59 黒グレムリンの謎
青の魔女は今まで三度東京を救った。
入間クーデター。
大怪獣侵攻。
荒瀧組強襲。
押しも押されぬ最強の魔女であり、情け容赦なく、性格もとっつきにくい青の魔女は今まで畏怖と共に語られてきたが、最近は人気が高まってきた。
大学の氷の塔に居を移し人目に触れる機会が増え、性格がちょっと丸くなったからだ。
服だって世紀末じみたボロボロの黒コートから、品の良い上質のローブへ一新された。
俺が見ていない時は仮面を外している事も多く、多大な功績、ファッション、顔の良さが合わさり、青の魔女は大学でキャーキャー言われているらしい。
芸能人や俳優が時にファッションリーダーになるように、青の魔女の人気が高まると青の魔女を真似した装備が流行しはじめた。
多層構造杖を主装備にして、賢者の杖と制御特化の短い逆流防止機構杖(コア無し)を腰に差す三本杖スタイルは魔法武装界隈における現状の到達点である。
防具と装飾は、魔法布ローブ+御守りが安定。
一式揃えれば「魔法威力向上」「魔法制御向上」「防御力向上」「魔力回復速度向上」「魔力鍛錬解放」の五種の恩恵が受けられる。
いかにもファンタジーな装いだし、実際強い。
特にアミュレットは需要が高まり、製造工房がいくつも新設されている。
魔力鍛錬の発明により、人間は保有魔力量を増やせるようになった。アミュレットの効果は割合回復だから、1Kとか2Kぐらいの魔力量では装備の意味がほとんどない。
だが魔力鍛錬によって保有魔力量を増やせれば、アミュレットの恩恵は飛躍的に大きくなる。ようやく時代がアミュレットに追いついたのだ。
アミュレットはマーブルグレムリンでさえあれば形状や大きさを問わず十全に効果を発揮するからデザイン性も抜群。指輪にしてもいいし、ネックレスにしてもいい。ブローチやネクタイピン、イヤリングだっていい。
ただ、青の魔女がネックレス型のアミュレットを装備しているので、主流はネックレスになっている。流行の影響力はすごい。
需要が高まれば生産が増え、生産が増えるとブランドが形成される。どこどこの製品は品質が良いとか、あの工房はデザインが悪いとか、そういう噂がブランドを形作る。
無論、東京における最高ブランドは「0933」だ。基本的に魔女集会メンバー御用達として認識されているが、魔法大学にも卸しているから、今夏の魔法大学オープンキャンパスでは0933製品を目当てに購買に人が押し寄せたとか。
そうは言っても購買に置いている杖の数は少ないし価格設定上げてるし、アミュレットの発注書を置いてもらってはいるが、これまた高い上に発注受理は俺が気分で決める。オープンキャンパスで0933製品を手に入れられたのは極少数。
だがそれでいい。
俺は高級路線を行くと決めているからな。
安価な大量生産では絶対に競争に勝てないから、俺のターゲットは高級品を求める層なのだ。安売りはしないし、質を落としてまで量産もしない。
都心部の工房も高級路線と量産路線で分かれていて、例えば北区の「赤水門工房」は0933に次ぐ品質の杖を作る高級魔法杖メーカーだ。主に魔物と戦闘を行う各区の警備隊向けに杖を卸している。お値段は2万新円から。
グレムリン工学科のOBが多く在職していて、大学の最新の研究成果を民間に反映普及させる取り次ぎ役的な機能も果たしている。
「浅草水車センター」は逆に量産専門で、一般都民に流通している魔法杖のほとんどはここの製品。
隅田川沿いに建設された水車群の動力を利用した一連の施設の一画にある大工房で、工場制手工業によって日夜大量の杖を量産し続けている。お値段は2980新円から(粒径の小さいグレムリンが使用されている)。
グレムリンを破砕して作る研磨剤の製造元もここだ。
魔法杖メーカー以外で有名な魔道具店なら「アトリエTODOROKI」。アミュレット販売数で70%以上のシェアを誇る業界最大手メーカーだ。
朝一番に注文&採血すれば夕方にアミュレットをお届け、という回転の速さがウリで、顧客はカタログの12種からデザインを選べる。オーダーメイドも可能だが、そちらは一週間かかる。お値段は2500新円から。
現在は5号店まで出店されていて、6、7号店が開店準備中だ。なお、文京区に出店していた2号店は荒瀧組に店を荒らされ大損害を受けたらしい。カス。
魔法杖メーカーと御守りメーカーがあるなら魔法防具店もありそうなものだが、東京の地元企業はない。東北狩猟組合には狩猟着店があって、北海道魔獣農場に魔獣革防具店があるが、東京には港区に狩猟着店と魔獣革防具店の支店があるのみとなっている。
ただ、蜘蛛の魔女が最近蜘蛛糸生産量を増やして市場に流し始めているから、鉄鋼羊の鉄鋼ウール生産量が伸びていけばそれと併せて東京にも魔法防具店ができそうだ。
まあ俺は一足先に鉄鋼羊&蜘蛛糸の最強ローブを青の魔女様に献上したんですけどね。時代の最先端をいけ、ヒヨリ。
都会の魔法具事情はそんな感じで、一方俺はといえば、最近は構造色グレムリン……つまり魔力測定器の生産に勤しんでいる。
ヒヨリに贈った賢者の杖は確かにコンパクトに小型化された優秀な魔力鍛錬道具ではあるのだが、棺型と比べて加工難易度が高い。
俺が大学に送りつけた設計図を元に腕利きの技術者を集め再現を試みたところ成功し、俺以外でも賢者の杖は作れると証明された。
が!
