166 ポカポカ糊
基本的に、一度砕けた魔石の修復は不可能である。それが人類の常識。
唯一の例外として魔王は砕けた魔石を体内に取り込み完璧に修復していたという話だが、人類は魔王がどうやってそれを実現していたのか知らない。
もちろん研究は行われているが、成果はなしのつぶてだ。
ところが太尻尾はそれが可能だという。
砕けた魔石を直せるという。
邪悪な魔法使いによって砕かれてしまった御神体を、直せるという!
俺は思わず前のめりになり、太尻尾のヒゲを指先でつついた。
「おいおいおい! その話、本当だろうな? 嘘じゃないよな? 空手形じゃないよな?」
「は。いえ、その、確証がある訳ではないのですが。なにぶん、我々も砕けた魔石の修復を試みた事はなく。しかしですな、砕けたグレムリンならば幾度となく治療してきた実績がありまして……」
「グレムリンを? ほう? それはどういう方法で? 成功率は? 失敗でリスクがあるような方法か?」
「大利、落ち着け。私も興味はあるが」
ヒヨリに肩を掴み引き戻され、鼻先がくっつくぐらいまで顔を近づけガン詰めしていた事に気付く。
す、すまん太尻尾。ちょっと興奮した。でも守護神オクタメテオライト再臨って聞いたからさ。
深呼吸して落ち着き謝ると、急に興奮しだしたニンゲンにのけぞって尻尾を縮めていた太尻尾は改めて丁寧に説明してくれた。
太尻尾の話によると、美食族はグレムリンの怪我を治す「ポカポカ糊」なる秘薬を作れるのだという。
美食族には毒ミミズや誘拐ナメクジ、穴ぼこトカゲといった天敵がいて、専属の撃滅部隊が日々激闘を繰り広げている。
激しい戦いの中で怪我をする事も多い。喉元にあるグレムリンがひび割れたり、砕けたりしてしまう事もある。
グレムリンが傷ついてしまった美食族は長くない。徐々に衰弱し、死んでしまう。
それを防ぐための治癒軟膏として使われているのが「ポカポカ糊」だ。
ポカポカ糊はオヤツサボテンの根から満月の夜にのみ僅かにしたたり落ちる雫から精製できる。
この貴重なサボテンの雫を卵の殻に集め、決して光に当てないよう暗所でゆっくり蒸発・熟成させ、できあがったドロリとしたオレンジ色の液体がポカポカ糊である。
ポカポカ糊を傷ついたグレムリンに塗り付けると、ポカポカ温かくなり、普通の怪我と同じようにゆっくりと自然治癒するようになる。
ポカポカ糊のおかげでグレムリンが治り、九死に一生を得た美食族は多い。
かくいう太尻尾も数年前の穴ぼこトカゲ大侵攻で負った深手をポカポカ糊で癒したのだと言い、前脚で喉元の毛をかきわけ治ったグレムリンを見せてくれた。
米粒ほどの大きさの小さな楕円形の白いグレムリンには傷跡一つ見えない。
「ほう……コレが治療後だっていうなら、マジで完全に修復されてるな」
「ふむ……私の目にもそう見える」
俺の視力とヒヨリの感覚、両方で太鼓判を押せるほどの完全な修復だった。
なるほどね。こんな事ができる秘薬があるなら、確かに砕けた魔石も治せるかも知れない。
感心していると、太尻尾は眼鏡をクイッと上げながら補足した。
「しかしですな。先程も申し上げた通り、魔石の修復は前例がありませぬ。成功するかどうかは不明なのです。たとえばポカポカ糊は融解再凝固グレムリンには効果が無いのであります」
「あ、そうなん?」
「は。我々は融解再凝固グレムリンは高熱によりグレムリンが『死んで』しまっているがゆえに治癒が効かなくなっているものだと解釈しているのですが。果たして魔石に効くのかどうか」
「それは……確かに。どうなんだろう」
首を傾げる太尻尾に釣られ、俺も腕組みをして首を捻る。
魔石はグレムリンと似ている性質を持つが、グレムリンと違う性質も多い。
グレムリンに効く秘薬は、魔石にも効くのだろうか?
