29 復興への道のり
グレムリン災害から4年経った。
キノコパンデミックからは2カ月だ。
俺は上向いてきていた景気の失速を肌で感じていた。
依然、東京魔法大学からの魔法杖納品依頼はある。
新開発の御守りも魔女集会の面々から好評で、新技術公開後に青の魔女を通じて複数名からの注文を受けた。御守り製造には器用さが要らないから俺に頼む必要は無いのだが、魔法杖製造販売を通して獲得してきたブランド力は大きい。
実際、性能的には魔法大学製や一般工房製のものと同じでも、デザイン面に関してはけっこう自信がある。伊達にデザインの勉強はしていない。謎の魔法杖職人ブランドは性能もデザインも一流なのだ。
しかしそういった依頼の報酬が、明らかにパンデミック前より渋くなっていた。
グレムリン災害以前の貨幣価値は崩壊して久しく、俺は製品販売の対価として主に現物支給を受けていた。調味料とか長期保存が効く食べ物、医薬品、仕事や趣味で使う貴金属のインゴット、今となっては貴重な牛肉や豚肉など。
災害前に連載していた漫画の続きが読みたいという要望を出し、青の魔女→目玉の魔女ルートで漫画家の生存確認が行われ、限定的な連載再開が通った事すらある(発行部数200部、掲載本数4本で規模的には合同同人誌レベルだが内容は期待通りだった)。
悲しい事にパンデミック後はこういう要求が通りにくくなった。
まあ、今回のパンデミックで自宅の備蓄に不安を覚え要求した医薬品が「今本当に必要な人を優先したい」として丁寧に断られたのは納得がいく。正論パンチが強すぎて顔面が陥没したぐらいだ。
しかし牛肉や豚肉が要求から配達まで二週間以上かかり、砂糖は納品時期未定になり、漫画雑誌の掲載本数が4本から3本に減ったのはショックだった。貴重な畜産業を営む人員にも被害が出ていて、砂糖は流通を担っていた人材がいなくなり、漫画家さんも1人お亡くなりになってしまったのだ。
魔法大学への魔法杖納品に対する支払いすら滞り、大日向教授から本当に申し訳なさそうな謝罪文と共に現物ではなく将来の支払いを約束する約束手形が届いたぐらいだ。
総人口の二割が死ぬというのは、そういう事だと身に染みて理解した。
社会が崩壊するところまではいかない。しかし生活のあらゆるところで不具合が出る。
御守りに関しても技術公表によって思っていたような影響は無かった。
御守りの魔力回復促進は、定数ではなく割合で行われる。10000の魔力を持っていれば500回復アップするが、1の魔力しか持っていなければ0.05しかアップしない。魔力保有量が桁外れに大きい魔女・魔法使い以外にとっては本当に気休め程度のオマケ効果がついているだけのアクセサリに過ぎない。
パンデミック後の世界には、そんなアクセサリが広まるだけの余裕が無かった。ただでさえガクッと落ち込んだ生産力をアクセサリ製造なんかに費やせるか! というワケである。欲しがるのは魔女と魔法使いだけだ。
もちろん魔女と魔法使いにしか評価されていないわけではない。事実、魔法大学のグレムリン工学科と魔法医学科、魔物学科では、御守りは今最もアツい研究テーマの一つだという。
なんとか組織再編を済ませ、4月からの新入生入学に合わせて授業を再開した魔法大学では新たに「魔法医学科」を新設。東京各地でバラバラに調査されていたキノコについての研究統合、数を減らした人材の結集、新たな人材育成を掲げて新設されたこの学科は、開設初年度にして合格倍率がそれまでトップだった魔法言語学科を抜いた。パンデミックが都民に与えた危機感はそれほど大きい。
魔法医学科ではキノコ病の病理学研究だけではなく、魔力欠乏失神が人体に与える影響や、再び未知の魔法病が流行した場合の対策や予防について研究されている。
魔法医学科的には、キノコ病を元に考案された御守りのマーブルグレムリンは病理研究を進める上で非常に参考になるらしい。
言わずもがなグレムリン工学科でも御守りは持てはやされていて、半田教授は学生と共にアレコレ弄り回し、俺が青の魔女→大日向教授ルートで御守りの現物と製造手引書を送ってからたった一週間で魔力回復促進効率を5%から6%へ引き上げてみせた。
あの人、すごくね……?
