38 新時代の新通貨
天高く馬肥ゆる秋。
俺は念願の田んぼの刈り入れを終え、悠々と朝寝坊して酷使した腰と手足を労わっていた。
毎年の刈り入れ自体は慣れてきた。が、慣れてもしんどい物はしんどいし、空模様も気になる。二度と無いとは分かっちゃいるが、いつまた空からドラゴンが急降下してきて俺を誘拐するかと杞憂してしまう。あいつあんなに見てくれカッコイイのに性格がアレなのどうにかなんねぇのかな。
布団にくるまりぬくぬくしながらお櫃の米を行儀悪く直接食い、貴重な漫画雑誌最新号を読んでいると、玄関の方からミーミー鳴き声が聞こえてきた。モクタンの驚きと警戒の鳴き声だ。
火蜥蜴たちは反射炉に巣作りして活動拠点にしているが、反射炉がある裏山から俺の家までのルートも覚えていて、時々遊びにくる。
最近だと外から網戸を突き破って侵入してきて工房の炉の灰を部屋一面にぶちまけていた事もあり、なかなか油断ならない。
また窓ガラスに映った自分の姿にびっくりしているのかとも思ったが、呼び鈴の音がして違うと分かる。
注文していた鉄鋼羊ウールのお届けだ。
「モクターン! 火ぃ噴くなよ!」
「ミーッ!」
布団から這い出しながら玄関の方へ声をかけると、元気よく返事が返ってくる。
でもあんまり信用できない。モクタンは理解してもしてなくても元気に返事するからな。お返事できて偉い!
スリッパをつっかけて玄関に出ると、両足で立ち上がったモクタンに威嚇され困り顔のオコジョと、その後ろにしゃがんでいつでもオコジョを庇える構えをとっているヒヨリがいた。
「おー、いらっしゃい」
「こんにちは、大利さん。この子はどなたですか?」
「こいつはモクタンだ。一番好奇心旺盛で人懐こい」
一番威張りんぼのツバキあたりに遭遇していたら、今頃火を吹かれるか引っかかれるかしていただろう。もちろん、ヒヨリがいるからそれで教授が負傷する事は有り得ないが。
体格的にはモクタンより大日向教授の方が大きい。初めて俺のペットに会う教授はモクタンを刺激しないよう、四つ足で姿勢を低くしたままペコリと頭を下げた。
「モクタンさん、私は大日向慧です。よろしくお願いしますね」
「ミッ!」
「みっ!?」
教授の頭が下がった途端、モクタンはその頭を引っ掻こうとした。
しかし小さな爪が届く前に、ヒヨリが素早くオコジョを掴んで引き寄せ守った。
「慧ちゃん、やっぱり無理だよ。グレムリン埋め込み無しで魔物とは仲良くはなれない」
「そっ、そうみたいですね。ビックリしました」
大日向教授はヒヨリの手の中で尻尾をぶるぶる震わせた。
しゃーない。魔物なんてこんなモンだ。人間には懐かないし、オコジョだからといって別に好感度が上がったりもしないだろう。
俺はとりあえずモクタンを回収して工房の炉に木炭と一緒に入れ大人しくさせておき、二人を家に上げた。
そして居間で茶を出し、紙袋いっぱいの毛糸玉を受け取る。
注文したのは上下服一そろいぶんの中太糸と、手袋用の細糸の毛玉だ。
鉄鋼羊の毛糸は薄いグレーでフワフワと軽かった。大日向教授の説明によると、毛糸の一部が高温(焚火程度以上)に晒されると全体が一気に硬化するらしい。硬化しても柔軟性はそのままなのだとか。最強素材過ぎる。
「鉄鋼羊の毛糸製品は、今のところ編立職人さんが衣類に仕立て、魔女でも魔法使いでもない要人に優先的に配給しています。量が少ないので、大利さんへの割り当てもそれ以上は……」
「いや十分。教授も鉄鋼羊の服持ってんの?」
「一着あります。成長期を見越してちょっと大きめに仕立ててもらったんですけど、獣人になっちゃってからあんまり身長伸びてないんですよね」
「ありゃ。でも人間とオコジョを自由に行き来できるようになったって話じゃなかったっけ?」
「ちょっと違いますね。人間に変身する魔法で人間になって、オコジョに変身する魔法でオコジョになってるだけです。迂回詠唱の単語を組み替えて安定性を増したんですけど、最初の事故で私にとっての『人間』があの獣耳と獣尻尾付きの姿に再定義されてしまったみたいで……」
「で、でもケモ耳の慧ちゃんも可愛いよ」
髭をしおしおさせるオコジョをヒヨリはオロオロと励ました。
