181 開戦
「彼を謳え」
戦いは静かな呪文の一節から始まった。
集った超越者全員が魔法安定化魔法を唱え、これからの不安定な大魔法行使に備える。
クォデネンツの結界範囲外に築かれた簡易要塞の屋上からは、人が消えた静かなルーシ王国の街並みがよく見える。
勝っても負けても、あの街は今から瓦礫に変わる。見納めだ。
勇者コンラッド・ウィリアムズが最新式の魔剣を鞘から抜く。
死神ゲデがリズミカルに指を鳴らす。
二代目聖女が拳のバンデージを巻きなおし。
胡坐をかき瞑想していた豪腕の魔法使いが立ち上がる。
ルーシの女王が祈り終えて目を開け。
青の魔女がキュアノスを握る手に力を込めた。
直接戦闘を担う6名の準備が完了し、後方支援役の超越者たちから支援魔法が飛ぶ。
「君なら王様になれるって信じてる」
「このために蓄えていたのだから」
「それでも巣群の英雄は立ち上がる」
「服を着こめば動きにくいから」
「汝は資格を示した。往かれるが宜しい」
「何も見えないとしても、目は開けておきなさい」
「君が憎い。幸せになってしまえ」
「共に立ち向かおう。命尽きるまで僕らは止まらない」
効果の高い支援魔法もあれば、気休め程度にしかならない支援魔法もある。
それでもありったけの強化が施される。
ほんのわずかな差が生死を分ける事がある。この場にいる誰もがそれを知っている。
この戦いのために、ルーシの女王は魔法言語学者が誰も知らない未知の詠唱魔法を幾つも開示した。
これは人類が可能な、強化過多で体が壊れない範囲での最大限の支援魔法だ。
「二度と星空が美しいとは言うまい」
支援魔法をかけ終わり、続けて儀式魔法の大詠唱が始まる。
要塞屋上に敷設された女王銅の円盤には、魔法合金で流星魔法の魔法陣が刻まれている。ルーシ王国の秘密技術である。
本来人間が大人数で魔法を扱うために考案された儀式魔法は、今、超越者たちが集団で人智を超えた大詠唱を発動制御するための機構として機能していた。
「その資格を今より手放す
天よ地よ×××よ
星海の彼方より誰知らぬ脅威を喚ばん
脅威を以て脅威を
幽界捕食者の狂乱を鎮めん」
青の魔女は杖を構え、遥か後方、戦闘範囲外にいる恋人を想った。
娘たちを、友人たちを想った。
もう二度と、誰も失いたくない。
勝っても失ったのでは意味がない。
魔神を世に放ってはならない。ここで確実に仕留める。
完璧に勝つのだ。そうしなければならない。
「鎮まりたまえかの者
星よ、星よ、星空よ
星空よ、降り墜ちよ」
莫大な魔力を注がれた魔法陣が励起し、白熱し眩く光り輝く。
そして次の瞬間高まった魔力が解き放たれ、空に現れた一筋の流星がルーシ王国の中心に着弾した。
一瞬の沈黙の後、大爆発が起きた。
強烈な衝撃波と爆風が街並みを円形に吹き飛ばし広がっていく。
数秒遅れ、耳をつんざく爆音と突風とが要塞に届いた。
命中したはずだ。
クォデネンツの周囲には十重二十重に感知妨害を施し、マモノバサミの遠隔起動で時間停滞もかけている。攻撃の直前で察知され、逃げたり避けたり防いだり、といった事は無い。
はずである。
青の魔女は視界の端で女王が唇を嚙みしめているのを見た。
心中穏やかではあるまい。祖国を己の指揮の下で破壊する事になったのだから。国民は無事とはいえ、その内心は察するに余りある。
「――――立った」
「仕留め損なったようですね。出ます」
雲にも届くほどに高く舞い上がった土煙と爆炎の中に、豪腕の魔法使いは何かを見て呟いた。
二代目聖女が冷静に応じ、二人は更なる強化魔法を己にかけながら目にもとまらぬ速さで飛び出す。
豪腕の魔法使いは他の誰にも耐えられない多重自己強化をかける事ができる。
聖女は多重自己強化に耐えられず自壊してしまうが、自壊したそばから自己再生していく。