太尻尾の説によれば「死んで」しまっているグレムリンには効果が無いという話だけど、その理屈で言えばかつて入間を景気良くボコったオクタメテオライトはかなり元気いっぱいだ。イキイキしてる。生きてそう。
でも砕かれてからはウンともスンとも言わないし、そもそも砕けてから80年以上経っている。既に死んでしまっていてもおかしくない。
魔石にポカポカ糊が効くのかどうか?
怪しいラインだが、修復のチャンスがあるだけで十分。ポカポカ糊はえらく可愛い名前だが間違いなく神の霊薬だ。
ポカポカ糊は使用しても特に反動やリスクが無いという。ほんの少しでも光に当てると一発で失活し効能を失ってしまうので完全な暗闇での使用が必須ではあるものの、モグラ地下帝国で過ごしていれば全く問題ない。
俺は美食族への小物提供とオクタメテオライト修復の取引を了承した。
仮に修復できなかったとしても、ポカポカ糊を譲れる量だけ譲って貰う約束だ。改良すれば魔石にも効くようになるかも知れないから。
まあ改良するまでもなく治ってくれるのがベストなんですけどね。
かくして話はまとまり、俺は早速小物作りにとりかかった。
モグラたちが行列をつくってせっせと掲げ持ち運んでくる小石や金属片を削り、磨き、お好みの食器に加工していく。
モグラの手でも握れるように持ち手を工夫したナイフとフォークのワンセットを基本として、スプーン、ゴブレット、深皿、お椀、燭台、刺繍入りのテーブルクロスなどなど、食卓を豊かに彩るミニマム道具の数々をひたすら量産する。
ふと気づくとヒヨリが隣にいなかった。座り込む俺の膝に乗って行列の横入りや押し込み行為に睨みを利かせている太尻尾に聞くと、自己縮小魔法を使ってモグラの巣穴の奥深くに探検に行ったらしい。小さな美食族の中でも一際小さいフワフワの子供モグラたちに手を引かれ、デレデレしていたという。
あいつ自分だけ楽しみやがって……!
まあ仕方ないんだけどな。俺、魔力不足で自己縮小魔法使えねぇし。同行できない。
仕方ないから俺の分まで楽しんできて欲しい。そして後でたっぷり土産話を聞かせてくれ。
小物づくりは休憩や睡眠を挟みながら何日も続いた。食事に関しては一日目でマッシュルームオンリーに飽き(美食族の食糧庫の中で人間が食べられる物がそれしかない)、ツバキに巣穴の入口まで軽食を運んでもらってなんとかした。
ツバキはツバキで夜な夜な美食族の好奇心旺盛な若者たちを連れ出し、浜辺で花火大会を開いてヤンヤの喝采を浴びているらしい。エンジョイしてるぜ。
ヒヨリの探検やツバキの花火大会の話を聞いていると俺も美食族と遊びたくなるが、仕事の契約結んじゃってるからな……オクタメテオライト復活のためにも、真面目に小物づくりに集中するのみ。
クウェート地下に住んでいる美食族の総数は約2万匹。
1匹あたり、ナイフ&フォーク&皿一枚を作るのにかかる時間が3分。
徹夜ぶっ通しで作り続けても、全員に専用食器を作ってやるためには40日以上もかかってしまう。
見込みの甘さに気付いた俺は、全美食族への食器供給を早々に諦め、500セットで製造を打ち切った。広大な地下帝国の各所にある集会穴に置いてもらって、共用で使い回してもらう形にする。
すまーん!
