88.3 ツバキのぼうけん
繭を焼き焦がし羽化したツバキは、威勢の良い鳴き声を上げた。
第二の爆誕である。
「ミミミーッ! 大人ーっ!」
狭い繭の中で長い退屈な微睡を過ごしていた身には、新鮮な空気が美味しい。炎はメラメラして、頭が冴え渡る。
後ろ足で仁王立ちして手足と尻尾を大きく伸ばしノビをしたツバキは、尻尾が無くなってしまっている事に気付いた。
「ミッ!? 尻尾。尻尾ない。無くなっちゃった……」
自分のお尻を撫でながらしょんぼり呟く。
蜘蛛の魔女は言っていた。大人になるって素敵なこと、でも大変な事も多いんだよ、と。
早速大人の洗礼を受けたツバキはミミミと鳴いた。大人は、大変だ。
しばらく慣れない大人の体に落ち着かず体をよじったりしてモゾモゾしていたツバキだったが、近くにある二つの繭の存在を思い出した。オーリの工房で三匹一緒に繭になったので、当然二匹の繭もここにある。
ツバキは静かに鎮座する二つの繭をナデナデしてやりながら語り掛けた。
「セキタン、怖がらなくて大丈夫だった。大人なっても、私たちは私たち。ミミミ!
モクタン、きっと大人なってもカワイーだよ言ったけど、嘘だったかも。カワイー尻尾なくなっちゃう。でもモクタンはカワイーナ!」
繭の中で微睡んでいる二匹から返事はない。しかしぼんやりと聞こえているに違いない。
オーリや青の魔女のようなヘンテコな形の前脚(「手」とか「腕」と呼ばれる物だ)でぺしぺし繭を叩いた後、ツバキは深淵金を持って表に出た。
庭を覗くと、畑の世話をしていた蜘蛛の魔女が驚いてジョウロを取り落とす。
「えっ……!? もしかして、ツバキ……?」
「蜘蛛さん! ミミミ! やっぱり蜘蛛さんおっきい。大人なったのに勝てない」
ツバキはてってこ蜘蛛の魔女に駆け寄り、背伸びしながら自分の背丈と大蜘蛛の背丈を比べた。幼体の頃と比べて大きくなり、二足歩行になってぐっと目線が高くなったのに、まだまだ蜘蛛の魔女の方が大きい。
ツバキはミミミーッ! と思った。
「もう羽化したんだ……わあー……! 立派になったね、ツバキ……継火に似てるけど……いやなんでもない……すごいね、カッコイイよ……」
「ミッ。私スゴイゾ。一番強くて、一番に羽化して、一番スゴイ!」
胸を張るツバキは蜘蛛の魔女の大きな脚に抱擁され、嬉しくてミミミと鳴いた。
蜘蛛の魔女の脚は堅くてゴツゴツしていて棘があるけれど、オーリと同じぐらい優しかった。
「オーリはまだ羽化しない? 死んじゃったまま?」
「ん…………」
「あ。蜘蛛さんごめんなさい。辛いよーだった?」
何気なく言った言葉に湿っぽい反応が返ってきたので、ツバキは慌てて蜘蛛の魔女の頭をナデナデした。
悪い奴に縄張りを荒らされオーリが死んでしまって以来、蜘蛛の魔女はオーリの話題になるたび辛そうだった。辛い蜘蛛の魔女を見ていると辛くなる。
ツバキにはよく分からない。
オーリは死んでしまったが、ずっと氷の中でそのまんま。青の魔女はいつか必ず生き返るから大丈夫、と言っていた。ツバキたちに言うというより、むしろ自分に言い聞かせているかのようだったけれど。
青の魔女が大丈夫だと言ったなら、大丈夫なのだ。心配いらない。
「フヨウにはもう会った……?」
「まだ!」
「顔を見せに行ってあげて……寂しがってたから……」
「ミミ。フヨウさびしんぼ」
ツバキは含み笑いして、蜘蛛の魔女と一緒にフヨウに会いに行った。
