56 磁場変化逆再生式魔力鍛錬法
俺の好みを分かっているナイスなオコジョは、魔力鍛錬法やその発見経緯について書類にまとめて奥多摩に送ってくれた。
ありがたく読ませてもらったのだが、これが中々面白い。
東京魔法大学変異学科は、魔物や人間の変異について研究する学科である。
グレムリン災害発生直後、帯電体質の人は魔女や魔法使いになった。一部の動物も魔物に変じるようになった。その変異の原理を解明できれば、人工的に魔女や魔法使いを作り出したり、動物の魔物化を阻止したりできる。かも知れない。
逆に魔女になって苦しんでいる蜘蛛の魔女のような人を元に戻せる可能性もある。夢が広がる。
しかし今まで変異学科は影が薄かった。
グレムリン工学科は汎用杖を作ったり逆流防止機構を発明したり成果が著しい。
言語学科も活躍目覚ましく、各種迂回詠唱は言わずもがな。無名叙事詩なども長大かつ重要な研究テーマだ。
戦闘学科では各地の警備隊の実戦データを元に軍事教育が行われ、魔術師戦闘を洗練すると共に毎年何十人という数の腕利き魔術師を輩出している。
魔物学科は甲乙丙の魔物分類を考案した他、魔物の生態研究を進め、北海道魔獣農場がもたらした魔獣使役についても掘り下げており、重要性は高い。
魔法医学科は超重要だ。研究しているのは主にキノコ病だが、未知の魔法病流行が発生した場合の対応マニュアル作成もやっている。魔法や魔物生産物の医学利用研究の成果は俺も盲腸の時に助けられた。
変異学科は特別目立つ成果を上げていなかったが、成果に繋がっていないだけで、ずーっと地道にデータ蓄積をしていた。
魔力鍛錬法の発見・実用化は、そうした地道なデータ蓄積の結晶だった。
魔力鍛錬法は三種類の魔力最大値減少現象から導き出された。
まずは魔力欠乏失神による最大値減少。
変異学科の教授はけっこうエキセントリックな人で、ちょっと変だ。
講義の時は普通。しかし、彼の研究室に入りたいと言った学生には、一度実験台になれ、と試練を課す。
自らが実験台になる覚悟無き者に、他の生き物で実験を行う価値無し! と言うのである。
何その武士道みたいな。研究者が言う事ではないよな……?
変異学科の講義を受けるだけなら普通なのだが、研究室に入ろうとするとハードルが高い。
変異学科研究室では、研究室に入りたいという有志の学生を使い魔力欠乏失神の原理研究が行われた。
魔力を使い果たした時、魔力最大値は減少する。この時、一体何が起きているのか? 魔女や魔法使いは変異に際して莫大な魔力を手に入れた。ならば、その逆の魔力減少もある種の変異には違いない。
考え得る限りのあらゆる方法で調査が行われた結果、魔力欠乏失神による魔力減少時には磁場の変化が起きていると判明した。頭部を中心に微弱な磁力が放射されるのだ。
魔力やグレムリンは電気と関係が深い。
そして電気は磁力と関係が深い。
魔力の変化に磁力が伴うのは、充分有り得る話だった。
魔女や魔法使いは魔力を知覚しコントロールできるが、磁力は分からない。変異学科の人体実験が無ければ、魔力最大値減少時に磁場変化は発見されなかっただろう。
変異学科研究室では、この磁場変化の逆再生が試みられた。
頭部を中心に魔力減少時に発生する磁場変化を逆再生するように与えられれば、魔力が増大するのでは? と考えたのだ。
早速専用の実験室が作られ、磁石を集め、部屋に磁場を作り出し、学生の一人に逆再生磁場変化を与える実験が行われた。
その結果、その学生はとんでもない目に遭った。
激しい頭痛、吐き気、眩暈、幻覚、注意力の低下、失語、失認、記憶障害などなど、脳障害のフルセットを喰らったのである。
実験が短時間だったおかげもあり、死には至らなかったのだが、学生は後遺症に苦しむ事になった。
マイナスの成果ではあるが、確かに変化は観測された。
変異学科としては更なるデータが欲しい!