同時に時間や労力の面で全く割に合わないという結論が出てしまった。
賢者の杖を一本作る時間と人材があれば、棺型瞑想室を十個は作れてしまうのである。
賢者の杖と棺型は、携行性を除けば性能は全く同じ。
魔力鍛錬をしたい二百万人以上の人々の需要に応えるためには、棺型の生産に集中した方が断然良い。
悲しい事に、魔女集会のお歴々からの注文も入らなかった。全員俺が賢者の杖を開発する前に既に棺型を確保したらしく、賢者の杖が魅力的に映らなくなってしまったようだ。どうせ瞑想できるのは一日一回なんだから、無理して携行する意味あんま無いし。
継火がいたら「青ちゃんさんが持ってる」というだけの理由でお揃いの賢者の杖を注文しただろうが、幸か不幸か奴は今封印中だ。致し方なし。
で、賢者の杖の評判がイマイチだった代わりに需要が跳ね上がったのが魔力計測器。
元々主に研究用として需要が高いのは知っていたが、魔力鍛錬に合わせて切実に必要になった。
魔力鍛錬の限界見極めは、魔女・魔法使いによる魔力の揺らぎ目視か、魔力計測器による揺らぎチェックが必要になる。甲類魔物の異変により最近特に多忙がちな超越者たちを一般人の魔力鍛錬につき合わせるわけにはいかないので、実質魔力計測器が必須。
ところが魔力計測器を作れるのは俺だけと来た。
そりゃあ需要の高まりは青天井だ。
俺でさえ、魔力計測器である構造色グレムリンは一日一個1cmぶんしか作れない。
作ったそばから出荷しても、需要増加に供給が全く追いつかない。
1個300万新円というボッタクリ価格にしてもなお「値段を倍にしていいから、もっと欲しい」という声が届く始末。
まあ世界で定規を作れるのが俺一人だけ、みたいな話だもんなあ。最初は需要が高すぎてビビったが、考えてみれば当然。
なんなら大学からの発注書からも魔法杖より構造色グレムリンが重要視されてる気配を感じて、俺としては大変遺憾である。
俺、定規職人じゃなくて魔法杖職人なんですがね。
毎日毎日、ひたすら構造色グレムリンを作る日々。
工房にこもって目も手も疲れる作業に没頭している内に、残暑も消えいつの間にか秋が来ていた。
今年の田んぼは植物本人に世話を手伝ってもらったお陰か例年より豊作で、俺は蔵に積み上げた6俵の俵を見て満足する。
米が蔵に食べきれないほどあるってマジで安心する。文明崩壊直後の食料難時代を経験していなかったら俵を見るだけでこんな感情にはならなかっただろう。
食料、大事。
一カ月以上構造色グレムリン日産体制を続け、稲刈り脱穀精米までして流石に疲れた。
魔力計測器は東京魔女集会の管理区一区あたり1つは行き渡ったし、管理地が広大な目玉の魔女には4つ渡した。大学にも充分な数を渡したはずだ(いくら送ってもまだ欲しいと言われるのでキリがない)。東北狩猟組合、北海道魔獣農場、琵琶湖協定にも2つずつ送った。
もうゴールでいいよな。作業が大変な割に作ってて面白みが無いし、いい加減疲れたし飽きた。
俺はヒヨリに新規注文を全拒否するように伝え、のんびり食道楽休暇に入った。
採れたての落花生、里芋、レンコン、人参に、フヨウが俺より上手く育ててくれたでっかい椎茸を千切って全部鍋にぶち込み、自家製醤油と一緒にじっくりコトコト煮込んで旬の食材の煮物にする。
反射炉近くで火蜥蜴たちが火炎放射で仕留め興奮していた鹿の変異魔物の肉は、秘伝のタレに浸けて無毒化。シンプルに塩を振って焼いてステーキにする。
川で釣った大物のイワナは、切り身にしてニンニク、ショウガ、醤油、少量の山葵と一緒に漬ける。そしてそれを炊き立ての新米ご飯に乗っけて丼にする。
何を食っても旨い!
