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24 バイオハザード・パンデミック

 正月が明けて間もなく、未来視の魔法使いが都内全域に発した感染症予防令を聞いた青の魔女は、当初それほど重く捉えていなかった。

 一カ月後の体調不良者増加を予知したというが、同じような事は何度かあった。


 大型台風の予知があった時は、屋根や窓を補強し被害を最小限に抑えられた。

 渇水の予知があった時は、事前に水を貯めおく事ができた。

 インフルエンザ流行の予知があった時も、感染の発生中心地をロックダウンする事で大流行を回避できた。


 もちろん、未来視が避けられなかった悲劇も多い。

 大怪獣は見逃したし、入間のクーデターも見逃した(これについては入間が狡猾だったのも大きいが)。地獄の魔女の暴走や、葛飾の大農場壊滅も防げなかった。

 だが、予知できた未来については常に悲劇を防いできた。

 およそどんな悲劇であっても、一カ月前から備える事ができれば、完全に防げないまでも大幅に被害を軽減できる。


 だから一カ月先の感染症流行が予知できたのなら、実際にその時期がやってきた時の流行はごく小規模なものに収まるだろうと楽観していた。

 

 しかし一カ月後、大日向に大利からの手紙を届けるため魔法大学を訪ねた青の魔女は、五学科中四学科が休講している事態に驚いた。


「生徒も教授も、体調不良を訴える人が多くて……」


 学長室で青の魔女を迎えた大日向も、明らかに元気が無かった。

 顔色が悪いし、耳や尻尾の毛に艶が無い。

 青の魔女の心臓がギュッと縮んだ。


「まさか慧ちゃんも? 寝てた方が……」

「いえ。感染者の分析の仕事があるんです。大学は、都内の中でも特に不調を訴える人の割合が多い。でもなんともない人もいて。その違いの原因が何なのか調べないと……この大学が感染のグラウンド・ゼロだとしたら……でも、それにしてはおかしな事も……」


 大日向はそう言って書類のデータをまとめる作業を続けようとしたが、声にも手にも力が入らず、万年筆が綴っている文字はガタガタだった。


「ダメだよ。休もう?」


 青の魔女は無理やり万年筆を取り上げ、書類を脇に押しやり、有無を言わさず大日向を抱きかかえソファに寝かせた。

 大日向は少しグズり、途中になった仕事に手を伸ばしたが、柔らかなソファに横たわりブランケットをかけられると、立ち上がる意思も挫けたようだった。

 青の魔女は大日向の小さな手を握り、優しく頬を撫で語りかける。


「お医者さんにはかかった? 呼んでこようか?」

「そのお医者さんも、体調不良になってしまっているんです。街の様子は見ましたか? 市民の半数は体調を崩しています。文京区だけじゃない。東京全域、いえ、日本全土でこの症状が広まっているかも知れない……」


 目を閉じ、弱々しく言う大日向の姿にゾッとする。

 額に手を当てるが、熱があるわけではない。発汗もない。

 しかし、ぐったりと力無い。

 このまま死んでしまうのではないかというぐらいの弱々しさだった。


「だから私が、私が調べて。病気の原因を突き止めないと……」


 言葉の途中で大日向の手から力が抜けた。

 慌てて名前を呼びながら脈を取るが、鼓動は感じられる。寝息も聞こえ、寝てしまっただけだと分かり青の魔女は冷や汗を拭った。

 そう、確かにぐったりしているなら、寝て体力を回復するのが一番に違いない。


 起こすわけにはいかないが、ソファでずっと寝かせるわけにもいかない。

 迷った青の魔女はソファごと大日向を持ち上げ、学内の医務室へ向かった。


 医務室のベッドは満席だった。

 大日向と同じ青い顔でぐったりした生徒がベッドを全て占拠し、床に座り込んでいる者までいる。

 渋面を作った青の魔女は、清潔なシーツと毛布だけ回収し、空き教室に簡易ベッドを作り大日向を運び込んで寝かせた。教室の入口に赤の油性マジックで「医療従事者求ム。それ以外の侵入者は殺す 青の魔女」と大きく書いておく事も忘れない。

