40 英雄の証
村雲雁弥は己の秘密を墓まで抱えて持って逝くと決めている。
村雲は、魔法使いだ。
そしてそれを誰にも知られていない。
直属の上司である東北狩猟組合のお歴々にも知られていない。
最初は秘密にするつもりなど無かった。
村雲は元々山菜採りが趣味の飲食店勤めだった。グレムリン災害の時も山小屋で採れたキノコを数えながら一泊していた。しかしその一泊は変異に伴う昏睡により三泊に延びる。
昏睡から目覚めた村雲はすぐに身体能力の劇的向上、全身から迸る魔力、そして脳に刻まれた魔法の呪文を自覚した。
数日山菜取りの山小屋に逗留し自身の変化と見つめ合い、なんとか受け入れた村雲は、何をするにもとにかくちゃんとした病院にかかり診てもらおうと山を下りた。
山を下り目にした仙台市は地獄絵図だった。
化け物たちが跳梁跋扈し、自衛隊や警官隊が避難所に防衛線を築き、血と炎と悲鳴、狂騒、そして死が広がっていた。
村雲は凄まじい力に目覚めたが、なんの覚悟もない一般人だ。現代日本の光景とは思えない惨事に怯え、萎縮し、転がり込むように避難所に入れてもらった。
だがその避難所は数日ともたず壊滅した。代わりに四人の超越者が現れ、仙台市から魔物を駆逐し、市民をまとめあげた。
それが東北狩猟組合である。
東北狩猟組合は家族だった。
比喩ではない。後から加入した魔女一名を除けば全員血が繋がっている。
彼らは魔女・魔法使いに成る条件である静電気体質が発現しやすく、体が丈夫な家系らしい。しかも3名が狩猟免許を持つ熟練の狩人という事もあり、凄まじい連携と手腕を示し、仙台市民の生き残りに熱狂的に歓迎された。
しかし。それでも。ところが。
村雲が安心したのも束の間。
仙台の英雄、東北狩猟組合はすぐに限界を見せた。根本的に食料が足りず、守れる地域も限られる事を正確に把握した東北狩猟組合は口減らしを決定。反対の声を押し切り断行した。
弱い者、老いた者、病気の者などを守備地域の外、人を喰う魔物が闊歩する死地に追い出したのだ。
後から振り返れば、それは正解だった。
口減らしをしてもなお栄養失調で体調を崩す者が続出したのだから、全員を守ろうとしていれば全員まとめて飢餓に襲われ全滅していただろう。
だが正解だったからといって、安心はできない。
村雲は「東北狩猟組合はそういう事をする」と知り、絶対に己の力を秘密にしておくと決めた。
彼らは自分達の限界を知っている。守れないものもあると知っている。時には犠牲が必要だと知っている。
村雲は力を明かした結果、強者の義務として散々に働かされ、切り捨てられる事を恐れた。
無論、東北狩猟組合は厳格だが公正だ。
不必要に虐げられたり、無意味な死を強制される事はありえない。
だが、裏を返せば必要ならば死を求められる。
なにしろ彼らは口減らしの際に血の繋がった家族すら例外とせず切り捨てたのだから。
公正が故に恐ろしい。
村雲は死にたくなかった。
いくら超常的力に目覚めていても、不死身になったわけではない。死ぬときは死ぬ。
そもそも魔法使いに人々を守る義務などない。仮に義務があったとしても、数万人の命を守るという重い義務に相応しいだけの報酬はこの崩壊した世界では望むべくもない。
村雲は自分と同じように力を隠し、コッソリ人々に紛れ込んでいる魔女や魔法使いは他にもいるだろうと睨んでいる。
いくら強大な力があったとて、その力を振るわずに済むならそちらの方が良いと考える者は絶対にいる。変異した見た目次第ではそうしたくてもできない者もいるだろうが。
村雲は「人間にしてはなかなか」程度に魔力を抑え込み、魔法使い独特の特徴も隠し、上手く東北狩猟組合の一員としての立場を得た。
村雲は魔法使いの中でも特に魔力コントロールが上手かった。そこそこやれる一般人に偽装するのは難しくなかったのだ。
村雲は西吾妻山に設けられたダイダラボッチ監視塔監視員として職を得て、数年の間上手くやった。
監視塔はダイダラボッチの縄張りのギリギリ外に建てられている。
