魔物の肉を漬けこむと食べられるようになる、魔物の胃液の混合液」というのは変わらないのだが、インドではこれに特定の種類の魔物から採れる特別な胆汁を添加。酸味のあるタレはまろやかになり、仄かな甘みが加わって漬けた肉が美味しく食べやすくなる。
インドでは牛が神聖な動物とされていて、牛から変異した魔物は牛かどうか? その肉は食べていいのか? など論争が絶えず争いの元となっているようだが、ヒヨリ曰く、インドのタレは牛魔物肉を漬けこむのが一番美味しいそうだ。うまそう。
スペインのバルセロナは甲類魔物異常によってすり潰され壊滅していたが、生き残りが北海道魔獣農場と同じ原理のグレムリン埋め込み技術を伝えていた。
ただ、日本の埋め込み技術よりも高度だ。
アレルギーの無い人に埋め込む→摘出して改めてアレルギーのある人に埋め込む、という手順を踏む事で埋め込み時のアレルギーを低減する手法や、体表ではなく体内の臓器に埋め込む事でより深く魔物との繋がりを得る手法などがあった。
面白い。俺はもう埋め込んでしまった後だから、今以上にどうこうする事はない。しかしこれから埋め込む人にとっては非常に有用な発展技術だろう。
黒船艦隊は二十以上の国に寄港した。
各国の現状は様々だ。
文明社会を維持している国。
最近まで文明を維持できていたが、甲類魔物異常により破壊され建て直し中の国。
最近まで維持されていた文明の痕跡が残るのみで、人が消えた国。
生き延びるため国境を越え団結している国、内紛でバラバラになった国、数人の超越者のみが集まり暮らす村とも呼べない集落、人間に興味の無い強力な魔物の群れのお膝元で虎の威を借り細々と暮らしている人間だけの村、色々ある。
全体の総括として、世界の技術・文明水準はまずまずといったところで、日本とアメリカが技術的にも人口的にも二大巨頭。インドが数歩遅れて続き、あとはパラパラと小コミュニティがある感じだ。
もっとも、黒船の世界一周で寄港しなかった国も多い。恐らく、知られていないだけで他にもまだまだ未知の生存者コミュニティはたくさんあるだろう。
技術や人材とは若干違う方向性でいうと、魔法詠唱サンプルが爆発的に増加したのは世界周遊の最大級の成果だろう。
「魔王戦のために人材を供出すると、コミュニティの護りが無くなり壊滅するので援助できない」というカツカツのコミュニティであっても、詠唱文を教え合う魔法交易には非常に積極的だった。
黒船が世界を巡り収集した魔法の中には有用なものが幾つもある。
吸血の自己強化より魔力消費が重い代わりに、血液コストが無い自己強化魔法。
現地では家畜や石油生産プランクトンの繁殖増進に利用されていた発情魔法。
グレムリン焼却性能や大氷河魔法の氷を溶かす性能が無い代わりに消費が軽い火魔法。
日本の豊穣魔法は世界中に広められ、どこのコミュニティでもめちゃくちゃ喜ばれたそうだ。
それはそう。魔力消費がクソ軽くて、一般人でも唱えられて(迂回詠唱)、使用時に注意点はあるものの手軽に農産物収穫量を二倍強に増やせる。バグかチートかという超絶有能魔法だ。
でも、バチカン市国の聖女の魔法である治癒魔法には流石に負けるかも知れない。
魔王を討伐した勇者パーティの一人、聖女ルーシェの治癒魔法は、全人類が望んでやまなかった回復魔法だ。
聖女の奇跡は怪我を治し、不調を回復させ、高度な呪文になると被曝による放射線障害を癒し失った体の部位すら再生させる。解毒できるし、癌を治せるし、アルツハイマーすら治す。バケモン回復魔法だ。流石に死者は蘇生できないが。
人類は電気を失い、医療を大幅に後退させた。医療さえ維持されていれば助かったのに、医療が不十分だったために失われた人命はとてつもなく多い。俺だって盲腸ではなく、もう少し危険な病気になっていたらきっと死んでいた。ヒヨリの妹も、医療の喪失のせいで亡くなっている。
治癒魔法は世界の医療事情を大きく改善させるだろう。なんなら前時代の医療限界を凌駕した。
ただし、治癒魔法は万能無敵の最優魔法というわけでもない。
欠点の一つは魔力消費が大きいこと。
最も低コストな二日酔いや切り傷を治す程度の治癒魔法であっても、17K消費する。氷槍魔法より重い。
それでも外科手術と併用すれば、破れた血管の即時修復や損傷した臓器の応急処置に使えるというから17Kでも安い。
二番目に低コストな治癒魔法だと消費は80K。
魔女や魔法使いにとっては使い勝手の良い簡易治療として機能するが、一般人にとっては激重消費だ。日本で使える人は全国を探しても十人いるかどうか。
最上級治癒魔法になると消費は4200Kとなり、文句なしの大魔法だ。死んでさえいなければだいたい何でも即座に治せる法外な治癒魔法だから絶大な消費も妥当。だが、絶大な魔力を誇るヒヨリですら二連続が限界で、連続三回は使えないぐらい魔力消費が激しい。
なお、聖女ルーシェは種族的に回復魔法適性があるらしく、全ての治癒魔法を約1/7の魔力消費で使える上に回復効果範囲を操れる。つよい。聖女の二つ名は伊達じゃないな。
もう一つの欠点は、全ての詠唱に発音不可音を含む事だ。
が、日本が誇る魔法言語学教授にして東京魔法大学学長、大日向慧が既に最低コスト治癒魔法の迂回詠唱を開発し終えている。
あまりにも天才……!
