62 最弱魔力で警備隊を追放された俺、今更戻ってこいと言われればまだ間に合う
「翔。お前警備隊やめろ」
「え」
東京都北区、交番を改装した警備隊事務所の一室にて。
幼馴染の修一から冷たく言われたその言葉を、翔は理解できなかった。
「な、なんで? そりゃ最近は内勤ばっかだけど、ちゃんと働いてるぜ。ほんとだ、嘘じゃない! なんで急にやめろなんて言うんだ」
「内勤しかできてないだろ。仕事できてねぇんだよ。役に立ってない」
無情に突き放された翔は愕然とした。
修一にこんなに無下にされたのは初めての事だった。
鶴弥修一と山上翔は自他共に認める大親友だ。
家が隣同士で、生まれた日は翔が修一の一日後。二人は同じ幼稚園で遊び、同じ小学校で学び、同じ中学の同じ部活で汗を流した。
修一が上級生に殴られれば、翔が殴り返した。
一緒にボコボコにされたが、肩を組んで笑いながら帰った。
翔がクラスメイトに告白する時は、修一がお膳立てをした。
告白は失敗しフラれたが、家の冷蔵庫からコッソリ親の酒を持ち出し、一緒に校舎の屋上で不味い酒を飲んで泣いた。酒に酔って、それ以上に自分達に酔った。
良い事も悪い事も、全部一緒にやってきた。
高校入学式の日に起きたグレムリン災害の後も、二人は足を揃えて北区の警備隊に志願し、鉄火場を潜り抜けてきた。二人ならなんだってできる気がした。
確かに、最近の翔は修一の言う通り、戦線に出なくなっていた。
警備隊に求められる水準についていけなくなったのだ。
北区の警備隊は、北の魔女の実父が音頭を取って設立された対魔物戦闘部隊だ。
グレムリン災害発生時、魔女集会最年少の十二歳だった北の魔女は人々のために魔物と懸命に戦ったが、現実感を欠いていた。
無理もない。北の魔女は当時まだ小学六年生だった。突然目覚めた力に舞い上がり、まるで魔法少女になったかのように浮かれ、テレビの中から飛び出した正義の使者のように振る舞った。
その隙を入間の魔法使いにつけ込まれ、傀儡魔法で操られた。魔女集会の仲間を嬉々として攻撃してしまった記憶と、そんな自分を情け容赦なく殺そうとしてきた青の魔女への恐怖はしばらく北の魔女をトラウマで動けなくした。
警備隊はそんな幼い魔女の負担を少しでも和らげるため死力を尽くしてきた。
北の魔女は友達の支えもあり気丈にも一カ月ほどで戦線に復帰したのだが、魔女の負担を減らすため、警備隊はむしろより高い実力を求められるようになった。
最初は角材や自動車ドア盾で武装していた警備隊だが、やがてクロスボウや粗製の金属槍や剣に変わった。
翔と修一は狙いがよく、射手として頭角を現した。二人の息の合った交互撃ちは丙1類の魔物に完勝するほどだった。
だが、魔法が広まり始めると、話が変わった。
剣やクロスボウは廃れ、魔法杖がとってかわった。
警備隊に求められるのは体力・筋力だけでなく、魔力量も必須事項に数え上げられるようになった。
修一は「撃て」を24連射できるほど魔力量に恵まれていた。
だが、翔は一発も撃てなかった。魔力が少なすぎたのだ。
翔はみるみる警備隊の足手纏いになっていった。
一般的に、戦闘部隊の能力は最も低レベルな者に合わせられると言われている。
現代戦は整然とした連携が基礎基本であり、一人でも周囲についていけない者がいれば連携が崩れる。
実際、翔は足を引っ張った。クロスボウは撃てば再装填がいる。魔法とは連射速度がまるで違い、周囲と連携が取れない。
魔法を覚えた警備隊の同期は次々と乙類の討伐スコアを挙げているというのに、翔だけは丙類対処で限界だ。
どれだけ詠唱を正確に発音できても、魔物知識を増やしても。
魔力不足はどうしようもない。
翔はやがて部隊の荷物持ちになり、しばらくすると後方に下げられ、警備隊の詰め所で書類仕事をするだけの毎日になっていった。