慣れない人の足に山道は厳しく、何度かよろけて転びそうになり、蜘蛛の魔女に支えてもらいながら、ツバキは大利家を臨む斜面に生えているフヨウの根本に辿り着いた。
「あら。その魔力はツバキ?」
「ミ!」
艶やかな花の真ん中で咲き誇るフヨウは、目を丸くしてツバキをじろじろ見た。
幼体の時よりも一層高温になった炎を全身から噴き上げて見せれば、熱波に煽られ蔓を引っ込める。
「ミミッ。炎は草に強い。フヨウ、もう私に勝てない。私が一番強くてスゴイゾ! ミミミミミ!」
「生意気ね」
嫌そうな口ぶりだったが、顔は笑っていた。
ほら、と声をかけながらフヨウが両手を広げてきたので、ツバキは体の炎を抑え込みいそいそ腕の中に飛び込んだ。
フヨウは花弁が熱波で萎れるのも厭わず固く抱擁をした。ついでのようにキスをされ、何かの液体を喉に流し込まれ目を白黒させる。
抗議しようとすると唇に人差し指を当て「しーっ!」のジェスチャーをされた。ナイショらしい。ナイショなら仕方ない。
ツバキは抱っこは好きだが焼いて傷付けたくは無いので、思いっきりぎゅーっとしてからすぐに離れた。
フヨウは手を頬に当て溜息を吐く。
「ツバキにも花と蔦があればいいのに。どうしていつも燃えているの?」
「フヨウの蔦、便利ですごい。蜘蛛さんも優しくっておーきくてすごい。みんな違ってみんなすごい。でも、一番燃えてる私が一番すごい!」
火を吹いて胸を張ると、フヨウも蜘蛛の魔女も微笑ましそうに笑った。
それから繭の中がどんな感じだったかとか、蛹になっている間の出来事だとかをひとしきり話し盛り上がった後、蜘蛛の魔女が言った。
「そうだ。お祝いしよっか……ツバキの成人……成体? 大人になったお祝い……みんなで食べられる美味しい料理作るよ……」
「ミ? お祝いしない。すぐ行く」
「え……どこに……?」
「縄張り探し。私大人なった。自分の縄張り手に入れる。一番すごくてすごい縄張り手に入れるから、みんな遊びに来ていいよ」
ツバキが幼馴染と親代わりの先生に寛大さを示すと、二人とも変な顔をした。
「あなた羽化したばかりなのに、もう行くの?」
「ミ」
「そんな……しばらくゆっくりしていったら……? ほら、セキタンとモクタンが羽化するまでとか……」
「ダメ。縄張り被る。よくない」
ツバキはキッパリと首を横に振った。
セキタンとモクタンは大切な家族。群れの仲間。
だからこそ、縄張りを被せてはいけない。そんな意地悪な事はできない。
繭になる前、強烈な眠気に襲われ、大人になる時が来たと分かってから、三匹は縄張りについてよく話し合っていた。
奥多摩に残るのは一番チビのモクタンだけ。後の二匹は粛々と旅立つのだ。縄張り争いなんてしたくない。
ツバキの頑なな態度に二人はヒソヒソ話し合った。
「うーん、そういう本能なのかな……」
「種の拡散のために遠くへ行こうとするのね。私にも覚えがあるわ」
「そっか……フヨウの種族も縄張りタイプだもんね……」
かくしてツバキは惜しまれながら羽化したその日のうちに旅立つ事になった。
耐熱鞄に蜘蛛の魔女に用意してもらったパスポートやお小遣い、フヨウにもらったアロマオイルを詰め込んで、奥多摩を出立する。
ツバキは一番すごいので、一番すごい縄張りを手に入れようと目論んでいる。
狭い島国に留まってはいられない。狙うは世界。
世界一の油産地を我が物とすべく、ツバキは列車と船を乗り継ぎ海を越え、真韓民国に上陸した。
「ミミミ。上陸!」
