54 何ゆえそのように荒ぶるのか
蜘蛛の魔女が大日向教授を無事ヒヨリに引き渡した後、俺は火蜥蜴と一緒に彼女の背に乗って地下鉄を逆走していた。かなりのスピードだ。行きに乗って来た木炭車に勝るとも劣らない。
巨大蜘蛛の背中は堅くて座ると尻が痛かったが、鋭く凶悪な大棘の一つを掴み、もう一つに背を持たせかければ、案外体勢は安定した。
水没箇所を避け、八本の足で壁を器用にガサガサ走りながら、蜘蛛の魔女は思慮深げに呟く。
「奥多摩に送るのはいいんだけど。正直に謝った方がいいんじゃないかな……」
「いや無理無理無理、ものっっっすごい念入りに『奥多摩から絶対出るな』って言われてたんですよ? バカほど怒られるに決まってる。バレない内に帰らないと」
「青の魔女は良い人だよ。ちゃんと説明すれば分かってくれると思う。今みたいになる前に会った事あるけど、怖がってたのにすごく優しくしてくれた……」
「ええ? ちょっとイメージ湧かないな。それいつの話です?」
「入間のクーデター前の話。今でも時々、入間さえいなければきっと全部上手くいってたのにって思うよ……」
俺が突然始まったサバイバル生活に悪戦苦闘してた頃の話か。
あの頃に街の方で何が起きてたか、俺全然知らないんだよなぁ。
伝え聞く限りだとクーデターを起こした入間の魔法使いは相当邪悪な奴だったらしいし、蜘蛛の魔女は今回侵攻してきた荒瀧組組長が使う激ヤバ契約魔法を「劣化入間」と評していた。どんだけヤバい奴だったのやら。くたばってくれて良かった。
俺の知らない歴史上の大事件に思いを馳せていると、蜘蛛の魔女がだんだん速度を落とし、停止した。
駅のホームの看板には「古里」と書かれている。奥多摩はまだ二駅先だ。
「どうしたんです? 魔物いました?」
「…………。うーん、ねぇ0933。もしかして、奥多摩に花の魔女いない……?」
蜘蛛の魔女はじりじり後ずさりしながら、嫌そうに言う。
「花の魔女はいませんが、花の魔女の娘がいますね。花の魔女嫌いなんですか?」
「嫌いじゃないよ。ただ、花の魔女の精油の匂いがする。段々濃くなってる。これ以上進んだら、私死んじゃう……」
「あっ!? そうだ、そうだった! 下がって下がって!」
一年と少し前の記憶がよみがえり、大慌てで後退を促す。
そうだ。花の魔女は言っていた。「私の精油はキノコ以外の魔法菌や昆虫の魔物も殺す」と。
蜘蛛は昆虫ではないけど、フヨウの精油は蜘蛛と同じ節足動物であるムカデの魔物にも効いていた。なら、蜘蛛にも効くだろう。
やべぇ。蜘蛛の魔女の天敵だ!
奥多摩を守るフヨウには、魔法菌や昆虫魔物対策として精油を漂わせてもらっている。それがまさかこんなところで裏目に出るとは。
「すみません! 本ッ当ごめんなさい、これは流石に忘れてたじゃ済まないですよね、本当に申し訳ない。平にご容赦を」
「いいよ、大丈夫……パンデミックの時に匂い嗅いで覚えてたから、突っ込んで死んだりはしないよ。ただ、絶対近寄りたくないかな。送るの、ここまででいい……?」
「そりゃもう。下がって下がって、もっと下がって」
俺は蜘蛛の魔女に充分下がってもらってから、背から降りた。
腹をすかせ、格上の強者の背に乗せられ、すっかり疲れて不満げな火蜥蜴たちも背から降ろしてやり、最後に工具鞄も降ろす。
「荷物はこれで全部ですかね?」
「うん。杖、本当に貰っちゃっていいの? 必要なら返すよ……?」
「いやいや謙虚すぎますよ、それは。あげたんだから、貰って下さい。それは蜘蛛の魔女さんのためだけに作った、専用の杖です。是非使って下さい。というか作りが粗すぎて俺の方が申し訳ないぐらいで。一度預かってちゃんとしたのに作り直しましょうか?」
「ううん、これがいい。せっかく0933が私のために作ってくれたんだから……」
蜘蛛の魔女はキィと鳴き、杖をホルダーに挿した足をカサカサ動かした。
うーん。職人としては不満の残る出来だが、お客さんが満足してくれてるなら、まあいいか。
「奥多摩に迷いの霧張ってるの、花の魔女の娘でフヨウっていうんですけど、蜘蛛の魔女さんとかその使い魔は通すように言っとくんで。いつでも遊びに……は無理なのか。手紙とか下さいよ」
「……!? …………うん。青の魔女が許してくれればね……」
「大丈夫ですって。あいつ口やかましいとこあるけど、俺にけっこう甘いんで頼み込めば押し切れます」
「そっか。0933、後ろ見た方がいいよ……」
「後ろ?」
言われて振り返ると、一歩しか離れていないド近距離にブチギレ青の魔女様がいた。
キュアノスは持っているが、いつもの黒いボロボロのコートではなく、普通の女性のような服を着て、仮面もつけていない。
顔が露出しているので、憤怒の表情がよく見えてしまった。
全身から血の気が引く。
「ヒッ」
「大利ーッ!! お前、このバカが! 奥多摩から出るなとあれだけ言ったのに!」
「おわわわわ……!」
激怒のあまり、ヒヨリの足元の水たまりが凍り付いた。魔力漏れてる漏れてる!