戦えない自分を誰よりも歯がゆく思ったのは翔だ。魔法が無理ならと筋トレを続け、クロスボウの射撃に更に磨きをかけた。区内の魔物出没連絡網をより洗練させる提案をしたり、迷子の子供を案内したり、夜勤を積極的に勤め、乙類魔物の出現に誰より早く駆けつけ、本隊到着まで区民を守ったりもした。
翔なりに警備隊の一員として頑張っていたつもりだった。
だが、自分を理解してくれていると思っていた幼馴染の修一に冷たい言葉を投げつけられ、ショックで頭が真っ白になる。
仮眠室から玄米茶の湯飲みを手にやってきた警備隊長も、話を聞いて素っ気なく頷いた。
「あ~、そうだな。山上がやってる事は誰にでもできる。ウチに事務専門職員は要らん。いい機会だ。山上、お前警備隊辞めろ。古株面していつまでもダラダラ居座られても迷惑だ」
「そ、そんなっ、古株面したつもりなんて一度も! 隊長! 俺っ、クロスボウの命中精度上がったんですよ! 巻き上げ装置も改造して装填速度だって上げて、」
「何を言っても魔法使えないだろ山上は。警備隊に向いて無いんだよ。気合だけあっても迷惑でしかない。荷物纏めるぐらいの時間はやるから出てけ、出てけ。大人しく畑でも耕してろ」
仲良くやってきたと思っていた隊長からも辛辣な言葉を突きつけられ、魂が抜けた山上は言われるがまま詰所に置いていた私物をまとめ、ふらふらと仕事場を後にした。
落ちこぼれて戦いについて行けなくなってからも、自分なりに警備隊を支えてきたつもりだった。仲間だと思っていた。
戦う場所や戦い方は違っても、仲間達と、幼馴染と、上手くやっていけると思っていた。
だが、そう思っていたのは自分だけらしかった。
トボトボ行先も分からず歩きながら、涙だけは流すものかと唇を噛んでいた翔は、詰所の試射場に愛用のクロスボウを忘れてきた事を思い出した。
突然出ていけと突き放され、どの面を下げて顔を出せるものかとも思ったが、それでもあのクロスボウは修羅場を共に駆け抜けてきた相棒だ。放ってはおけない。
気まずい思いで翔が警備隊の詰め所にノロノロ戻ると、修一と隊長の話し声が聞こえてきた。漏れ聞こえる会話の中に自分の名前が出てきて、翔は思わず近くの茂みに隠れてしまった。
いったいどれほどコキ下ろされているのかと思い、嫌な気持ちで二人が去るまで隠れていようとしたのだが、聞こえてきた内容は意外なものだった。
「もっと優しく言ってやった方が良かったんじゃないか? 山上の顔見たか? あんな泣きそうな顔は初めて見たぞ」
「翔は頑固なんで。隊長も知ってるでしょう? アイツ、乙類に一人で突っ込んでったんですよ! 時間稼ぎをしただけって話は本当でしょうけど、そういう事する奴なんですよ。武器を握らせておいたら、走り出さずにはいられない良い奴なんです」
「まあな。そういう所が心配になるのは俺もそうだ。後方に置いて事務やらせておいても、お前は戦うなと命令しても、戦いの訓練をやめない。お前がウチのエース張ってるから対抗心もあるんだろうな」
「ずっと一緒だったんで。俺も逆の立場だったら翔の隣で胸張って肩並べるためになんだってしますよ。でも、こうでもして突き放してやらないと、アイツいつか死んじまいます。翔を追い出すのは俺だって嫌です。でも無茶して死ぬよりずっと良い」
翔が盗み聞きをしていられたのはそこまでだった。感情が溢れ出し、とても続きを聞けなかった。
翔は走り出した。嬉しさと悔しさを叫びながら、夕暮れの街並みをただただ走った。すれ違う人々にはビックリされたが、口から叫び声と一緒に感情を吐き出さないとどうにかなってしまいそうだった。
肺が引きつるぐらい叫び走った翔は、沈んでいく夕日に誓った。
幼馴染に二度と辛い言葉を言わせずに済むように、隊長に気を遣わせずに済むように。
栄誉ある北区警備隊に相応しい力を手に入れ、必ず戻ってくる!
