165 モグラ秘密地下帝国
船倉で息を潜め厨房の魚頭をくすねながら洋上生活をするつもりだったという太尻尾を、俺達は喜んで客室に招いた。
ツバキは虎魔獣と違って自分の火を怖がらずちょこちょこ着いて来る太尻尾を気に入ったし、太尻尾もまた燃えている(光っている)ツバキを気に入ったようだった。
美食族は一生のほとんどを暗い地下で過ごす。だが、時々煌びやかな光をしこたま浴びたくなると言い、ツバキが全身の炎を激しく燃え上がらせ煌々と光ると両手をぺちぺち叩き大ウケしていた。船員は顔を蒼褪めさせすわ火災かと消火器を引っ提げてスッ飛んで来たが。
すみませんね、ウチの子たちがお騒がせして。
そんな事がありつつ、一週間かけて俺達は中東の港街クウェートまでやってきた。
クウェートは地面から建物まで全部白茶色っぽい砂漠の小国で、人口は50万人を数える。主産業は水産と傭兵業。
ひと昔前までは魔女がゴリゴリの独裁女尊男卑政治を敷いていて、男にとって生きづらい国だったらしい。が、今は逝去した母を反面教師に育った魔女二世の魔人たちが国外追放されていた弟たちを呼び戻し行政の立て直しを図っていて、国交正常化にも熱心。
ちょっと厳し過ぎるぐらいの厳罰をもって男女平等を推し進めていて、女尊男卑を辞めた対外アピールとして、外国からやってきた男はかなり安全に気を遣われるそうだ。
ザッと聞いただけでも面倒臭そう。詳しく聞けばもっっっと複雑な政治事情がザクザク出て来そう。
でもね、いいんですよそのへんのややこしい政治はノータッチで。
俺が滞在するのはクウェートというよりも、クウェート地下の秘密モグラ帝国だから。
夜半に港に着いた俺達はまず入国審査を済ませ、ホテルへの案内を断り三人と一匹で夜の散歩に出かけた。旅の間ずっと距離をとって健気についてきているツバキのペットのフクロスズメを含めれば三人と2匹だが、だいたい三人と一匹だ。
ツバキの肩に乗り、お気に入りの眼鏡をしきりにクイクイしながら道案内する太尻尾2世閣下に従って歩いていくと、共同墓地に到着した。
月下の墓地は相応におどろおどろしい。幽霊とか出そう。でも幽霊が出てもぶっ飛ばせる魔女と魔人が揃ってるからまるで怖くない。頼もしいぜ。
「前回青の魔女様がお訪ねになられた時は自己縮小魔法をお願いしましたが。我々、今後人間の賓客を招く機会があった時にまたお手数をおかけしてはならぬと、主要な巣穴の出入口拡張事業を行いましてな」
「ほう。いいのか? 図体のデカい外敵に侵入されやすくなるんじゃないか」
「なんの! 人間には見つからんようにしてありますし、いざとなれば入口を崩せますゆえに。それに、出入口の通路と歓迎ホールを除けば従来通りであります。失敬」
言いながら太尻尾はツバキの肩から飛び降り、チョロチョロ駆けていって一枚の墓石を前脚で指し示した。
「こちらが入口であります。同胞に賓客の来訪を伝えて参りますゆえ、しばしお待ちを」
ペコリと俺たちに一礼した太尻尾は、墓石の隙間の小さな穴に体を捻じ込み地下に消えていった。
手持無沙汰なツバキは墓石に腰かけ、空気の臭いを嗅いでショボンとする。
「ミミミ、臭い。フトシッポ好きだけど、ここあんま好きじゃないかも」
「鼻が利くのも良い事ばっかじゃねぇな。あとツバキ、墓石に座るな。そういうのお行儀悪いらしい」
「ミ」
ツバキは素直に頷き、墓石から降りて自分の火に吸い寄せられるように寄ってくる虫を指で弾いて焼き落とす遊びを始める。
太尻尾が戻るのを待つ間に同じく暇なヒヨリから聞いたところによると、古い血脈を持つ美食族は墓地を管理する墓守と繋がりがあるパターンが多いらしい。
話はグレムリン災害直後まで遡る。
世界各国の大都市は、狭い土地面積にミチミチに詰まった大人口を抱えていた。災害直後にバタバタ人が死ぬと、街中に夥しい数の死体が溢れる。
魔物による壊滅を免れても、死体から発生する毒や病により災禍に沈んだ都市は多い。
東京は、ゾンビの魔女が死体をゾンビに変えて回収し、疫病発生を免れた。
一方、クウェートでは美食族が死体処理の一端を担ったらしい。
もちろん、ちっこいモグラが処理できる死体の数などたかが知れている。
