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163 呪われた海賊

 ジャン=ジャック・ドゥファンと言えば、元々は名の知れた海賊だった。

 仲間と共に七つの海で船を駆り、海の支配者たる海獣どもの生態を熟知した海賊船団は無敵。各国海軍の追跡を巧みにかわして山ほど財宝を稼ぎ、この世の春を謳歌した。


 しかし栄華はいつまでも続かない。海賊団はアラビア海の幽霊群島で魔女に捕まり、邪悪な魔法をかけられ、呪われてしまった。

 強力な呪いはジャン・ジャックを縛った。命令に決して逆らえず、せっかく長年かけて貯め込んだ財宝を魔女に献上する自分の体をどんなに意思を振り絞っても止める事はできなかった。

 海賊団は、自由に海を駆けていた歳月と同じ歳月の間、恐ろしい魔女の走狗となり不自由に海を荒らす事になった。


 再びの転機は、一人の老紳士と共に訪れた。

 ふらりと幽霊群島を訪れたハトバトを名乗る爺に、魔女は一目惚れ。発情した雌猫のようにニャンついて、全てを放り出し爺にくっついて姿を消してしまった。


 ジャン=ジャックは唖然とした。

 あんなに強力に自分達を縛り付け、永遠の虜囚にしていた魔女が、こんなにアッサリと消えるのか?

 しばらくの間、染みついた奴隷根性が魔女がまた戻ってくるのではないかと囁きジャン=ジャックを幽霊群島に留め置いたが、魔女は帰らなかった。

 呪いは依然、解けていない。しかし魔女はもはや支配下においた犠牲者たちに興味が無いようだった。


 燻っていた反骨精神が燃え上がる。

 ジャン=ジャックは仲間達の尻を蹴飛ばし、大急ぎで船に帆を張り、幽霊群島から逃げ出した。魔女の気が変わって島に戻りでもする前に、魔女の目が届かない場所まで逃げるのだ。


 長い隷従の日々は、ジャン=ジャックの腕を腐らせはしなかった。

 縄を操り荒波を巧みに乗りこなし、嵐を越え、海獣を手なづける。

 黒い帆に髑髏の海賊旗を掲げ、霧と共に現れるジャン=ジャックの海賊船は、まるで在りし日の輝かしい栄光が蘇ったかのようだ。


 だが、ジャン=ジャックは疲れていた。老いていた。肉体がどうのというより、精神的な活力が昔ほど無い。

 かつての栄華よ再び! と気炎を上げて略奪に乗り出す気にもなれない。

 今は若造の頃に飛び出したきりの故郷が、たまらなく恋しい。


 風の噂では、旧時代の瓦礫に埋もれ汲汲としていたシケた故郷は様変わりし、立派な港町になっているという。

 ムンバイは今やインドを代表する都市の一つだ。警備も厳重で、たった一隻の海賊船が乗りつけたところでたちまち沈められてしまうだろう。

 だが、ジャン=ジャックの望郷の念は強かった。たとえ海の藻屑になるとしても、故郷の海に沈みたい。

 あのナツメヤシの葉の向こうから昇る美しい朝日をもう一度見られるのなら、全身が粉々に砕けても良かった。


 ジャン=ジャックはコンパスと星を頼りに航路を取り、広大な大海原を滑るように進んだ。船首の籠にぶら下げた幸運の魔物「霧吐き大蜆」は絶えず霧を吐き出して、海賊船の姿を隠してくれる。

 一度だけ商船とすれ違ったが、商船の乗組員たちは海賊旗を見るや否や悲鳴を上げ慌てて舵を切り離れていくだけで、魔法も大砲も撃ち込んで来なかった。

 それはジャン=ジャックも同じ事だ。

 長い間、船を見つければすぐさま襲い掛かり、女子供を攫い財宝を奪って沈めてきた。

 だが今は故郷を目指すのみ。商船を前にカトラスが疼かなかったと言えば嘘になるが、武器を抜きはしなかった。


 二十日かけ、ジャン=ジャックの海賊船は夜更けにムンバイの灯台の光を捉えた。

 帆桁の上に立ち海原を遠望していたジャン=ジャックは感激に打ち震える。記憶とは灯台の位置も光の強さも違う。だが、そこは間違いなく故郷だった。

 船員の幾人かはジャン=ジャックと同郷だが、黙々と舵を取り帆を操る彼らはだんまりだ。魔女に特別扱いされていたジャン=ジャックと違い、他の船員は残らず意思を抹消されていた。

 それが哀れであり、羨ましくもある。彼らは隷従の日々を辛酸と感じた事はなく、呪われ変わり果てた姿でどう余生を過ごせば良いのか思い悩む事もあるまい。


 いよいよ錨を降ろす指示を出したジャン=ジャックは、灯台の光を背に何かが高速で近づいてきている事に気付いた。

 それほど大きなモノではない。

 ドラゴンではない。もっと小さな、人型だ。

 生前のクセで額に手でひさしを作り正体を確かめるため遠望しようとしたジャン=ジャックは、船首の幸運の霧吐き大蜆が開いていた口を慌てて閉じ、岩のように固まって気配を殺した事に気付いた。