翔の決意を新たにした新生活が始まった。
事情はどうあれ、警備隊をクビになった翔は職を求めて港区に移住した(北区は割当労働制ではないので転職自由)。
港区は一度焼野原になった土地であり、積極的に移住者を募集していた。翔の移住はすんなり許可され、最近始まったばかりの海路交易のための造船所建設の職を得た。
翔には建築知識が無い。だが重機が動かない今の世界では、警備隊上がりでガタイの良い若い男というだけで労働力として重用される。
仕事で肉体労働に勤しみつつ、翔は力を手に入れる手段を模索した。
噂に語られる伝説的名工、0933の杖が手に入れば魔法を使えるようになるかと思い情報を集めたのだが、港区の儀式魔法の担い手の一人から話を聞いたところによると、いくら名工の杖でも魔力量の根本的不足は覆せないらしい。
翔はガッカリした。一応、翔ほどの低魔力者でも十三人集めて祭具を使えば「撃て」ぐらい使えるだろう、という話は聞けたが、慰めにもならない。
翔はただ魔法を使いたいのではない。警備隊として、親友ともう一度肩を並べ戦えるようになりたいのだ。
もう一つ目を付けたのは、魔獣だ。
港区で造船所建築をしていると、埠頭に入ってくる交易船を牽引する北海道魔獣農場の魔獣がよく目に入る。
北海道でも数が少なくまだ東京に一頭もいない水棲魔獣は、岩の甲羅を背負ったネッシーのようで、体長は5mほど。魔物使いの指示をよく聞き、長い首を動かし荷を口で咥え運搬を手伝うぐらいの知能がある。
鉄鋼羊やフクロスズメなども有名で、砲台鳳仙花を使役できれば防衛火力要員として活躍間違いなし。
だがそこでも翔の魔力不足が足を引っ張った。
調教された魔物は魔獣と呼ばれ、グレムリンを体に埋め込む事で仲間認定を受ける事ができる。
しかし、グレムリンを埋め込むと魔力最大値の強制減少が起きる。
魔力最大値がゼロになると、塵と化しこの世から消滅する。
翔の魔力量では、最弱の魔獣フクロスズメのグレムリン埋め込みにすら耐えられない。
翔は魔力が少なすぎて、魔術師にはなれない。魔物使いにもなれない。
自然と残る希望は東北狩猟組合に託された。
翔は造船所のツテで、東北狩猟組合の本拠地である仙台へ留学へ行かせてもらった。
仙台では狩猟が盛んだという話を聞いたのだ。猟銃が流通していて、狩猟講習もやっている。
どれほど魔力が少なかろうが純物理兵器である銃の扱いには関係ない。
武器をクロスボウから猟銃に持ち替えられれば、戦闘力は飛躍的に向上する。
翔は飲み込みがよく、体ができていたのと勉強熱心だった事もあり、たった三カ月の留学で狩猟免許を取得した。
この狩猟免許は前時代の免許とは別物である。狩猟免許取得のためには、火薬の製法や獲物追跡法、痕跡の消し方や風の読み方など狩猟知識技術の総合的習得が要求される。
筋が良く素質抜群の若者を、留学中の面倒を見てくれた免許センターの教官は熱心に仙台に留め置こうと誘ってくれた。しかし翔はいずれ北区の警備隊に戻るつもりである。有り難い誘いだったが固辞し、惜しまれながら東京へ戻った。
留学から帰った翔は、造船所で再び働きはじめる。留学帰りの見識を買われ、港区の工房で銃製造や火薬製造の相談を受けたりもした。
造船所の仕事仲間は、翔が警備隊に戻りたがっているのを知っている。銃を使えるようになったし、いよいよ戻るのか? と聞かれたが、翔は首を横に振った。
