51 終止論文
蜘蛛の魔女が敵から奪取していた魔石は子供の握りこぶしサイズで、上品な桔梗色をしていた。濃く静かな紫の色味は力強くも物静かな蜘蛛によくマッチしている。
今回は大日向教授の救出が目的だ。服毒自殺未遂をしたという大日向教授は、できるだけ早く助けて医者に診せてやりたい。悠長に凝ったデザインの杖にしてみたり、新機軸を打ち出してみたりといった事をする余裕はない。残念ながら。
基本的な構造の多層構造核+逆流防止機構でまとめるのが良い。
俺は鉄鋼羊手袋をはめ、工具鞄からグレムリン刃の彫刻刀と曲がり鈎、各種研磨剤を取り出した。
多層構造加工は層が多いほど時間がかかる。比較的短時間でできる二層加工にとどめておき、威力が足りなければ三層、四層と増やしていくのが無難だ。
シートを敷いて座り込み、火蜥蜴たちを呼び集め手元を照らしてもらう。球形に削って形を整えながら、俺は蜘蛛の魔女にヒアリングをした。
「杖のデザインについてなんですけど。その脚だと杖握るの難しいですよね? こういう形状なら扱いやすいみたいな希望あります?」
「え。そういう希望できるの? どうしようかな……」
「基本形は普通の杖ですね。俺が腰にさしてるコレ、このヘンデンショーくんみたいな」
「うーん……脚に装着できると助かるかも。あと、疑似餌に持たせる事もあるかも知れないから、人間の手で持てるようにもして欲しいかな……」
「なるほど。じゃあそうですね。それなら普通の杖の形をベースにして、脚のホルダーに挿して固定できるようにしましょう。というか疑似餌ってそんな色々できるんですか?」
「うん。こうやって魔力糸で操ってね……」
蜘蛛の魔女が前脚を二本宙に挙げて指揮するように動かすと、薄い霧の向こうからヒヨリがやってきた。
と、思ったら何とも言い難い不思議な材質の素材でできた人形だった。
思わず切削の手を止めて観察してしまう。ヒヨリとは全然似ても似つかない、のっぺりとした白い鉱物でできている人型なのに、なぜヒヨリだと思ってしまうんだろう。一度騙されて、ヒヨリではないと知っているのに。そういう魔法か?
「これは認識をおかしくさせる魔法がかかってるんですか?」
「ううん。疑似餌の性質だね。魔法はかけてない。親しい人とか、愛する人の姿に見えるみたい……かなり頑丈。あと、私が強化魔法とか仮死魔法とか、自分自身に作用する系の魔法を使うと、効果が全部疑似餌に行くの。だから疑似餌を強くして操って戦ったり、疑似餌に死んだフリさせたり、竜に変身させて空を飛ばせたりもできるよ……」
「強くね?」
自分は安全な場所に隠れて、疑似餌を遠隔操作して騙したり攻撃したりできるって事だろ?
やれる事エグいぞ。陰険戦法やりたい放題だ。
「魔力コントロールが上手い青の魔女とか目玉の魔女が使えば強いと思う。でも、私はコントロールちょっと怪しいから。距離を離して操ろうとすると精度を上げれば強度が、強度を上げれば精度が犠牲になっちゃう……」
「そこで俺の杖の出番、と。任せて下さいよ、威力と反動の問題は解決できるんで。蜘蛛の魔女さんにピッタリの専用杖を作ってみせます」
自信が無さそうな蜘蛛の魔女の前脚を撫でて勇気づけ、切削に戻る。
蜘蛛の魔女はキィと鳴き、感情が読めない視線をじいっと俺に注いだ。
集中し特急で紫魔石を二重構造に加工し磨き上げたら、核は完成だ。続いて柄の加工に入る。
駅のホームに設置されたベンチの脚が良い感じだったので、火蜥蜴部隊に焼き切ってもらい、杖の柄としてそのまま利用。
数年来の相棒だったヘンデンショーくんのグレムリンを取り外し、蜘蛛の魔女にホームのタイルを削って作ってもらった鋳型に融解させて流し込み、逆流防止機構を鋳造する。冷えて固まった機構は柄に内蔵し、内部でズレないようしっかり固定する。さらばヘンデンショーくん。
