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26 花の魔女の秘蜜

 時折地面から飛び出しては手招きならぬ()招きする木の根っこに導かれ、俺は東京文化会館に到着した。

 正確にはその跡地だ。


 コンクリート製の柱には冬だというのに緑鮮やかな苔がむし、「東京文化会館」の看板の上には大きな蜂の巣ができている。

 ガラスの大窓は全て割れ、透明な人工物の代わりに分厚い蔦のカーテンが風雨を遮っていた。

 入口に植えられた椿の若木はひっそりと赤い花を咲かせていたが、数輪の花が全てこちらを見ているような、監視しているような向きで揃って花開いていてどうにも居心地が悪い。


 そこが花の魔女の本拠地だというのは遠目にも分かった。建物の内部から屋根を突き破り、樹齢千年にも二千年にも思える樹種不明の巨木が生えていたからだ。樹高は50mか、60mに達しているかも知れない。よく茂った葉は雪のように白く、青空に映えている。明らかに地球産の木ではなかった。小鳥の群れが枝に留まって盛んに鳴きかわし、糞が建物の屋根を汚している。

 植物が繁茂しているのは周囲の中で東京文化会館だけで、枝葉と花の香りに護られて、コンクリートジャングルにぽつんとできた自然の聖域のように感じられた。


 俺は入口で根招きする根っこに従い、自転車とリヤカーを停めて青の魔女を背負った。

 青の魔女の体はゾッとするほど冷えきっていた。道中1時間おきに毛布で包み直し、生きているのを確かめていたが、鼓動が弱々しい。少しゆするだけでその鼓動も止まってしまいそうで、俺は彼女をできるだけ揺らさないように優しく、しかし大急ぎで建物の奥へ向かった。


 花の魔女は、建物の中心部で俺を待っていた。

 噂に聞く花の魔女は、噂以上の美しさだった。


 大樹の影になり彼女の玉座は薄暗かったが、その影の中で大輪の花を咲かせている。

 崩落し散乱した瓦礫の中心には一枚で一抱えほどもある緑の葉と蔦が土台を作り、その上に見た事もない真紅の花が咲き誇る。

 こんなにも美しい赤は見た事がなかった。

 鮮血のようであり、焔のようであり、宝石のようでもあった。花弁の一つ一つに生命力が満ち溢れた、目を惹かれる美しい赤色だ。自然の調和が形作る美はこの世のものとは思えないほど美しい。


 そして真紅の大輪の中央には人が生えていた。容姿の整った妙齢の女性で、均整のとれた体は服をまとっていないが、代わりに蔦と葉を前衛芸術のようにまとっている。

 下半分と比べ、人型をした上半分の美しさは正直よく分からない。顔の良い女はみんな同じ顔に見える。

 まあ緑髪の発色は良いんじゃないですかね。知らんけど。


「ようこそ私の聖域へ。貴方をずっと待っていたわ」


 花の魔女は妖艶に微笑み、俺に向かってスルスルと蔦を伸ばし頬を撫でてきた。

 あ、あのー。怖いんですけど。なんで撫でてるんですか? 味見?

 本当に話は通ってるんですよね? この蔦に締め殺されたりはしないんですよね?


「貴方の望みを叶えてあげましょう。青の魔女を治してあげるわ。未来視に教えられているのでしょう? 日本全国に行き渡るだけの量の特効薬も授けます」

「で、でも……?」

「そう。でも。貴方には対価を支払ってもらう」


 花の魔女は優雅に微笑み、スカートのように広がる花弁を動かし開いた。

 その下には、ぐちゃぐちゃに絡まった蔦と根、茎の塊が隠されていた。それぞれがドクドクと脈打ち、僅かに蠢いている。集合体恐怖症の人が見たら5,6回失神しそうだ。


「最初の子株は、生まれる事ができなかったの。二人目の子株を生もうとしているのだけど、最初の子株の遺体と絡まり合っている。このままでは死んでしまうわ」


 花の魔女は物悲しそうに言った。


「私ではどうにもならない。解こうとしたのだけど、ますます絡まってしまって。

 一本たりとも切るわけにはいかない。子株が死んでしまうから。

 時間も限られている。本当なら満月の夜にもう生まれているはずだったから。

 これを解いて、私の子株を助けられるのは貴方しかいないわ。

 子株を助けなさい。そうすれば特効薬を渡します」

「あ、なんだそんな事?」


 俺は拍子抜けして、ホッと息を吐いた。

 花の魔女の下半身は蔦と根と茎が相当キモい絡まり方をしているが、キモいだけで絡まり方自体は単純だ。見ればどう解けばいいのかすぐ分かる。

 こんな簡単なのが解けないってマジ? 花の魔女ってめっちゃ不器用なんだな。かわいそう。

 でもおかげ様で簡単にキノコ病の特効薬が手に入る。どんな対価を要求されるのかと恐れていたが、こいつぁ楽だぜ。助かった。


「えーと……」

「青の魔女はそこに寝かせなさい。背負ったままではできるものもできないでしょう」

「あ、どうも」


 俺は青の魔女を用意されていた枯葉と枯れ枝のベッドにそっと横たえ、顔にかかった髪をのけて息がしやすいようしてから、改めて花の魔女に向き直り腕まくりをした。


「慎重にね? 失敗したら貴方も青の魔女も殺して吸い尽くすわ」

「はは、ご冗談を。それトランプタワー建てるの失敗したら殺すって言ってるようなもんですよ」

「……それなら難しいのではないの?」

「ちょっと何言ってるのか分かんないです」


 失敗する方が難しいって言ってるんですよ。なんで伝わらないかな?