 これが感染症ならば、今更隔離したところで意味はない。しかし、他の感染者と接触して良い事も無いはずだ。


 青の魔女は日が落ち、月が昇って沈み、朝がやってくるまでつきっきりで看病をした。

 浅い眠りと朦朧とした覚醒を繰り返す大日向に、水を飲ませてやり、ふやかしたパンを食べさせる。暑がれば毛布をのけ、寒がれば毛布をかける。トイレの介助もした。

 うなされ何かを求める大日向の手を握った時、「お父さん」と呟いたのには心が痛んだ。

 この聡く愛らしい少女の父にはなれないが、姉のようにはなれる、なれていると信じたかった。


 一夜が明け、昇る朝日を見ながら青の魔女は深く長い息を吐き、肩を回し仮面の下の目を揉んだ。

 いつになく体が重かった。看病疲れか、と思ったが、数秒してから自分が魔女である事を思い出す。

 たった一晩看病しただけでこれほど疲労するのは有り得ない。


 青の魔女は愕然とした。

 自分も感染している!


 魔女になってから病気とは無縁だった。ちょっとした切り傷程度ならその日のうちに完治するほど頑丈な体のはずなのに。

 自らの両手を見て信じられない思いでいると、大日向専用病室にしていた教室のドアがノックされる音がした。


「失礼しまー、ん? なんだこれ…………あ、青の魔女!? し、失礼しました!」


 ノックの主はドアを開ける寸前で入口の殴り書きに気付いたらしい。慌てて走り去っていく足音がした。

 だが、去り際にドアの隙間に一枚の紙を押し込んでいった。


 青の魔女は紙を隙間から引き抜いて読んだ。

 まだインクも乾ききっていない活版印刷の文字列は、重要な情報を記していた。


『現在流行中の病は、魔力欠乏による失神を一度でも経験している場合劇症化し、死亡率が100%へ急上昇する。保有魔力が少ない者は、特に魔法の使用を控えるように。以上、周知徹底の事。  文京区医療班』


 青の魔女は紙を握り潰した。

 その警告はあまりに遅かった。

 豊穣魔法や火魔法の普及により、都民の半数以上は間違いなく魔力欠乏による失神を経験してしまっている。

 特に魔法大学では入学試験に魔力保有量テストがあるため、99%が魔力欠乏による失神経験者だ。

 当然、魔法言語学の最先端にいる大日向も何度も魔力欠乏で失神した経験がある。


 そして青の魔女もまた、怪獣を討伐した時に、一度魔力欠乏で失神していた。


 青の魔女は死へ向かって坂を転がり落ち始めていた。







 青の魔女は、まだ動けるだけの力が残っている内に青梅の自宅へ戻った。

 青の魔女は随分人を殺してきた。それは報復であったり、自衛のためであったり、より多くを助けるための巻き添えであったり、青の魔女なりの理由あっての事だったが、殺しは殺しだ。買った恨みは数知れない。