俺は「どんまい」が喉まで出かかったが、ギリ飲み込んだ。どんまいで済む話じゃなさそうだ。
人間としての定義が変わるって怖すぎる。教授の年齢、小学生から中学生ぐらいの年で身長が伸びなくなったというと寿命が延びたように思えるが、短くなった可能性も全然ある。
継火なんて魔女になった時に種族が変わったせいで、中学生ぐらいの身長から手乗りサイズまで縮んだしな。地獄の魔女も食人衝動に目覚めていたし、種族が歪められて何がどうなるか分かったもんじゃない。怖い。
俺は普通の人間で良かった~! 特別な超パワーは欲しいけど、そのせいで性癖や寿命が歪むのは御免こうむりたい。俺の超パワーはこの器用さだけで十分だ。
大日向教授は少し凹んでいたが、人形遊び用のミニサイズコップのお茶をペロペロして飲んでいる内に持ち直した。
前脚で湿った口元を整えてから切り出してくる。
「ところで大利さん。大利さんは杖の他にもアミュレットを作っていらっしゃいますよね?」
「ああ、まあ、副業程度にな。メインは杖で行こうと思ってる」
「では、副業の一つとして新貨幣の金型作りに興味はありませんか?」
「ほう。詳しく」
俺は興味をそそられ身を乗り出した。
新貨幣。金型。面白そうな話じゃないか。
「東北狩猟組合と北海道魔獣農場、東京魔女集会の三つの大規模生存者コミュニティで合意が取れまして、共通の新貨幣を来年の頭頃に発行する事になったんです。これから交流が活発になっていく事が予測されるので、いつまでも物々交換を続けるわけにもいきません。嵩張らず、保管が容易な貨幣が必要です」
「逆に今まで物々交換で済んでたのがすげぇよ」
完全な物々交換のみという訳ではなく、借用書や配給券が紙幣紛いの役割を果たしていたようだが。俺だって品川区の金属加工工場の権利書持ってるし。
「貨幣でいくワケ? 紙幣じゃいかんのか? 紙の方が嵩張らないだろ」
「うーん。その通りなんですけど、紙幣は印刷が難しいので……」
「あー、印刷機動かないとキツいか。防水加工とかも面倒そうだし」
「そうですね。だから現在、旧貨幣の一円玉、五円玉、十円玉、五十円玉、百円玉、五百円玉の回収を進めています。額面の数字はそのままに、鋳潰してデザインを変更して新貨幣にする予定です」
「じゃ、えーと、6種類の新貨幣を発行するわけか」
「そうなります。それで、新貨幣は偽造防止にある程度複雑な模様を入れる事が決まっています。その模様の原型、金型作りの原型師に興味があればどうかなと思いまして」
「興味ある。やりたいな」
「そうですか! 良かった、大利さんなら素晴らしい物にしてくれる事間違いなしです!」
大日向教授は小さな前脚をぺちぺち叩いて喜んだが、ヒヨリは疑わしげに水を差してきた。
「気持ち悪いぐらいの作り込みにしそうだなお前は」
「は? ナメんな俺は職人だぞ? もうちゃんと考えてる。硬貨はすり減るし、汚れがつくだろ。あんまり細かすぎるデザインにしてもすり減って元の模様が分からなくなるから逆効果だ。硬貨だけに。昔から硬貨のデザインに人の顔や植物、建物、生き物が使われてきたのにはちゃんと視認性の理由があって、ある程度の複雑性を持ち、多少すり減っても模様が分かって、かつ線が歪んでいると違和感を与えやすいから偽造防止効果も、」
「わ、分かった分かった。茶々入れて悪かった。大利は超一流の職人だよ。新硬貨原型師に一番相応しい」
「だろ」
ヒヨリを完全論破し、俺は大日向教授から金型のデザイン条件を聞き資料を貰い早速図面を引きにかかる。
東北狩猟組合の要望で十円玉のデザインは「仙台東照宮」に決まっている。東北狩猟組合の行政中枢が置かれている建物なのだそうだ。グレムリン災害前に撮られた写真があるので、それを参考にデザインすればいい。
北海道魔獣農場は百円玉のデザイン権を持っていて、こちらは大魔獣「山熊」をご指定だ。
腕の立つ画家の手によるものと思われる山熊の写実画が参考資料としてあるが、明らかに縮尺がおかしい。横に描かれたさっぽろテレビ塔と比較すると、間違いなく全長40mぐらいある。
腹に太陽みたいな模様が入ってるし、両手首に神々しい光の輪をつけてるし、北の大地の守護神感がハンパない。北海道ってすげー!