どちらも前衛として最適だ。
「私達も出ましょう」
「大詠唱は効果確認をしてからだ。皆、それだけは忘れないように」
女王とコンラッドが言い、青の魔女と死神ゲデが頷く。
そして四人は転移魔法を唱え、活動を開始した魔神に接敵した。
土煙の中に転移した青の魔女は無詠唱の飛行魔法を使い、空中に浮遊する。
女王の嵐魔法で土煙と肌を焼き焦がす爆熱の残滓が吹き払われ視界が明瞭になり、ついに恐るべき魔神の全貌が明らかになった。
巨大だった。
全長は巨人トゥルハンの倍、100mほど。その巨人より大きな巨人が右手に巨大剣を握っている。
クォデネンツだ。
想定の一つとして挙げられていた事ではあるが、いざ目にすると唖然とさせられる。
魔剣から生まれた魔神が魔剣を握っているなんて。剣を一振りすれば街が消し飛ぶだろう。
全身を覆う黒い魔法金属鎧には白い線が血管のように走っている。頭部も隙間なく兜で覆われ、悪魔を想起させる湾曲した二本角の間には燃え上がる第三の目のような物が浮かんでいる。瞳が二つある、薄気味悪い不吉な目だ。
第三の目の存在は完全に想定外だ。ただの飾りだという事は有り得ない。何かしらの馬鹿げた機能が備わっているに違いない。
一方で、想定通りの福音もあった。
まず、魔神の腰から下に鎧が無い。触手の塊のような気色の悪い素体が剥き出しだ。これだけでも外殻鎧が完成しきる前に戦闘に踏み切って大正解だったといえる。
もう一つ。クォデネンツの柄頭についているコアも異常を起こしている。
不規則に変形変色を繰り返していた正二十四胞体は変化を停止し、金平糖のような形状で固着している。なんなのかは分からないがどうせ何かしらの幾何学立体図形に違いない。
そしてその幾何学立体構造は大きく抉れ、欠損部から酷く紫電を散らし煙を上げていた。
先制攻撃が、効いている。
千載一遇の好機だ。
これは効果確認より拙速を貴ぶべきと考え青の魔女が大詠唱を始めた途端、天を睨んでいた魔神が目線を降ろし、自分の周囲を飛ぶ超越者たちに目を留める。
次の瞬間、超高速で鎧が意思を持つかのように滑らかに変形し、上半身の魔法金属が流れ落ちる。
1秒にも満たないほんの僅かな間に、剥き出しだった下半身は鎧に覆われてしまった。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛! クソッ!」
銅鑼の音を何十倍にも拡大したような轟音と、聖女の悪態が響く。
僅かに体を揺らした魔神が無造作に右足を地面にたたきつけると、隕石が落ちたような衝撃の津波から聖女が飛び出してきた。
瓦礫の山と化した街を走りながら、空を見上げて叫ぶ。
「追撃は間に合いませんでした! が! 殴った感触は想定より薄いです!」
拡声魔法に乗った声は戦場に響き渡り、速やかに全員に情報が共有される。
魔神は剥き出しの下半身を上半身の金属鎧を引き延ばして広げる事でカバーしたようだ。
剥き出しの弱点を攻撃する事はできなくなった。
一方で、全体の強度が低下している。
悪く無い。
弱点が閉じたなら当初の計画通りに動くのが正着。
青の魔女は小手調べに様子見の魔法を撃った。
「凍る投げ槍!」
異常強化された氷槍魔法の威力は強烈で、反動で腕が跳ね上がった。
弱い魔法のはずなのに、まるで大魔法を撃ったような魔力逆流で全身が底冷えする。数々の反動抑制をした上でなおこの有様だ。大魔法をキュアノスで使った日にはどうなってしまうか分からない。
戦車砲もかくやという勢いで白い軌跡を描き飛んだ氷の槍は、重々しい金属音を立て魔神の金属鎧に着弾した。
並の超越者が受ければ即死するだけの威力は十分にあった。
が、鎧には傷も凹みも何もない。砕け散った氷の破片がバラバラと落下していくのみだ。