乙類以上の等級には、幽霊など魔法攻撃しか効かない魔物や、スライムなど物理攻撃の効果が薄い魔物がいる。
銃の扱いを覚え、確かに翔は強くなった。
しかし、乙類魔物の壁を越えるためには、やはりどうしても魔法が必要だ。
銃の扱いを覚え、それを改めて思い知った。
魔法を使うにはどうしても魔力が要る。その魔力が翔には無い。
何をするにも魔力、魔力、魔力だ。
年々魔法技術を開拓していく時代の潮流の中では、魔力が無ければ翼を持たない鳥も同然だった。
八方塞がりの状況に一筋の光明が見えたのは、魔法大学が行った魔力保有量調査に引っかかったのが切っ掛けだった。
その日、偶然文京区に買い物に来ていた翔は街角で魔力保有量調査の協力を頼まれ、頷いた。そして検査の結果、翔は人類最弱である0.2Kの魔力の持ち主だと分かったのである。
翔は余りにも弱すぎる自分にショックを受けた。
人類最弱! 魔力量が少ないのは分かっていたが、まさかそれほどとは。
しかし、検査をした大学の変異学科学生はワクワクを隠せない様子で、翔に是非研究に協力して欲しいと拝み倒す勢いで頼んできた。
最初はバカにされているのかと拒否しようとしたが、話を聞いてみると、どうやら大真面目らしい。
人類最低の魔力保有者というのは、それだけで大学にとって恰好の研究対象だと言う。外れ値にこそ研究を進めるヒントがある云々と言っていたが、専門用語が多すぎてよく分からない。
変異学科は普通の人間を魔女や魔法使いに変異させる研究をしているという話を聞いた翔は、最終的には研究協力に快諾した。
翔は週に一度、東京魔法大学の変異学科研究室を訪ね、研究に協力するようになった。けっこうな協力費を貰い、同意書と遺書を書いた上で怪しげな磁力照射実験を受けた事もあった。
結果は失神と数日間の歩行困難。翔は運よく後遺症も無く回復したが、変異学科の研究者には車椅子の教授や眼球が常に痙攣している人がいて、流石に二度目以降の実験は辞退させてもらった。
勿論、強くはなりたい。そのために手を尽くす。しかし、マッドサイエンティスト達の研究に身を任せていては命がいくつあっても足りない。
翔は研究協力者として変異学科の研究について詳しくなった。専門用語が分かるようになり、学生と仲良くもなった。
しかし新しい友人ができると、改めて修一を思い出した。何人友達ができても、やはり一番気が合うのは修一なのだと思い知らされる。
北区に戻って頭を下げ頼み込めば、修一は不承不承ではあるが再び仲間に迎え入れてくれるだろう。
だが、そんな温情をかけてもらうような情けない真似は死んでも御免だった。
親友だからこそ対等でいたい。昔からずっとそうだった。今は対等でいられなくなってしまったが、必ず力を手に入れ、胸を張って警備隊に戻って見せる。
なんならお願いだから戻ってきてくれと懇願されるぐらいで丁度いい。
翔は大学で研究に協力し、知識を蓄え、そして、それは花開いた。
五月に起きた荒瀧組襲撃事件は東京に大きな爪痕を残した。
しかしおかげで変異学科は飛躍的に研究を進め、一つの集大成を見せた。
魔力鍛錬法の発明である。
元々変異学科の協力者だった翔は、鍛錬法が公的に発表される前からその恩恵に与った。
人類最低の0.2Kだった翔の魔力保有量は日毎に増大。
他の被験者が1~2K伸ばした程度で魔法疾患を発症し鍛錬続行不能になっていく中で、翔は何のデメリットも発症せず快調に魔力を伸ばし続けた。
