52 最強の魔女
大日向にピッタリくっつき警戒しているコウモリ顔の魔法使いは魔力に敏感で、青の魔女は近づけなかった。距離を離して魔法で狙撃しようにも、魔力の動きを感知され避けられるだろう。それほどまでに鋭い。
だが、半田作之助が行ったダイナマイト自爆は魔力が全く関係しない、純物理的なものだ。
ゆえにコウモリ顔の魔法使いにとって部屋の壁を壊した爆発は完璧な不意打ちになり、大きく気が逸れた。
大学中央塔の大時計の裏に隠れていた青の魔女は、千載一遇のチャンスに素早く動いた。
キュアノスの照準をコウモリ顔に向ける。だが、ようやく油断したとはいえ、大日向と距離が近過ぎる。万が一にも巻き込んでしまったら?
その躊躇は、第三者の介入で取り払われた。
酷く見えにくく気配も朧な、小さな何かが爆発で空いた壁の穴から飛び込んできて、コウモリ顔に体当たりして吹っ飛ばしたのだ。
青の魔女は思わず拳を握りしめた。
潜伏し、機を窺っていたのは自分だけでは無かったのだ。
積み上げられた映写機やプリンターの山に突っ込んだコウモリ顔の魔法使いに、青の魔女は抑えていた冷たい殺意と共に必殺の魔法を唱えた。
「その槍は氷と雪と悲哀でできていた」
冷気を押し固めた純白の三叉矛が瞬時に形成され、残像を残し音を置き去りにする超速度で真下へ射出される。
そして射出した次の瞬間には、四階層分の床を貫きコウモリ顔の魔法使いを頭から股間までまっすぐ串刺しにし、地に縫い留め即死させた。
俄かに、大学が騒がしくなる。
初撃で位置がバレた。暴走魔法の使い手を仕留めるまで、一時的にキュアノスは使えなくなる。
青の魔女は何よりもまず大日向を助けに行こうとしたが、小さな何者かが大日向を引きずりかなりの速度で廊下を走り激戦地から引き離していってくれているのに気付いた。
キスしたくなるぐらいの素晴らしい働きだった。敵の一掃が終わったら是非礼を言いたい。
だが、まずは掃除が先だ。
素早く全体の状況を確認する。荒瀧組組長はダイナマイトの爆発を至近距離で受けたが、まだ死んでおらず爆心地から立ち上がろうとしていた。
「凍る投げ槍」
キュアノスを腰に差した青の魔女は、牽制に魔法を無手で速射して組長を地面に叩き伏せつつ、大時計の後ろから飛び出し、大きく空へ跳躍した。
跳び先は南棟一階の購買。魔法暴走の使い手と、その護衛の二人の魔女がいる場所だ。
「!? 姐さん下がって! 我らは城塞!」
派手に動いたので、当然気付かれる。
赤髪の護衛魔女が呪文を唱えると、目の前の空中に輝く強固な半透明の防壁が出現し、行く手を阻んだ。
青の魔女は空中で身を翻し防壁を蹴って地上に一気に降り立つ。
「沸き立て我が血潮」
そして獣の如き低い態勢からの爆発的踏み込みで防壁を強引に蹴り破り、赤髪の魔女を押し倒し馬乗りになった。
必死の形相で何か唱えようとする魔女の口に、サブウェポンの拳銃の銃口を突っ込み引き金を引きながら、泡を食って逃げようとしている暴走魔法魔女の背中に無手で魔法を撃つ。
「その槍は氷と雪と悲哀でできていた」
瞬きの後、暴走魔法の魔女は背中から心臓を貫かれ大地に掲げられる奇怪な死のオブジェと化した。
わざわざ護衛をつけているだけあり、魔女にしては脆かった。二発目を撃つために練り上げていた魔力は、代わりに口から血を吐き意識を朦朧とさせている護衛に使う事にする。
「その槍は氷と雪と悲哀でできていた」
五発の銃弾を口内に接射され喋る事ができない護衛は、頭部を白い三叉矛に潰され死んだ。
ほんの十数秒で、三名の魔女と魔法使いが死んだ。
大学にいるのは残り二人。
青の魔女は再びキュアノスを手に握りしめ冷たい魔力を滾らせる。
青の魔女を中心に莫大な魔力が溢れ、大学に白い霜の波が広がっていった。
氷の女王が、君臨した。
徒党を組んで構内に群れていた荒瀧組の下っ端たちが、恐慌状態に陥り我先に逃げていこうとする。
だが団子になって逃げようとする下っ端集団の数名が、まとめて空に吹き飛ばされた。
恐怖に固まり動けなくなった下っ端の人垣を割り、若頭と呼ばれていたスキンヘッドの魔法使いが肩を怒らせ姿を現す。
魔法杖のつもりだろうか? 木の棒きれに魔石をくっつけただけの陳腐な武器を青の魔女に向け、悪鬼そのものの形相で叫ぶ。
「女ァーッ! 生きて帰れると思うなや! 大地の大穴より来たりて、」
「凍る投げ槍」
青の魔女は愚かにも啖呵を切って姿を現した若頭の詠唱を、正確に狙いをつけた速射で妨害する。
氷槍魔法は詠唱の短さ、威力、燃費、射程、速度など全てが高度に纏まった非常に使い勝手の良い魔法である。そこに青の魔女の高い魔力コントロール技術が加われば、全てが更に底上げされ命中精度までもが高められる。
若頭は氷槍を避けようとしたが、避けきれず頬を撃たれ詠唱を中断してしまった。
信じられない、という顔をしながらも再度呪文を唱えようとする若頭に、青の魔女は情け容赦なく追撃した。