しかし数匹がかりで死体を地中に引きずり込んで埋めたり(美食族にとっては食料保管のつもりでも人間にとっては埋葬だ)、人目につかない場所にある死体の腐臭を嗅ぎ付け報告したり、人間の死体処理業者と持ちつ持たれつの良い関係を築いた。
とにかく街中が死体だらけで、モグラの手も借りたかったのだ。
ところがグレムリン災害直後の大混乱が収まってくると、死体を食べるモグラは嫌悪の目で見られ、駆除対象になる。
元々、美食族は礼儀正しく出しゃばらない。やっきになって自分達を駆除しようとする人間に一切抵抗せず、大人しく地下に姿を隠し、絶滅したフリをした。
かくして美食族は一部の墓守とだけ昔から続く秘密の交友関係を維持し、表向きは絶滅危惧種の害獣として、裏では広大な地下帝国を持つモグラとして、悠々と暮らしているのだ。
人に歴史あり。
モグラにも歴史ありである。
そんな事を話していると、太尻尾が消えていった墓石が勝手に動きはじめた。
墓の下からヂーッ! ヂーッ! とモグラたちの掛け声が聞こえる。
墓石の下を覗き込むと、テルテル坊主みたいな粗末な服を着た十数匹のモグラたちが一生懸命力を合わせて石を動かしていた。
おいおい、あんまり可愛い事をするなよ。好きになっちゃうだろ!
「大変お待たせいたしました。ささっ、こちらへどうぞ、お三方!」
墓石の下の暗がりから出てきた太尻尾が言うと、墓石を動かしていたモグラたちが一斉に俺達の前に集まり、萎れた花や綺麗な小石、何かの骨のかけら、汚れた硬貨などを差し出してきた。
「僕の名前はツヤツヤ毛皮。職人さん、コレと交換こして綺麗なお皿をちょうだいよ」
「我が名は石掘り上手! これと引き換えにオシャレな付け爪を作って頂きたい!」
「わっちは鼻利き。人間のお金を、ホラこの通り! マグカップをひと揃い、くださいな」
わあわあ口々に頼まれて面食らう。
多い多い、多いよ! 何? そういう感じ? 地下帝国にまとめて納品とかじゃなくて? 個人個人の依頼?
モグラたちの興奮と熱気に気圧されていると、太尻尾が一際大きく、怒った声でヂーッと鳴いた。するとモグラたちはバツが悪そうに静かになり、「予約ね!」「忘れないでおくれ!」などと言いながら退散していく。
それを頬を膨らませ見送った太尻尾は、咳払いして申し訳なさそうに頭を下げた。
「同胞が申し訳ない事を。この眼鏡と礼服を見せてから、帝国は地震と洪水がいっぺんに起きたような大騒ぎでして」
「お前たちは本当に可愛いな……」
ヒヨリの呟きに心底同意して頷く。世界はファンタジーになったと思っていたが、ところによってはメルヘンって感じだったらしい。
帝国民たちの先走りにご立腹らしい太尻尾に先導され、俺とヒヨリは墓地からモグラ秘密地下帝国に入国した。ツバキも入ろうとしたのだが、すぐに鼻をつまんでギブアップしたため地上で別行動だ。
そんなに臭いのか? よく分からん。確かにカビ臭くはあるが。
ヒヨリに暗視魔法をかけてもらい、背中を丸めて地下トンネルを歩きながら聞いてみる。
「思ったより腐った臭いしないんだな」
「は。マナーであります。人間も公共の場でニンニク臭だとかはダメなのでありましょう?」
「あ~」
言われて納得だ。腐った臭いさせて良い場所とさせちゃダメな場所を分けてるのか。
こいつら本当に礼儀正しいな? 人間より人間できてるんじゃないか。食性以外満点だ。
でもその食性が無ければここまでの賢さを獲得する事は有り得ないわけで。あちらを立てればこちらが立たず。上手く行かないもんだ。
帝国の名は伊達ではなく、緩やかな下り坂を作る地下トンネルを俺達は数分も歩いた。玄関口だけでこの長さ。地下帝国全体の広さは一体どれほどなのか想像もつかない。
暗視魔法のおかげで、トンネルを抜けて大広間に出たのはすぐに分かった。
大広間といっても広さはワンルームマンションぐらいだ。ドーム状の大広間は二十歩あれば一周できてしまうだろう。
しかし、人差し指サイズの大きさしかないモグラがこの空間を掘り抜くのは並大抵の事ではあるまい。天井から壁に沿って太い木の根っこが這っていて、崩落への配慮も抜群。
いやこれはむしろ丈夫な木の根っこが伸びて土が固定されている場所を選んで大広間の場所を決めたのか?