スローライフ万歳だ。全部自家製ってところがまた良い。これだけ食料生産体制が奥多摩内で完結していれば、どこにも頼る必要はない。もう一度大災害に見舞われても安心だ。
そんな秋も深まるある日の事だ。
最近土間の釜戸の焦げ付きを舐めとるのを好むようになったモクタンの火で米を炊いていると、ヒヨリから連絡が入った。
例の黒グレムリン魔物の生け捕りに成功したから、奥多摩入口まで生きたまま輸送し、そこで絞めて摘出した黒グレムリンを崩壊前に俺の工房まで持ってきてくれると言うのである。
解析を頼みたいという話だったので、俺は一も二もなくOKした。
昨今異常を見せている甲類魔物たちが持つという黒グレムリン。時間加速魔法の源。
前々から興味あったんだよな。
時間経過で崩壊消滅してしまうから、仕留めてからグレムリンを摘出して俺の元に持ってくるのが間に合わなかったが、生け捕りとなれば話は変わる。
事前連絡通り小一時間してやってきたヒヨリは、漆黒のグレムリンを持っていた。目測で最大直径38.3mm。フム、でかい。甲2類魔物のグレムリンかな。
俺はグレムリンを受け取りヒヨリを工房に通しながらブリーフィングを受ける。
「甲2類、上半身が蛙で下半身が人間の魔物のグレムリンだ。このグレムリン以外に緑色のグレムリンを持っていたが、そちらは行動を封じる時に砕いてしまった」
「どうやって生け捕りにしたんだ? 時間加速してマモノバサミも無効化されるんだろ」
「上下から二つのマモノバサミで挟み込んだ。継火を封印する時に大利がやっていただろう?」
「あーね。時間停止同然の強烈なスロウをかければ、ちょっと加速されても誤差か」
工房の作業机に黒グレムリンを置き、観察する。
質感や色合いは普通だな。こういう色のグレムリンはあるし、大きさも甲2類なら少し小さめぐらい。特におかしな点は見受けられない。
「黒グレムリンの消滅までにかかる時間は個体差がある。長ければ3時間、早ければ10分もたない。基本的に強大な魔物から採れたものほど消滅までの猶予が長い。このグレムリンはたぶんあと30分ぐらいだろう。手早く頼む」
「オッケー。任せろ」
時間制限があるならチンタラしてもいられない。
俺は早速貴重なサンプルの解析に取り掛かった。何か魔法杖のアイデアになるような事が分かればいいのだが。あと甲類魔物異変の原因の特定。
まず基本的な部分について調べる。
硬度と重量は普通のグレムリンと変わらない。
モクタンを呼んで薄片に火を吐かせたら融解したから、熱耐性も普通だ。
別の薄片を「焔よ」の火で炙ると、紫電を発し塵になる。この反応も平常。
薄片を削ってできた断面も普通に黒色だったので、構造色になっているわけでもない。
基本的には一般的グレムリンと何も違いは無かったのだが、指先で転がし調べているうちに、俺は違和感を覚えた。
黒グレムリンを静置し、指先をそっと当て、目を閉じ集中して感覚を研ぎ澄ませる。
「……震えてる? ……震えてるな。こいつ、ちょっと震動してるぞ」
「震動している? 本当か? 私が持った時は何も感じなかったぞ」
「いや、この震動マジで小さい。俺も気のせいかと思ったけど、集中すればハッキリ分かる」
「なら大利にしか分からないな」
指先に感覚を集中し、より深く丁寧に震動を感じとる。
何かでこれと同じ震動を感じた事がある気がする。
指先の震動の感触を頼りに記憶を辿り、俺はメビウス連環錫杖ハリティや儀式魔法十三祭具を作った時のグレムリン異常震動を思い出した。
そうだ。この震動は大きさこそ違うが、アレによく似ている。
「異常震動を起こしてる? ヒヨリ、近くで誰かが詠唱してる声聞こえるか?」
「…………。いや、聞こえない。魔力の動きも感じ取れないな」
