46 平和を噛みしめる
フヨウは言動がかなり幼いが、物覚えは良かった。
俺が教えた川辺の水車や釣り場、畑と田んぼの場所はすぐに覚えた。
裏山の反射炉と家の場所までしっかり記憶できたところまでは良かったのだが、そこからが問題だった。
嬉しそうにいそいそ裏庭の井戸横に行き、地面に根っこを突き刺し始めたフヨウを俺は全力で引っこ抜いた。
両脇腹に手を入れてスポンと引き抜くと、フヨウはびっくりした顔をする。
「え。ここだめ? もっとおうちのちかくがいい?」
「根っこ張ろうとしたんだろ?」
「うん」
「場所の説明は聞いて、覚えただろ?」
「おぼえたよ!」
「いいか、よく聞け。さっき説明して案内した場所には入っちゃいかん。もちろん、この家もダメだ。説明してない場所にだけ根を張れ。つまり、俺に近づくな」
「……なんで? おじさん、わたしのこときらい?」
フヨウは傷ついた目を潤ませ俺を見上げてくるが、俺だって傷ついてる。具体的には胃とか。あと盲腸とか。
俺も友達ができて精神的に成長した。こうやってある程度社交的な自分を装って、多少は話せるようになった。
が、それはストレスを感じなくなったという事ではない。
ストレスを感じていないフリをしながら喋る事を覚えただけだ。
しかもそれも長続きはしないし、子供相手だからなんとか取り繕えているに過ぎない。
はやいとこ縄張りを理解し、俺の視界から消えてくれないと困る。
ストレスで胃腸に負担をかけたくない。
「フヨウの事は嫌いじゃないが、苦手だ。どっかいってくれ」
「大利、言い方。相手は子供だぞ」
「ストレートに言わないと通じねぇだろ」
ヒヨリが諫めてきたが、こうでも言わないと伝わりそうにないから仕方ない。
フヨウは1歳児にしては異常に賢いが、語彙が少なく、難しい言葉が理解できていない様子だった。
俺は相手がちゃんとした大人でも会話が怪しいんだぞ。子供相手に言葉を選んで気遣った会話なんてできるわけねーだろ! ごめんね!!!
手でシッシッと追い払うジェスチャーすると、フヨウは涙を引っ込め、根っこと蔦を振り回して不満を爆発させた。お前嘘泣きかよ、小賢しい。
「やだーっ! わたしもおじさんのおうちすむもんんんん!」
「俺もやだ! なんで友達でもないガキと毎日顔を突き合わせなきゃならんのだ。断固断る!」
俺も負けじと不満を爆発させるが、フヨウは生意気にも張り合ってくる。
ヒヨリは呆れた様子で仮面の上から額を押さえた。
「ツバキもセキタンもモクタンもすんでるでしょ! なんでわたしだけだめなの!?」
「ミーッ! ミッミミッ!」
「こら笑うなツバキ」
「ずるだーっ! ずるっこだーっ! とった! わたしがすむのに! とったぁーっ!」
「あーあー、うるせぇなあ。あんまりワガママいうと俺にも考えがあるぞ」
このワガママぶり。相当花の魔女に甘やかされて育ったと見える。
俺は軽く脅したが本気にした風もなく、フヨウはますます激しくダダをこねる。
「やだやだ、やだったらやだ!」
「いいんだな? 聞き分けないと俺もやる事やるぞ?」
「やだっ! わたしもおじさんのおうちにすむーっ!」
「よし分かった……やだーっ! やだやだやだやだ! やだーっ!!!」
俺が裏庭の土の上に転がりあらんかぎりの声を張り上げじたばたダダをこねはじめると、フヨウはびっくりして固まった。
ちょっと離れて俺達を見ていたヒヨリと火蜥蜴たちもあまりの迫力に後ずさった。
「フヨウを俺ん家に住まわせたくないぃいいい! 顔も見たくない! 俺に見えないところで幸せに健やかに生きていてくれないとやだやだやだやだやだ! やだーっ!!!!」
