67 おっきな蜘蛛さん着任
アメリカ御注文の品を納品し、魔王素材優先獲得権利書を受け取った俺は、奥多摩で旅立つ二人に別れを告げた。
ヒヨリと教授を乗せて出航する黒船は、中国→インド→地中海経由の西ルートでアメリカに戻る。各地で生存者コミュニティを探し、戦力を募りながらの船旅となる。
二人が大きくなって戻って来るのを期待したい。
でも戻ってきてくれれば別に小さくなっても良い。元気で健やかなのが一番だ。
朝早くに二人とサヨナラをして一時間もしないうちに、奥多摩の迷いの霧の向こうから八本脚の巨大な影がやってきた。その内一本には俺が作った杖がホルダーに収まり装備されている。
「蜘蛛の魔女さーん! こっちこっち!」
玄関前で手を振ると、蜘蛛の魔女は軽く脚を挙げて応え、俺の前まで這ってきてキィと鳴いた。
「おはよう。大利、久しぶり。元気そうだね……」
「蜘蛛の魔女さんも。相変わらずお美しい」
前会った時と変わらない、惚れ惚れするフォルムだ。
車サイズの黒い巨体の背には凶悪な大棘が生え、足には細かい毛がびっしり。
七つの複眼は昆虫的な無機質さで、感情が読めない機械のようで安心感がある。
これで性格も良いんだから言う事が無い。彼女と知己を得られたのは俺の人生で指折りの幸運の一つだ。
蜘蛛の魔女はキィと鳴き、腹のあたりから紐で縛って纏めた反物を差し出した。蜘蛛糸の布だ。
「ありがとう。これ、つまらないものだけど挨拶代わりに。受け取って欲しい……」
「あっすみません気を遣ってもらっちゃって。別にいいのにこんな、俺は護衛してもらう立場なんですから。しまったな、俺なんも用意してねぇや」
「いいよ、気にしない。私が勝手に用意しただけ……」
俺達は玄関前で軽く談笑した後、先住民への挨拶周りに向かった。
まず火蜥蜴たちだが、先日脱皮したのをきっかけに住処が変わっている。
一番体が大きく態度もデカいツバキが反射炉。
一番人懐っこいモクタンが土間の竈。
一番のんびり屋のセキタンが工房の小型炉。
それぞれ別々に金属材で巣を作り、そこで寝るようになった。体がデカくなってきて一つの巣では窮屈になったのだろう。
生まれた時は8cmぐらいしかなかった火蜥蜴は体はグンと大きくなり12cmに。
もうすぐ二歳になるとはいえまだまだ幼いが、フヨウのお下がりの知育用ブロックを前脚で積み上げて遊んだり、三匹で「誰が一番早く金属を溶かせるか競争」をしていたりする。物の構造を考え、ルールを決めて遊ぶ事ができているのだ。めちゃ賢い。
そのうち喋り出しそうで、怖くもあり楽しみでもある。
裏庭でボロボロの耐火煉瓦の上に三匹並んで寝そべりぐーたらしていた火蜥蜴たちは、蜘蛛の魔女が現れるとびっくり仰天して煉瓦から転がり落ち、ミーミー鳴いて口から火の粉を散らし威嚇した。
「うう、ごめんね……怖いよね……」
「す、すみませんウチの子が。まあ段々慣れてくと思うんで」
蜘蛛の魔女がしょんぼりしてしまったので、面通しだけして裏山へ。
火蜥蜴は初対面で蜘蛛の魔女に糸でグルグル巻きにされたから、そりゃまあ怖いだろう。
第一印象が最悪なのは分かるが、良い魔女なので仲良くしてあげて欲しい。
裏山の我が家を木々の隙間から見下ろせる位置に根を下ろしているフヨウは、蜘蛛の魔女を歓迎するために虫系や菌類系魔物を殺す精油散布をオフにしている。
想像がついていた事ではあるが、フヨウは蜘蛛の魔女を見ると嬉しそうに蔦を伸ばし、脚を掴んで握手のような事をした。
「こんにちは、クモさん! 仲良くしてね?」
「え。うん、よろしく……君も怖がってない、ね……?」
「あのねー、クモさんにはね、虫やっつけるの手伝ってほしいの! 遠くにのばした根っことかー、葉っぱとかー、虫にカジられちゃうの。クモさん虫食べるんでしょ? 私のおせわして。おねがい!」
フヨウが蔦と腕をワチャワチャ動かし、一生懸命説明する。このへんは俺の入れ知恵だ。
フヨウが蜘蛛の魔女を嫌ってしまったら、何かの拍子に癇癪を起こして精油を突然撒いて蜘蛛の魔女を殺しかねない。この二人には仲良くしてもらわないと困る。
だからフヨウには「蜘蛛は肉食で、植物につく害虫を食べてくれる」と事前に吹き込んでおいた。