この山熊くんの全身を硬貨の一面に入れようとすると造形が細かくなりすぎるから、表面に山熊の顔だけ入れ、裏面に数字の100と一緒に腹の模様を上手くあしらうのが良さそうだ。
一、五、五十、五百円玉は新通貨発行を主導し、通貨製造の労力を負担する魔女集会にデザイン権がある。
五百円玉のデザインだけは、魔女集会のメンバー全会一致で吸血の魔法使いの顔に決まっている。
資料の吸血の魔法使いの肖像画はどう見ても壮年のコテコテ吸血鬼だった。燕尾服着て、白髪交じりの髪をオールバックにしていて、シュッとした体形のナイスミドル。品の良い上流階級然とした雰囲気があるが、表情は茶目っ気たっぷりにバチコンとウインクをしていてケレン味たっぷりだ。
絵ですら伝わってくる「良い人そう」感がすごい。でもこの人、大怪獣侵攻で死んでるんだよな……
残りは一円、五円、五十円だが、この三枚のデザインは決まっていない。魔女たちの意見が全員全然違い、死ぬほどモメているようだ。
資料には30個ほど候補が列挙され、そのデザイン資料がついている。
どのデザインにしても問題があるから、どのデザインにしても良いらしい。モメ過ぎて一生決まらないので、目玉の魔女が「そっちの一存で決めていいから。不満は私の方で収めておくわ」とコッソリ造幣担当者に言ったらしい。
で、造幣担当者は大日向教授を通じて俺に丸投げ、と。
まあどのデザインに決めても魔女の誰かの不興を買うって最悪過ぎるもんな。丸投げしたくなるのも無理はない。
その点、俺は正体不明で通ってるし、魔女の誰かが怒ってもヒヨリ・セキュリティがあるから安心だ。
というか、それだけ意見がバラバラなのに五百円玉のデザインだけ吸血の魔法使いで即決したのがすごい。一番額面が高い硬貨なのに。
人望だけで見てもつくづく惜しい人が死んだものだ。
残りの硬貨はどんなデザインにしても問題があるという話なので、俺は単純に好みで決めた。
一円玉はしょーもなドラゴン「竜の魔女」。
本竜はしょーもない奴だが、ドラゴンのめちゃカッコイイ見てくれの誘惑には勝てなかった。アレでいて人望も無くは無いし。でもお前は一番雑魚の一円な。
五円玉は日本最高学府「東京魔法大学」。
これは未来視の魔法使いの推しだ。俺も世話になってるし、安牌だ。
五十円玉は東京魔女集会最強「青の魔女」。
ヒヨリの仮面(表面)とキュアノス(裏面)だ。
ヒヨリはデザインの候補リストには載っていなかったが、青の魔女様が出した候補「オコジョちゃん」より3倍はマシだろう。私情でデザインを決めたっていい。
仮面もキュアノスもカッコイイしな。なんやかんや偉人の一人だし。
図面を引き終え一息つくと、ヒヨリと教授は難しい話題を熱心に話し込んでいた。
信用創造だの貨幣価値担保だのインフレ率だの、貨幣流通に関する問題について討議しているようだ。
話についていけそうもないので、俺は二人を置いて工房へ入り作業に取り掛かった。
作るぜ作るぜ、早速作るぜ。新通貨の金型を作るぜ。
まずは木で模型を作って、それを砂箱に押し込んで、木の模型を外してできた空間に溶かした金属を注ぎ込む。で、冷やして固めたら削って形を整える。これだな。
木を削って模型を作りながら感慨深くも奇妙な感覚になる。
新通貨発行は歴史の節目という感じがして、こう、新しい何かが始まる清々しさが気持ちいい。
でも、これから俺は俺が原型師を務めた硬貨で売り買いする事になるんだよなあ。なんかムズムズする。
でもヒヨリもムズムズの巻き添えにできるしいいか!
五十円玉を見るたびに恥ずかしい思いをするがいい。ガハハ!