「えっ……あ、あの……ワガママいってごめんなさい……」
「ハン。さっさとそう言えばいいんだ」
俺はすっかり恐れ戦き格の違いを理解した様子のフヨウに頷き、立ち上がって服についた土を払った。
フッ、大人の恐ろしさでガキを分からせてやったぜ。
見たか、子供には決して出せない迫力を。二度と逆らうんじゃねぇぞ。
花の魔女には俺の断固とした躾を見習って欲しい。
フヨウはしばらくオドオド俺の顔色を窺っていたが、連絡用の目玉の使い魔を寄こすように言うと、嬉しそうに魔法を使い木の実のような茶色っぽい使い魔を出して俺に握らせウキウキ山に分け入っていった。
それを見送り、フヨウの姿が木々の向こうに消えるか消えないかのうちに使い魔から声が届く。
「おじさん、わたしここにするね!」
「早いなおい。近い近い。まあギリ見えないからいいけどさあ……」
「あのね、ねっこひろげてると、ちょっとねむくなるけど。きょうもあしたも、いっぱいおはなししてね! それでね、いつかおかあさまみたいにびじんになるから、そしたらあいにきてね?」
「何言ってんだ? お前はこの俺が取り上げた子だぞ。しかもこの奥多摩で育つんだ。花の魔女より美人になるに決まってるだろ」
俺が物の道理というものを知らない無知な子供に単純な事実を教えてやると、使い魔越しに鳴き声のような何か複雑な感情が込められた声がした。
そしてヒヨリの手がスッと横から伸びてきて使い魔を握り潰す。
何事かと目線で尋ねると、ヒヨリは少し黙った後に端的に答えた。
「長電話は嫌いだろう? 早めに切っておけ」
「ああなるほど? 長電話フラグだったか」
「それと……あー、たとえ相手が子供でも、急に突き刺す発言は慎むように」
「え。何が? どの発言?」
「分からないならいい。お前は本当にどういう感性をしているんだ? コミュ障なのか口が上手いのかはっきりしろ。まったく」
ヒヨリは何やらちょっと怒りながら帰っていった。
なんだあいつ。俺の事コミュ障コミュ障っていうけど、お前も時々わけ分かんねぇからな? お互い様だ。
フヨウは本人が言った通り、数週間の間を根を広げるために費やし終始眠たげだった。
毎日使い魔越しに連絡こそ来るものの、見た事のない虫を捕まえたとか、魔物を初めて一人で絞め殺したとか、崖の下で岩の下敷きになっている古い白骨死体を見つけたとか、そんな物騒だが完結した内容にとどまる。
アレやってとかコレやってとか、恐れていたワガママは言ってこない。最初の躾でガツンとやったのが効いたらしい。
しかもヒヨリと違って長電話をしないし、夜中に突然かけてもこない。通話をかけてくるのはだいたい日の出か、南中時刻か、日の入りの3パターンだ。植物的にそのあたりが時間感覚としてハッキリ把握できるからだろう。たぶん。
通話は普通にダルかったが、俺はすぐにダルさを利益に変える方法を思いついた。子供の日記じみたお電話を、業務連絡に変えてしまうのだ。
俺は以前山奥の沢で見つけたワサビと、反射炉近くにある養殖椎茸の原木の世話をフヨウに任せる事にした。季節の山菜が採れる場所や、熊の巣穴がある場所も教え、覚えてもらう。
チョロい子フヨウは俺の頼みに喜んで仕事を引き受けてくれた。面倒臭がる気配も、嫌がる気配もゼロ。将来悪い植物に騙されそう。大丈夫か。
ある日などはフヨウが根っこで裏庭の井戸前に届けてくれた珍味熊の手(乱暴に引きちぎられた痕跡があった)の礼にフヨウの似顔絵でジグソーパズルを作り知育用に持っていってやったら、大喜びして「おじさんがしんだら、わたしがぜんぶすいあげてあげるね♡」と言われた。