でも俺にも限界はあるんだ。いくら俺が世界No1不世出空前絶後の大天才職人でも、手は二本しかない。製造ペースはどんなに効率化しても1個ずつだ。
2万匹のモグラ全員に健康で文化的な必要最小限度の生活を送るためのミニミニアメニティを作って配っていたら、それだけで1年が経ってしまう。
代わりに太尻尾のベストほど本格的なものでは無いが服を爆速で縫いまくり、3000着のモグラ服を供給。
冬用尻尾カバーは500着、モグラ用四層構造ミニマム杖は20本、族長専用(太尻尾用)六層構造ミニマム杖(四次元技術による空間消失を利用した新工法!)は1本だ。
あと、金属製の頑丈なミニサイズプレス成型機も一個作った。粘土を入れてプレスすれば皿の形に成型できるから、あとはそれを天日干しするなり焼成するなりすれば、俺の手作り皿ほどの品質ではないが自分たちで追加のお皿を作れる。俺がいなくなった後に是非活用して欲しい。
そうして。
地下の暗い巣穴でモグラたちの尊敬の目と感謝の声を浴びながら気持ちよく仕事すること七日。
ついに約束の期日が来る。
巣穴探検から戻ってきたヒヨリは、ローブのポケットを美食族からの贈り物でいっぱいにしてニヨニヨしている。めっちゃ楽しい七日間だったのが聞かなくても分かるぞ。
「ヒヨリ、なんかお前臭いが……あ、いやなんでも」
「OK進歩は認めよう。よくこらえた。次からは鼻をつまむなよ、殴られたくなければ」
俺はヒヨリから漂う腐臭に気付いて口を滑らせかけ、すんでのところで思いとどまった。
だが言わんとする事は伝わってしまったらしい。一瞬前までのニヤケ面はどこへやら、額に青筋を立てるヒヨリに睨まれ肩身が狭い。ごめんて!
気まずい思いをしていると、巣穴の奥からオレンジ色のベタベタした軟膏を全面に塗りたくられたオクタメテオライトが運ばれてきた。
三匹がかりで魔石を運び、俺の前に慎重に下ろしたモグラたちは恭しく一礼して下がっていく。
七日前、俺が慎重に元通りの形に破片を組み立てたオクタメテオライトは集中治療に入った。全面にポカポカ糊を塗り付けたオクタメテオライトはまるでオレンジ色のベタつくゴムボールのよう。
俺はそーっと手を伸ばし、固唾を呑むモグラたちと不機嫌なヒヨリの前でオクタメテオライトを拾い上げた。
ポカポカ糊が魔石にも効くなら、オクタメテオライトの亀裂は修復されているはずだ。
結果は糊を拭ってみないと分からない。
期待し過ぎてはいけない。
日本から遥々中東の地下帝国までやってきて、御神体復活のチャンスが掴めただけでも十分なのだから。
これで失敗していても、ポカポカ糊の成分を分析して改良すればまだまだチャンスはある。
とはいえ期待は隠せない……
目を閉じて祈りつつ、布を使って丁寧に軟膏を拭う。
それからドキドキしながらそっと薄目を開けると……
オクタメテオライトは、在りし日そのままの完全な姿でそこにあった。
ヒビが全て消えている。
破片が全て完璧にくっついている。
オクタメテオライトが、治っている!
「うおおおおおおおおおおおおーッ!! 治ってるーッ!!」
俺がガッツポーズをして快哉を上げると、モグラたちも一斉にぴょんぴょこジャンプして尻尾を振り振り大騒ぎを始めた。
泣きそうだ。
というか泣く。
ありがとう、ありがとう……!
ありがとう、美食族!
お前ら最高だぁ!!!
「美食族を代表してお祝いを申し上げますぞ。おめでとうございます、大利殿!」
「やあ、めでたい。職人さんが嬉しくてボクも嬉しい!」
「やんや、やんや!」
「フォークを打ち鳴らせ。皿を叩け。お祝いだ、お祝いだ!」
「職人さん職人さん、お祝いの料理持ってきたぞ。アンタに作ってもらった包丁とまな板で料理したんだ、食べておくれよ!」
「わぁっ! ダメダメ、それ持って帰れよ赤ヒゲ! 人間は腐肉食べらんないんだってば!」
「えっ……好き嫌いとかじゃなくて? 食べられない? 人間ってかわいそうだな……」
「何はともあれ、良かった良かった!」
小さき生き物たちに全力で祝われ、ニッコリだ。
サンキュー美食族。フォーエバー美食族。
神を復活させたお前らは、オクタメテオライト教の名誉使徒として、未来永劫個人的に語り継がれる事だろう!
ワハハハハーッ!