まあゼロから御守りを作り出した俺と、改良するだけの半田教授では要求される技術者としての能力が違ってくるし、教授には研究をサポートする学生がいるし、同じ条件に立っているわけではないが、たった1週間で性能を1%向上させたその手腕にはちょっとビビる。俺も機能向上のために色々試行錯誤したから分かるが、そんな簡単に性能上がんねぇから。
俺がいなかったら半田教授が世界一、いや日本一ぐらいの魔法道具職人にはなっていたかも知れない。
しかしそうは言ってもまだ1%性能を上げただけだから、この先に期待といったところか。
魔法医学科とグレムリン工学科で御守りが高評価なのは予想していたし俺も開発者として鼻が高いのだが、魔物学科で新発見があったのは完全に予想外だった。
新発見は原理的には俺の調査の発展形にあたる。
融解再凝固グレムリンは、混ぜ込んだ血液成分によって固有色に着色する。
人間ならこの色に個人差があるし、魔物にも個体差がある。しかし野生動物は着色しない。
……と、思っていたのだが、魔物学科では人海戦術で莫大な数のサンプルデータを集め、俺がサンプル不足で辿り着けなかった法則を発見した。
野生動物の中でも、潜在的に魔物に変異する可能性のある個体の血液成分を使うとグレムリンは着色し、変異する可能性のない個体の血液成分は着色しないと判明したのである。
これは非常に、非常に大きな発見だ。
この発見のおかげで農業と畜産業の飛躍的安定が見込めるのだから。
魔物とは、動物が変異した魔法生物だ。変異する時に外見だけでなく習性も気質も変わる。
飼育していた牛が夜の間に魔物化して、厩舎を破壊して脱走する事もある。大人しかったウサギがある日突然牙を剥く事もある。
葛飾区の大農場壊滅も、農場併設の家畜小屋で変異を起こした元・家畜の魔物が集団脱走し内側から作物を食い荒らしたのが原因だ。
しかし今回魔物学科が発見した動物の潜在的変異可能性検査法によって、ある日突然家畜が魔物化してしまう事態を予防できるようになった。魔物化する危険性がある個体を選別してあらかじめ処分してしまえる。
畜産業の安全性を飛躍的に高め、生産効率を爆上げする革命的発見と言えるだろう。
俺が世に送り出した御守りは、話を聞いているだけでパンデミックで深い傷を負った東京魔女集会コミュニティで上手く役立てられていると良くわかる。
だが、足りない。
御守りだけでは、パンデミックで負った傷を癒しきれない。
当然の話だが、パンデミックから立ち直るためにアレコレやっているのは東京魔法大学だけではない。
煙草の魔女は涙を呑んで煙草畑を縮小し、再び不足が予測されるようになった食料の生産のために耕地面積を確保した。
港区では魔女と魔法使いの援助無しで未曾有のパンデミックの中区内中央塔が死守され、パンデミックで魔女(庇護者)を失った迷える都民の受け入れ先の一つになっている。
一般魔法杖工房は更に数を増やして加工工程効率化が図られ、少しでも早く魔法杖の普及が進むよう大回転している。
そして、東京都の外からも復興の手は差し伸べられた。
日本国内で人口10万人以上を抱える五つの大規模生存者コミュニティのうちの一つ、「東北狩猟組合」から人員が送られ、復興を助けてくれる事になったのだ。
青の魔女は派遣されてくる東北狩猟組合所属の魔法使いと魔女集会の会合に同席する大日向教授を護衛するため、久しぶりに魔女集会にリモートではなく現地参加するらしい。
俺も大日向教授にダメ元で参加を打診されたが、もちろんダメだ。断った。そんな恐ろしい会合に参加するぐらいなら、俺は熊の魔物との一対一の決闘を選ぶぞ。
俺は奥多摩でぬくぬくしながら、青の魔女の土産話を待つ事にする。
青の魔女には東北狩猟組合に俺の杖を売り込むように頼んでおいたから、上手くすれば更に俺の作品の知名度と評価が上がり、売り先が増えるだろう。
楽しみだ。