しかし、いくらなんでも危険すぎる。最初の実験で学生が死亡しなかったのは単なる幸運だった。変異学科の教授は我が身を使って追試を行い、後遺症で半身不随になっている。
学長である大日向教授もこれには難色を示し、あまり危険な実験をしないように、というお達しがあった。魔法言語学科も初期には実験失敗でおびただしい死者を出しているから、あまり強く禁じなかったらしいが。人の事言えないもんな。
変異学科が扱った二つ目の魔力最大値減少現象は、グレムリン埋め込みだ。
魔物のグレムリンを体に埋め込むと、グレムリンに応じた量の魔力最大値減少が起きる。
これは魔力欠乏失神の例と違い、何日もかけてゆっくり減少が進行していくため、何がおきているのか観察しやすい。
グレムリン埋め込みでも、魔力欠乏失神と同じく磁場変化が観測された。
しかし、その変化の仕方が魔力欠乏失神時のものと違った。
変異学科は魔法医学科との取り合いの末に獲得した死刑囚を献体にして磁場の逆再生実験を行ったが、半身の痺れ、視覚障害、失神、脳内出血などが見られ、献体は死亡した。
献体の確保が難しく、危険な実験は献体無しにはできないため、困った変異学科ではしばらく入手したデータの分析と、理論構築や仮説の検証が行われた。
変異学科の見解としては、魔力の増減に頭部の何かが深く関わっているのは間違いない。
根拠は「頭部磁場変化」「磁覚」「キノコ病」だ。
まず、魔力欠乏失神とグレムリン埋め込みの両方で頭部を中心とした磁場変化が見られた。
次に、その磁場を感じ取る「磁覚」を人は頭部に持っている。
東京大学とカリフォルニア工科大学の共同研究チームが2019年に発表した論文によると、全ての人間は磁気を感じ取る能力を持っている。
地磁気を感じ取る「磁覚」は渡り鳥や鮭など、長距離移動を行う習性を持つ多くの動物が持っているものだ。
人間もごく小さなものではあるが、この磁覚を持つ。論文によれば男女34人に対し頭部を磁気で刺激する実験を行ったところ、磁気の向きに応じて脳波が異なる反応をしめしたという。
この反応は完全な無意識下で行われ、自分が磁力を感じている事にすら気付けないほどささやかなものだ。
しかし間違いなく、人は味覚・触覚・聴覚・視覚・嗅覚のどれとも違う第六の感覚、磁覚を頭部に持っている。
最後にキノコ病。
キノコパンデミックのキノコは必ず頭部に生えた。
ただの一例の例外もなく、頭部に。
そこには必然性がある。詠唱時にも、魔力は必ず口から放出される。即ち頭部から。
目に見えない魔力的に重要な何かが頭部にあるに違いない。
変異学科はよくデータを検証し理論構築に勤しみ、いくつもの仮説を立てたが、とにかく献体が少ない! 磁場逆再生実験は危険すぎて、なかなかできない。
そのせいで変異学科の研究は亀の歩みだった。
そこにブチ込まれたのが、魔力ドラッグと、荒瀧組の下っ端捕虜500名である。
変異学科は熱狂した。
三つ目の魔力最大値減少現象!
使い潰しても全く心が痛まない大量の献体!
激アツの新しい研究材料を使い、変異学科はずっと理論だけ温めていた何十という実験を一気に進めた。
大量の献体を消費して三種類の魔力最大値減少現象を比較し、磁場逆再生時の脳障害の法則を割り出す。
それによって、脳障害を起こさず、頭部に適切な磁場変化を与え、それによって魔力最大値を増加させる魔力鍛錬法が打ち立てられたのである。
変異学科が弛まぬ努力の末に発見した法則性によれば、魔力鍛錬法には磁場変化と瞑想の二つが必要だ。
磁場変化は磁石で起こす。縦に立たせた棺に大量の磁石を張り付けた装置に人を入れ、棺を一定の速度でゆっくり回転させる。これによって適切な磁場変化が頭部に与えられる。
だが、磁場変化だけだと不十分だ。この磁場変化は魔力を増大させるが、凄まじい脳障害に襲われる。
そこで瞑想が必要になる。
ざっくり言うと、磁場変化中に余計な事を考えていると頭がおかしくなって死ぬ。
これには色々と脳科学的な理屈はあるが、脳科学では説明のつかない未解明の現象も付随しているようで、変異学科は「理屈は分からんが、こうやれば大丈夫」という部分だけを突き止めた。
それが瞑想だ。
磁場変化中には動いてはいけない(磁場の放射点がズレるから)。
そして、何も考えてはいけない。
意識を無にするのだ。「明鏡止水」とか「無我の境地」とか呼ばれる、何も考えず心を鎮めた状態にならなければならない。