むむむ、土木工事に関しては流石モグラといったところか。
太尻尾に促され、用意されていた苔のクッションに腰かけると、モグラたちが錆びた缶に水を入れて掲げ持ってきた。水缶をありがたく受け取ると、今度は卵の殻を容れ物にしてキノコを持ってくる。ヒヨリはキュートアグレッションに耐えかね缶を握り潰しそうになりながら礼を言った。
「ありがとう」
「ありがとう。このキノコ何? 人間が食べても平気なヤツ?」
「は。地上で栽培されているものより小ぶりですが、マッシュルームであります。生でお召し上がりいただけます」
美食族が人間向けに用意した精一杯のもてなしに重ねて礼を言うと、太尻尾は誇らしげに胸を張り眼鏡をクイッと上げた。その眼鏡、気に入ってくれてるみたいで嬉しいよ。
そんな俺達を、大広間に繋がる無数の穴から顔を出したモグラたちが興味深々といった様子で見つめている。視力的にボヤけた像しか見えていないだろうけど、自分達より遥かにデカい生き物が自分達の領地にいるってだけで物珍しいだろうな。
「で? 船の中で軽く聞いたけどさ。俺は食器を作ればいいわけ?」
「は。何よりもまず、それをお願いしたいと思っております。我々が長年渇望してやまなかった物でありますがゆえに。しかしですね、同胞は他の小物も欲しがっておりまして」
「眼鏡とか服とか?」
「御賢察であります。他にも冬用の尻尾カバーだとか、コック帽だとか、包丁だとかですね、あれこれと要望の声が大変多く。ひとまず基本的なカトラリーの製作を始めて頂いて、その他の品物はこちらで一度要望をまとめますので、それからという形は……」
「OK。魔法杖の需要はありそう?」
「は。毒ミミズ撃滅部隊に先程嘆願されたところです。杖があれば戦死者も減る事でしょうな」
太尻尾2世は憂いを込めた溜息を吐いた。色々大変そうだ。
杖の需要もあるならやる気が一層上がる。食器職人としての名声の半分でもいいから、杖職人としての名が地下帝国に刻まれれば嬉しい。
「して。一連の依頼の報酬の件ですが……」
太尻尾は言葉を濁し、俺の胸元あたりをじーっと見上げてきた。
「そのぅ、大利殿が持ち歩いていらっしゃる砕けた魔石は、わざとそうしておられるので?」
「これ? オクタメテオライトの話? それなら全然わざとじゃない。バチクソ不服。これはな、入間っていう邪悪な魔法使いに砕かれた御神体なんだ」
お労しや、オクタメテオライト様。
長らく我が工房の守り神であらせられたのに、カスへの鉄槌と引き換えに力を失われてしまった。
砕けたオクタメテオライトはクォデネンツに似た魔物拒絶空間作成機能を失ってしまい、ウンともスンともいわない。
でも例え砕けて破片になっていようとオクタメテオライトはオクタメテオライトだ。俺が初めて手に入れた魅惑の魔石。大切な御守りだ。
「むむむ……よく分かりませんが、目的をもってわざと小片に分けているわけではないのですね?」
「そう。それが?」
話の先が読めずに促すと、太尻尾は思慮深く慎重に、驚くべき提案をしてきた。
「もしかしたら、砕けた魔石を修復できるやもしれません。それをもって報酬にかえさせて頂くというのはいかがでありましょう?」