ダイダラボッチが暴れ始めれば真っ先に死ぬが、ダイダラボッチが大人しくしている限りこれ以上楽な仕事はない。そして村雲は魔法使いとしての実力を発揮すれば、万が一ダイダラボッチが暴れ始めても逃げるぐらいなら容易だ。
西吾妻山監視塔は最初三人の人員が配置されていたが、ダイダラボッチがあまりにも大人しいので段階的に人数を減らされ、今では村雲一人になっている。
魔物はダイダラボッチを恐れ、その縄張りに近寄らない。縄張りの縁にある監視塔も概ね安全だった。
村雲の安全だが孤独な監視員生活を癒したのは、月に一度運ばれてくる物資と、その物資を携え定期巡回にやってくる東北狩猟組合の紅一点、兎だ。
兎はその名の通り兎のような耳を持っている魔女である。
ピンク色の髪と軽快な体さばきが特徴の細身小柄な女性で、可愛らしい顔をしている上に性格は快活で親しみやすく、村雲の心は気付いたら鷲掴みにされていた。
兎は、東北狩猟組合唯一の女性であり、唯一の非血縁者でありながら、持ち前の愛嬌で上手く組織に溶け込んでいるようだった。
もちろん、彼女が扱う便利な付与強化魔法もおおいにモノを言ったに違いないが、それでも頑固爺で知られる取り纏め役「大熊」に気に入られているのは、間違いなく彼女自身の素晴らしい心の有り様が理由だろう。
兎は月に一度物資を持ってやってきて、ダイダラボッチ観察日記を受け取り、他愛もない話をして去っていく。
村雲は自分の気持ちに気付いてから、兎にそれとなくアプローチをかけた。好みを聞いて料理を振る舞ってみたり、好きな色の花で作った栞をプレゼントしたり。
もっと彼女に近づくために、魔法使いである事を打ち明けようと思った事も一度や二度ではない。
しかし、喉元まで出かかった言葉はいつも彼女の首元のスカーフを見るたび引っ込んだ。スカーフとその下に隠された傷痕は、兎の首がとれかかったという血生臭い狩猟失敗事故を嫌でも思い起こさせる。
村雲は穏やかな監視員生活を投げ出し、命懸けの鉄火場に飛び込む勇気を持てなかった。
彼女は快活で、活発で、明るく、当たり前のように自分に目覚めた力を無辜の民のために使う女性だったから。村雲が力を持っていると知り、その力を死蔵していると知れば、兎は決して良く思わないだろう。
ちょっと魔力が多く動ける一般人程度に思われている方が、村雲は心地よかった。
それ以上の関係になるのが難しいとしても。
そして、村雲はそんな自分の考えの甘さを容赦なく突きつけられる事になった。
自分が兎に惹かれたように、兎に惹かれる男がいるとなぜ考えなかったのだろう?
ある冬の日、ダイダラボッチ討伐作戦のために完全武装で監視塔を訪れた兎の左手薬指には、銀色の指輪が光っていた。
結婚指輪だった。
指輪を凝視して絶句する村雲に気付いた兎は、照れくさそうに笑った。
「あ、これ? 大狼にダイダラボッチを倒したら結婚しようって言われてさ。まだ式は挙げてないけど、指輪だけ」
おめでとう、という絞り出した言葉は平常を装えていたと願いたい。
指輪を太陽にかざし心底嬉しそうに微笑む兎は、今まで見たどんな兎よりも美しかった。
自分の冗談を聞いて笑う横顔よりも、自分の贈り物に礼を言う笑顔よりも、恋と愛の証を見る兎は輝いていた。
それから、戦いに赴く兎をどうやって送り出したのか、村雲はよく覚えていない。
気が付いたら監視塔に上り、望遠鏡の前でぼんやりしていた。
自分の愚かしさに臓腑が煮え滾る思いだった。
なぜ、もっと勇気を出せなかったのだろう?
なぜ、秘密を打ち明けられなかったのだろう?
なぜ、なぜ、好きだと伝えられなかったのだろう……
村雲は涙を流し、そんな自分の女々しい涙が更に自己嫌悪を誘った。
なんでもいい、行き場のない怒りをどこかにぶつけたかった。
そして、一発の銃声と共に上がった東北狩猟組合とダイダラボッチの開戦の狼煙は、村雲の感情のぶつけ先としてうってつけだった。
なんでもいい。
ぶっ殺せ!!!