少しでも心を乱したり、何か考えたりすると、それが脳に現れ、脳障害の原因になる。
かなり厳しい要求に思えるが、この瞑想は訓練によって誰でも習得できるし、訓練しなくてもできる人もいる。
瞑想講師として大学に招聘された高僧は一発で瞑想状態に入り、何一つ脳障害を負う事なく、ケロリとして魔力を増大させた。変異学科の教授も一発成功させた。
変異学科研究室の学生たちは個人差があるが、3~20日ぐらいで瞑想状態に入れるようになり、全員脳にダメージを負う事なく魔力を増大させた。
もしも磁場逆再生の途中で瞑想状態が切れても、脳障害の前兆としてだんだん頭痛が酷くなってくるので、頭痛を感じてからすぐ中断すれば害は出ない。
ただし、瞑想しても完璧にダメージを回避できるわけではないので、一回魔力鍛錬をやったら24時間は間を空けるのが望ましい、というのが医学的見解である。連続で行うと脳障害の危険が高まる。
魔力鍛錬は一日一度、というわけだ。
魔力鍛錬は適切な磁場の構築と運用が求められ、瞑想スキルも必須だ。
誰でも簡単にできるものではない。
しかし、設備があり、瞑想スキルを修得すれば、難しくはあるが誰でもできる。
魔力鍛錬は一度の磁場逆再生で0.2K魔力最大値を増大させる事ができる。
この数値には個人差がない。魔女や魔法使いでも魔力を増大させられるかはまだ不明だ。東京魔女集会で瞑想できる奴が誰もいないから(早速トレーニング中の人はいる)。
魔力の増大に上限があるかどうか、つまりここまでは成長するけどそれ以上は無理、という頭打ちラインがあるかも、まだ分かっていない。
とりあえず変異学科の生徒たちは全員五回の瞑想を済ませ、まだ誰も成長が止まっていないから、誰でも最低1Kは伸ばせると考えて良さそうである。
特殊な事例として、魔獣使いはこの魔力鍛錬法で魔力最大値を伸ばせないと分かっている。魔力最大値が伸びる代わりに、埋め込んだグレムリンがほんの少し肥大化するのだそうだ。面白い現象だ。
でも、その理屈だと俺は魔力鍛錬できない。しようとすると面倒な手順が要る。
俺は火蜥蜴グレムリンを左手甲に埋め込んでいる。手先の動きを邪魔しないように気を付けてベストな位置に埋め込んであるから、肥大化して大きさが変わると器用さに支障が出る。
理論的には一度埋め込んだグレムリンを摘出して、魔力鍛錬で魔力を増やし、またグレムリンを埋め込めば魔力を増やせる。実際、変異学科の学生の一人である魔獣使い(フクロスズメ飼育者)がその方法で魔力を増やせたそうだ。
が、グレムリンを引っこ抜いている間、火蜥蜴たちとの絆が切れてしまう。
俺は火蜥蜴グレムリン移植で45Kぐらい魔力を減らした。一日0.2Kの魔力鍛錬で減った分の魔力を戻すだけで半年以上かかる。
半年も火蜥蜴たちと触れ合えないなんてあり得ないぞ。
その間、誰が餌をやるんだ? 誰が鱗を磨いてやるんだ? お腹をぷにぷにできないし、一緒に散歩もできない。
耐えられん。無理。
一応、瞑想は習得しておきたい。
大日向教授から送られてきた資料を参考に、七本の杖を作って有り余っている金で磁石を買い集め、家に瞑想室も作ってみよう。複雑な磁場が作り出す魔法的意味を持つ磁力線は杖を作る上で参考になりそうだし。
しかし俺が魔力鍛錬で魔力を増やす事はないだろう。
人間は魔力が少ない。発音的には唱えられるが、魔力が足りなくて使えない魔法は多い。
魔力鍛錬法はその魔力量の壁を打ち崩せる、途轍もなく重要な発見だ。
今回研究が発表された事により、これから磁場逆再生機構は増産され、瞑想習得者が増えていくだろう。
現状は研究室レベルで安全性が確認され、データが採られているに過ぎない。
東京に住む二百万人を超える市民たちが魔力鍛錬を始めればデータが飛躍的に増えるし、きっと新たに分かっていく事もある。
何も分からないとしても、誰でも最低1Kの魔力を増やせるのはほぼ確かだ。
つまり今まで射撃魔法基幹呪文撃てすら使えなかった人が、魔法を使えるようになる。
人類は、鍛錬さえすれば全員魔法を使えるようになったのだ。
新時代の幕開けだ。
魔力鍛錬をひたすら続け、1万Kぐらいの超絶魔力を手に入れる元一般人も現れるかも知れない! 胸が熱くなる。
俺は魔力鍛錬が事実上できないから、このビッグウェーブに乗る事はできない。
だが、ビッグウェーブに乗る人々に向けて何かする事はできそう。
魔力鍛錬理論を応用して、何か新しい魔法杖を作れないか考えてみよう……