 俺は花の魔女の花弁のスカートの下に潜り込み、ぺぺぺっと絡まりを解いた。


「はい終わりました。これ子株です。元気な女の子ですね! じゃ、特効薬下さい」

「え」


 取り上げた子株を差し出すと、花の魔女は目を丸くした。

 根の奥で窒息しそうになっていた子株は無事だった。取り上げたミニチュア版花の魔女のような子株を渡し、手を突き出す。くれよ特効薬。

 しかし、花の魔女はムズがる子株を受け取りながらなぜかちょっと引いていた。


「そ、そう。私の子株は無事。そう。こんなに簡単なのね? 貴方にとっては。そう……」

「あの、特効薬は?」


 動揺していた花の魔女だが、受け取った子株を腕に抱くと途端に優しい顔つきになった。

 鳴き声のような、歌声のような、旋律のある木々のざわめきのような音をだし、子株をあやし始める。

 特効薬くれって言ってるのにくれないな、この魔女。まあ出産直後だし流石に赤ちゃん優先か。


 あまりにも愛おしそうで、二人の世界に入りきっていたので、俺は少しの間暇つぶしをする事にした。取り上げたもう一体の子株……死んでミイラ化している子株の墓を掘る。

 素手で玉座の間の隅の腐葉土を掘り返し、割れたタイルをひっくり返して退け、できた穴に遺体を横たえる。

 この子も上半身は人型をしているが、物言わぬ遺体に恐怖は無かった。


 アーメン。南無阿弥陀仏。安らかに眠れ。

 手を合わせ、十字を切って、知っている聖句を心の中で唱えてから、遺体に土をかける。


 不幸な話だ。生まれる事もできなかったなんて。

 何かを好きになる事もなく死んだなんて。

 この子供は生きる事すらできなかったのに、危うく妹を殺しかけたのだ。

 せめてこれからは安らかに眠るがよい。大したもんじゃあないけど、墓作ってやるからさ。


 遺体に土をかけ終わったら、瓦礫の中から軽そうな石を持ってきて、墓標代わりに置く。そして枯葉の中から割れたガラスを見つけてきて、尖った石で削り彼女の母の姿に似せた花の形にして、墓前に供えた。

 ま、こんなもんだろう。グッバイ来世、成仏しろよ!


 さてそろそろ出産後の母子感動の対面も終わっていい頃合いだろう。

 手の土を払い、特効薬をもらうために振り返ると、スヤスヤ眠る子株を抱いた花の魔女がじーーーーーっと俺を見つめていた。

 俺は蒼褪めて震えあがった。


「ひっ! あ、あの、すみません余計な事して。あ、あああああのすぐ戻すんで。すぐ掘り返すんで。すぐ!」


 やべぇーッ!

 馬鹿やった! 頼まれていたのは出産補助だけだ。誰が墓作れって言ったよ?

 こんなの頼まれてもいない、余計な、あーっ! 俺ってやつは!


 急いで墓を掘り返し原状復帰しようとした俺は、腕を木の根に掴まれて凍り付いた。

 アカン。

 殺される。


 絶望したが、花の魔女の顔色を薄目を開けて伺うと、怒っていなかった。

 まるで奇妙な珍獣を初めて見たように、まじまじと見つめてきている。


「この子の未来ばかり視させてきた。この子が無事に産まれてさえくれればと。でも、貴方は私が見ようとしなかった、あの子を見てくれたのね」

「は? はぁ……? そう、なんですかね?」


 花の魔女の声は穏やかだった。俺の腕を掴む木の根にも強い力は入っていない。

 殺されはしなさそう……?


「感謝するわ。ありがとう。特効薬は今渡します」

「あ、どうも」


 許された上に、花の魔女は機嫌が良さそうだった。何かが彼女の琴線に触れたらしい。

 お供え物のデザインが好みだったとかかな? デザインの勉強はしておくもんだぜ。


 俺の腕から根を離した花の魔女は、木の根と蔦をぐねぐね動かし組み合わせ、木製の手桶を作って自分の体から切り離した。

 地面に置いた手桶の上に枝の先端を差し出し、透明な液体を滴らせ始める。


 途端に森林浴をしているような爽やかな芳香がふわっと広がり、それだけで寝ていた青の魔女の頭に生え脈打っていたキノコが黒ずみ枯れた。


「!? え、匂いだけで? 飲んでないのに!?」


 癒しの波動じゃん? どうなってんの?

