69 スクロール
これは大多数の言語に該当する法則なのだが、同一内容の文章を読解難易度の異なる語彙で記す事が可能だ。
つまり、だいたいの文章は、ムズい言葉とカンタンな言葉で書ける。
魔法語も同じで、詠唱を文字に書き起こすと複雑性の違いが一目瞭然だった。
例えば吸血の魔法使い由来の詠唱は魔法語的に非常に難しい言い回しをしている。
使われている文字数も種類も多いし、修辞記号が全部罫線の上についている(上品で高貴な言い回し)。しかも修辞記号の使い方が高難易度で、今持っているアメリカ由来魔法文字資料を参照しても説明できない使われ方をしている。
吸血の自己強化魔法は貧血のデメリットこそあるものの、消費魔力がたったの1Kであり、効果に対してコストが著しく低い。東京魔女集会の面々が愛用する優秀な魔法だ。
この魔法の発音不可音を迂回詠唱で回避して、一般人でも唱えられるようにする試みは何年も続けられてきた。
しかし、大日向教授(父)の研究チームはこの自己強化魔法の詠唱実験失敗によって何人も死んでいる。
大日向教授(娘)のフラクタル型魔法杖アレイスターによる研究効率化をもってしても、迂回詠唱は未だ実現していない。
自己強化魔法を文字に書き起こすと詠唱の改造難易度の理由がなんとなく分かった。そもそも高難易度の言い回しがされているので、ちょっと弄っただけで文がおかしくなってしまうのだ。
一方で、継火の魔女由来の詠唱は魔法語的に非常に簡単な言い回しをしている。
使われている文字数も種類も少ないし、修辞記号が全部罫線の下についている(子供っぽく軽快な言い回し)。しかも修辞記号の使い方が低難易度で、今持っているアメリカ由来魔法文字資料を参照すれば簡単に説明できる。
発音するとリズミカルに韻を踏んでいたりするし、口に出して読みたい魔法語って感じだ。
吸血の魔法が六法全書だとすると、継火の魔法は幼稚園児向けの絵本。
それぐらい、文章の複雑さに差がある。
無名叙事詩仮説を元に考えると、叙事詩の地の文から引用されている詠唱は特に上品でも下品でもない普通のニュアンスだ。
しかし叙事詩の登場人物の台詞から引用されたと思われる詠唱は、登場人物のキャラクター性に応じて言い回しに著しい差がある。
このあたりは無名叙事詩の謎と全貌を解き明かす大きなヒントになりそうだ。
何にせよ、魔法語の書き文字文法規則を学ぶ初学者としては継火の魔法の呪文が教材として非常に有り難い。絵本並みの簡単な言い回しだから、構造が分かりやすいし、改造もしやすい。
蜘蛛の魔女の疑似餌彫刻をしてから一カ月が経った頃。
俺は魔法文字の基礎に習熟し、詠唱の中でも一際簡単な継火の魔法の基幹呪文「焔よ」の改造に成功するに至った。
呪文原文の修辞記号を二つとも取っ払い、代わりに新しい修辞記号を二つ追加。
これで原理的には魔法が「もったいぶって」、つまりゆっくりと発動するはずだ。
呪文の書き文字改造ができたら、次は筆記する。
粘土板に火蜥蜴たちに溶かしてもらった魔法合金で文字を書く。赤熱する金属が冷えて固まれば、いよいよ準備完了だ。
魔法文字で書く文章には文頭である事を示す記号が必ずついている。この記号に魔法杖のコアを当てて詠唱すれば、魔法文字の効果に沿った魔法が発動する(魔女や魔法使いは詠唱するだけでいい)。
「焔よ」
裏庭に魔法文字を記した粘土板を置いて呪文を唱えると、文字が光りカセットコンロのように火を出した。
ザックリ時間を数えた限りだと、赤い火は12~3分燃え続けてから消えた。
ゆっくりと時間をかけて燃えた分、原文の魔法より火力は弱かった。弱火でじっくりって感じだ。
うむ。ま、こんなもんだろう。
料理とかに使う分には便利そう。原文の強火と改造の弱火で火力を弄れるようになったのは地味に大きい。俺は火蜥蜴に頼むだけでそのへんの調整ができるから使わないけど、こういう細かい進歩の積み重ねが生活を向上させていくのだ。
魔法文字の初実践は、じっくり学んで基礎を固めた甲斐あって事故もなく成功に終わった。
ここからは応用編。
貯め込んできた魔法文字活用アイデアを試す段階が来た。
無論、まだまだ勉強は続けていくのだが、魔法文字でちょっとした実験ができるぐらいにはなった。
俺がやりたいのは「スクロール」の再現。この概念の実用化はアメリカの資料にも記されていなかった。
スクロールは、ファンタジーRPGやTRPGによくあるインスタント魔法道具だ。
巻物に魔法が記されていて、一回こっきりの使い捨て魔法を発動できる。
魔法をチャージして発動予約しておき、好きなタイミングで解放する技術は既にある。正十二面体フラクタル魔法杖がそれだ。
しかし、正十二面体フラクタルで一度魔法を待機状態にすると、威力が大幅に下がってしまう。デフォルトで威力1/100。小細工を弄して引き上げても1/10だ。
あまりにも効率が悪い。
そこで魔法文字が役に立つ。
魔法文字、マモノバサミ、アメリカ由来の使い魔魔法「生文字」の三つを併用すれば、理論上は威力低下無しで魔法を予約発動するスクロールを作れるはずだ。