「魔法有効! 反射無し! 魔法解除無し! 物理強度想定内!」
拡声魔法に声を乗せ手短に通達する青の魔女に暗い影が差す。
ハッとして見上げると、巨体に見合わない素早さでクォデネンツ剣を振り上げた魔神が、今まさに刃を振り下ろそうとしていた。
避けようとするが、体が動かない。
宙に縫い留められたかのように、指先一本動かない。
瞬きどころか魔力すらも。
青の魔女は、魔王の兜が戴く第三の目が自分を凝視している事に気付いた。
呪文どころか悲鳴を叫ぶ事もできず、音より速く振り下ろされた刃が迫る。
死が迫る。
その刃を、まるで閃光のように地上から打ちあがってきた豪腕の魔法使いが蹴りつけた。
「哈!!!」
裂帛の気合と共にクォデネンツ剣と回し蹴りが衝突する。
老師の右足が消し飛ぶ代わりに、剣が急減速する。
豪腕の魔法使いは左足だけで空中を固く踏みしめて、間髪入れず右腕で剣を殴り抜いた。
右腕を生贄に剣を弾き返す事に成功した豪腕の魔法使いは、血を撒き散らし落下しながら叫ぶ。
「構うな攻めよ! 我らに治癒は無用!」
「……兜の目に睨まれると動けなくなる! 魔力もだ! カバーし合え!」
青の魔女は動けるようになっていた。
複数対象を凝視できるなら、豪腕の魔法使いもまとめて止められたはず。
そうならなかったという事は、六名全員を同時に睨む事はできないという事だ。
視界に入らなければ対象外なのか、それとも単独対象限定なのか。インターバルがあるのか。
戦いながら見極めるしかない。
「変性を試す。同時にやるぜ」
いつのまにか幽鬼のように隣に現れた死神ゲデが言い、青の魔女が頷く。
転移魔法で魔神の背後をとった二人は、恐るべき魔法金属鎧に杖を当て呪文を唱えた。
「月影も涼風も全て氷になればいい」
「死は現象に過ぎない。ゆえに私を人と思うな」
錬氷魔法と灰化魔法を流し込むと、鎧は激しく火花を散らした。
氷にならない。灰にもならない。
凄まじい抵抗力で魔法効果が押し返されている。
火花を目隠しに鎧から滲み出た黒い触手が、二人の超越者を捕まえようとしてくる。
鎧を蹴って魔神の巨体から離れた二人は得られた情報をすぐさま共有した。
「変性無効! だが適性対象だ!」
「コイツは無機物判定! 対生物魔法は使うんじゃねぇ!」
これで最低限得るべき情報は出揃った。
大氷河魔法は生き物を氷に閉じ込め殺す代わりに死後の劣化を防ぐ魔法だ。既に死んでいる相手や無機物には効果が著しく低下する。
青の魔女最大の魔法は魔神相手に有効ではない。
となると、使うべきは三叉矛魔法。
三叉矛魔法でどれを狙う?
第三の目を潰すか?
鎧を破るか?
クォデネンツ剣を壊すか?
「目の拘束は同時二名まで! 視界は関係無い! 次元防壁有り、チャームが要る! 僕は女王のカバーで動けない!」
少し離れた中空で、完全停止した女王を護り剣を振るうコンラッドが叫ぶ。
コンラッドが操る巨大な光剣は縦横に奔り、クォデネンツ剣と打ちあっている。
クォデネンツ剣の一振りに対し何十という剣撃を浴びせる必要があったが、ギリギリのところで斬り合いが成立していた。
だが、コンラッドが纏う魔力はとんでもない勢いで減り続けている。
長くはもたない。
「青の魔女、目を狙ってくれ! 動ける人数を増やす!」
苦しげだが明瞭なコンラッドの指示に青の魔女は頷き、魔力を集中し三叉矛魔法の大詠唱を始めた。
「雪深き霊峰の果て
白き魔物の懐に私は抱かれる」
大詠唱とは、女王が秘匿していた強化詠唱手段である。
無名叙事詩の引用範囲を拡大し、魔力消費を増大させると同時に、魔法の性能を完全に引き出す事ができる。
「誰も私を傷つけられない
誰も私を連れ出せない」
青の魔女の魔法を、女王は青の魔女以上に知っていたのだ。
なぜ知っているのか?
どうやって、誰から得た知識なのか?