「じゃあ何だ? 分かんねぇ。いや異常震動ならメビウスの輪の形に加工すれば安定するか?」
俺は思いつきを試そうと黒グレムリンをメビウスの輪に加工しようとしたが、加工が終わる前に黒グレムリンは塵になって消えてしまった。融解再凝固の方も、薄片の方も全て同時に消える。タイムアップだ。
「あーっ! くそっ! あと五分あれば……!」
「仕方ない。何か一つでも分かっただけで大収穫だ。どうだ。何がどこまで分かった?」
俺は労ってくれるヒヨリに黒グレムリンから感じた異常震動について細かく説明した。
一通り聞いたヒヨリは首を傾げる。
「誰かが黒グレムリンに対して同時詠唱をしている、という事か?」
「たぶん、理屈的には……?」
「地獄の魔女か?」
「それか野良の双子か三つ子か、儀式魔法か」
グレムリンの異常震動は、一つのグレムリンを通して複数の魔法を無理やり同時に使う事で発生する。異常震動が酷ければグレムリンは砕け散る。
不可解なのは震動が非常に小さい事だ。
魔法の詠唱は大声で叫んでも小声で言っても効果は全く変わらない。すごく小声で同時詠唱をしているから、それによって起きている異常震動も小さい、みたいな事は無い。
ではなぜこんなに小さく異常震動をしているのだろう? 異常振動はメビウスの輪に加工する事で無くせるが、黒グレムリンは普通に球形に近い形で既にほんの小さな震動だった。
何が……? なんでだ……?
俺が首を傾げていると、同じく考え込んでいたヒヨリが小さく手を挙げて言った。
「考えたんだが。超遠距離から同時詠唱をしているという可能性は無いか。異常震動の大きさが距離に反比例するなら?」
「え。都外からバカでか声で黒グレムリンに詠唱を叫んでる誰かがいるって事か?」
「それよりもっと遠い。海外からなのではないかと思う」
「はあ? なんで海外?」
急に話も距離も飛んだな? なんでそういう話になる?
海外から詠唱を日本に届かせるってどんだけ声でけぇんだよ。地獄の魔女でもそれは無理じゃないか!!!?
「未来視の未来予測は大利も知ってるだろう? 今月末が甲類魔物異常のピークになる」
「聞いてる。なんかヤバそうだったけど、魔石杖が行き渡ってギリ対処できてるんだろ?」
「そうだ。そして来月からは甲類魔物の『渡り』が始まる。異常を起こしていた甲類魔物たちは海を渡り、東の彼方に去る。東の彼方。海の向こう、海外だ」
「東の果てに甲類魔物の黒グレムリンに対して何か詠唱してる奴がいる……? いやそれは流石に……いや……うーん?」
仮定に仮定を重ねているような気がするが、現状分かっている情報を繋ぎ合わせると、正しそうにも聞こえる。
東の果て。太平洋上か、ハワイか、それともアメリカかブラジルか。
そんなクソ遠いところから日本まで詠唱が届くもんかね? まあ前時代の高度な電波網を考えると絶対有り得ないと断言はできないが。声がデケーってレベルじゃないし、超絶技巧にもほどがある。
「まあ辻褄は合ってる。でも流石に非現実的だろ」
「分からんぞ。大利も魔法無しで十二分に非現実的な事をしている。それに魔法は非現実的なものだ」
「それ言われると弱いな」
俺達はあーでもないこーでもないと議論したが、結局結論は出なかった。
サンプルは消えてしまったから、これ以上調べようもない。
ヒヨリは議論を切り上げ、ちょっとベチャッとしてしまった炊き立てご飯と鹿肉をつまんでから俺が調べたデータを大学に持っていった。
大学には俺達より頭の良い学者がいっぱいいる。データを送れば、何か分かるだろう。
俺の解析データを元に何か新事実が分かれば良し。
分からなくても、喫緊の危機は無い。「渡り」さえ超えれば当分平穏になると未来視は視ているんだから、そう身構える事もあるまい。
大学の有識者たちの検討結果をのんびり待とう。