生文字魔法はアメリカにおける目玉の使い魔に相当する。
生文字魔法を唱えると、指先に黒い魔法のインクが溜まる。このインクを使うと、紙だろうが土だろうが空中だろうが、どこにでもなんでも書ける。文字でもイラストでも好きにかける。
インクを使い果たし書き終えると、書いたモノは生きているように意思を持って動きだす。
アメリカでは生文字魔法が伝書鳩代わりに使われているそうだ。消費魔力は4K。誰にでも使える魔法では無いが、手軽な部類。
目玉の使い魔と違い魔力最大値を削らないし、時間経過で消えるし、ダメージに弱いし、射程も短いし、飛べないし、電話機能も無い。無い無いだらけな分コストが軽い。
俺が考えているスクロール製造では、この生文字魔法のコストの軽さを利用する。
マモノバサミは捕らえた生物の大きさや魔力量を参照し、時間遅延をかける事ができる。
大きな生物や、強大な魔力の持ち主には効果が薄い。
逆に言えば、小さくて魔力の少ない相手には抜群の効果を誇る。
目玉の使い魔は魔法的には生物扱いで、マモノバサミに反応する。
生文字もマモノバサミに反応する。
そして生文字は平面上の存在であり小さい上に、魔力も微弱だ。マモノバサミの効果は最大限に発揮される。
まず、魔法文字で魔法陣を書く。
その魔法陣をマモノバサミで囲む。
マモノバサミに魔力をチャージし、発動待機状態にする。
で、魔法文字を起動させ、魔法がループ発動するようになった状態でマモノバサミの中に生文字を入れ、時間遅延発動。
こうすれば魔法がループ発動の途中で時間停止同然にまで遅くなる。魔法をストックできるわけだ。
あとは発動したいタイミングでマモノバサミの輪を崩せば、時間遅延が解けて魔法が発動する。
理論上は上手くいくはずだ。
俺は蜘蛛の魔女に手伝ってもらい、せっせとスクロールを作った。
マモノバサミの素材には荒瀧組事件後に製造した魔石杖の端材を使用。これを髪の毛のように細く割り、鉄鋼羊の羊皮紙に埋め込んで円を描く。
マモノバサミの円の内側には「焔よ」の魔法陣を魔法合金で描く。
最後に蜘蛛の魔女にマモノバサミの魔力を充填してもらい、生文字魔法を唱えてもらえば準備完了だ。
ちなみに羊皮紙に一連の機構を組み込んだ意味は特に無い。カッコいいからだ。
焔魔法を唱えると魔法陣が呼応し文字が光る。そこですかさず生文字を魔法陣に突入させると、理論通り生文字が停止した。
魔法陣の光も円に沿って流れる途中で停止した。
停止が成功したなら今度は解放だ。
俺がスクロールに描いた二重円の外円、マモノバサミを構成している円の一部をズラし円を壊すと、途端に止まっていた時が流れ出し炎が吹き上がった。
よしよし。成功だ。作ったものが理論通りに動くとめちゃくちゃ気持ちいい。
これでスクロールは実証できた。
マモノバサミで魔法陣を囲む基礎構造を守れば、羊皮紙に限らず色々な道具に機能を仕込めるはずだ。
ただしマモノバサミの時間遅延には有効時間があるから、マモノバサミの効果が時間切れになると勝手に発動してしまう。注意が必要だ。スクロールには残念ながら消費期限がある。改善の余地ありだな。
俺がスクロール実証機一号を検分しながら考えていると、実験助手を務めてくれていた蜘蛛の魔女が畏れを滲ませ言った。
「新技術ってこんなにポンッてできるものなの? 大利が特別なだけ……?」
「いえ、確かに俺は天才ですけど、今回に関しては既存技術の組み合わせなんで。俺が見つけなくてもそのうち誰かが見つけてたんじゃないですか?」
実際、そんなに難しい事はやっていない。
マモノバサミ部分が難しいと言えば難しいが、精度を落としてサイズを上げれば一般的な腕前の職人でも真似できるだろう。
だが、こういうのはやったもん勝ちだ。いずれ誰かが発見したであろう技術でも、第一発見者になったというところに意味がある。
何よりスクロール技術は小型化すれば杖に仕込む事ができる。ククク、杖作りも小型化も俺の得意分野。また俺の杖の有能機能が増えてしまうぜ。
「蜘蛛の魔女さんの杖もコレ使ってアップグレードします? いや弄られたく無いんでしたっけ?」
「ううん、全然弄っていいよ。でも……うーん……大利、コレを杖に仕込むなら防御魔法がいいと思う。攻撃魔法仕込むより、ワンタッチで防御魔法を展開できる方が嬉しいかな。きっと死傷率すごく変わる……」
「あ、そうなんです?」
「うん。荒瀧組の魔女がもの凄く堅い防御魔法使ってた。アレを瞬間発動できたら便利だし、みんな喜ぶよ。確か大学で詠唱再現してたはず……ちょっとうろ覚えだから確認とっとくね……」
ふむ。
俺には戦闘の機微はイマイチ分からんが蜘蛛の魔女が言うならそうなのだろう。
まあ確かに相手が即死魔法撃ってきて避けられない時にパッて防御できたら心強そう。来たるべき魔王戦でも使えそうだ。
もうちょっと調整したら、現物と設計図をアメリカに送ってもいいかも知れない。