 駆け寄って青の魔女の様子を見ると、ほとんど死体同然の肌色が生気を取り戻し始めていた。呼吸も安定して、すぅすぅと穏やかな寝息になっている。

 驚愕する俺に、花の魔女は手桶に液体を垂らしながら説明してくれた。


「私達のような植物は、菌や昆虫から身を守るために特別な成分を分泌できるの。俗にいうエッセンシャルオイル、精油ね。精油には殺菌作用がある。普通の精油はそのキノコに効かないけれど、私の精油ならよく効く。私の地区の区民は誰も感染していなかったでしょう?」

「あ、いえ、その、下見て歩いてたんで分かんないです」

「そ、そう。人見知りなのね?」


 なんかちょっと気を遣ってる感じで言われてしまった。

 絶対コミュ障だとバレたな。いいだろコミュ障でも!


「この精油は揮発した成分に触れるだけでキノコを殺すから、千倍、一万倍……いえ、十万倍の希釈液を吹きかけるだけでも死滅するでしょう。キノコ以外の魔法菌や昆虫の魔物も殺すでしょうけど、構わないわね?」

「そりゃもちろん」


 俺は頷いた。

 構う奴もいるかも知れないが、どう考えてもキノコの殺菌が最優先だ。


「これは私の所感なのだけど、このキノコはきっと一度感染して治れば免疫ができるタイプね。二度目、三度目の感染爆発(パンデミック)は心配しなくていいわ。勿論調査と研究、対策は必要でしょうけど、そこは未来視か目玉にでも任せてしまいなさい。さあ、これで十分な量が溜まったわ」


 話している間に、手桶にはなみなみと精油が溜まっていた。花の魔女は桶に蔦と枝で作った蓋を被せる。

 人類の希望になる手桶を取ろうとした俺の手を、花の魔女は不意に木の根で掴んで自分の傍へグッと引き寄せた。


「ななななんですか、なんですかなんなんですか!? もががっ」


 たたらを踏んでよろめく俺の口を手で掴んでこじ開け、上を向かせた花の魔女は返事をしなかった。

 美しく微笑みながら、俺の口に束ねた花びらの先端から分泌される黄金の液体を三滴垂らす。


 恐怖そのものだった。ひーっ! 何を飲まされてるんだよコレ!

 得体のしれない液体を吐き出そうとするが、喉に細い蔦を差し込まれ無理やり嚥下させられる。

 黄金の液体を飲んだ事を確認した花の魔女は、拘束を解いて俺を解放した。


 地面に四つん這いになり、激しく咳き込む。

 嫌な感じはしないというか、むしろ飲まされた黄金は甘く香り高く、自然の力が体に満ちるような心地よさがあったが、とにかく得体が知れなさすぎる。

 飲んじゃったよ。なに? 何をされたんだ? 説明!


「い、今のは?」

「知らない方がいいわ。でも、悪い物ではない」

「いや知りたいんですけど。俺は何を飲まされたんですか」

「貴方が飲んだ物について、貴方を殺してでも知りたい人間が山のようにいるでしょうね」

「ひぇっ……」


 さっきから怖すぎる。

 そんな危険物飲ませないでくれます?


 花の魔女は腕に抱いた子株を優しく揺らしながら微笑むばかりで、それ以上の説明はしてくれそうもなかった。

 未来視の嘘つき! 取引は安全だって書いてたじゃん!

 いや書いて無かったか? 「苦しくも難しくもない」とは書いてあったけど、安全とは書いてなかった気がする。

 クソッ、ハメられた!


 前向きに考えれば、飲まされたのは無害なものなのだろう。

 取引通りに出産を手伝ったのに、仕事終わりの助産師に毒を飲ませるとか頭おかしい。いくら倫理観がズレている傾向にある魔女とはいえ、それは流石に無いと信じたい。

 飲まされたのはたぶん飲んでも大丈夫なものだ。

 でも飲んだ物について俺を殺してでも知りたい奴がいっぱいいるってどういう事?

 やっぱり危険物じゃねーか!


 飲んだ物の正体について問い詰めたいところだが、あんまり母子水入らずの時間を邪魔したら怒りそうだし、今この瞬間もキノコ病で命を落としている人がいる。

 それは未来視かも知れないし、大日向教授かも知れない。

 何を飲まされたとしても、命に別状は無いと信じてこの場を立ち去るのが賢明だろう。

 早く特効薬を文京区役所へ届けなければ。


 安らかな寝息を立てている青の魔女を背負い、重い手桶を腰のベルトにしっかり結び付け、植物の聖域から去る俺の背中に、花の魔女は親しげに声をかけた。


「貴方とは(なが)く良い付き合いをしていきたいものね。たまには顔を出しなさい? 歓迎するわ」


【アルラウネの秘蜜】

 飲んだ者の若さを保ち、寿命を延ばす大自然の秘薬。

 この秘蜜は一年に一滴しか作られないが、アルラウネが死亡し枯れる時には大桶一杯分を溢れ出させる。量を確保すれば永遠の命を得られるも同然だ。

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この魔法菌って結局どんなやつだったんだろう……。
蜜の効果って一滴で一年くらいですか?
方々で魔女をカリカリに灼いてくやん
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