今、俺はムシャクシャしているんだ。
今回の討伐作戦にあたり、東京魔女集会から輸入したというマジックアイテムの実物を村雲は見た事がない。
だが、大熊が「ダイダラボッチには手出し無用」の言葉を撤回するぐらいなのだから、余程のものに違いない。
先月の作戦演習直後の兎の興奮ぶりからもそれは窺える。
事実「封印弾」と呼ばれる特殊弾の狙撃を受けたダイダラボッチは、亀のようにゆっくりと立ち上がり、不自然に間延びした咆哮を上げた。
動きが、いや、時間が遅くなっているのだ。封印弾は原理的にはマモノバサミに近いものらしい。
ダイダラボッチの動きが鈍った隙に、五つの監視所から五つの人影が飛び出し、五方向から取り囲むように巨人の足元へ猛スピードで接近した。
村雲の変異した超視力は、それが四人の魔法使いと一人の魔女である事が捉えられる。
狩人の接近に気付いたダイダラボッチが、腰から毒々しい紫のガスを大量に噴出する。しかしそのガスは突如発生した巨大竜巻によって遥か上空へ吹き散らされた。
東北狩猟組合が一人、氈鹿の魔法だ。
家々を吹き飛ばしすり潰す巨大竜巻も、ダイダラボッチには効いていない。
だが致死性の魔法煙は地上から消え、狩人たちは巨人の足元へ辿り着いた。
追加で封印弾が撃ち込まれ、一斉砲火が始まる。
村雲は魔法使いであるがゆえに、魔法の限界を知っている。しかし、狩人たちの魔法はどれもこれも魔法の限界を数段超えていた。
噂に聞く東京魔女集会の「杖」の恩恵は噂よりも凄まじい。
嵐が吹き荒れ、天から光の柱が降り注ぎ、雷を束ねたような目も眩む紫電が迸り、半透明の巨大な狼の顎が巨人の足に喰らい付く。まるで天災が意志を持ち巨人を襲っているかのようだ。
封印弾が五発撃ち込まれた時点で、ダイダラボッチの岩鎧は完全に剥がれ落ちた。赤銅色の毛皮が剥き出しになり、醜く歪んだ猿のような相貌が露わになる。
村雲は勝利を確信した。
厄介な鎧は破壊した。あとはボコボコのメタメタにしてやるだけだ。
お前さえいなければ俺はきっと今頃兎と良い関係になれていたんだ、と支離滅裂な怒りを膨らませる村雲だったが、だんだん興奮は冷め、不安になってきた。
鎧の破壊までは順調に行っていた作戦の雲行きが怪しかった。
時間遅延は間違いなく働いている。ダイダラボッチが踏み荒らす足も、振り回す腕も、あまりにも遅すぎて狩人たちにカスりもしていない。
超強化された魔法の集中砲火も余す事なくダイダラボッチに突き刺さっている。
だが、ダイダラボッチは再生していた。
恐ろしいスピードで、負傷した部位が治っていた。
ダメージの方が大きく、徐々に傷を増やし深手を負っていってはいるものの、既に二度殺せるぐらいの魔法を叩き込まれているにも関わらず生きている。大きな負傷は片足が千切れかけているだけだ。
想定を上回るタフネスだった。ダイダラボッチの再生能力は知られている。だが、これほどまでに強力で、持続力があるものとは思われていなかった。
そのまま、戦闘開始から30分近くが経過する。
十三発目の封印弾が撃ち込まれると同時に、ダイダラボッチの四肢は全て破壊された。
魔法が届きにくい高所にあったダイダラボッチの頭が、ようやく地上に落ちてくる。
村雲は一瞬、戦場の空気が弛緩するのを感じた。
封印弾はまだあと二発ある。
四肢の無い、胴体と首だけになったダイダラボッチに、後はトドメを刺すだけだ。
百戦錬磨の狩人たちとはいえ、30分に及ぶ戦闘だ。高い集中力は維持できない。しかも一方的に攻撃を叩き込むだけで、ロクな抵抗もなかった。村雲もこのまま押し切れるものと思った。
その隙を、恐らくダイダラボッチは待っていた。
ダイダラボッチが持っている魔法は二つ。致死性広範囲の粘つく毒ガスと、再生能力。
だが、生死のかかった土壇場で、三つ目の魔法が発動した。
四肢のとれたダイダラボッチの巨体が跳ねた。
その跳ね方は、不吉だった。
水の中にいるようなゆっくりした鈍重なものではない。新鮮な魚が陸に打ち上げられ跳ねるような、躍動感ある跳ね方だった。
空中に跳ね上がった巨体から、四肢が急速に生えてくる。
村雲の全身からドッと冷や汗が噴き出した。
最悪の切り札。
ダイダラボッチは三つ目の魔法、封印弾による時間遅延を打ち消す時間加速を隠していたのだ。