0.2Kだった貧弱魔力は、人類の標準値である1.0Kになった。
一カ月経つと、魔法大学入学足切り水準である5.0Kを超えた。
三カ月経つと18Kに達し、一流魔術師の代名詞である氷槍魔法を余裕をもって使えるようになった。
それでもまだ翔の成長は止まらない。成長限界を迎える気配は全く無い。
変異学科の教授陣も驚きをもって翔の驚異的成長記録をつけた。
人類最高の魔力の持ち主、継火の魔女の実妹である火継の魔女でさえ20K伸ばした時点で成長限界を迎えたというのに、翔は25Kもの魔力成長を見せてもなお伸び続ける。
これほどまでに安定して魔力を成長させているのは、東京広しと言えど山上翔をおいて他にいない(魔女や魔法使いは例外)。
一体どこまで成長するのか? それは翔本人にも分からない。
変異学科の教授陣は、特異点的な魔力成長単独行を征く翔に興味津々だった。ある程度変異学に造詣がある事もあり、変異学科に入らないか、との誘いを受けたが、翔は悩んだ末、断った。
変異学科の研究者になれば、今以上に強くなれるかもしれない。だが、研究者としての責任が生じる。簡単に抜けて警備隊に行くわけにはいかない。それに正直、変人奇人が多く、倫理観がちょっと変な変異学科に入るのは尻込みしてしまう面もあった。
変異学科の誘いは、逆に翔に帰郷の決意を固めさせた。
変異学科の教授陣が欲しがるぐらいの、一廉の人物になれたのだ。
ようやく精鋭北区警備隊に相応しい力が手に入った。このままぬくぬく研究室で温室栽培されるのは性に合わない。
翔が変異学科に警備隊に戻る旨を告げると、助教授以下は引き留めてきた。言葉をオブラートに包んでいたが、貴重な研究サンプルが戦闘で死んでしまったら困る、という意図が見え隠れしていて、翔は苦笑した。
意外だったのは、教授が翔の旅立ちに賛成した事だ。
車椅子の変異学科教授は、翔のこれまでの研究への多大な貢献に厚く謝辞を述べ、助教授以下の文句を封殺し、二つのプレゼントを贈ってくれた。
一つは「賢者の杖」。
現在世界に二本しかない、貴重な品だ。棺型の魔力鍛錬装置を小型化した物であり、賢者の杖さえあればいつでもどこでも魔力鍛錬ができる。
教授は仕事に余裕があれば鍛錬を続け、年に一度でもいいから結果を報告して欲しいと頼んできた。翔は快諾した。翔としても魔力をもっと増やせるなら有り難い。
もう一つは0933謹製の最新型魔法杖だ。
新機構であるクヴァント式魔法圧縮円環を備えた新型杖は、西暦2030年の元旦に発表され、数本が各地の有名魔術師に販売された。
変異学科教授は一本で家が建つと言われる0933の杖を手に入れるチャンスに恵まれた幸運な者の一人だった。
しかし、せっかく手に入れた杖を翔に譲ってくれるという。
流石に恐縮する翔に、車椅子の教授はニヤニヤ笑って言った。
「なあに、実験だよ、実験。私はこうだからね、なかなか杖を使って暴れるわけにもいかない。是非君が使って、実戦データを送ってくれたまえ」
「……そういう話なら、受け取らせて貰います」
翔は言葉の裏に隠された心遣いを感じ、深々と頭を下げ、二本の杖を受け取った。
戦闘学科ならいざ知らず、変異学科にとって杖を使った戦闘データなんて何の役にも立たないはずだ。
教授は翔が遠慮せず杖を受け取れるよう気を遣ってくれたのだ。