 ジャン=ジャックは反射的に帆桁の上を走り出し、勢いをつけて頭から海に身を投げる。

 その刹那の後、ジャン=ジャックの背後で海賊船は轟音を上げ木っ端みじんに吹き飛んだ。


 海底に潜り、水面を泡立たせる爆発の衝撃とバラバラの木材を月明かりで見上げながらゾッとする。

 魔女だ。魔女が現れたのだ。自分達に呪いをかけた魔女よりも遥かに強大な別の魔女がスッ飛んできて、海賊船を一撃で破壊した。


 魔女の顔が分かるぐらいまで悠長に眺めていたら自分も他の船員と共に吹き飛んでいただろう。幸運の大蜆と長年の修羅場を通して培った勘のおかげで助かった。


 突然の襲撃で船も船員も失ったジャン=ジャックは慎重に慎重に海底を歩いて陸を目指し、ひっそりと砂浜に這い上がった。

 ある程度、予想はしていた。インドの大都市の沿岸警備は厳しい。海賊船がたった一隻で近づけば、たちまち気付かれ撃沈される。

 だがそれでも自分たちなら、夜陰と霧に紛れコッソリと……という考えは浅はかな皮算用だったらしい。


 砂浜で海水をたっぷり吸った服を絞っていたジャン=ジャックは、背後に何者かが降りたつ気配を感じた。

 瞬時に鞘からカトラスを抜き放ち、振り返る。


 そこにいたのは、青い宝石を嵌めた美しい杖を持ち、大きな帽子を被った、一人の魔女だった。


 ああ、終わった。


 ジャン=ジャックは絶望する。

 故郷の土を踏むことはできた、だがまだ何もできていない。実家は今どうなっているだろう、学校の木に刻んだ名前は埋もれてしまっただろうか、親に無理やり連れて行かれた教会の鐘は今も錆びついているのだろうか?

 故郷に何が残っていて、何が消えたのか。何も分からないまま、ジャン=ジャックはここで消えるのだ。

 それでも逆手にカトラスを構え、その鋭利な剣先をピタリと魔女に向けると、魔女はその独特の構えに虚を突かれたように目を瞬いた。


「お前、イルカの(ドゥファン・)ジャン=ジャックか?」


 全く考えもしなかった相手から名を呼ばれ、狼狽える。

 ジャン=ジャックが困惑しながら頷くと、驚いた事に魔女は微笑んだ。


「六十年前の礼を言っていなかったな、ジャン=ジャック。お前の情報は正しかった。お前のお陰で、私は隠れ住んでいた魔法使いを見つけ魔法を覚える事ができた。私が求めていた蘇生魔法ではなかったが、堅実な一歩だった。感謝している」


 あの時は疑って悪かった、と言って、魔女は帽子をとり胸に当て丁寧な一礼をした。

 零れ落ちた美しい黒髪を見て、古い記憶が蘇る。

 確かにまだ生身の人間だった頃、幽霊群島の魔女に殺され動く死体に変えられる前、ジャン=ジャックはこの魔女に会った事があった。


 青の魔女。

 極東からやってきた、昔話の魔王殺しの英雄の一人だ。


「骸骨になっていたから分からなかった。そうか、二代目か三代目のゾンビの魔女に捕まったんだな? 幽霊群島の噂は私も聞いている」

「…………」


 ジャン=ジャックは白い髑髏頭を傾け、察しの良い魔女に首肯した。

 ジャン=ジャックは喋れない。舌も喉も、とうの昔に腐り落ちたから。

 しばらく動く白骨死体を考え深げに眺めていた青の魔女だったが、おもむろに杖を掲げ魔法を唱えた。


「××××禁止を(ナブゥ゛・)禁ずる(ナブヴ)


 不可視の何かが青の魔女を中心に広がり、ガラスが砕けるような音がした。

 同時に忌々しくも慣れ親しんだ魔女との支配的繋がりが切れるのを感じ、ジャン=ジャックは顎が外れるほどパックリと口を開け驚愕した。


 まさか。

 魔女の手にかかれば、こんな事まで可能なのか?

 自分は三十年も戒めから逃れようと苦しみ、どうにもならなかったのに。

 青の魔女にかかればまるで薄氷を踏ん付けて無造作に割り砕くかのようだ。


「ゾンビ魔法の支配を切断した。これでお前は本当に自由だ。海賊をやっていたようだが、私は知らん。その骨の体が朽ち果てるまでのあと十年か二十年か、好きにするがいいさ」


 そう言って、青の魔女は軽く手を振り立ち去った。

 呆然とその背中を見送ったジャン=ジャックは、やがて剥き出しの尾てい骨を砂浜に降ろし、海を眺める。

 月は沈み、空が白んで、水平線の彼方から姿を現す太陽が波打つ海をキラキラと輝かせる。


 ジャン=ジャックは変わってしまった。

 故郷も変わってしまった。

 しかしナツメヤシの葉の間から昇る朝日は、昔と何も変わらない美しさだった。

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― 新着の感想 ―
あれ、なんで爆破しちゃったんだっけ
>「六十年前の礼を言っていなかったな、ジャン=ジャック。 >自分は三十年も戒めから逃れようと苦しみ、どうにもならなかったのに。 当代ゾンビの魔女に支配されたのが30年前。青の魔女に情報提供したのが60…
江戸川の魔女の魔法解除魔法は入間しか知らないと思ってたからサラッと使ってて驚いた ゾンビの魔女が補正でハトバトに惹かれたなら傀儡にも惹かれてそうだし悪の組織を渡り歩く悪女ポジだったのかな
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