魔物の感性出てる~。こわ。でもまあ好きにしたらいい。死んだ後の事には興味ないし。
いや蘇生魔法存在の可能性を考えるとちょっと死んだ後様子見して欲しいかなとも思うが。
フヨウは火蜥蜴たちとは冷戦状態で、火蜥蜴が縄張りにしている反射炉周辺だけは根を張るのを諦めたらしい。お互い適度に距離をおきつつ、顔を合わせるたびに格付けのマウントの取り合いをしているようだ。
が、ぶちのめしてやろうという訳ではなく、俺を群れのボスに置いた二番手を争っている感がある。意外と平和的だ。
野生動物は、格付けチェックで傷つけあう事は案外少ない。勝っても負けても傷を負い、傷を負えばその後の生存率に響くからだ。上下関係を決める時に威嚇し合ったり、唸り合ったり、軽くどつきあう程度で済ませるのにはちゃんと理由がある。魔物も同じだ。
フヨウとヒヨリとの関係はというと、少し微妙だ。
フヨウの魔力が400K弱だと分かり、ヒヨリは奥多摩に張っていた迷いの霧を解除してフヨウに代わりに張らせた。奥多摩は地中に張り巡らされた根っこと迷いの霧の併せ技で、侵入者を迷わせ殺す超危険地帯と化した。
過保護がちなヒヨリが俺の護りを任せるぐらいなのだから、フヨウへの信頼が伺える。しかし自分の使い魔を必ず持ち歩くように念押ししてくるあたり、信じ切ってもいないらしい。
そんなヒヨリはここ数日、奥多摩に来ていない。
未来視の魔法使いから「キュアノスが盗まれる」と警告が入り、厳戒態勢で自宅に立てこもっているのだ。
フヨウに奥多摩警備を任せたのは自分が動けない時に奥多摩の護りが薄くならないように、という意図もあるようだ。
警告の甲斐あって、本来キュアノスが盗まれるはずの日は無事に何事もなく過ぎた。
しかし泥棒は諦めていないらしく、引き続き警戒するように指示が出ていて、ヒヨリは迂闊に動けない。
俺は危険だから決して青梅に来ないように、としつこいぐらい言われ、安全な奥多摩でのらくら杖を作っている。
実際、危険そうだ。
なにしろ未来視の警告が無ければ、キュアノスは盗まれていただろうから。
あの天下の青の魔女から魔法杖泥棒を成功させる(はずだった)というだけで、下手人は並の奴ではないと分かる。
火継の魔女も杖泥棒に遭った事があるという話だが、特殊な事情で魔女という称号を襲名しているがベースが人間の火継と、魔女の中でもトップ・オブ・トップの青の魔女とでは格が違う。
犯人は何者なのだろうか? 不穏だ。
個人的にはキュアノスが盗まれそうだという話には不謹慎だがワクワクしてしまった。マジで不謹慎だから口には出さなかったが。
時に、美術品は盗まれる事で価値を跳ね上げる。
盗みという犯罪に訴えてでも欲しがる者がいるという事実と、盗難に遭った事があるという興味をそそる経歴が価値をつけるのだ。ピカソの絵とか盗まれまくってるし。
いったん盗まれてすぐ取り返されるとかないかな~、と考えていた俺の甘ったれた呑気過ぎる妄想は、キュアノス盗難阻止から数日後に東京魔女集会が発した非常事態宣言によって跡形もなく吹き飛ばされた。
未来を視ていた未来視の魔法使いが東京に迫る重大な危機を知り、対策を取るために無理をし過ぎて意識不明になったのである。
前回未来視が意識不明になった時は、キノコパンデミックで危うく東京が壊滅するところだった。
今、それと同じぐらいの事が起きようとしている。もしくは既に起きている。
呑気してる場合じゃねぇ。
東京がヤバい!!