フヨウの精油は魔物にしか効かないから、地球原産の虫には無力だ。それでいちいち自分で害虫駆除をするのは面倒臭いらしい。花の魔女にはたびたび手紙でちゃんとお手入れしなさいと小言を言われているもののサボりがち。
そこを蜘蛛の魔女が手伝ってくれる、という美味しい話を知り、フヨウは機嫌が良い。
「フヨウちゃん、だったよね……? ちゃんとお願いできて偉いね。でも、私はアブラムシとかバッタとかは食べないんだよ。ごめんね……」
「えっ? そうなの……?」
「でも、蜘蛛系の魔物はだいたい私の命令聞くから。地球産の蜘蛛は通じたり通じなかったりだけど。配下に害虫駆除させるって形でもいいかな……?」
「んっと、つまり虫やっつけてくれるんだよね? やったー! ありがと、クモさん!」
フヨウは文字通り花開くように笑い、喜んでお礼を言った。蜘蛛の魔女はキィと鳴く。
蜘蛛の魔女は恐怖が視える。そして恐怖しているほど、美味しそうに見えるのだという。俺の入れ知恵のおかげもあり、フヨウは蜘蛛の魔女に好意的だ。そもそも植物にとって肉食性で害虫を食べる蜘蛛は味方なのだから、充分友好関係は成立する。
蜘蛛の魔女は自分を全然怖がらない花の魔女の娘に嬉しそうだった。
「フヨウちゃんは良い子だね。大きくなったらお母さんみたいな美人さんになれるよ……」
「ふっふっふー! 私はお母様より美人になるんだよ。おじさんが言ってた!」
「そ、そう……大利、あんまり手当たり次第に口説くの良くないよ……」
「いや口説いてないですけど。こんなガキンチョ相手にしませんよ」
二歳女児を口説くなんて頭おかしいぞ。しかも自分が助産師やった子を。不名誉な言いがかりはやめて下さい。
というか今まで生きてきて誰かを口説いた事なんて一度も無いです。口説き方も知らんし。
御機嫌なフヨウに脚を振って別れ、先住民との挨拶を済ませた蜘蛛の魔女を案内し、俺は生活圏をざっと歩いて回った。蜘蛛の魔女は近所の古寺を気に入り、ここを巣にしたいと言った。
OKを出すと早速糸を吐き、巣作りを始める。俺は隅っこで体育座りして巨大蜘蛛の芸術的巣作り作業を鑑賞させてもらっていたのだが、
「そんなに見られると恥ずかしい……」
と言われたので退散した。
巣をかけ終わり、全てを整えるまでには二、三日かかると言うので、その間に俺は魔法文字の資料を読む事にした。
アメリカの注文を捌くのに忙しくて、まだ読めていなかったやつだ。
いやあ、楽しみだったんだよなコレ読むの!
何年も前から大日向教授は「魔法語には文字がある」と言っていた。存在が予測されているだけで影も形もなかった魔法文字がいま目の前に! テンション上がる。
俺はお茶とカゴに山盛りの自家製醤油煎餅を用意してコタツに潜り込み、長期戦の構えをとって厚い魔法文字資料のページを捲った。そこには値千金の情報が惜しげもなく記されていた。
まず、魔法文字はメビウス輪グレムリンを使って見る事ができる。
メビウス輪グレムリンを使って魔法を使うと、輪の中が金色に光る。
遮光板を使って輪の中を見ると、輪の中に魔法文字が表示されるのが見えるらしい。
実際にメビウス輪グレムリンを作り、サングラスをかけて豊穣魔法迂回詠唱を唱えてみると、確かに輪の中を未知の文字が高速で表示されていくのが見えた。
面白い。どうやら発音した音に対応する文字が一文字ずつ切り替わりながら表示されていくようだ。
言語学的な分析や仮説のページは専門用語が多すぎて分かりにくかったので、後でちゃんと読む事にして流し読み。魔法文字の実用についてのページを読み込む。
魔法文字は文字だ。
日本語を書き記しても何の特殊効果も無いように、魔法語もただ書いただけではただの文字に過ぎない。
魔法文字に隠された能力を引き出すには特殊な合金で文字を記す必要がある。
その合金の組成成分は銀61%、白金23%、金10%、鉄2.6%、銅1.4%、チタン1.1%、グレムリン0.9%。魔石原石にくっついていた付着金属と同じ成分だ。
そこまで読んだ俺は資料を放り出しコタツから飛び出し、農業倉庫のスコップを引っ掴み裏山にダッシュした。
なんだよもおおおおおお!! その合金ならグレムリン災害初日の夜に見たわ!