で、核と柄を合体させれば急造感アリアリの蜘蛛の魔女専用杖になる。
杖に合わせたホルスターも工具鞄の革を切って作り、蜘蛛の魔女の足に括りつける。
後は杖を引き渡すだけなのだが、女性に持たせる杖としては無骨過ぎて流石に申し訳ない。気持ち程度の装飾としてWitch of Arachneの銘と火蜥蜴ロゴをササッと浅く削って入れておいた。すみませんね、じっくり良い感じのネーミングを考える時間も無さそうなんで。
「できました。どうぞ」
「ありがとう……」
蜘蛛の魔女専用杖Witch of Arachneを捧げ渡そうと片膝をつくと、蜘蛛の魔女も恭しく拝領する姿勢を取ったので、お互い姿勢を下げてお見合いする感じになってしまった。
俺達は笑い合い、それから蜘蛛の魔女は前脚のホルスターに収めた魔石杖を軽く動かし感触を確かめた。
「どうでしょう。どこか違和感などがあればすぐ直しますよ」
「大丈夫。ピッタリ。すごいね、魔石杖ってこんなに魔力の通りがいいんだ。みんな欲しがるはずだよ……うん。これならいけそう。0933の友達の大日向教授を助ければいいんだよね……?」
「はい。お願いします。大丈夫ですか?」
「任せて。魔法たくさん唱えるから、一応下がっててね……」
蜘蛛の魔女は俺と火蜥蜴たちを後ろに下がらせ、棒立ちしている疑似餌の前に立ち、立て続けに魔法を使った。
「息子の無事が分かるなら、この目を抉ってもいい」
「両目を潰せば真実が見えなくなるとでも?」
「火山もその星灯りに耐え兼ねて、身を縮め大地に隠れた」
「迷い惑え、狩人」
「沸き立て我が血潮」
複眼の目玉の使い魔が出現し、疑似餌の頭部の凹みに収まる。
目玉の使い魔の目が一瞬僅かに光る。
疑似餌が風船が破裂するような音とともに煙を出し、親指サイズに変身する。
疑似餌が濃い迷いの霧を吹きつけられオーラのように纏い、存在感が希薄になる。
そして最後に身体強化魔法がかかり、疑似餌は蜘蛛の魔女が掲げた二本の前脚の繊細な動きに合わせ、地下鉄から地上に繋がる階段へ凄いスピードで駆けていった。
「疑似餌と視覚と聴覚を共有した。見つかりにくくしたし、壁を透視できるから、大日向教授は楽に探せると思う……ああ、本当にすごいね杖の力は。離れても離れてもこんなに操れる。精度に集中しても元の出力が高いから……うん。オコジョの女の子を見つけたら、疑似餌に担がせてここに運べばいいかな?」
「あ~、どうだろう。状況次第? たぶんヒヨリ、青の魔女が近くにいるはずなので、そことの兼ね合いも、みたいな」
「分かった。とりあえず探して見つけるね……」
「お願いします」
蜘蛛の魔女と疑似餌は目玉の使い魔で繋がっている。映像は蜘蛛の魔女にしか見えないが、音は俺にも聞こえてきた。
高速で走る足音、風切り音。
茂みをかき分けるガサゴソ音。
やがて足音は金属音に代わり、人の話し声が聞こえてきた。
「換気ダクトに入ったよ。南棟の端から順番に見てく」
俺は両脚で魔力糸を操り疑似餌を動かしている蜘蛛の魔女の気を散らさないよう、黙って頷いた。
漏れ聞こえる声、九州訛りのある会話を聞く限りだと、大学には「親分」「若頭」「舎弟頭」の三名の魔法使いに加え、文京区役所を落としてから捕虜を連行し合流した二名の「魔女衆」がいるらしい。全部で五名だ。
東京各地を包囲するように侵攻している複数名の魔女については「木和田の姐さん」の仕切りだと分かった。
大学構内をウロついているのは普通の人間の下っ端たちで、絶叫するビーバーのような叫び声と苦悶の声、馬鹿笑いが聞こえたので、射撃魔法基幹呪文「撃て」が使える奴が混ざっていると思われる。
荒瀧組の支配領域である九州にも、かつて魔法大学から人員が派遣され、豊穣魔法を伝えている。「撃て」もその時に伝わってしまったのだろう。
社会のゴミどもが、恩をアダで返しやがって……!