「その槍は氷と雪と悲哀でできていた」
キュアノスで威力を引き上げられた魔法により、またもや串刺し死体ができあがる。
一方的な虐殺を目の当たりにした下っ端たちは、完全に戦意を喪失した。
ある者は失禁し、ある者は土下座して恐怖に泣きながら命乞いを始める。
木っ端の始末は後で良い。
青の魔女は、最後に残った魔法使いの元に歩を進めた。
半田作之助の自爆のあと、青の魔女はしぶとく生きていた組長に一発牽制を入れた。しかし、氷槍魔法は牽制には有効だが、魔法使い相手に致命打になる魔法ではない。
とっくに立ち上がり、魔法なり拳なりで襲い掛かってきていてもおかしくはなかった。
改めて相対すると、組長の深手が良く分かった。
体の前面が黒く焦げ赤く腫れ上がり、顎がぐちゃぐちゃになっていた。
魔法の援護が飛んでこなかったはずである。あの顎で正確な発音は不可能だ。
組長は、歩み寄る青の魔女から逃げる意思を見せず、ボロボロの体を引きずり、不規則に痙攣する足でむしろ一歩一歩近づいてきていた。
若頭もそうだったが、荒瀧組という連中は戦意が高かった(少なくとも魔女と魔法使いは)。敗軍の将とは思えない、堂々とした闊歩を見せた組長は青の魔女を指さし、自分を指さし、拳を構える。
喋れないため、手で意図を伝えるしかないのだ。
青の魔女はその意図を正確に汲み取った。
一対一、拳で戦え、と言いたいらしい。
しかしそんな要求に応じる必要はどこにもない。青の魔女は三叉矛魔法の必中圏内まで歩み寄ってから、キュアノスを向け半死体にトドメを刺す魔法を唱えた。
「その槍は氷と雪と悲哀でできていた」
目にも止まらぬ速さで射出された氷の矛が、組長に命中する。
しかし、矛は敵を貫かず、浅く刺さるに留まった。
組長は大きくよろめいたが、胸に刺さった矛を引き抜き投げ捨て、再び鬼気迫る気迫で青の魔女に一歩一歩向かってくる。
「…………!?」
青の魔女は警戒し、眉根を寄せた。
手応えがおかしかった。
ただ堅いわけではない。
魔法の通りが悪いような。魔法に耐性を持っているような。
青の魔女は近づいてくる組長をじっと観察している内に奇妙な感覚を覚え、そして気付いた。
恐らく、組長は自分と同族だ。
覚えている魔法こそ違うが、自分と同じように心臓を持たず、冷気に高い耐性を持っている。そういう種族なのだ。
キュアノスで強化していてもなお、凍結魔法の通りが悪すぎる。
耐性があるだけで無効化はできていないから、ゴリ押しで殺せはするだろう。
しかし青の魔女は別の方法を選択した。
人生の幕引きとして一対一の殴り合いをご所望の、腹立たしい時代錯誤の化石のような半死体に歩み寄り、その両手を掴んでやる。
組長は焼け焦げた顔で獰猛に笑い、グッと力を入れ、青の魔女を圧倒しようとする。
竜の魔女に匹敵するか上回るほどの、大した膂力だった。凄まじい力をかけられ、踏みしめた大地が陥没する。
だが律儀に付き合ってやるつもりは毛頭ない。
青の魔女は組み合いながら、魔法を唱えた。
接触が要求され、詠唱が長く魔力消費が大きい代わりに、強力無比の魔法を。
「沸き立て我が血潮、我が怒り。貴様の血を一滴残らず絞り出し、先祖への贖いとしよう」
血の魔法が唱えられ、悍ましい赤色の霧が組長にまとわりつく。
組長は血を吐きながら呻きしぶとく魔力コントロールで抵抗しようとした。
しかし青の魔女に敵うはずもなく。
ささやかな抵抗は紙のように破られ、組長は全身の穴という穴、全ての傷口から魔力と血を吹き出し、枯れ木のようにカラカラに乾いて、死んだ。
一息ついた青の魔女は、遠巻きに固唾を呑んで自分を見ている学生や教授陣に気付いた。群衆はまだ、事態の収束を飲み込めていないらしい。
知った事ではない、大日向だけが大切だ。
そう思って、給水塔の根本に大日向を横たえ、ぴょんぴょん飛んでアピールしている小さな誰かの元に行こうとした青の魔女だったが、ふと七瀬助教授の言葉を思い出した。
これから過去ではなく前を向いて進んでいくなら、大日向や大利だけと仲良くしているわけにはいかない。
今回、魔法大学は一致団結して事にあたった。
誰一人、裏切り者などいなかった。
誰もが、その人なりの全力を尽くしていた。
彼らは信頼できる。
青の魔女は立ち止まり、振り返って、見守る群衆にキュアノスを掲げて応えた。
「喜べ、魔法大学は解放された! 君達の働きだ!」
途端に爆発した大歓声を背に、青の魔女はいそいそと大日向の元に向かう。
東京魔女集会の中枢を襲った荒瀧組の主要な魔女と魔法使いは全滅した。
残るは東京各地を多方向から襲っている数名の魔女だけ。
しかしそれも竜の魔女が魔石目当てに嬉々として残党処理していくだろう。手こずるようなら手伝ってやってもいい。
荒瀧組のトップは死んだ。もう組織を纏める者はない。
青の魔女らによる魔法大学制圧をもって、事実上、荒瀧組の東京襲撃事件は終結した。