朝鮮半島を領土とする真韓民国の釜山市は、ユーラシア大陸への玄関口として知られる港町である。
釜山市はとても賑やかで、今までの蜥蜴生をほとんどずっと山奥で過ごし、あまり人と接してこなかったツバキはごったがえす夜市の人混みに目を回した。
道中の列車や船の中にも驚くほど人がいっぱいいたが、釜山市はその上をいく。ツバキはもしかして世界中の人間がみーんな集まるお祭りか何かをやっているのではないかと訝った。だっていくらなんでも人が多すぎる。
「ミ、ミ、ミミ……」
「そこの燃えてる人、魔人か? 悪いが横に避けてくんないか」
道の真ん中に呆然と突っ立ってまごまごしていると、後ろから声をかけられた。
木箱を満載した荷車を引く人夫に手で追い払うような仕草をされ、急いで横に退く。
「ミミ。おじさん、美味しい油知らない?」
「は? 油? 知らんよ、そのへんの屋台の親父にでも聞いてくれ」
人夫は荷車を引いて忙しなく雑踏に消えていった。
ツバキはとりあえず言われるがまま屋台を探す。何はともあれ、油だ。良質な油がいっぱいあれば、大抵の事は上手く行く。
街中には人の匂いも土の匂いも、嗅いだ事のない香辛料の匂いもいっぱいだった。むせかえるような濃い匂いに鼻がツンとして、クシャミが出る。
それでも鼻を利かせ、ツバキは油料理をしている屋台に辿り着いた。
ステッキ小脇に抱えた老紳士が油のしたたる山盛りの唐揚げを屋台の店主から受け取っていて、ソースをかけるだのかけないだの細かい注文をつけている。
「ミ゛!?」
ツバキは今は無い尻尾が縮み上がるような感覚を覚えた。
老紳士は、恐ろしい生き物だった。
見た事もないほどに洗練された、凄い魔力をしている。
間違いなく強い。とんでもなく強い。蜘蛛の魔女より強そうだった。青の魔女とどちらが強いかまでは分からないが、自分では到底勝てない魔力をしている。
ツバキは背負った深淵金ハンマーに無意識に手をかけながら迷った。
明らかに近づかない方がいい、強いのがいる。
でも、あの屋台から一番美味しそうな油の匂いがする。
いっぱい買ってる。油を独り占めされたらどうしよう?
貧乏ゆすりをしながらソワソワ見守っていると、老紳士が視線に気づいた。
辛味ソースがたっぷりかかった唐揚げを頬張りながら不思議そうに辺りを見回し、ツバキと目が合う。
老紳士は二度見してむせ込んだ。
「害虫!?」
老紳士が指先をツバキに向ける。
途端にバチンと魔力が固まり、動かなくなった。
ツバキはびっくりした。
魔力が封じられるのは初めての経験で、何がなんだか分からない。
しかし、目の前の強い生き物が、自分に突然理不尽な敵意を向けてきた事は分かった。
たまらずツバキは叫んだ。
「ミミミ、やめてー!」
世の中には強いやつがいっぱいいる。
ある日恐ろしい敵が縄張りに侵入し襲ってきて、死んでしまう事だってある。
ツバキは冒険の終わりを覚悟し縮み上がり、自分の頭を前脚で押さえてぶるぶる震えた。
しかし、いつまで経っても追撃が来ない。
恐る恐る手の隙間から覗くと、老紳士はびっくりしていた。
「喋れるのか? ……すまぬ、誤解であった」
恐ろしい生き物は態度を和らげ、怯えるツバキに紳士的な礼をする。
どうやら殺されないらしい。
ツバキはホッと一安心しながら、縄張り探し早々の命の危機にこれからの前途多難さを思った。
縄張り探しは、大変だ。
冒険はまだまだ終わらない。