「南棟にはいなかった。あと中庭で要人を並べてやってた契約魔法、やめてるね。中庭には誰もいない。そろそろ夜だし、屋内に入ったのかな……?」
ぶつぶつ言いながら疑似餌を動かしていた蜘蛛の魔女だが、突然ビクリとして、動かなくなった。俺も息を止めて気配を殺す。
数十秒動かなくなっていた蜘蛛の魔女は、やがてゆるゆると息を吐いて両脚を細かく動かした。
「0933、たぶん大日向教授を見つけたと思う。でもすごく勘の鋭い、気を張り詰めた魔法使いにバレそうになった。悪魔っぽい……いや、コウモリかな。コウモリ顔の奴」
「若頭ですかね? 舎弟頭? 親分は見た目人間なんですよね?」
「待ってね。少し黙る。集中させて……」
それから蜘蛛の魔女はしばらく慎重に両前脚を動かした。俺には視えないが、足先から繋がった魔力糸で繊細に疑似餌を操り、敵の警戒網を掻い潜ろうとしてくれている。俺は邪魔をしないように心の中で応援した。
頑張れ~、事態は魔女様にかかってるんですよ。鉄火場嫌いみたいで本当に申し訳ないけど、あなただけが頼りなんです。なんとか、なんとかお願いします。
息の詰まるような時間の後、蜘蛛の魔女は少し力を抜き、複眼を俺に向けて状況を教えてくれた。
「大日向教授は埃をかぶった機械がいっぱい入ってる倉庫みたいな部屋に閉じ込められてる。顔色は悪いし意識無さそうだけど、息はしてる。その横に舎弟頭のコウモリ顔魔法使いが立ってて、神経尖らせてる。青の魔女が取り返しにくるのを警戒してるみたい……」
「青の魔女はどこに?」
「分からない。構内の男子トイレの鍵がかかった個室に、爪を剥がされて首を折られた下っ端の死体があった。死体に霜が降りてたから、青の魔女の仕業だと思う。構内にはいるみたい。でも上手く隠れてるね……」
俺は頷いた。やはりヒヨリも大学に来ている。朗報だ。
まだ大学の敵の魔女・魔法使いが生きているという事は、ヒヨリは大日向教授の場所が分かっていないか、分かっているが警戒が厳しく手を出しあぐねているのだろう。尋問はしたみたいだから、場所は分かっているのかも。
「大日向教授を助けて青の魔女に知らせれば、後は全部片づけてくれます。いけそうですか?」
「ごめん。ちょっと難しい。今、教授が閉じ込められてる部屋の隣の部屋の隅に疑似餌を置いてるんだけど、これ以上近づくと気付かれる。今いる部屋は……尋問部屋かな? 床に血の跡がある……」
「うーん……なんとか大日向教授とその見張りを引き離せれば。俺が行って陽動かけてきましょうか?」
「 絶 対 ダ メ ! 最悪、人質が二人に増えちゃう。お願いだから危ないところに行かないで……」
「す、すみません」
凄い剣幕で言われて怯む。
言ってみただけじゃん。いや俺もワンチャンあるかなと思っただけですよ。ワンチャンも無いかぁ。
青の魔女も蜘蛛の魔女も花の魔女の子も、実力者たちはみんな口を揃えてお前は大人しくしてろって言うんだよな。
ヘンデンショーで武装して、護衛連れて、工具鞄背負って地下道でスニーキングして。俺なりに警戒しつつこの危険地帯に来たつもりだけど、危険の見積もりが甘かったかも知れない。
「うーん、うーん……でも、陽動は良い案かも。舎弟頭は警戒してるけど、びくびくもしてる。何かで驚かせれば、その隙に大日向教授を助けられそう……」
「陽動。驚かせる。いやどうしよう? 俺は行ったらまずい。火蜥蜴行かせてもなあ。ツバキ、お前行けたりする?」
「ミミミ? ミーッ」
「そうだよな~、お腹減ったよな」
「杖で増幅してるけど、私の魔力はあんまり多くない。いつまでも魔法は続かない。できれば早めに決着つけたいな……コウモリっぽいやつ、見た目的に夜になったら活動的になりそうだし……」
「先に青の魔女を探すのは?」
「アリ。でも、このまま隣の部屋で待機して、隙ができるのを待つのもアリ……」
俺達はあーでもない、こーでもないとしばらく作戦会議をしていたが、蜘蛛の魔女が突然黙り込み、静かにするようジェスチャーしてきた。
使い魔越しに足音が聞こえ、部屋のドアが開く音がする。
誰か疑似餌が潜伏している部屋に入って来た。
しばらくガサゴソ動く音がして、小さなうめき声がした後、そこそこ歳のいったシブい男の声がした。
『てめぇなあ。素直に降伏すれば契約魔法は勘弁したるとは言ったが、降伏してから反抗したらソイツは裏切りだ。処罰せん事には示しがつかん。
だが俺はお前さんを高く買ってる。実績もそうだが、他の連中とは目が違う。足の指を二、三本詰めて、契約魔法かけるだけで済ませたるわ』
床を強く踏みつける音がして、蜘蛛の魔女がビクッと震える。
しかし、悲鳴は一切聞こえ無かった。
『ほぉ……声一つ上げんとは、やはり大したタマだ。魔法で無理やり従わせるのが惜しい男だ。が、裏切りのケジメはつけてもらうぞ。汝を我が騎士に任ずる。二心あれば魔力で応えよ』
少しの静けさの後、シブい男の声が重々しく言う。
『お前が自由に喋れるのはあと30秒だ。言い残す事はあるか?』
その言葉に、沈黙していた男の声が答えた。
『……私はさいたま市出身でね。超越者たちに護られ平和慣れした都民とは違う。子供や老人、怪我をして助けを求める女性から物資を奪い、魔物への囮にして生き延びてきた。この手はとっくに血に汚れている。
悪いがアンタに従う高潔な騎士にはなれん。もう一度悪虐に身を染めるのも御免被る』
『なんだ、自殺するつもりか? お前に人質の価値は無い。漢として死を選ぶっちゅうんなら止めんぞ』
理解を示している風のシブい声に、もう一人の男は朗らかに軽く笑って言った。
『いいや、違う。
半田作之助、人生最後の実験だ。題して
“ダイナマイトで魔法使いは殺せるか?”』
『……!? お前ッ、』
使い魔越しに会話を聞いていた俺の脳に言葉が染み込む前に、凄まじい爆発音が聞こえた。