オクタメテオライトの原石にくっついてたアレだろ? 覚えてる。魔石に目が行きすぎて普通に裏山に捨ててしまった。
畜生、大利賢師一生の不覚だ。
そうだよなぁ? 隕石鉱物だもんなあ? 魔石を覆っていた物質だもんなあ? 何か意味があると疑って当然だった。くっそー、ほんのちょっと頭柔らかくするだけで気付けた事なのに……!
裏山の落ち葉に埋もれ土と混ざった鉱物を見つけ出し掘り返し、持ち帰る。
資料によると、この金属で文字を書く事によって疑似的な魔力コントロールが可能になるのだそうだ。
魔法文字には修辞記号と呼ばれる記号があり、文章に意味を付け加えたり限定したりできる。音楽における楽想記号のようなものだ。文章の意味を丸きり変える事はできないが、より情緒豊かに、深い意味を持たせる事ができる。
資料には修辞記号一覧がズラリと記されていた。
かなり多い。全部で28種類ある。しかもまだ未発見の修辞記号があるだろう、という注釈まであった。
修辞記号は記号というだけあって、形は簡単だ。日本語における句点と同じもの、読点と同じもの。英語のピリオドと同じものもある。点が二つ並んだチョンチョンとか、斜めに傾いたカギカッコみたいなものもある。書くのは簡単だ。
だが使い方は全然簡単ではない。
修辞記号はただ文章に書き加えれば良いというものではない。この文字やこの単語にはこの修辞記号が使えるが、この修辞記号は使えない、などといった文法があった。
日本語の濁点や半濁点が特定の文字にしかつかないのと少し似ている。ガギグゲゴはあっても、ア゛イ゛ウ゛エ゛オ゛は無い。少なくとも常用ではない。
魔法文字は横一直線に引っ張った罫線上に繋げて書かれるのだが(ここだけ見ればサンスクリット語に似ている)、同じ修辞記号でも罫線を区切りと見た時の上に書くか下に書くかで意味が変わる。
基本、罫線の上に書かれた修辞記号は「高貴、上品、丁寧」なニュアンスを持つ改まったものになるらしい。
罫線の下に書かれた修辞記号は「子供っぽさ、下品、軽快」の気さくなニュアンスを持つ。
ふと思い立ち、メビウス輪グレムリンで「焔よ」を唱えてみると、修辞記号が一つ残らず罫線の下についていた。
やっぱりな。アイツの呪文、全部アホっぽいもん。
修辞記号に関する文法はそれだけではなく、かなりエグい入り組んだ規則が鬼のようにあった。全く同じ形と位置の修辞記号が文脈によって全然違う意味になったり、規則的な用法の修辞記号に例外処理があったり。
地球には無い「存在記号」なる概念もあり、使い方以前に概念の理解からもう手こずる。
読んでいるだけで脳みそがオーバーヒートしそうだ。
この資料に書かれているのは、黒船に乗っていた二線級の魔法文字習得者が書き記してくれたものだ。その人は魔法文字を記した魔道具のメンテナンスのために船に乗っていただけで、メンテナンスはできてもイチから書く事はできない。つまり魔法文字の専門家ではない。
専門家じゃない人が書き記した情報ですらこの量、この難しさなのだから、専門家の知識はもっとヤバそうだ。そりゃあ大日向教授も本場で学びたがるわけだよ。
魔法文字は難しい。
しかしこれを修得できれば、杖に魔法文字を刻み込める。
オシャレ装飾としての意味ありげな文字ではなく、ちゃんと意味を持ち使い手の役に立ち、しかもカッコイイ魔法文字を刻めるのだ!
非常に難しいが、学ぶ価値のある文字だ。
魔法文字の基礎習得に数カ月かかるのを覚悟し、俺は小学校以来ご無沙汰だった書き取り用ノートを準備した。魔法杖職人としてのステップアップのためだ。コツコツ頑張るぜ。