やべぇ、見つかったら怒るだろうなと思ってたけど、思った三倍怒ってるぅ!
「ふざけるなよ! 慧ちゃんを病院に預けて奥多摩を見に行った私の気持ちが分かるか!? フヨウに話を聞くまで攫われたかと思ったんだぞ! 心臓が止まるかと! バカ! この大バカが!」
「い、いやでも、お前は親友だし、教授は友達だ。友達のピンチなんだから、助けにいかないとって思って」
「間抜けーッ! 大利に戦場で何ができる!? 人質が増えるだけだろうがーッ!!」
ヒヨリは俺にビンタしようとしたが、ギリギリで自制心が働き、平手は頬の横で止まった。それでも押し出された空気で殴られ、並のビンタよりキツイ衝撃で頭が揺さぶられる。
「すっ、すまん、悪かったよ。言われた通り引きこもってた方が賢いのは分かる。でも俺なりに考えたんだ、武器持ったし、火蜥蜴連れてるし、工具鞄も持ったし、こうやって目立たないように地下を通って」
「黙れ。魔女と魔法使い相手にそんな小細工が通じると思うな。もし蜘蛛の魔女が……ああ、分かったぞ? 大利、お前、文京区の下まで来てただろう! そうだな!? そうでもなければその脚についてる魔石杖に説明がつかないからなあぁあ!!?」
「あわわわ、ごめんごめんごめん! もうしない! 俺もヤバいと思ったから! 罠にかかって死んだと思ったし! もう二度とこんな事はしない! 誓う誓う!」
「絶対奥多摩から出ないと誓っておきながらノコノコ出てきたクセに、どの口で! なんのために奥多摩の護りを固めたと思っている? ふざけっ、このっ、バカバカバカ!」
ヒヨリはますますヒートアップしていく。
こ、こわいぃいい!
しかも全部正論。死ぬほど心配かけたのも心が痛い。
いやマジごめん!
「すみませんでした。あの、次からはちゃんとヒヨリに相談してから奥多摩を出るようにするから」
「次!? またやるつもりか!? お前ーッ!」
ダメだー! 俺が何か言うたびに火に油を注いでいる気がする。
実際俺が悪いし、何を言っても無駄だ。
俺が冷たいコンクリートに正座して「はい」「ごめんなさい」を出力するマシーンになっていると、青の魔女の剣幕に引いていた蜘蛛の魔女がおずおずと救いの糸を垂らしてくれた。
「青の魔女、ちょっといい?」
「なんだ!? 今取り込み中! 話は後にしてくれ!」
「私の疑似餌の効果、知ってるでしょ? 0933……大利は、疑似餌が青の魔女の姿に見えてたよ。大利は青の魔女を一番大切に想ってる。本当に、心から助けようと思って動いたの。許してあげて……」
「は……? そっ……! い、いや……っ! ……うああっ、頭がおかしくなりそうだ! 大利貴様いい加減にしろよ! お前は私の情緒をどうしたいんだ!?」
蜘蛛の魔女の取り成しを聞き、様子がおかしくなったヒヨリは叫び声をあげながら地下鉄の壁をぶん殴った。蜘蛛の巣状に亀裂が入り、天井からパラパラと埃が落ちて来る。
やめろやめろ、崩落したら下敷きになって死ぬ!