 今までその強さゆえ気に留める必要すら無かった報復が、自分への報復に自分の大切な者達を巻き込んでしまう事が、何より恐ろしい。


 自宅へ戻る道すがら、青の魔女は死んだような街並みに災害最初期の頃を嫌でも思い出させられた。

 家々の扉は堅く閉ざされ、通りを歩く者はまばら。道端に倒れて動かない者がいても、それを気に掛ける余裕は誰にも無い。

 ほんの数日前までは活気に満ちた喧騒があった。しかし今では火が消えたように静かだ。


 ある家の花壇の土がすっかり渇き、花が枯れているのを見て青の魔女は鬱々とした。

 魔女集会は見事に東京に復興の花を咲かせたが、その美しさはほんのひとときのもの。すぐ枯れてしまう程度のものだった。


 自宅に辿り着いた青の魔女は、少しでも体力を温存しようと眠った。

 そして起きた時、頭にキノコが生えていた。


「…………これは」


 洗面台の鏡で自分の頭の上に生えているキノコを見た青の魔女は、見覚えのある色と形に嫌な記憶がフラッシュバックした。

 紫と赤の毒々しいまだら模様の傘と、柄の部分の気色悪い人面皺。

 大きさこそ人間サイズと手のひらサイズで違うが、入間の魔法使いが傀儡魔法で操っていたキノコの魔物そっくりだった。


 キノコの魔物を倒した時、その死体は爆散していた。

 粉微塵になって爆散していた。

 爆発の威力こそ低かったが、戦いの場に居合わせたほとんど全ての魔女集会の者達がまき散らされた粉を浴びていた。

 あの時は気にも留めなかったが、あの粉はただの粉ではなく、キノコの胞子だったのかも知れない。

 あの時に魔女たちが感染し、無自覚な保菌者となって東京全域に菌を広げていたとすれば……今の惨状も納得がいく。


 青の魔女は鋏を頭の上のキノコの根本に当て、鏡を見ながら慎重に石突ごと切り離した。

 明らかな異物。こんな物が頭に生えていて良いはずがないという判断だ。

 しかし、その判断は大失敗だった。

 キノコを切り離した途端に眩暈を覚えるほど全身から急激に魔力が吸い上げられ、ものの数秒で頭の上の全く同じ場所に同じキノコが生えたのだ。


 魔力を一気に消耗しただけでなく、青の魔女は体調を急激に悪化させた。

 もう体がだるいどころではない。立っているだけで意志力がいる。


 青の魔女は迂闊な自分を恨みながら重くなった体を引きずり、頬を叩いて鈍る頭をハッキリさせ、書斎によろめき入って本棚の本をひっくり返した。

 子供の頃に買ってもらい、結局半分も読まなかったキノコ図鑑を見つけ出し、縋るようにページを捲る。

 まさかあのキノコの魔物について記されているわけもないが、少しでも手がかりが欲しかった。

 切ってはいけないとしたら、焼けばいいのか? 焼いたらもっとまずい事になるのでは? 凍らせるのはどうだろう? それも事態を悪化させるかも知れない……


 キノコ図鑑を調べても、当然ながらキノコ病の対処法は載っていなかった。

 だが、最悪の情報は得られた。


 ある種のキノコは、地上にキノコを生やす前に培地に菌糸を広げるという。

 朽ち木からたった数日で巨大なキノコが生えるように見えても、実はその数日の前に、数カ月かけて朽ち木の内部に根を張り巡らせているのだ。

 そうして数カ月かけて朽ち木全体に根を行き渡らせ準備を整えてから、満を持してキノコを一気に生やし成長する。


 青の魔女はこの情報と、切ったキノコが急速再生する時に感じた全身から魔力を吸い上げられる感覚から、自身の体が既に魔物キノコの菌糸に侵されきっている事を悟った。

 頭の上のキノコは目に見える氷山の一角に過ぎない。

 全身に蔓延った菌糸こそが元凶だ。


 そうなると手の打ちようがない。

 切除などできないし、全て焼こうと思えば全身を消し炭にする必要がある。


 青の魔女は冷凍魔法で自分を冷やし、温度を下げて少しでもキノコの成長を遅らせようとしたが、病が進行した症状なのか魔力コントロールが上手く行かず発動しない。

 呪文を唱えても、呪文によって形成されるはずの魔力がキノコに横取りされ吸われている感触だ。


 酷い体調不良に加え、魔法まで封じられた青の魔女は絶望した。

 では、もう死ぬしかないではないか?