警備隊に戻っても研究室と縁が切れるわけではない。それでも、いくらか疎遠にはなるだろう。翔は名残惜しそうな変異学科研究室の面々に手を振り、一時の別れを惜しんだ。
港区造船所の上司に事情を説明し、社員寮を引き払った翔は、少ない荷物を背負って北区へ戻った。
久しぶりの北区は、必ず戻ってくると誓ったあの日と変わっていなかった。沈みかけた夕日まであの日と同じだ。
通い慣れた道を歩き、警備隊の詰め所に到着する。詰所には誰もいなかったが、裏手から絶叫するビーバーのような叫び声が聞こえる。
翔が裏手の射撃訓練場に入ると、そこでは修一が一人で杖を持って走り回りながら「撃て」の射撃訓練に汗を流していた。
悪戯心が湧いた翔は、小声で豊穣魔法を唱え、杖の魔力圧縮を起動。
修一が撃ち抜こうとしていた的に杖先を向け、北の魔女お得意の魔法を唱えた。
「撃ち砕け!」
本来白い光弾が発射されるはずの魔法は、圧縮され白い弾丸になった。
鋭く発射された魔法の弾丸が、的のど真ん中を撃ち抜き小気味よい音を立てる。
この魔法は氷槍魔法より威力が低く、弾速が遅く、消費魔力が大きい。
下位互換の魔法と言っていいシロモノだが、一つだけ利点があった。
氷槍魔法より詠唱が短いのだ。
北の魔女は魔力コントロールで白い光弾の軌道を自在に操れるが、翔にそんな芸当はできない。代わりに圧縮し速度と密度を上げられる。充分、実戦で通用するだろう。
一人で射撃訓練をしていた修一は、突然の横やりに驚いて振り返った。
杖を肩に担いで手を振る翔を見ると、破顔して駆け寄ってくる。が、途中でハッとして気まずそうに足を止めた。
「よう、修一。戻って来たぜ、魔術師になってな」
「今の魔法はお前が……?」
「ああ。魔力鍛錬知ってるだろ? アレのおかげで、俺の魔力はお前を超えたんだよ」
「何? おいおい、ホントかよ! それなら――――」
「それなら?」
言い淀んだ修一に先を促すと、修一は口を何度か開け閉めしてから、突然土下座した。
「頼む! 警備隊に戻ってくれ! あんな追い出し方をしておいて言えた話じゃないが、お前に戻ってきて欲しい。もう一度、警備隊に入ってくれないか。翔がいない警備隊は……つまんねぇんだよ。お前がいなきゃダメなんだ」
「立てよ修一。分かってる。実はな? あの日俺を追い出した後、お前と隊長が話してるのを聞いたんだ」
翔は修一の手を強く握り、引っ張って立たせた。
固いマメだらけの手を握り、分かった。
修一もまた、弛まぬ鍛錬を重ねてきたのだと。
修一の顔を見て、自分の鍛錬の日々が伝わったのも分かった。
心通わせ、二人は笑って拳をぶつけ合った。
生まれた時からの大親友だ。言葉は要らなかった。
修一は射撃訓練を切り上げ、私服に着替えた。勤務は終わりだ。
翔は詰所の出勤ボードにまだ自分の木札があるのを見つけて感情がこみ上げたが、涙は流さなかった。
「休暇中」にかかっていた自分の札を「退勤」にかけなおし、暗くなった夜道を二人で歩き出す。
二人並んで、肩で風を切って、堂々と。
「なあ覚えてるか? 中坊の時、屋上で一緒にこっそり酒飲んだよな」
「忘れるわけないだろ? ハッ、今度はちゃんと成人してる。そんで、失恋の苦い酒じゃない。祝い酒だ」
「おうよ。よく戻ってきてくれた! 朝まで飲み明かすぞ、親友!」
そして翔と修一は仲良く肩を組み、笑い合いながら夜の街へ繰り出した。
 