もうね、あのオコジョ教授は人類史に刻まれていいよ。豊穣魔法と治癒魔法を両方人類が使えるようにしたの凄すぎる。
魔力消費がネックになるので、いくら魔力鍛錬によって人類の平均魔力量が上がっているといっても、治癒魔法の使い手はそこまで増えないだろう。
それでも俺が開発したスクロールがあれば、緊急用に魔女や魔法使いに消費のデカい強力な治癒魔法をストックしておいてもらう事ができる。
他の技術と組み合わせれば、治癒魔法のポテンシャルを最大限に引き出していける。
魔王戦でも俺の防御魔法アタッチメントと併せ、治癒魔法スクロールが大活躍したそうだ。
「大利のスクロールは少なく見積もってもアメリカの変異者を10人は救った。魔法杖と合わせれば全員の命を救ったと言っても過言ではない。誇れよ大利、お前は世界を救ったんだ」
そう語るヒヨリは我が事のように嬉しそうだった。
そ、そーなの? 俺、世界救ったの?
世界一の大天才魔法杖職人を自負してはいたけど、なんか世界救ってたらしい。
……全然実感湧かねぇ~!
ヒヨリたち勇者パーティーが魔王とドンパチしてる間、俺は田舎でぬくぬく魔法文字の勉強をしたり、人魚の手術をしたりしていただけだ。
それで「お前のおかげで世界が救われた」と言われても全くピンと来ない。俺が救ったのは人魚だけだぞ。世界って言われても、ねぇ?
まあヒヨリが言うなら救ったんだろうけど。世界を救った証が目の前にあるわけでもないし。
ああそうだ、世界を救った証といえば。
「魔王ってどんなのだった? ドロップアイテムは? グレムリンはどうだった?」
勇者パーティーやアメリカ軍のために、俺は大量の魔法道具を作った。
そのお代として、魔王素材をもらう契約だ。
どうだったんですか、ヒヨリさん!
魔王はどんな奴だったんですか! どんなアイテムが手に入ったんですか!
「魔王か。魔王は人型の黒い巨人だな。角が生えていて、全身が黒いぐちゃぐちゃした触手のような物に覆われていた。吸収した魔女と魔法使いの魔法を使うから、一応喋る……のかな。四人でかかったのに魔力の底が見えなかった。とんでもない化け物だよ。二度と戦いたくない」
「ほう。馬鹿魔力って事はグレムリンも大きかった?」
俺が身を乗り出すと、ヒヨリは申し訳なさそうに頭を掻いた。
「いや、すまない。私は倒した時に気絶していたから分からないんだ。ただコンラッド……あー、勇者パーティーのリーダーが言うには、死んだ時に今まで吸収した魔女、魔法使い、魔石を全て吐き出したそうだ。しかも砕けたはずの魔石は元通りにくっついていたし、損傷が激しかったはずの魔女の死体も綺麗に直されていた。理由は分からない。魔王に吸収されたモノが消化されず無事である場合も想定されていたが、修復が行われているのは誰も想像していなかった」
「んん……? 砕けた魔石が元通りに直るのはまあ分かるけど、っていうか地味に凄い事してるけど、死体まで修復されてた……? なんで?」
「さあ。私には分からない。そのあたりはアメリカが原因を探っていくだろうさ。
竜の魔女がアメリカで利権を得た鉱山を見て回った後に、魔王から採れた素材とその価値をまとめた一覧を持って帰国するはずだ。魔女や魔法使いの死体は流石にアメリカに返した方が良いと思うが、最低でも複数個の魔石は手に入るだろうな。楽しみに待っておけ」
「おお。けっこう良さげだな」
魔王の死体が吸収したモノと一緒に黒グレムリンのように全部消滅するパターンすら考えられたのだから、ヒヨリの語る情報はかなり嬉しい。
超越者の死体は要らんから、魔王素材と魔石(+魔王グレムリン?)を選り取り見取りで選ぶ事になりそう。
竜の魔女が魔王素材と価値評価一覧を持ち帰ってくるというのが不安要素ではある(絶対くすねようとする)が、ヒヨリが脅せばゲロるだろう。
ワクワクしてきた。
魔王素材の到着が楽しみだ!