 このままキノコに魔力も体力も吸い上げられ、苗床になって死ぬしかない。


 意図していたのか偶然なのか。最悪の時限爆弾を残していた入間の魔法使いを、青の魔女は呪った。奴だけは何度殺しても殺し足りない。


 ふと、山奥暮らしで恐らく何も情報を知らない大利にキノコ病について教えなければならない事を思い出す。

 青の魔女は大利の情報窓口だ。青の魔女が何も言わなければ、大利は何も知らない。

 大利が魔力欠乏失神を経験しているかどうかは分からないが、まだ経験していないとしたら、病の劇症化――――致死率100%への急上昇を防ぐために警告が必要だ。

 頭の働きが鈍りに鈍り、そんな事にすら気付けなくなっていた。


 しかし目玉の使い魔越しに警告を発しようとしても、既に声が出なくなっていた。かすれた息が漏れるだけで、声にならない。


 青の魔女は自分が死ぬのは怖くなかった。

 そんな悩みはとっくの昔に通り過ぎている。

 ただただ、大切な者を守れないのが怖い。その命を取りこぼしてしまうのが怖い。


 大日向についてはもう自分にできる事はない。今の体たらくでは、自分が出しゃばるより文京区の医療班に任せた方が何十倍も良い。

 だが大利は自分がなんとかしなければならない。


 目玉使い魔通信が使えないのならば、徒歩で奥多摩まで行くまでだ。

 青の魔女はベッドから這い出し、二階から階段をズリ落ちるようにして一階へ這い降りた。

 体力ではなく気力で動いている有様だった。


 10mもない距離を1時間近くかけて這った青の魔女は、玄関のドアの下に一通の手紙が落ちているのに気が付いた。

 手紙……いつの間に配達されたのだろう?

 そういえば、しばらく前にドアベルが鳴る音を聞いたような気もする。

 青の魔女は耳まで弱っていた。


 霞む目を何度も瞬き、手紙の送り名を確かめる。

 送り名は「未来視の魔法使い」だった。


 目玉の使い魔を飛ばせばいいのに、わざわざ手紙を送ってくるとは。一体何を考えているのだろう?

 ぼんやりとした疑問は、ぼんやりとした気付きで解消される。


 未来視もキノコに侵され、魔法が使えなくなっているのだ。

 そこまで症状が進んでいれば自分で訪ねて来ることもできない。

 手紙という手段に頼る以外に道は無かった。


 未来視は何を視たのだろう?

 自分に何を伝えようとしているのだろう?


 青の魔女は未来視への警戒を未だ解いてはいなかった。

 入間も未来視と同じように誠実に見えた。有能に見えた。誰もが信用していた。

 しかし、とんでもないクーデターを計画していた。

 未来視の事は信じたいが、信じ切れない……


 そのわだかまりは、頭の働きが鈍っていた事で消えていた。

 もう考える事が難しい。

 未来視が希望を示してくれているのだとしたら、青の魔女はそれに縋るしかない。


 青の魔女は未来視からの手紙を開け、中を読もうとした。


 だが、手紙を開封する力が最早残っていなかった。


 何度も何度も何度も、糊付けされているだけの手紙を開封しようとして失敗する。

 どうしようもなく涙が零れた。

 手の中に希望があるのに、どうしようもできない。

 全身が絶望に侵されて、光が見えない。


 時間の感覚を失い、どれだけ時間が経ったのか分からない。

 青の魔女は、不意に自分の手から手紙が取り上げられるのを感じた。


「えっ? 何やってんのお前。この手紙何?」


 空前のバイオハザードの最中だというのに危機感をまるで感じられない大利の能天気な声が、なぜか今は無性に頼もしく感じられる。

 その安堵に包まれて、青の魔女は辛うじて繋ぎ止めていた意識を手放し、昏睡状態になった。

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― 新着の感想 ―
青の魔女が巻き添えで人を殺したことを含めて、人を殺したことと向き合えるだけのまともさがあることに安心しました。 それこそ、災害前の価値観に近い大利と出会え、交流を持てたことが幸運だと思えました。
ヒーローは遅れてやってくる。さあ仮面をとって涙を拭いてやれ
おい!!!きのこぬんじゃねえか!!!!!wwwww
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