「うーん。あのね、部外者の私が言っても説得力無いけど、青の魔女が過保護なのは確かだと思うよ。大利は宝物じゃない。友達なんでしょ……? 大切に仕舞い込もうとして、本人がやりたい事を邪魔するのはよくないよ……」
「何を言っている? コイツを守ってくれていた……んだよな? 護衛をしてくれていたのには感謝するが、お前も大利の危なっかしさは分かっただろう。ほったらかしになんてできるか!」
「うん。かなり危ない事言ってたし、それは私も思う……でも青の魔女がもっと大利が話しやすいようにしてあげてれば、状況は違ったとも思う。『絶対に外に出るな、たとえどんな理由があっても』って感じで言ったんじゃない……?」
口を開くとまたヒヨリがヒートアップしそうだったので、俺は激しく頷いた。
ヒヨリはイライラと腕を組み指先で腕を叩きながら言う。
「それならどうすれば良かったと? 一緒に連れていくなんて論外だ」
「納得感の問題なんだよ。もっと大利の話を聞いて、大利の考えとか意見を知ってあげて。大利が友達のために動きたいのと同じぐらい、青の魔女も大利のために動かないでいて欲しいって思ってるって気持ちが伝われば、大利は動かなかったんじゃないかな……」
「…………」
青の魔女が俺を疑わしげに見てきたので、俺は頷いた。
まあ、本音を言えば友達概念の教科書として漫画や小説を使って影響されたのが悪かった気はする。「友達のために危険を冒す」ってカッコいいし、真の友達感あるけど、時と場合によるよな。それはそう。
黙り込んだヒヨリに、蜘蛛の魔女はゆっくりそっと背中を押すように言葉を紡ぐ。
「それにね、大利が来てくれたおかげで、私は杖を作ってもらえた。杖を作ってもらえたおかげで、大日向教授を助けられた……幸運のおかげでもあるけど、大利と青の魔女はちゃんと助け合って、力を合わせて荒瀧組に立ち向かえた……
大利の気持ちは優しくて素晴らしかった、結果も良かった。やり方がちょっと悪かっただけ。だから、あんまり怒らないであげて欲しいな。次同じような事があれば、私もこの七つの目を光らせて見守るし、助けるから……」
ヒヨリはかなり長く沈黙したが、最後には不承不承頷いた。
「分かった。言いたい事はもう言ったし、これ以上は無しでいい」
く、蜘蛛の魔女様~ッ!
荒ぶる神の怒りが鎮められた! あなたが救世主か?
めっちゃ口上手いじゃん。もう蜘蛛の魔女が魔女集会のトップになってくれ。
「大利お前、蜘蛛の魔女に感謝しろよ。というかなんか二人の距離近くないか?」
「いや……? 普通ぐらいじゃないか?」
「そうか? いやそうは見えないな」
「アッごめんそろそろ帰るね。私はこの先に行けないから、二人だけで奥多摩に帰って。それじゃ、また……」
蜘蛛の魔女は少し慌てた様子でガサガサと地下鉄の奥の暗闇に消えていった。
俺はその後姿に敬礼をして見送る。青の魔女は少し迷った様子だったが、胸に手を当て、軽く腰を曲げ一礼した。
いやあ、いい魔女だった。青の魔女とタメ張るぐらい良い魔女だ。今後も仲良くしたい。
未来視が倒れ、非常事態宣言が発令され、荒瀧組の襲撃が始まった時はどうなる事かと思った。なんとかなるものだ。
犠牲者が出たのは、悲しい事だ。特に半田教授は初めて声を聞いたと思ったらそれは遺言だった。彼の犠牲はつくづく惜しまれる。
だが、お陰で東京魔女集会は勝利した。
偉大なグレムリン工学教授は一命をもって敵勢力撃滅の突破口を開いた。その散りざまを惜しみ、そして惜しみない賞賛を送りたい。
もう一つ忘れてはならないのは、荒瀧組は全員魔石持ちだったという事だ。
とんでもないヤクザ集団は、死んで大量の魔石を魔女集会にもたらした。
色々な事後処理が終わるまで魔石の総数は分からない。しかし間違いなく一個や二個ではない。
荒瀧組に荒らされた東京は、その魔石で立て直せると信じたい。
魔石の出番。
つまり、俺の出番だ。
魔女集会が回収した魔石を使って作る杖について、今から考えておかないとな。
忙しくなりそうだ!