今は問い詰めない。
大詠唱は隙が大きい代わりに強力だ。
それだけ分かれば充分。
「神獣の吐息は巫女を護り縛り給う
神敵祓うは巫女の則
少年に槍を向ける
その槍は氷と雪と悲哀でできていた」
一瞬、意識が遠のいた。
脳まで凍り付いたかと思うほど強烈な反動――――いや、もしかしたら一瞬本当に凍ったのかも知れない。
しかし青の魔女は頭を振って意識を取り戻す。
霜が降り感覚が鈍った手には、冷気を押し固めた純白の三叉矛が出現していた。
キュアノスを四次元に収納し、代わりに氷と冷気を固めた三叉矛を両手で構える。
三叉矛は素晴らしく手に馴染んだ。全身に力が漲り、頭が冴え渡る。
槍の訓練などほんの数日しかしていないのに、まるで何十年何百年と振るってきたかのように馴染み深い。
「××××言葉にできないものにこそ価値がある、と賢者は言った」
魔法解除魔法を体表に纏った青の魔女は、姿勢を低く刺突の構えを取る。
残像を残すほどの速さで始動した青の魔女は、魔神の鎧を垂直に駆けあがった。
それはまるで光のような、目にも止まらぬ神速だった。
青の魔女本人すら自分がどう動いているのか分かっていない。敵を見定め一直線に襲い掛かる、ほとんど本能的な攻撃である。
ところが、信じ難い動体視力で魔神の魔眼がギロリと動き、超越的速度で駆ける青の魔女の姿を捕捉した。
纏った魔法解除魔法が一瞬にして剥がされる。
だが青の魔女の攻撃もまた一瞬だった。
魔法解除魔法が全て剥がれるまでのその刹那の一瞬で、青の魔女は彼我の距離を詰めきる。
逆巻く吹雪を引き連れた三叉矛の一刺しは、次元歪曲防壁を突破し、過たず魔神の魔眼に突き立った。
「!?」
青の魔女はその手応えに驚く。
刺す事はできた。
だが貫通はしなかった。
強度が高い。
硬すぎる。
魔神は何から何まで、全ての基礎性能が高すぎた。
不吉な魔眼の中ほどまで突き刺さった三叉矛は、それ以上食い込まない。
それどころか押し返され始めている。
…………いや、違う。
三叉矛を這い上る怖気が立つ異物感に、青の魔女は戦慄した。
魔法が侵食されている。
このままでは魔法の制御を奪われる!
魔力コントロールで制御権を維持しようとするが、魔眼から津波のように魔力が流れ込んでくる。
耐え難い激痛が全身を痙攣させ、青の魔女は口から泡を吹きながら絶叫した。
手を放してはダメだ、このまま貫いて破壊しなくては。
きっと同じ手は二度通じない。
しかしこのままでは――――
「あ゛あああぁぁぁああああッッ、凍る投げ槍!!」
己の刹那の閃きを信じた青の魔女は三叉矛を手放し、キュアノスを召喚する。
そして素早く唱えた最大強化二重収束氷槍魔法を三叉矛の石突に撃ち込み、強引に目玉に押し込んだ。
今度は魔神が絶叫する番だった。
貫かれた目玉から、黒く粘ついた液体が滝のように、血のように噴き出す。
肩で息をする青の魔女は用心深く得体の知れない液体を避け、ふらふらと飛び立ち魔神から離れた。
絶叫が止まらない。
開戦からずっと完全停止させられていた女王がようやく解放され動き出したのが遠目に見える。
女王は視線に気づき杖を振って見せ、健在を教えてくれる。青の魔女はホッと胸をなでおろした。
厄介なイレギュラー能力は潰した。ここからは反撃だ。
……未だ、絶叫が止まらない。
長々と続く絶叫は悲鳴というより、呼び声のように聞こえてくる。
「あ……!」
「まずい……!」
気付いたのは青の魔女とコンラッドの二人だけだった。
魔王と対峙した経験のある二人だけ。
かつて魔物を呼び寄せ操る魔王の声をその耳で聞いた事がある、二人だけだ。
兜をかぶりくぐもっていたせいで音程が変わり、すぐには気付けなかった。
データとしては知っていても声を聞いた事が無い他の4人に、青の魔女は焦りを滲ませ警告した。
「一秒でも早く倒すぞ! 魔物の群れが来る!」