狩人たちに勝ち目は無かった。
散々魔法を吐かされ、集中を切らし、魔力も底をつきかけ。
最後の一押しどころか逃走すら難しい。
それでも流石に狩人たちは場数が違う。五人は非常事態を悟るや一斉に撤退に入った。
五人は五方向へ散って逃げていく。
全身を完全に再生させたダイダラボッチは、足元の山から巨岩を掴み上げ、逃げていく狩人の一人……大狼へ向けて大きく振りかぶろうとした。村雲の変異した眼には、20km近く離れていても脇目もふらず逃げていく大狼の後ろ姿がハッキリ見えた。
村雲の心に不穏なものが過ぎる。
狙われたのは兎ではない。
自分が手をこまねいているうちにまんまと兎の心を射止めた男だ。
村雲は悪い想像をした。
結婚の約束をした男を失い、悲しみに暮れる兎。そしてその横に立つ自分が優しく兎を慰め……
……そこまで考えた村雲は、ハッと笑い虚空に弓を構え矢をつがえる構えを取った。
村雲は兎が好きだ。
例えどんな理由があろうとも、泣き顔なんて見たくはない。
「狩りには三つあれば良い。武器と、心構えと、妻の見送りだ」
暴走ギリギリのありったけの魔力を注ぎ、虚空に柔らかな燐光を帯びる黄金の弓矢が形成される。
「忍び寄る魔物の背後に狩人は忍び寄った」
続く詠唱で黄金の弓矢が掻き消え、両手にその引き絞る感触が残るのみになる。
音も匂いも消え、魔力すら朧気になる。
三つ目の、今まで一度も使った事のない魔法の詠唱も、村雲は躊躇わなかった。
「狩るか狩られるか」
威力の爆発的向上と引き換えに、標的を外した場合、矢が自分を貫くようになった。
魔力不足症状を出さない限界スレスレまで魔力を込めた矢を限界まで引き絞り、村雲は不思議と凪いだ静かな心でそっと指を離した。
放たれた不可視の矢は一直線に空を裂き飛翔した。
空気抵抗を無視し、当然起こるはずのソニックブームを起こさず、その破壊力と反比例するように静かに気配なく飛ぶ。
20kmもの距離をたった数秒で詰めた必殺の矢は、巨岩を投げる寸前のダイダラボッチの胴体を吹き飛ばし、上半身と下半身を泣き別れにさせた。
頭を狙わなかったのは、小さな的を狙い万が一にも外すのを避けるためだ。
胴体を派手に吹き飛ばし再生に時間をかけさせれば、大狼が逃げ切るだけの猶予は稼げる。縄張りの外に出られなくても、投石の必中圏内からは外れる。
二射目を放つ魔力は残っていないが、村雲は残身をとり戦況を見た。
胴体を失ったダイダラボッチの上半分と下半分が地響きを立て大地に落ちる。
そして……
……そして、再生しなかった。
川のように流れ出る鮮血が木々と大地を赤く染めていき、ダイダラボッチはピクリとも動かない。
再び戦場の空気が変わる。
死んだように見えるが、その早計な思い込みの隙を突かれた直後だ。狩人たちも、村雲も油断せず、近づかずに臨戦態勢で見守る。
緊張が解けないまま、一時間が経つ。
ダイダラボッチは動かない。
しかし更に一時間が経ち、夕日が山の向こうに沈み始めた頃、一匹の小鳥がダイダラボッチの見開かれた目に留まった。
それでもダイダラボッチは動かない。
血の大河も止まり、ダイダラボッチの巨体は大量失血で萎んでいる。
明らかに生気がない。
ダイダラボッチは死んでいた。
無尽蔵に思えたダイダラボッチの再生能力にも限界はあった。
最後の力を振り絞った時間加速と高速再生で、ダイダラボッチは全ての力を使い果たしていたのだ。
村雲はようやく大きく息を吐き、その場にへたり込んだ。
長い耐久戦の末、ダイダラボッチは死んだ。
兎は無事だ。
大狼も生きている。
これ以上のハッピーエンドがあるだろうか?
村雲はずっしり重い疲労感に身を任せ、監視塔の冷たい床に転がりながら、東北狩猟組合に「最後に何が起きたか見ていないか?」と聞かれても知らぬ存ぜぬを貫き通すと決めた。
村雲雁弥は己の秘密を墓まで抱えて持って逝くと決めている。
唯一秘密を明かすかも知れなかった女性は、他の男に嫁いでしまったから。
村雲は恋敵と競う土俵にすら立てなかった。
無様な負け犬と笑う者もいるだろう。
しかし、好きな女が好きになった男を助ける事ができた自分を、村雲は誇りに思えた。
その誇りを胸に、村雲は魔法使いでもなんでもない無名の男として、一生を終えるだろう。





